第6話 大人の関係は自己責任

 しまったな、と、ビーは思った。


 最初に担がれた時に、いや、それ以前に最初に肩を掴まれた時に嫌じゃなかった時点で、警戒するべきだったのだ。



「どうって?」


 ビーは眉根を寄せて、わざと物分かりの悪いふりをしてはぐらかした。


「男としてだよ。有りか、無しか。」

「んなこと聞いて、どーすんだよ。」


 取り合うつもりが無いのだと伝わるよう、ビーは鼻で笑いながら視線を外し、ぼさりと再びソファーに身を沈めて横になる。



 からりと氷がグラスを打つ音がまた聞こえた後、今度はコトンと、ガラス同士がぶつかる音がした。衣擦れの音がして、薄暗い照明の中、視界にこちらを見下ろすティーチの姿が入り込んで来る。


「何?」


 ビーの問いに、ティーチは答えなかった。



 その代わり、おもむろに身を屈めて、ビーに覆いかぶさるようにソファーに四肢を着く。驚かさないように気を使っているのか、その動きは随分慎重に見えたが、迷うような様子は無かった。ビーは、ビール瓶を胸元に持ったまま動かずに、その動作をじっと見つめていた。


 ティーチはゆっくりとビール瓶を奪って、隣のローテーブルに置く。肘をついて身体を落とし、足をビーのそれに重ねる。


 それからそっと、唇を重ねた。



 ちゅ、と音がしてそれが離れると、薄く微笑んだティーチの顔が至近距離に見えた。


 ビーは片眉だけ釣り上げて、ティーチをじっとりと見返した。


「なんだ、気に入らなかったか?」

「……普通、先に断り入れねぇか?こーゆーの。」


 不機嫌そうに言うビーに対して、ティーチが動じた様子は無かった。


「嫌がってるようには見えねぇけどなぁ。それとももう男がいたりすんのか。」

「それも先に聞けよ。いねーけど。」

「じゃあ問題ねぇだろ。」

「……アタシに手ぇ出して、准将に怒られねぇの?」

「はぁ?何でジェイが?あんた成人してんだろ?本人同士が良ければ他人は知ったこっちゃねぇだろが。」


 散々彼を理由に過保護にしといて、そこはいいのか、と、ビーは何となく納得が行かなかったが、どうやらティーチの中でははっきりとした線引きがあるようだ。



「手が早えのな。」

「うかうかしてて他の奴に取られたら堪んねぇだろ。」

「随分慣れてそうだし。」

「そりゃ、あんたよりは少しは長く生きてるだろうしな?」

「アタシら、これで会ったの2回目だけど?」

「……最初に見た時からいい女だと思ってたよ。」

「よく言うぜ。ってかあの時あんたガールフレンドいなかったか?」

「安心しろ。ちょっと前にフラれてるから。」

「はーん、丁度良かったわけね。」

「心外だな。別に、嫌なら強制しねぇよ?でも俺にゃああんたも満更でも無く見えるし、俺にとっちゃあんたは堪らなく魅力的なんだが。」



 ずるい、と、ビーは思った。


 満更でも無いのは図星だが、そんな言い方されたら言い返せないではないか、と、ビーは黙って眉間に皺を寄せる。



 ビーは、他にもまだ言いたいことはあるか、とでも言いたそうにニヤニヤしているティーチの目を半目で見返していた。


 が、突然視線を下げたかと思うと、ティーチの着ていたタンクトップの前をぐい、と捲り上げた。


 ティーチは目を剥く。


「何やってんの?」

「事前審査。」

「……上から目線だなオイ。」


 ビーの言葉にティーチは苦笑しながら眉をしかめたが、直ぐに表情を緩めて、膝をついていた上身体を起こした。代わりに両手をついて四つん這いになり、ビーが身体を見やすいように空間を空ける。


 ニヤニヤしながら、大人しくビーが好きなようにするのを見下ろしていた。


 ティーチが見せつけるように胸と腹に力を入れたのは明らかだったが、割れた腹筋は見事で、既に露わになっていた両腕と遜色無い。ビーは思わず目を見張った。



 タンクトップを抑えていない方の手を、ぺたりとティーチの心臓の辺りに乗せてみる。


 ティーチの身体はビーの手よりも熱かった。弾力のある色黒の肌の下に、みっちりと筋肉が収められているのを感じる。ビーの黄色人種にしては随分青白い手がティーチの肌に重なると、二人の肌の色のコントラストが顕著だった。


 無駄を一切削ぎ落としたかのような身体は、見せるための重過ぎる筋肉では無く、実用的でしなやかなそれに覆われている。ここまでの体型を維持するのに、どれだけ気を使っているのか、何のためにここまでするのかとふと疑問に思う。


「随分鍛えてんのな……」

「……イザって時に、悦んで貰えるようにな?」


 ビーの呟きに、ティーチは戯けて答えるだけだった。



 オイルの染み付いたビーの爪は、機械を弄る為に短く切ってある。ビーはその指を、筋肉の凹凸に少しずつ滑らせていきながら考えた。


 –––正直ものすごくそそられるお誘いではある。こいつははっきり言ってタイプだ。ドンピシャだ。声とか見た目とか。中身も喋っていて心地よい。身体なんか満点である。ちょっとギラギラした感じも良い。それとオカンな部分とのギャップもまた良い。


 なんだかんだ言っても、自分の本能と身体は正直で、この先を早く、と理性に対して訴えている。自分はそこまでカタい方じゃない。別に、一夜限りの関係だって有りだと思う。……だけど–––



 ティーチが深く息を吸って、ゆっくりと吐いて行く音が聞こえた。


「……で?」


 耐えられなくなったのか、ティーチに低く声を掛けられて、ビーは視線を上げる。



 いつのまにかティーチの顔からは余裕の笑みは消え去っていた。その代わり、取り繕った表情の消えたその瞳の奥に、そのまま食らい付くのを今か今かと待ち構えているような渇求が渦巻いている。


 不意に、自分が今とても無防備で、追い詰められている状況にいるのだということを感じ取って、ビーの呼吸は知らずと胸に何かが詰まったように苦しくなった。それを知ってか知らずか、目が合うと、ティーチはまた微笑んで見せた。


 あ、笑うと目が優しくなるんだな、と、ティーチの目尻の皺を見てビーはぼんやりと思う。口周りの皺のより方も、とても良い、と。



「んー……アタシさぁ、」


 未だにティーチの胸元を撫でている手元に視線を戻して、ビーは呟いた。


「暫くご無沙汰なんだよねぇ……」


 最後にしたのいつだっけ?彼氏がいたのは訓練校入ってどのくらいの時だ?と、ビーは思い出そうとしたが、重要なのはそこでは無いな、とすぐに気付く。


「そいつは可哀想に……」


 と、ティーチは食い気味で再度肘をついて距離を詰めて来たが、ビーは慌てて続ける。


「いや、そこは別に良いんだけどさ、」


 それよりも、



 果たしてコイツ私の手に負えるのか?



 と、その方がビーは不安だった。


 –––どーしよ、確かにどっちかっていうと肉体労働寄りの仕事してたけど、これ見ると正直怖気付く。全く自信が無い。只でさえ暫く仕事から離れてる上、定期的な「治療」が必要な今は心身共にかなり弱っている自覚がある。


 全力で来られたら身体持たなそうだな。確実に。


 と、ビーは結論付けた。


 っていうかそれほど経験があるわけじゃ無いし、とも思う。



「……あんたががっかりするかもよ?」



 ビーの投げやりな囁きに、ティーチはゆっくりと身体を近づけた。


 ティーチのカールした髪が、ビーの顔をくすぐる。ビーの頬に優しく口づけが落とされ、低音の優しい囁きが耳に吹き込まれる。


「心配すんな。無理はさせねぇよ。」


 こつりと額を付けると鼻先同士を擦り付けながら、ティーチは言った。



「俺はあんたと気持ちよくなりたい。」





 参ったな、と、ビーは思った。


 負けた。降参だ。敵わない。




「いいぜ。」



 タンクトップを抑えていた手はティーチの首元に、胸元を撫でていた手は脇腹に滑らせて、ビーは言った。


「気持ちよくしてくれ。」




 再度重なった唇は、音を立ててお互いを食んでいく。もどかしかった距離がゼロになり、心地よい重さと共に熱が身体中に直接染み込んでくる。


 ティーチの片腕がソファーとビーの背の間に滑り込んだ。大きな手が、ビーの身体を自分の胸に押しつけるように擦り上げる。深い口づけに、ビーの背中が反った。



 ああ、こいつはやっぱりいい男だ、とビーは思った。



 –––キス一つで、アタシを雌に堕とせるんだから。



 腕をティーチの首と背に回し、身体から力を抜いて、ビーはただ、与えられる愛撫に沸き起こる熱と快楽を受け入れた。


 ◆◆◆


 いつのまにか連れてこられた寝室のベッドの上で、ビーは目を覚ました。


 ブラインドの隙間から、薄暗い夜明けの青い光が見える。少し身じろぐと、後ろから腰に回されていた腕がビーを引き寄せた。ぴったりと身体を付けるように抱き締められ、耳元で呻くような深呼吸が聞こえる。軽く後ろを振り向くと、暗がりの中で少し頭を浮かせたティーチと目が合った。


 寝返りを打って向き合うと、口づけが降ってくる。それに応えて、足を絡め、居心地の良いように身体を寄せて抱き合う。


「身体辛くねぇか。」

「ん。」


 頷くと、今度は額に口づけが落とされた。触れ合う素肌が心地よい。安心できる相手の温もりを全身に感じるのがこんなに気持ちの良いことなのだということを、ビーはずいぶん暫く振りに思い出していた。



 そういえば、准将は帰って来ているのだろうか。夕食を食べていたのは既に遅い時間だった。あの後帰っているとしたら、もしかして自分とティーチが一緒にいるのは気づかれているのだろうか。今朝はまた早くに出るのだろうか。顔を合わせたら、どんな反応をするのだろうか、なんと言おうか、と、ビーはぼんやり考える。


「なぁ、」


 不意に、ティーチが声をかけて来た。



「俺ら付き合おうぜ。」



 それを聞いて、ビーの中にじんわりと熱い、不快ではない痺れが広がる。


「俺の女になってよ。」


 昨晩の熱が、その時限りのものでは無かったのだと、自分だけではなく相手もまた同じものを求めているのだと理解出来て、ビーは腹の中がフワフワと浮くような感じを覚えていた。



 目を開いて、視線を合わせる。暗がりの中、僅かな光を反射して、ティーチの瞳が煌めいていた。



 ビーははっきりと声に出した。







「無理だ。」

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【天空のカヴァルリー外伝】〜ビーの恋愛相談室〜 瀬道 一加 @IchikaSedou

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