《初夏》新女王蜂 ナナ

「早く、大きくおなりなさい。誰よりも一番に」


 王座(女王蜂となる蜂が育つ特別な部屋)の中で私は繰り返し世話係姉やの声を聞いた。

 ひたすら与えられる濃厚なローヤルゼリー。その白い液体に浸りながら私はむくむくと成長した。女王となる蜂だけがこのローヤルゼリーを与え続けられる。ワーカーや雄蜂には卵から孵って3日の間しかローヤルゼリーは与えられない。その後は、蜜と花粉団子を与えられるのだという。

 私とワーカーは生まれた時はなんら変わらない。それなのに与えられる食べものが違うというだけで。巣の大きさが違うというだけで。私だけが女王となるのは不思議な気がした。


 超高栄養食なのだろう。

 羽化して6日経つとワーカーたちが頭部の咽頭腺から出すローヤルゼリー。その乳白色の分泌液は成長を促進する。幼虫期間は女王、ワーカー、雄蜂全てが同じ6日間なのに、蛹になると違いが出てくる。蛹から羽化までワーカーは12日、雄蜂は15日かかるというのに、女王である私は7日で羽化する。

 ワーカーたちが蓋をした部屋の中で私は蛹となり女王へと変貌した。

 ワーカーよりも大きな身体へ。鋭い大あご、尻の毒針はワーカーと同じ。けれども、私の目はワーカーよりも小さく、舌は退化して短い。

 私は暗闇で卵を産み続ける運命だからだ。目は必要ない。そして、生涯一度も花を訪れることもないゆえに花から蜜を採取するための舌は必要ない。


 羽化した私は部屋の狭さに驚いた。狭苦しさのあまり、幼虫の時にはなかった大あごで、私は部屋の横腹を食い破った。


「ご無事、ご誕生おめでとうございます! 女王 ファースト様」


 王台から顔を出した瞬間、近くに居たワーカーたちが歓声をあげた。


「私が一番?」

「ええ。貴女様が一番です」


 王台から出ると、次々とワーカーたちが近寄ってきて私に口移しでローヤルゼリーを飲ませてくれた。彼女たちは私の身体から蛹のかけらを取って綺麗にしていく。身体のあちこちに触角で触れ、私の健康状態をチェックしているのがわかった。

 品定めされているような感覚に私は焦りを覚える。

 でも、まだ早い。私の身体は羽化したばかりで柔らかく、まだを果たすことが出来ないのだ。

 身体が乾いて硬くなるまでの間、私は狂おしいほどの焦燥感に耐えた。

 ようやく身体がかたまったのを確かめた後、私は行動に移した。


「私が新女王である。この巣の女王はこの私である」


 巣の中を歩き回りながら、私はワーカーたちに聞こえるよう、羽の付け根からピーッと高い音を出した。この巣の皆に、私の存在を教えなければならない。

 乏しい視覚で触角を頼りに暗闇の中を探す私に、ワーカーたちが教えた。


「こちらです、女王」

「ご武運をお祈りします」


 導かれるままに私は探し出した。

 ワーカーたちが育つ部屋のもっと下に垂れ下がる特別に大きな部屋。

 王台。私が数時間前に入っていたのと同じ女王のための部屋。

 おそらく先程までは、その王台の周囲には世話係のワーカーが張り付いていたはずだ。だが今、その王台を守るものはもう居なかった。


「やめて、やめて!」


 私が近づくと王台の中から悲鳴と懇願の声が聞こえた。

 私と同じ境遇に生まれた、私に最も近しい姉妹。私よりもほんの1日、遅れて王台に産み付けられた私の妹。


「やめて! 姉さん!」


 明日には今の私と同じように羽化する予定だったのだろう。哀れな妹。


「いやあああああああ!」


 私は王台にしがみつくと、王台ごと妹を尻の毒針で突き刺した。


「後始末を」


 王台から離れて言う前に、既にワーカーたちは仕事に取り掛かっていた。

 そうね、私が言うまでもなかった。

 世話係だったワーカーが、自分が蓋をした王台を食い破り、自分が育てた女王を引きずり出す。用済みとなった女王候補の死体は、掃除係の手によって巣の外へと排除される。

 私はその様子を見るまでもなく、次の王台へと急いだ。


 次の妹は、懇願はしなかった。

 大人しく自分の運命を受け入れたのだろう。

 でも、毒針を突き立てた時には小さく悲鳴をあげた。


 その次の妹二人はまだ幼かった。蛹にさえなっていなかった。一人は泣きじゃくっていた。一人は状況を把握しておらず、何が何だか分からないようだった。

 針を刺すまでもない。私は部屋に頭を突っ込んで幼い妹たちに大あごで噛みつき、王台から引きずり出すと、ピクピクと身体を震わせている妹たちを巣の下へと投げ落とした。

 後は、ワーカーたちが妹たちの息の根を止めて、外へと運び出すだろう。


「それが最後の妹だった」


 背後からかけられた声に私は身体をそちらへと向き直った。


「ありがとう姉さん、手間が省けたわ。私は女王セカンド。貴女と分違いで生まれた」



 旧女王が同じ日に王台に産み付けた卵の数は、二つずつだったのだろうか。

 私とそっくりな妹を私はじっくりと見つめ返した。


「ワーカーたちから話は聞いてる? 姉さん。今の巣の仲間の数では巣分かれはしばらく出来ない」

「ええ、聞いてるわ」

「ならば、女王は二匹は要らない。残念だけど、私か姉さんのどちらかが、この巣の女王よ」

「ええ。女王は一匹だけ」


 私が答え終わる前に、妹が襲ってきた。予想していた私は妹を受け入れ、毒針を避けながら妹に噛み付いた。無我夢中に、私は妹を殺すことに全身全霊をかけた。


「私を女王にさせて姉さん!」

「ふざけないで!」


 同じく私を必死で殺そうとする妹と、私は揉み合った。ぐるぐると巣の中をもつれ合って回る私たちをワーカーたちは息をひそめて見守っていた。

 噛み、引っ掻き、傷をつける。

 一体、どれほど時間が経っただろう!

 永遠にこの戦いは続くのかと思ったほどだった。

 やっと力尽き、抵抗出来なくなった妹に毒針を突き立てた後、私は満身創痍だった。


「おめでとうございます。新女王」


 勝った。

 脱力して息を切らしながら、命が消えた妹からわたしは身を離した。

 早速、ワーカーたちが妹の身体をずるずると引きずっていき、残ったワーカーは私の身体を触角であちこちに触れ、チェックする。


「お疲れ様です」


 近寄ってきたワーカーが私に口を近付けた。

 私は貪るようにそのワーカーの口づけを受け、与えられるローヤルゼリーをがぶ飲みした。

 甘い、陶酔するような至福の液体。

 飲み下すなり力が湧いてくる。私の命の源。


 飲み干した私から、ワーカーが口を離した。


「祝福いたします、我らが女王」


 私は彼女の表情を見て、冷や水を浴びせられたようになった。

 そのワーカーは私の世話係だった。


 彼女だけじゃない。周囲のワーカーたちからも、彼女と同一の感情を感じ取った私は青ざめた。


 失望、失望、失望。


 私の身体を触角で確かめた彼女たちにはその感情しかなかった。私は彼女たちが期待するような女王にはなれなかったのだ。


 私は、妹との戦いで傷を負いすぎた。

 この弱った身体では、私は先が長くないだろう。

 その事実に私は慄き、たちまち私の身体を虚無が包み込む。


 それでも、しばらくはこの私がこの世界の女王なのだ。


「私が新女王である。名前はナナ。我を讃えよ」


 絶望感で崩れそうなのをなんとか堪え、痛みをこらえながら、私は声を震わせた。


「我が新女王ナナである」


 新女王ナナ様、とワーカーたちが叫ぶ声は次々と広がり、巣全体にこだました。羽を震わせ、歓声をあげるワーカーたちに耳をすませながら、私はしばしの休息をとった。


 交尾飛行に始まり、これから続く暗闇での長い産卵の日々の前に。

 その、束の間の休息を。


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