第31話


         ※


「綺麗だな……」


 無意識のうちに、俺は言葉を発していた。その視界の中央にあるのは、月だ。まだ真夏だというのに、満月に近いその球体は、秋の風情を地上に下ろしている。

 風は涼しい。深呼吸をすると、目の前の竹林の豊かな緑が、鼻腔を満たした。


 どのくらいそうしていたのかは分からない。しかし、ゆっくりと俺の背後、障子の向こうからやって来る人の気配を、俺は確かに感じていた。


「佐山」

「ああ」


 予想通り、葉月だった。俺は縁側に座り、足をぶらぶらさせたまま、上半身を捻って彼女の方を見遣った。

 何とも居心地が悪そうにしているな。自分からやって来たくせに。まあ、彼女の言動に難癖をつけるほど、俺は機嫌を損ねていたわけではない。むしろ穏やかだ。

 俺は自分の左側の板床を叩き、葉月に座るよう促した。


「し、失礼します」


 何故敬語なんだ。そんなツッコミを待たずして、葉月はすっと腰を下ろした。

 その時になって、俺はようやく葉月の躊躇いに気づいた。隣に座れと言われても、どのくらいの距離を保てばいいのか分からないものな。

 現在のところ、俺と葉月の間には、人間一人分くらいのスペースがある。

 ううむ。こちらから話題を振るか。


「月、綺麗だな」

「そ、そうだね」


 そう答えつつも、葉月の視線は下向きだ。じぶんの足先を見つめている。


「涼しくて気持ちのいい夜だ」

「わ、私もそう思う」


 ん? 俺は胸中に湧いた違和感の正体に気づいた。いつも男勝りな態度だった葉月が、今はやけに大人しいのだ。年相応の、一人の女の子。そんな風に見える。

 すると、それに対する釈明のつもりだろうか、葉月は語り出した。


「佐山、私の遺書もどき、読んだよね」

「まあ、な」


 俺は視線を月に戻しながら、口から言葉が零れ出るのに任せた。

 

「じゃあ、私の気持ちは、分かってるんだね?」

「ああ」


 我ながら思いの外、落ち着いた口調で肯定する。

 葉月は、自分が俺のことを好いている、ということを、その遺書もどきとやらに明記していた。いくら朴念仁を自称する俺でも、ああまではっきり書かれてしまっては、答えを用意せねばなるまい。


 今更ながら、一抹の焦りが、俺の心に火を点ける。

 しかし、先に斬り込んできたのは葉月だった。


「私みたいな女、嫌いだよね。私、人殺してきたし。もう後戻りはできないし」

「そんなことはないさ」


 俺は自分でも驚くほど、朗らかかつ優しい口調でそう言った。


「俺も、葉月のことは好きだ」


 と言った直後、俺は全身がピシリ、と音を立てて固まるのを感じた。

 な、何を言ってるんだ、俺は? 

 確かに葉月に好意を抱いてもらえるのは、素直に嬉しい。だがその逆は? 俺が葉月に好意を抱くのは、なんだか逆、というか、今まで意識したことがない。

 一体俺は、どうしてしまったんだ?


 しかし、今の発言に、俺以上にショックを受けた人物がいた。言うまでもなく、葉月だ。

 目を真ん丸に見開いて、俺の顔を凝視している。俺は、その視線から逃れることはできなかった。


 そのお陰で、俺は葉月の端整な顔立ちが、感情に揺られて歪んでいく様をまざまざと見せつけられることになった。

 決して醜いものではない。ただ、あれほど意志の強さを誇っていた葉月が、今までいかに自分の感情を押し殺してきたか、それが流れ出てくるように感じられた。その奔流に巻き込まれ、俺は金縛りにあったように動けない。


「ねえ、潤一」

「ん?」


 こうして彼女にファーストネームで呼ばれるのは初めてだな。


「肩、貸してもらってもいいかな」

「肩?」


 すると、葉月は俺の疑問符を無視して距離を詰め、身体を密着させてきた。

 バクン、と心臓が高鳴る。だが、意外なほどあっさりと、その鼓動は収まった。

 そんな俺の胸中を知ってか知らずか、葉月はそっと、自分の頭を俺の肩に任せてきた。


 銃も爆弾も関係なく、ずっとこの時間が続いてくれればいいのに。

 俺は切にそう願った。だが、それが切実な願いであればあるほど、実現しやしないのだ。


 俺はこれからも拳銃を握り、多くの人間の命を奪っていくだろう。

 それでも、自分の手を血で汚してでも、守りたい人がここにいる。こんなご時世だ。それだけで十分じゃないか。


 俺はそっと、葉月の肩に手を回しながら、明日の見えないティーンエイジャーとしての自覚を深めていった。


THE END

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Teenager's High〔take3〕 岩井喬 @i1g37310

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