第30話 ワイバーンとの対峙
「あった! 港が見えたわよ、レンマ!」
少しだけ降った雨もあがり、花びらと葉にちょこんと乗った露が朝日に光る。羽をほぼ動かさず、ブオブオとドローンのように飛ぶモーチが歓声をあげながら前方から戻ってきた。
「いやあ、歩き疲れたわね!」
「お前ずっと俺の肩に乗ってただろ」
言葉の綾よ、と言って、彼女は小さな手で首をペシペシと叩いた。
ラッチ郡の管理所で申請をしてから夕方出発し、歩くこと半日。途中、宿での仮眠を挟みながらようやく国土の東端に来た。
入り組んだ海岸に木製の船着場がつくられ、俺達3人と漕ぎ手がなんとか乗れるくらいの小舟が何艘かロープで繋がれている。
「今から行く島って、他にモンスターもいるのか?」
横で水筒の水を飲んでいるアルノルに声をかけると、「いや」と小さく首を振った。
「いないみたいですよ? ワイバーンが定期的に来るようなところ、棲みづらいですしね」
「……それもそうだな」
俺も漫画でしか見たことがないけど、やはり相当強いのだろうか。なんか逃げたくなってきたぞ。
「アルノル、怖くないのか?」
船着場の手前、続けて発した問いに、彼は立ち止まって目だけ上を向き考える。やがて、視線をこちらに戻し、ニッと表情を緩めた。
「怖くないって言ったら嘘ですけど、楽しいですよ。やりたかったことですから!」
「アタシも楽しい! なんか、前進してる感じがする!」
アルノルとモーチに続き、隣にいたシュティーナも穏やかに頷いた。
「私もです。レンマとアルノル君の力で、こんな冒険に連れてきてもらえました」
「……そっか」
そうだよな、今さらキャンセルはしないし、そうと決めたら楽しくやっていきたいよな。
俺も元の世界では、こんなファンタジーみたいな世界にどこか少しだけ憧れてたんだ。大人になってもフィクションに触れては、冒険や戦闘に想像を膨らませてた。今はその環境にいる。それができる環境にいる。
それに、どんな形であれ、こっちの世界でも人の役に立てるのはやっぱり良いことで。その幸運を、たとえマイナスなことが起こるたびにポカンと意識の外に投げ捨てて心が沈んだとしても、折に触れて噛み締めなきゃ。
「よし、行くか」
「ですね」
「行きましょう!」
3人で小さくハイタッチして、舟に乗り込んだ。
「レンマさん、大丈夫ですか?」
「ダメ。死ぬ。気持ち悪い。帰りたい」
出港して20〜30分。そこには船酔いで、物干し竿に干される布団のように舟の木製フレームに体を折っているレンマ=トーハンの姿が。
噛み締めた幸福も全部海に吐いた。そんなもの要らない。揺れない床が欲しい。
「レンマ、下だけじゃなくて、たまにはまっすぐ前とか上とか見たほうがいいですよ。酔い止めの薬飲みますか? 少し苦いですけど」
「そんなもの飲んだら吐く……」
「まったく、情けないわねえ。相当穏やかな波の方よ」
「元の世界では……舟に乗る機会……全然なかっ……たからな」
息も絶え絶え。それにしても、シュティーナもアルノルもまったく酔ってない、さすがだ。セノレーゼにいれば、こういう舟にも乗り慣れるのだろう。
ほら見ろ、お前の人生の経験値が足りないからこんなことになってるんだからな。どんだけ魔法使えても目的地にすら辿り着けないようじゃ話になりませんぜ。
自分に酔うこともできず、酒を飲んでも途中で酔いが醒めて半泣きになるようなお前が、海でだけは盛大に酔えるなんて笑えないからな。体の不調のせいで気持ちも落ちていく。いっそ舟にも沈んでもらって楽になりたいなあ……!
「よし、着きました!」
永遠とも思える時間が終わり、ようやく小島へ上陸。
多少の木々はあるものの森林というほどではなく、周囲の砂浜とそこを上がった高台のような場所だけの、シンプルな戦場。
「しばらく歩けば治りますよ、レンマさん!」
もはやアルノルの快活な声さえ煩わしかったけど、彼の言う通り、砂浜を歩いているうちに復調してきた。
「ふう、ようやく落ち着いた。これで戦える」
「元気になって何より! それじゃ、戦力外のアタシはそろそろ消えるわね」
モーチがフッと俺の目の前に飛んでくる。
「レンマ、勝ってね!」
「……良い報告を待っててくれ」
任せろとか、誰に向かって言ってんだとか、そんな自信たっぷりの返しはできない。それでも、一番希望の膨らむ返事を。
「楽しみにしてる!」
成果を一ミリも疑わない満面の笑顔で、彼女は消えた。
「さて、と。気が抜けないな。アルノル、左見てくれ。シュティーナは真ん中。俺は右を見る」
「分かりました。アルノル君、上にも気をつけましょう」
敵の棲み家になっているという話だったけど、どこにいるのか分からない。何しろ飛べるのだから、今いるとも限らない。いつどこで戦闘になるか、緊張感を両手両足に纏いながら、進んでいく。
「少なくともオレ達の倍は大きいって話聞きますから、いれば一発で気付きますよね。あー、オレの剣が通用するかなあ」
かなり広い高台へ続く緩やかな坂道を登りながら呟くアルノル。シュティーナも「自分の身を自分で守れないのは申し訳ない気持ちでいっぱいですね」と弱音を吐く。
「そんなこと言ったら俺の魔法だって——」
そこで声を止め、立てた人差し指を口に置いた。
「シュウウウウウ……」
高台の上から聞こえる煙の出ているようなその音は、間違いなく呼吸。
いる。ヤツが、いる。
ゆっくりと、足音を最小限にして、上に進む。息の根を止めるために、息を止めて近づく。
「シュウウウウウウウ……」
頭だけ出して覗いた先にいたのは、どこか見覚えのあるモンスター。漫画で、ゲームで、映画で、何度も目にしていたワイバーンそのもの。
俺達の3倍はある体躯、爬虫類を彷彿とさせる緑色の体色、コウモリのように指の間の皮膜を肥大化させた翼。どれもが想像通りだがしかし、想像を軽く超える迫力だった。
今のうちにここから魔法でも放ってやろうかと考えていると、敵もさるもの、殺気を感じたらしい。長い首をぐいっと捻り、こちらを見た。
「ヴォオオオオオオオ!」
腹の底に響くような叫び声をビリビリと受ける。3人で小さく頷き、高台へ駆け上りワイバーンと対峙した。小さくも鋭い目をぎろりと剥き、俺達を捉える。
「全力で行くぞ」
「もちろんです!」
「サポートしますね」
シュティーナの声を聞き終えると同時、すぐに両手を翳し、炎の魔法を放つ。
が、敵が飛び立つのが一瞬早かった。
「ふう、宙にいられたら剣だと攻撃できないですよね」
嘆くように細く息を吐くアルノルが、クッと笑う。
「……普通なら」
俺が起こした竜巻状の風が彼の体を持ち上げる。そのまま、敵の落下点に向かって飛び込んでいった。
「せいっ!」
「ヴォアアアアア!」
体を回転させながら足に斬り付けると、赤い血が吹き出した。落ちてくるアルノルを風で受け止め、素早く攻撃態勢に戻る。
よし、悪くない先制攻撃だ。このまま——
「シュウウウウウウ……」
着地と同時に口を開けるワイバーン。そして。
ゴオウッ!
俺の魔法に勝るとも劣らない、巨大な炎を吹いた。
「ぐうっ!」
「アルノル!」
転がるように右に
「アイツ、炎なんか吐けるんですね……
「レンマ、アルノル君の手当てします!」
「痛み止め頼む!」
シュティーナに預けているうちに、再びワイバーンは巨大な翼を広げ、宙へ浮かんでいた。
「また口開けてやがるな……炎来るぞ!」
が、ボウッという音をともに出てきたのは黒煙だった。
「危ねえ、不発か」
とはいえ、さすがS級の敵。態勢を立て直すように地面に降り立ち、シュウウウウウ……と口を開けて、すぐに火炎放射を連発する。
「きゃあっ!」
「シュティーナ! アルノル連れて下がってて!」
水の魔法で壁を作るが、勢いが強すぎて防ぎきれない。強風で押し返すことも無理。炎の魔法で相殺しようとすると、大量の黒煙が出て余計こちらが不利になる。
「クソッ!」
「レンマさん、お待たせしました!」
「いくぞ!」
アルノルと一緒に突撃するものの、今度は宙に浮いて剣戟も水流のカッターも躱された。
敵は反撃とばかりに大きく前進し、俺達を後ろ後ろへと追い詰める。
高台の端、3人の後ろには岩が壁のように積み上がり、逃げ道はなくなっていた。
「シュウウウウウ……」
炎を出そうとするも、連発しすぎた反動か、またもやボウッと黒煙を吐いた。
「よし、今のうちに——」
「ヴォアアッ!」
攻撃できない苛立ちからか、これまでで一番大きな叫び声をあげて羽ばたくワイバーン。それは飛ぶためではなく、突風を起こすためだった。
「うわっ!」
「アルノル! シュティーナ!」
風は俺の横を吹き、2人に直撃する。足が浮くほど飛ばされた2人は、そのまま後ろの岩壁に体を打ちつけ、ばたりと倒れた。
「おい! 大丈夫か! おい! アルノル! シュティーナ!」
「う…………」
「んん……ん……」
小さくそう唸ったきり、意識を失ったのか声が聞こえなくなる。
「ヴォオオオオオオオ!」
目の前では、ワイバーンが天を見上げ、勝ち誇るかのように咆哮していた。
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