第3話 焼き芋

 スーパーを出る直前のことだ。


 店内に入ってすぐのところにトラップが仕掛けられている。

 銀色の箱状のものだ。神那の胸の下辺りまである直方体の箱の上に、ガラスのバリケードのようなものがついている。

 そしてとてつもなく甘美な芳香を放っている。


 双子の足が箱の前で止まった。

 神那は眉間にしわを寄せた。

 まずい。双子がトラップにかかってしまった。


「神那ちゃん」

「だめだからね。もう帰るんだからね」

「神那ちゃん、神那ちゃん」

「だめだって言ってるでしょ。いいから帰るよ、店を出ようね」

「神那ちゃん、僕まだ何も言ってない」

「僕もまだ何も言ってないよ神那ちゃん」

「だいたい分かるからだめ」


 箱の中を指した。


「欲しいんでしょ」


 双子が揃って頷いた。


「焼き芋」


 ガラス張りなので箱の中が見えるようになっている。

 焼けた丸く白い石がごろごろと転がっている。そしてその上に、香ばしい匂いを放つ大きなサツマイモが五本並んでいる。縦に割けた芋の腹は卵黄のような黄色をしていて、紫色の皮は浮いていて剥きやすそうだ。


「よく見て」


 ガラスケースの外側、吸盤にタコ糸でぶら下げられた小さなホワイトボードを指差す。


「焼き上がりは?」

「十七時半」

「今何時?」

「十七時十分」

「あと二十分どうするの?」


 双子は真顔で揃って即答した。


「ここで待つ」

「ほら! ほら、そういうことになる!」


 神那は右手で片割れの左手を、左手で片割れの右手をつかんだ。この際どっちがどっちだかは分からないが不問とする。とりあえず両手で一人ずつの手をつかんで思い切り引っ張った。


「早く帰るよ! おじさんとおばさんがお腹を空かせて夕飯待ってるでしょ!」

「飢えさせておけばいい」

「そうだ、いたいけな息子たちに夕飯を作らせようとする鬼のような親たちのことなど放っておけばいい」

「十七歳はいたいけじゃない! どうしてあんたたちは忙しいご両親に代わって料理をするだけのことができないの、週に一回あるかどうかでしょ!」


 しかも調理をするのは双子のはずなのに買い出しには神那が監督として随行している。もはや神那自身も違和感を抱いていないが、芹沢家の食卓の成功には神那の大いなる尽力がある。


 神那は二人を引きずって店の外に出ようとした。だが十年前ならいざ知らず、さすがに神那よりも大きく育った男子高校生を何メートルも動かすことはできない。しかも二倍だ。その上双子は本気で焼き芋を欲しがって足を踏ん張っている。


「さっき買ったアイスも溶けちゃう」

「今店の前で食べよう」

「そうだ、アイスで二十分もたせよう」


 残念なことに、買った食材を台の上で買い物袋に詰める際、ビニール袋の巻き物の下、濡れ布巾の脇からアイス用のヘラを入手していた。神那は単に家のスプーンを出すのが面倒だからだと思っていたが、双子は外で食べることを想定していたのかもしれない。迂闊であった。


「神那ちゃん」


 双子が真剣な顔をする。


安納あんのう芋だよ」


 神那は一度唾を飲み込んだ。

 本音を言えば、神那も欲しい。

 神那も甘いものが好きだ。特に秋の甘味には好物が多い。柿、栗、ブドウ、そしてサツマイモである。中でも安納芋とは鹿児島県で生産されている中身が黄色くて甘い焼き芋に適した品種であり、ミニストップの秋のソフトクリームにも用いられているものだ。ミニストップの季節限定ソフトクリームは神那と双子を買い食いに走らせる悪の権化である。


 だが、冷静に考えたい。

 自分たちは高校生といえど親におつかいを頼まれた身、預かった資金をどう使うか試されているのが現状である。

 安納芋は一本五百円だ。五百円もするのである。高い。あまりにも高い。ここで三本も買ったら千五百円だ。そんなものを買うくらいだったら今夜の芹沢家の夕飯を鍋にして高い肉を投入した方が家族全員の幸福につながるのではないか――繰り返すが芹沢家の食卓の話で神那が食べられるかどうかは不明だ。


 挙句の果てには十七時半まで待つというのか。とんでもない。神那が自宅で夕飯を食べるのも遅れる。もしかしたら芹沢家で食べてこいと言われるかもしれないが、神那の母親も今自宅にいて娘の帰りを待っているのは確かである。ちなみにスーパーは三人の家から片道徒歩十分弱であり、神那の計算では三十分もかからない予定であった。

 外はいつの間にか真っ暗だ。カーディガンを羽織っているだけの今の状態は寒い。


 こんなところで安納芋の誘惑に負けるわけには――


 と神那が踏ん張ったところで、だ。


「焼き芋待ちかな?」


 エプロンをつけ、鉢巻を巻いた中年の男性が声を掛けてきた。

 双子が元気よく「はい」と答えた。


「もう焼けてると思うよ」


 男性販売員はホワイトボードに書かれた時刻を無視して、十七時二十分現在――そう、双子と神那が押し問答をしている間に十分が経過――の芋をそのまま軍手で取り出したのである。


「何本欲しいの?」


 双子が答えた。


「一本です」

「えっ」


 てっきり三本だと思っていたのだ。


 驚いた神那をよそに、双子の片割れがポケットから小銭を取り出した。双子の片割れもポケットから小銭を取り出した。どちらが何枚出したのかは分からないが、二人で百円玉五枚になった。


「まいど」


 片方が神那から手を離した。

 そして、両手で芋を握った。

 まず、三分の一と三分の二に割る。

 それから、三分の二を三分の一と三分の一に割る。


「はい」


 三分の一になった安納芋を、神那は、受け取った。


「……あ、ありがとう……」





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