《春》採集蜂 ホノカ

 サナエさんが死んだ。


 私は雨が降り続いているから、飛行できなくて巣の中でその死体を眺めていた。

 雨が降っていなければ掃除係がサナエさんを素早く外へ運び出していたところだけど、雨だからそれが出来ないのだ。

 暗い巣の中で、全ての仲間たちがひしめき合って雨が上がるのを待っていた。もう3日も降り続いていて、みんなのお腹はパンパンに腫れている。

 巣の中でトイレをするのはご法度だ。トイレは必ず外で、出来るだけ巣から離れてするものだから、雨が上がるまで我慢するしかない。


 巣の中では、巣の底にいる乾燥係のハチが羽を震わせ、風を起こす音がいつもより大きく聞こえた。

 彼女らのおかげで、巣の中はカビも生えず、採集してきた蜜も水分が飛ぶ。水分を飛ばさないと蜜は腐っちゃう。


 あたしは採集バチ、ホノカ。

 育児、掃除、巣の構築係等々を経て、この前採集デビューした。


 サナエさんにはお世話になった。

 卵から幼虫、蛹、羽化するまで世話をしてもらって。羽化してからは掃除の仕方や巣の作りかた、蜜の受け取り方を教えてもらった。

 蛹から出て、最初に蜜をもらったのがサナエさんだった。


「無事に羽化、おめでとうございます、ホノカ。貴女は少し小柄だけど丈夫そうで良かったわ」


 蜜をもらったけど、あたしの身体はまだ柔らかくて仕事が出来るまでは1日かかった。


「最初の仕事は、自分が出てきた部屋のお掃除ですよ。次の子が育ちやすいように部屋を整えなさい」


 あたしは自分が入っていた部屋に頭を突っ込み、自分の蛹を噛み砕き、残っていた蓋のカケラを集め、壁をあごで磨いた。何度も使っている部屋だったから、壁が分厚くて黒っぽくなっていた。もうそろそろ使えないかもしれない。


「次は妹たちのお世話ですよ。自分がしてもらったように、お返しをするつもりで面倒を見なさい」


 次には卵から孵って3日経った妹たちに、蜜を混ぜた花粉団子を与える役をした。

 花粉団子を運ぶ蜂からそれらを受け取り、頭を突っ込んで妹たちに与える。

 受け取って、突っ込んで、あげて。妹たちの様子を確認して。受け取って突っ込んであげて。妹たちの健康チェックをして。

 ああ、何度それを繰り返したろう!

 あの時のことは忙しすぎて思い出したくない。1日に何百回とひたすら巣の中を覗き込む。一匹が蛹になるまでそれこそ一万回は覗き込むのだ。だから一匹のハチが世話を担当するのは数匹程度。


「大きい部屋の中の子は、それほどかまわなくても良くってよ。ご飯だけ多く与えてね」


 サナエさんが言った。


「どうして?」

「この子たちは、ワーカーじゃない。ドローン《雄蜂》よ」


 端っこにある普通より少し大きい部屋の中にいる子は、他の子よりは違っていた。身体が大きくて、その子たちはご飯をワーカーより二倍も多く食べた。


 ※雄バチの幼虫の世話は、女王やワーカーに比べるとおざなり。割と雄バチは放任される。


 花粉や蜜を与えて3日経ったときだった。私は突然、頭の中に不思議な感覚を覚えた。次々と液体が湧き出てくるのだ。


「心配しなくていいわ、貴女が成長した証拠。それは今の貴女しか出来ない仕事なの。さあ、そのミルクを小さな妹たちに与えて。貴女が姉さんたちからもらったものですよ」


 私はローヤルゼリーを口から出して、卵から孵ったばかりの妹をその液で浸した。女王にも、何度か口移しで与えた。


「女王は特別な物質をあたしたちに与えるのです。あたしたちは全て口移しでお互い色々なものを与え合うでしょう。その時に女王の特別な物質も与えられて、巣の全員にゆきわたるのよ」


 その物質の効果で、私たちワーカーは卵が産めない身体になるそうだ。


 羽化して12日目を過ぎるとローヤルゼリーが枯れてしまい、飛行練習が待っていた。それの指導をしてくれたのもサナエさんだったな。

 同じ日に生まれた仲間でお昼ごろ、20分間訓練をした。巣から1メートル離れ、50センチメートルの高さで巣を見ながら飛ぶのだ。


「しっかり、自分の巣の場所を覚えなさい。巣があるのはどんな木か。隣にある木とどこが違うか」


 終わったら貯蔵係に回された。

 採集バチがとって来た蜜を受け取り、花粉団子を貯蔵部屋に敷き詰める係りだ。


「質の良い蜜を取ってきた者を優先しなさい」


 蜜胃に蜜をため込んだ姉さんたちの口の中に舌を入れて、蜜を吸い取る。

 自分の舌でくちゃくちゃ何度もしながら蜜の水分を飛ばし、濃度をあげる。このとき、私たちの身体が出す酵素と一緒になって、蜜は一段と良い蜜となるらしい。

 私は花粉を敷き詰めるのが好きだった。姉さんたちが取ってきた花粉団子を、蜜を入れて混ぜこむ。ふかふかのパンになったのを部屋にどんどん何重にも敷き詰めていく。美味しそうな花粉パンが増えていくのはとても幸せな気持ちになった。


 その仕事をずっとしていたかったけど、しばらくしてサナエさんが


「水分が多い蜜をたくさん食べてちょうだい」


 私たちに言いわたした。

 言われたとおり、私たちは水分が多い蜜を2日間食べてお腹をたらふくにした。


「一日、休憩しなさい」


 今度はそう言われ、拍子抜けした。休憩したことなんて夜にしかなかったのでヘンな感じだった。

 変化はちょうど1日後に起きた。

 私たちのお腹の前側には8個の穴があるけど、そこから突然蝋が出てきたのだ。


「さあ、左官屋さん。お部屋を増やしなさい」


 私たちはお腹から出てくる蝋を口に運び、唾液と混ぜて壁に塗り込め、部屋を増やしていった。

 この仕事は嫌いじゃなかった。どうやら私はキッチリとした仕事で、何かが増えていくのをみるのが好きみたい。花粉パンのように。内径、深さが揃った六角形の部屋が整然と並んでいるのを見て、我ながらうっとりとした。


 その後は掃除係だった。そして、採集バチになる前の準備訓練、乾燥係。


 初採集飛行もサナエさんに見守ってもらったなあ。


「行ってらっしゃい。ちゃんと私たちの巣に帰ってくるんですよ。太陽の位置を確認してね!」


 おっかなびっくり。心配そうなサナエさんの声に不安になりつつも、先を飛ぶ姉さんたちにとりあえずついていき、※真っ青なレンゲ畑に飛んだ。


 ※蜂の視覚ではレンゲの花の色はピンクではなく、青色に見える。


 蜜は蜜胃に溜め込んで、花粉は後ろに回して後ろ足の花粉バスケットにくっつけて。重さでひいひいしながら、不安な帰路だったけど、ちゃんと巣にたどり着くことが出来た。

 サナエさんが初飛行の私たちのために、出入り口で羽を羽ばたき、お尻を振り、匂いを出して合図をしてくれていた。


「お帰りなさい。初飛行、お疲れさま」


 サナエさんの姿が見えた時、どれだけ安堵したか。

 初飛行の日は疲れてぐっすり寝ちゃった。はっきり言って、最初の仕事は散々な出来だった。

 8の字ダンスも、サナエさんに教わったなあ。本当にお世話になりました。


「さようなら、サナエさん」


 サナエさんは晩秋に生まれて、冬を越し、もう五ヶ月生き抜いたことになる。すごく長生きしてくれた。


 雨が止んだようだ。


「サナエさんが言ってたわ。願わくば、桜の下にて死にたい、って。桜の下まで運んであげてくれる?」


 近くに来た掃除係に告げると、その蜂は神妙に頷いて、出入り口の方へサナエさんを咥えて行った。


「さようなら」


 トイレの順番が来るのを気の遠くなるほど待って、私はやっと外に飛び出した。


 雨上がりの空気はしっとりと湿気を含んでいて重く、私は力強く羽を羽ばたいて飛んだ。

 濡れた地面と草花が眼下に広がる。


 今じゃ、あたしは色んなことを知ってる。

 例えば、花にはそれぞれ蜜を出す時間帯があるってこと。蕎麦の花は午前中に蜜を出して、レンゲの花は午後に出す。同じ時間帯に同じ花に行けば良い。

 要領を覚えると採集量も増えた。


 出来るだけ、遠くへ。


 あたしはサナエさんの教えに従って、巣から離れた。

 そして三日間、溜まりに溜まった糸のような黄金の糞をまき散らした。


 スッキリして軽くなった身体で空を見上げると。

 大きな※二重虹が空に綺麗にかかっていて、私はまるでサナエさんへのはなむけのようだと思った。


※蜂の視覚では赤と橙が見えない。なお、紫外線が見える。

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