ハロウィンナイトに魔女が来る

山下愁

ハロウィンナイトに魔女が来る

「あー、そういやもうすぐ収穫祭ハロウィンか」

「今年は見つけることができるかねぇ」


 橙色だいだいいろの明かりを落とす賑やかな大衆食堂に、ユフィーリアとエドワードの何気ない会話が混ざり込む。

 小さなテーブルを埋め尽くさんばかりの巨大なオムライスを平らげたショウは、皿から顔を上げて麗しの我が相棒を見やった。透き通るような銀髪に青い瞳、人形めいた美貌は息を飲むほど整っているが、軽薄な印象のある言動のせいで全てが台無しになっている。彼女の視線は手元のトランプに注がれていて、隣にいる強面の巨漢の手元からカードを引き抜いた。

 同じくカードゲームに興じるハーゲン・バルターが、


「というか、本当にいるのかよ。そこ疑わなきゃダメじゃね?」

「いるって言ってんだからいるんだろーヨ♪」


 ハーゲンの隣に座るカボチャ頭のディーラー服男、アイゼルネがケタケタと笑う。彼もまた同じようにカードを持っていたが、その枚数は他の三人と比べて少ない。どうやら勝っているのはアイゼルネのようだ。

 話の内容がよく分からないショウは、静かに首を傾げる。


「なんのことだ?」

「あー、収穫祭には魔女がくるんだとよ。その魔女を見つけることができたら、一つだけ願いが叶うんだとさ」


 ユフィーリアが簡単に説明してくれるが、現実味を帯びていない御伽話おとぎばなしのような内容だった。意外と現実を認識している彼女にしては珍しく、夢見る乙女のような話だった。

 しかし、その話の内容は事実のようである。エドワードも、ハーゲンも、アイゼルネも彼女の話を否定しなかった。「見つけられるかねぇ」「見つけたらなに願おうかな」「やっぱり金じゃネ♪」と話し合っている始末である。


「その魔女は、一体いつ現れる?」

「深夜の〇時までには現れるって聞いたけど、時間帯がとにかく決まってねえんだよ。でも〇時になったらもういねえんだとよ。――あ、俺あがりだわ」

「ええ!? 一位ってアイゼルネじゃなかったのぉ!?」

「嘘だろ!?」

「番狂わせだナ♪」


 まさかの番狂わせが起きてしまったカードゲームからそっと視線を逸らして、ショウは収穫祭の夜に現れるという魔女について思いを馳せる。

 願いが叶うという部分はさして興味はないものの、魔女という存在には興味がある。できるなら会ってみたい。


「…………魔女とはどのような人物なのだろうな」


 ショウの小さな呟きは、賑やかな大衆食堂の店内に溶け込んでいく。


 ☆


閉ざされた理想郷クローディア】に朝も昼も夜も関係ない。地下に作られた全三階層からなる大規模な地下都市には、空というものが存在しない。太陽もなければ月もなく、あるのはゴツゴツとした岩肌だけだ。

 その影響で、時計を見なければ時間をすっかり忘れてしまうのだ。まだ夜ではないだろうと思ってふと時計を見たら、夜の八時だったということがザラにある。

 さて。

 今日は【閉ざされた理想郷】全体で行われる収穫祭である。子供たちはお化けや吸血鬼、果ては魔女やゾンビなどの仮装をして、大人に菓子をせびっている。ショウが所属するアルカディア奪還軍も収穫祭に参加して、大量の子供たちを相手に焼き菓子の詰め合わせをばら撒いた。失敗作だと言っていた形の悪いクッキーやカップケーキの消費係に任命されたショウは、大量の失敗した焼き菓子を平らげてご満悦であった。

 収穫祭も終盤を迎えたこともあって、本来の目的を忘れて仮装して騒ぎたいだけの若者が多くなる中、アルカディア奪還軍の本部たる大衆食堂は飲めや歌えやの大騒ぎだった。祭りなのだから全力で騒がないでどうする、とばかりの喧しさだった。

 しかし、ショウにはやるべきことがあった。


「魔女探しだ」


 そう、魔女探しである。

 先日、相棒のユフィーリアから聞いた話だ。収穫祭の夜に魔女が現れて、魔女を見つけることができれば願いが一つだけ叶うらしい。その噂は定かではないが、ユフィーリアの話を誰も否定したり訂正したりしなかったので本当なのだろう。

 ショウには叶えたい願いなどないのだが、その魔女とやらが気になった。御伽話では尖った帽子に厚手の黒いローブ、そして鉤鼻かぎばなが特徴ということぐらいしか記憶にない。

 もしそんな特徴的な魔女が【閉ざされた理想郷】を徘徊はいかいしていれば、魔女の噂を知っている若者に捕獲されてしまう。幸いにも、仮装して馬鹿騒ぎしている若者が魔女を探している気配はないが。


「魔女とはどこにいるのだろう……」


 人混みを避けるように裏路地を歩くショウは、ひっそりと首を傾げる。

 大通りは耳が痛くなるほど騒がしいのに、裏手に入ってしまえば先程までの騒ぎが嘘のように静かだ。酔っ払いが建物の壁にもたれかかって唸っていたり、酒瓶を抱えて眠りこけていたりと散々な様子が見て取れるが、それでもマシな静かさだ。

 地面に寝転がる酔っ払いに気をつけながら、ショウは細い裏路地を進んでいく。場末感が漂う酒場や小粋な喫茶店なんかがポツポツと明かりを薄暗い道に落とし、なんとか光源は確保できている状態である。


「やはり人混みに紛れているのだろうか」


 あれだけ仮装をした連中がいれば、魔女の一人や二人が混ざっていてもおかしくはないだろう。魔女の仮装として見なされて、大勢の人の中に紛れてしまえば探す手立てがなくなってしまう。

 口布の下でひっそりと唇を尖らせたショウは、魔女を探して人混みの中に戻ることを躊躇ためらった。魔女は見つけたいのだが、如何いかんせんあの喧しい人混みの中を掻き分けて進みたくない。正直言って、うるさいのでご遠慮願いたい。

 行くべきか、やめるべきか。迷うように裏路地を右往左往していると、


「テメェこの食い逃げがァ!!」

「だから違うってェ!? 金が使えねえんだからしょうがねえだろ!!」


 すぐ近くの飲み屋の扉が勢いよく開くと、そこから背の高い男が転がり出てくる。驚きのあまり、ショウは足を止めてしまった。

 年の瀬は二〇代後半ぐらいだろうか。艶のない黒髪で、前髪が長く後ろ髪がバッサリと短いという前後で非対称的な髪型をしている。身長はショウよりも頭一つ分ほど高く、また服の上からでも全身が鍛えられているということが分かる。夜の闇に紛れる黒い外套の裾を翻して、男は店主らしき禿頭はげあたまに言い訳していた。


「俺はちゃんと金出したじゃん!! なのに支払い拒否したのはそっちだろォ!? なんだよギル硬貨って、知らんわそんな金の単位!!」

「ギル硬貨を知らねえとか、テメェはどこの余所者だよ!? 金がねえなら体で払えや!!」

「え、や、やだおっさん……俺の体に興味があるの? 男とそういう関係はちょっとご遠慮願いたいかなって思ってるんだけど……」

「どんな妄想してんだ!? 飲み食いした分を返済するまで店で雑用やれって言ってんだよ!!」


 自分の体を抱えてくねくねとしなを作る男だが、禿頭の店主による鋭いツッコミを受けて目つきが変わった。はた目から見ていたショウはなんとなく察する――「こいつ冗談が通じねえな」と、彼の瞳は物語っていた。

 ガシガシと艶のない黒髪を掻き毟った男は、黒い外套の内側をまさぐる。それから「ああ、こっちか」と言いながら、彼は手品よろしく一枚のトランプカードを人差し指と中指の間に挟んで出現させた。アイゼルネが好んで使う手法に似ているが、本当に魔法の如く虚空から出てきたかのように見えた。

 怪訝な表情を浮かべる禿頭の店主に、男はトランプカードを突きつける。そして、


「――――」


 たった一言、それだけで禿頭の店主は膝から崩れ落ちた。

 死んだのかと思ったのだが、店主はすやすやと安らかな寝息を立てていた。男の言葉通り、夢の世界に旅立ったようである。

 トランプカードをビリビリと破り捨てると、男はようやくショウの存在に気づいた。長い前髪の向こうで輝く黒曜石の瞳が、驚いたように丸くなる。


「えーと、見てた?」

「ああ」

「手品ですって言っても信用しないよな?」

「ああ」

「…………見逃してくれない?」

「…………」


 男は懇願するように両手を合わせてくるが、ショウは彼の話など微塵も聞いていなかった。

 今のはまさしく魔法のようであった。催眠術とも呼べるだろうが、催眠術など通じるか通じないか分からないものではないような気がする。

 だから。

 ショウは思い切って、男にこう切り出してみた。


「貴様は魔女なのか?」

「魔女? いや、違うけど」


 あっさり否定された。

 まあ、そうだろう。魔女とは本来、老婆であるのが常識だ。こんな若い男が魔女であるはずがない。


「まあ、契約に二五回も失敗してるからなァ。魔女のなり損ないみたいな感じだな」

「契約?」

魔女の契約マギアスだよ。え、なに。少年は魔女の契約を知らねえの? どこの箱入り坊ちゃんなんだよ」


 聞き慣れない単語に首を傾げたら、どうやら男の中では常識として存在しているものだったらしい。箱入り扱いされても困るのだが、とりあえず「すまない」と謝罪しておいた。

 男は「それよりも」と周囲を見渡しながら、


「ここどこなんだ? 家に帰ろうとしたら道に迷って、気がついたらこんなところにいたんだけど」

「ここは【閉ざされた理想郷】の第一層だ。様々な店や安い集合住宅アパートなんかが集中している階層だ」

「【閉ざされた理想郷】!? ここが!? 冗談だろ!?」


 なにがおかしいのか、男はすごく驚いている様子だった。薄汚れた路地の壁をペタペタと触って、ポツリと「いつのまに地下街スラムなんか作ったんだ?」などと呟いていたが、ショウには理解できなかった。

 しかし、男はすごく楽観的なのか、あるいはそれほど初めての場所でも気にしない性格なのか。ショウの手を取るなり、ガヤガヤとうるさい大通りを目指して歩き始める。男の腕力が思いのほか強すぎて、ショウは抵抗する暇もなく大通りに連れ戻されてしまう。


「うおお!! すっげえ!!」


 喧騒に顔をしかめるショウとは対照的に、男は子供のように黒曜石の瞳をキラキラと輝かせていた。収穫祭の賑やかさを初めてみた時のような反応である。

 仮装した若者たちに視線を巡らせて、男はわくわくとした様子で言う。


「どいつもこいつも仮装してやがる!! 今日はなんかの祭りか!?」

「収穫祭を知らんのか? 仮装をして、菓子をせびる祭りだ」

「聞いたことはあるけど、魔女が参加するのもどうなんだよってんで参加できなかったんだよなァ。賑やかでいいなァおい!!」


 年甲斐もなくはしゃぐ男を見上げれば、何故か相棒である銀髪碧眼の美女の幻影と重なった。そういえば、彼女はもう魔女を見つけているのだろうか。

 収穫祭の深夜には帰ってしまう魔女も気になるが、この収穫祭に初めて参加するという男のことがどうしても気になってしまう。もっとこの収穫祭を、この【閉ざされた理想郷】を楽しんでもらいたいと思ってしまう。


「よければ収穫祭を案内するが」

「いいのか少年!! お前って優しいんだなァ!!」


 繋いだままの腕をぶんぶんと振り回して、男は表情を輝かせる。「え、いらねえ」と無碍むげに断られなくてよかったとショウもひっそりと安堵する。

 善は急げとばかりに、男はショウの腕を遠慮なく引いて人混みの中を特攻していく。怪物の仮装をした若者たちの集団を縫うように進んでいく男の足取りは軽く、時折、血塗れの看護師や釘の刺さった継ぎ接ぎだらけの人間の仮装をした若者に「いえーい」だの「楽しんでるー?」だの軽薄な絡みをして怪訝な視線を向けられていた。

 人形よろしく引っ張られるショウは、子供のようにはしゃいだ様子の男を見上げてひっそりと笑った。どこか子供じみた反応もまた、相棒とそっくりなのだ。


 ☆


「お菓子くれなきゃいたずらするってなに? 俺もやっていい?」

「残念だが、子供限定だ。――そんな不機嫌そうな顔をしてもダメだぞ」

「…………若返りの薬があれば、いや頑張ればそのままでも未成年ってことでいけるか?」

「なにを企んでいる?」


 収穫祭の決まり文句である『お菓子をくれなきゃいたずらをするぞ!!』を本気で言いたそうにしたり。


「なにこの肉!! めっちゃ美味いな!?」

「牛の天魔てんまの串焼きだ」

「てんま? なにそれ、天空の悪魔?」

「似たようなものだな」

「大変だな、お前らも」

「ああ。――――お前らも?」


 天魔の肉の串焼きを、ショウの奢りで食べ歩きしたり。


「ふはははは、射的はちょっと得意なんだよ」

「そうか。ところで、景品がなくなったのだが」

「なくなったら補充すればいいじゃない。――てな訳で店主のおっさん、景品の補充はまだ?」

「もう勘弁してください!!」


 射的屋の店主を泣かせたり。


「はー、遊んだ遊んだ!! いやー、悪いな全部奢らせちまって」

「使える金銭を有していないのだから、仕方がないことだろう」


 満足げに笑う男に腕を引かれながら歩くショウは、本気で謝る素振りを見せない男に対してそう返す。

 狭い道に出された屋台を制覇して回り、ショウと男は遊びに遊んだ。男が目につくもの全てに興味を示し、厄介な若者にも積極的に絡んでいき、男は収穫祭を存分に満喫している様子だった。厄介ごとに首を突っ込む男の姿をはた目から見ていてハラハラしたが、結果的に円満解決できて安心したものである。

 男に手を引かれながら歩くショウは、やがて【閉ざされた理想郷】を支える巨大な昇降機エレベーターのもとまで辿り着いた。仮装した若者たちが集中し、誰も彼もが酒の瓶を掲げて馬鹿騒ぎしている。歓楽街である第二層から流れてくる者もいるようで、巨大な昇降機は第一層と第二層を忙しなく行ったり来たりを繰り返している。


「あのでっかい柱みてえのはなんなの?」


 男が指で示したのは、岩肌を支える太い円柱――昇降機である。

 全三階層からなる【閉ざされた理想郷】では、昇降機による移動が常識となっている。特に第一層と第二層を行き来する者が多く、人口も第一層と第二層に集中している。最下層である第三層は、行政区や富裕層の居住区画となっているので比較的静かだ。

 この昇降機は【閉ざされた理想郷】に存在する昇降機の中で、最も巨大なものだ。一度に何千人という人数を収容して、第二層や第三層へ運んでいくのである。地上へ行く以外はあまり昇降機を利用しないショウは、常識程度しか持ち合わせていないのだが。


「昇降機だ。【閉ざされた理想郷】は全三階層からなる大規模な地下都市なので、移動の際には必ず用いられる」

「へえ、そんなけったいなモンを人間様が作っちまうなんてすげえな」

「この混雑具合では、昇降機に乗ることすらままならん。残念だが、諦めてくれ」

「ちぇー……」


 男は不満そうに唇を尖らせるが、昇降機周辺の混雑具合は嫌というほど分かるので「仕方ねえか」と素直に諦めた。


「ところで、あの、え、えー、昇降機だっけ?」

「そうだが」

「地上にはどうやって行くんだ? もしかしてあれが繋がってる?」

「地上へ向かうには別の昇降機を利用する必要がある。あの昇降機よりも古びていて、規模も小さい」


 ふーん、と男は返事をする。そして彼は混雑する昇降機を一瞥すると、


「なあなあ、地上に行こうぜ」

「収穫祭はもういいのか?」

「十分楽しんだしな。外の世界とやらを見てみたいんだよ」


 男はやはり子供のようにわくわくとした面持ちで、ショウに詰め寄ってくる。

 だが、ショウは素直に「いいだろう」と頷けなかった。地上への案内も申し出ることができずにいた。

 今の地上は、空から降ってくる謎の怪物――天魔によって支配された状態である。四六時中、雨の如く降ってくる怪物によって人類はあわや滅亡寸前まで追い込まれ、こうして天魔の目を掻い潜ってもぐらのような生活を余儀なくされているのだ。

 おいそれと地上に連れて行けないのは、地上そのものが危険すぎるからに他ならない。どこの誰かも分からない彼を地上に連れて行き、天魔に殺されてしまえば元も子もない。


「なー、いいだろ?」

「許可できない」

「なんで?」

「地上は危険すぎる。貴様が死んでしまえば一大事だ」

「大丈夫だって。こう見えて俺、めちゃくちゃ弱いから」

「どこに大丈夫の要素がある!?」


 自信満々に自分の弱さを自慢する男に、ショウもさすがに目を剥いて驚いた。自慢すべきところはそこではないと思う。


「なーなー、頼むよお願いだって一生のお願い」

「一生もなにも、許可できないと言ったら許可できん」

「いいじゃんちょっとだけ!! 先っちょだけでもいいから!!」

「いかがわしい勧誘にしか聞こえない台詞はやめろ。何度も言うが、許可できない」

「けちんぼ」

「いくらでも言えばいい」


 しつこいぐらいに「地上へ行きたい」と子供のように駄々を捏ねる男に、ショウは惑わされることなく「許可できない」と要求を突っぱねた。

 むー、と男は不貞腐れたような表情を浮かべると、


「じゃあいいわ」


 くるり、と身を翻した。


「一人で行ってくる」

「は?」


 そう言うと、男は人混みの中を縫うようにして走り出した。この人混みの中だというのに、彼はすいすいと駆け抜けていく。

 あっという間に人混みの中へ消えた黒髪に、ショウは焦りを感じた。

 もし本気で地上に出てしまった場合、天魔の餌食になることは目に見えている。だから危険だと再三に渡って言ったはずなのに、どうして忠告を無視するのか。

 頭を抱えたショウは、人混みに紛れて消えた男を追いかけて走り出した。馬鹿正直に人混みの中を通り抜けていくと大変なので、こちらは少々手荒な真似を使うことにする。

 つまり、


「すまない、通らせてもらうぞ!!」

「あ、おい坊主!?」


 積み上げられていた木箱を伝って、ショウは連なる集合住宅の屋根に飛び乗った。大通りを行き交う仮装した若者たちは、なにかの演出かと勘違いして歓声を上げる。

 喧騒を無視してショウは大通りを見渡し、そして人混みの中を器用に通り抜けていく背の高い男をすぐに発見した。


「見つけた……ッ!!」


 目標の人物を視界に収め、ショウは屋根伝いに追跡を開始する。

 いくら自由奔放でも、やっていいことと悪いことがあるのだ。


 ☆


「追いついたぞ」

「げ」


 人混みが解消された裏道に男が入ったところで、ショウは屋根から飛び降りて男の前に現れた。

 明らかに嫌そうな表情を見せた男は、ショウから逃げようと方向転換する。だがそれを阻止するように、ショウは男の腕を割と本気で捕まえた。怪物と契約をして異能力を手に入れたショウは、一般人とは違って多少腕力は強い。一般人らしき男を捕まえるなど簡単である。

 案の定、ショウの腕の力から逃れられず、男は「あれ? 力強くない?」などととぼけたことを言っているが、どこか飄々ひょうひょうとした雰囲気は怪しむところだ。まだショウから逃げようと画策しているのだろう。

 ショウはため息を吐いた。この男には、なにを言っても無駄なのだろう。むしろ望むことをしてやった方が大人しくなりそうな予感がある。


「……少しだけだ。危険だということは念頭に置いてほしい」

「マジで!? 少年は優しいなァ本当に!!」

ほだされてしまう自分が恨めしい……」


 頭を抱えるショウとは裏腹に、男は満面の笑みである。さながら祭りを目前に控えた子供のようだ。


「どの昇降機に乗るんだ?」

「すぐ近くに……ああ、あれだ」


 早く地上に行きたいらしい男が急かしてくるので、ショウは裏道を出た先にある建て付けの悪い扉を開く。ギッと蝶番が悲鳴を上げ、狭い昇降機の室内が向こうに広がっていた。

【閉ざされた理想郷】に住む人類の異動の要となっている、あの巨大な昇降機とは規模があまりにも違いすぎる。地上へ行く為の昇降機は大人が四人ほど乗ればいっぱいになってしまいそうな狭さで、壁には目的地へ向かう為のレバーが取り付けられている。扉も手動で開閉するものなので、今にも壊れそうという感想が出てくる。

 しかし、昇降機自体が珍しいもののようで、男は黒曜石の瞳を輝かせて昇降機の中を見回す。それからおそるおそる狭い部屋へと足を踏み込んで、足元の感触を確かめるように床を踏みつける。


「昇降機内では飛ばない方がいい。壊れるぞ」

「マジか。じゃあやめるわ」


 男は大人しく昇降機の壁に背中を預けるが、やはりこの狭い昇降機の内部が気になるのかキョロキョロと視線を巡らせて、壁の感触を確かめるように触ったりしている。

 挙動不審とも取れる男の行動を不思議に思いながら、ショウも昇降機に乗り込んだ。扉を閉めてレバーを地上に合わせて倒すと、昇降機はゆっくりと上昇し始める。


「う、うご!? 動いたぞこれ!?」

「昇降機だから動くだろう。これで地上へ行ける」

「どんな魔法で動いてるんだよ……どこの魔女? どんな魔女の魔法を使ったら昇降機なんて作れるんだよ」

「それは不明だ。昇降機を作った人類にでも聞けば分かるだろうが」


 男は感心したように「ほへえ」と頷くが、ショウはふと先程の男の会話に気になる部分を発見した。

 どこの魔女、と言っていた。

 思えば、この男は不思議なことを言い出す。『魔女の契約』だとか『魔女の魔法』だとか、この世界ではあり得ないことをあたかも常識のように語るのである。

 そして、この男自身も魔法めいた技術を持っている。無銭飲食した店主をカード一枚で眠らせたり、人混みの中をすいすいと難なく進んでいったりと天魔憑てんまつきではできないようなことをやってのけるのだ。

 やはり魔女なのではないのだろうか、とショウは思う。男は「魔女ではない」と否定したが、それは魔女である自分を隠している証拠だ。


「質問をいいか?」

「お?」

「無銭飲食した際に、店主を眠らせていた仕掛けは?」

「ああ。洗脳の魔法刻印シジルを刻んだカードを見せたからな。しばらくはぐっすりすやすやだろうよ」

「人混みを難なく通り抜けられたのは?」

「人除けの魔法刻印を刻んだカードを使った。あれを使えば人混みの中でも人が自然と避けていく」

「…………やはり魔女なのか?」

「俺は一般人だよ、どこにでもいるような普通の人間だ。魔女様とは比べ物にならねえぐらいに弱い存在だよ」


 自分の存在をまたも否定する男だが、魔法の知識を平然と口にしたので魔女というより魔法使いなのだろうか。どのみち、男の本性はショウだけでは分からない。

 戦闘以外では馬鹿丸出しであるが、意外と頼りになる相棒のユフィーリアがいれば「お? 魔女だろお前? 嘘吐くんじゃねえよ魔女なんだろお前?」などと尋問しそうなものだが、ショウはそこまで破落戸ゴロツキのように接することはできない。


「つーか、少年。俺が魔女だって言ったらどうするつもりなんだよ」

「どう、とは?」

「魔女裁判でもする? それとも奴隷にでもして、あごでコキ使うつもりか?」


 男から投げかけられた質問には、警戒の色が滲んでいた。昇降機内を物色することには飽きたようで、彼は怪しむようにショウを睨みつけている。

 特に隠すこともないので、ショウは魔女を探す理由を明かす。


「収穫祭の夜になると、魔女が現れるらしい。その魔女を見つけることができれば、一つだけ願いが叶うとか」

「…………それだけ?」

「それ以外に理由が?」


 拍子抜けしたようにぽかんとした表情を見せた男は、なにやら安堵したように「なんだよ、びっくりさせんなよなァ」などと言っていた。驚かせたつもりは毛頭ないのだが、魔女からすればたまったものではないのだろう。

 男はショウの頭を乱暴にわしわしと撫でて、


「ごめんなァ、魔女じゃなくて。お前の願いとやらも叶えてやれそうにねえな」

「構わない。願い云々というより、俺は実物の魔女が見てみたかった」

「特にそんな特徴がある訳でもねえぞ。魔女ってのは迫害の対象になるからな、人の中に紛れる為に見た目だけは普通なんだよ」

「鉤鼻の老婆ではないのか?」

「普通に若い兄ちゃんもいれば、ムキムキのおっさんもいる。知り合いなら……カボチャ頭のバニーガールとか、自爆趣味の馬鹿とか、小心者の露出狂とか、奴隷系美少年とか」

「随分と濃厚な面子の魔女だな」


 さすがに濃すぎる魔女たちに、ショウは驚愕せざるを得なかった。魔女とは一体なんなのか、その定義そのものが覆されそうである。

 すると、チンという涼やかな音と共に、上昇中だった昇降機が動きを止めた。ガタンと一度だけ大きく揺れたことで、男が「ぎゃあ!? なに!?」と叫ぶ。


「地上に到着した報せだ」


 ショウはそう言って、昇降機の扉を開けた。建て付けの悪い扉を開ければ、その向こうに広がっていたのは【閉ざされた理想郷】の雑多な街並みではなく、夜の闇に沈む広々とした草原だった。

 紺碧の空には白銀の星々が瞬き、青白い月が静かに明かりを大地へ落としている。冷たい風がショウと男の頬を撫で、心臓の音すら聞こえてきそうな静謐せいひつに満ちた世界が二人を招き入れる。

 しかし、美しく静かな世界に似つかわしくない生物が、雨の如く空から落ちてくる。それは六本の腕を持つ人の形をした怪物だったり、二足歩行する狼だったり、凶悪な顔の兎だったり、根っこの部分で歩行する樹木だったりと様々だ。

 ――天魔。

 あれらこそがショウたちの敵であり、この世界の地上を支配する恐ろしい怪物たちだ。


「さて、もう満足しただろう。【閉ざされた理想郷】に帰ろう」

「うひゃっほう地上だ地上だーッ!!」

「あ、コラ待て!!」


 歓声を上げて男が夜の世界へ飛び出していき、広々とした大地を駆け回る。大の大人が地上に出ただけで子供のようにはしゃぐ姿は、驚きを通り越して呆れてくる。

 ショウは慌てて、走り回る男を追いかけた。「すげえ!! 異界の門イクリプスがない!! まともな星空見たの二〇年ぶりだわあははははは!!」などと男は訳分からんことを叫んでいるが、幸いなことに地上を闊歩かっぽする天魔は男とショウの存在に気付いていない。

 天魔憑きの身体能力を活用してなんとか男を捕まえたショウは、好き勝手に地上を走り回った男に対して怒りを露わにした。


「地上は危険だと言っただろう!! 好き勝手に行動して、死んでしまったらどうする!?」

「悪い悪い、まともな空を二〇年ぶりに見たからよ」

「天魔が絶えず落ちてきているというのに、まとももなにもないだろう」

「いいや、まともだよ。少なくとも俺にとっては、あんな怪物が落ちてくることの方が断然マシに思えるな」


 男は黒曜石の瞳を紺碧の空に向けると、指先を星々が瞬く中天へ示した。


「俺の知ってる空は、真ん中にどデカい穴が開いてる。そこから異界の怪物がうようよとやってくるんだ」

「…………そのようなものが開いてる気配はないが」

「だよな。俺もそう思う」


 男は「いつのまに異界の門は閉じたんだろうな」と不思議そうに首を傾げているが、男の話が何一つ理解できないショウもまた同じ反応をするしかなかった。

 その時だ。


「ウ、マ、そうナ、匂い、だァ……?」


 ズズン、という地響きのあとに、巨大な影が空から落ちてきた。

 見上げるほどに高い位置に、牛の頭がある。ぎょろりとしたガラス玉のような瞳でショウと男をめつけ、鍛え抜かれた上半身を惜しげもなく晒している。獣の皮らしきもので下半身を覆っていて、さらにベルトの代わりに黒い鉄鎖てっさを何重にも巻きつけていた。

 不格好な斧を片手に握りしめた牛の頭と人の体を持つ天魔は、


「アはぁ。あハはははははハははは。そいツ、人間だなァ……? う、う、美味そう、ダぁ……」


 ニタリと、引き裂くように笑う。

 まさか、こんなところで。

 ショウは舌打ちをする。今まで天魔に見つからなかったことが奇跡のようなものだ。こうなることは想定できていたはずだろう。

 立ち尽くす男の手を引いて、ショウは昇降機を目指して走り出す。


「ちょ、おい!?」

「逃げるぞ!! あんな怪物に構っていられん!!」


 そもそもショウは、この一般人を荷物として抱えている身である。いくら天魔憑きとて、戦えない人間を抱えたまま天魔と戦闘などという器用な真似はできない。――おそらくユフィーリアだったら余裕だろうが、ショウにそんな余裕はないのだ。

 しかし、牛の頭の巨人がショウたちを簡単に逃す訳がなかった。体に合わせた巨大な斧を掲げると、


「ま、てェ!!」


 夜空に怒号を響かせて、その巨大な戦斧せんぷを投げつけてくる。

 ひゅんひゅんと回転しながら飛んでいく戦斧は、ショウたちが乗ってきた昇降機にぶち当たった。ガラガラと瓦礫の下に埋れてしまい、昇降機が破壊されてしまう。

 近い昇降機が壊されてしまうと、他の昇降機を利用するしかなくなる。だが、他の昇降機まで逃げ切れるかが問題になってくる。

 歯噛みしたショウは、この場であの牛人間と戦うことを選ぶ。


「俺から離れていろ。あまり近づきすぎると燃えるぞ」

気障きざな台詞に聞こえなくもないんだけど、燃えるのか!?」


 驚愕する男をよそに、ショウは牛巨人と対峙を果たす。

 ショウの異能力――火葬術は、生きとし生ける命を燃やして灰燼かいじんに帰すものだ。それは人間であっても例外ではなく、ほんの少し触れただけで消し済みになってしまう可能性がある。

 もし男が「一人で戦わせられるか!!」などと殊勝なことを叫ぼうものなら、脅しの手段として火葬術の特性を説明してやろうかと思ったのだが、


「そっか、分かった!! じゃあ俺逃げるから、あとよろしく!!」

「…………逃げる時は素直なのだな」


 清々しいほど綺麗な笑みを浮かべた男は、やってきた方向へ引き返していく。夜の闇に沈む頑丈な王都の城壁まで辿り着ければ、昇降機も探し出すことができるだろう。

 手のひらに赤い回転式拳銃リボルバーを出現させたショウは、牛人間がニタニタと笑っていることに気づく。薄気味悪い笑みを浮かべる牛の頭へ銃口を向け、吐き捨てるように言った。


「なにを笑っている」

「死んダ、死ンだ、可哀想」


 牛人間は不吉なことを歌うように告げる。

 その言葉の意味は分からなかったが、背筋に冷たいものが伝い落ちていく感触にショウは反射的に振り返った。

 男の姿はすでに遠く離れていて、彼は真っ直ぐに王都の城壁を目指している。見渡す限り天魔の姿は確認できないが、もしかして――?


「気をつけろ!! なにかがそっちに――!!」

「モう、遅イ」


 牛人間が言う。

 王都の城壁を目指す男の目の前に、鍛え抜かれた裸の上半身に馬の頭を持つ怪物が落ちてきた。まさかこの牛人間と二人で一組の天魔なのか。

 驚きのあまり立ち止まる彼は、外套の内側からなにかを取り出そうとする素振りを見せる。ショウは先に馬の頭を持つ巨人を消し炭にしようと赤い回転式拳銃を馬の頭に突きつけるが、牛人間が「邪魔、サせなイ!!」と拳を振り下ろしてきた。回避行動に気を取られて、男の存在を一瞬だけ忘却してしまう。


 ――あの時、絆されないで本気で止めていれば、もしかしたら諦めてくれたかもしれない。


 ショウの後悔はもう遅く、馬人間の平手が男を薙ぎ払った。

 彼は一般人だと言っていた。自信満々に弱いことを明かしていた。魔法じみた技術を持っているものの、それは彼自身の異能力ではなく魔法のカードによるもので。

 だから。

 平手打ちによって薙ぎ払われた男の体は高々と宙を舞い、そのまま重力に従って硬い地面に落下した。強く全身を叩きつけられた彼は、ピクリとも動かなくなってしまった。

 脆弱な人間が、天魔の一撃を耐えられるはずがなかった。


「――――」


 ショウはどう反応していいか分からなかった。

 彼の名前も、どこに住んでいるのかも知らない。相手もショウの名前すら知らず、だから「少年」と呼ばれていた。

 いつか別れる時がくるだろうとは思っていたが、こんな別れ方はあんまりではないだろうか。


「死んダ、死ンだ、死ンダ、可哀想。可哀想。可哀想」

「もう黙れ」


 ショウは強く赤い回転式拳銃を握りしめる。

 逝ってしまった彼は、敵討ちを望むだろうか。望むにせよ望まないにせよ、ショウがこの牛人間を屠らない理由にはならない。男を殺してしまった――死へと導いてしまった自分に対する不甲斐なさによって、ショウは動かされる。

 ニタニタと笑う牛人間に向かって、ショウは吠えた。


「貴様のような悍ましい怪物は、骨も残さず消し炭にしてやる!!」


 牛の怪物は「やっテみロヨ」などと挑発してくるが、次の瞬間、そのニタニタとした気味の悪い笑みが消えた。


「ナんだ、あレは……ドウしテ、おきアがる!?」

?」


 ショウは振り返る。

 馬人間の手によって死んだはずの男だが、俯き加減で立ち上がっていた。――いや、立ち上がっているというより、まるで上から見えない糸で引っ張られているかのようだ。


「…………?」


 ショウは、男の胸元に青い幾何学模様が明滅しているのを発見した。

 明滅する青い幾何学模様が男の全身を包み込むと、その体を徐々に変質させ始める。


「あれは――」


 一体なんだ。

 その言葉は音にはならず、虚空に消える。

 青い光の粒子が弾けると、黒い髪の男は長い銀髪の女へ変貌を遂げていた。

 透き通るような長い銀髪を夜風になびかせ、人形めいた顔立ちは息を飲むほど美しい。黒い外套と機動力を重視した簡素なシャツや厚手の軍用ズボンなどといった格好はそのままに、中身だけそっくりそのまま浮世離れした美女へ変わってしまっていた。

 閉ざされていた銀色の睫毛に縁取られた瞼が持ち上がり、蒼玉の如き色鮮やかな青い瞳が露わになる。

 彼は――否、彼女は怪物がひしめく夜の世界をくるりと見渡すと、


「おやまあ、随分と不細工な面が勢揃いしてんじゃねえか」


 先程とは打って変わって、大胆不敵な声。

 銀髪碧眼の美女は黒い外套の裾をさながらスカートのように持ち上げて、淑女よろしく綺麗な一礼をしてみせた。


「お初にお目にかかります、クソ雑魚。魔術結社【世界終焉】所属の――」


 そうして彼女は、引き裂くように笑った。


「――終焉の魔女、ユフィーリア・エイクトベルです。よろしくね☆」


 銀髪碧眼の美女――ユフィーリア・エイクトベルと聞き覚えのある名前を名乗った彼女を前にして、牛人間が唾を飛ばしながら叫んだ。


「生キ返っタ!? あり得ナい!!」

「おう、だったら触って確かめてみるか? もっとも、触れたらの話だけどな」


 ぞっとするほど冷たい空気をまとった銀髪の女は、さながら散歩でもするかのような速さで歩いてくる。

 緩やかに伸びた華奢な腕に青い光の粒子が集まり、やがてそれは身の丈ほどの黒鞘に納められた大太刀を生み出す。彼女は大胆不敵な笑みを絶やすことなく、


「遅ェ、このウスノロが」


 姿が掻き消える。

 次に彼女が姿を現したのは、牛人間の背後だった。チンという涼やかな鍔鳴つばなりの音が、夜の風に紛れてショウの鼓膜を僅かに揺らす。

 硬直する牛人間の首に、一筋の切れ込みが生まれた。ツゥ、と赤い鮮血が垂れ落ちて、牛の首がぐらりと傾ぐ。重力に従って落下し、牛の生首が地面に転がった。残された人間の胴体部分もまた、ゆっくりと膝をつくと地面に倒れた。

 くるり、と大太刀を一回転させて肩に担いだ彼女は、青い瞳でショウを一瞥する。相棒のユフィーリアよりも色鮮やかで、なおかつ暗闇の中で淡く輝く青い双眸が、にんまりと歪む。


「おう、少年。魔女をお探しだって?」

「……死んだはずでは?」


 もっともなショウの疑問を受けた銀髪の魔女は、きょとんとした表情を浮かべたあとに、腹を抱えて笑い出す。その呵々とした笑い声は、盛大に夜空へ響き渡る。


「少年、世の中には『死んでから本番』って言葉があるんだよ」

「初耳だが」

「試験に出るぞ」

「どこの試験にそんな問題が出題される」


 ショウのクソ真面目な返答に、魔女は「真に受けんなよォ」と肩を乱暴にバシンバシンと叩きながら笑い飛ばした。ちょっと痛かった。

 すると、ぶるるという馬のいななきがあった。そういえば牛頭の巨人は倒したが、馬頭の巨人はまだ倒していなかった。案の定、馬人間は銀髪碧眼の女として変貌を遂げた男に驚愕しているようだった。

 くるんくるん、と肩に担いだ大太刀を回すと、魔女はショウヘ振り返って言う。


「そういえば、魔女を見つけることができたら、なんでも一つだけ願いが叶うって言ってたな」


 青い瞳を輝かせる彼女は、


「特別だ。俺がお前の願いとやらを叶えてやろうじゃねえか。――まあ、ちょっと限度ってモンがあるけどな」

「……………………」


 ショウは迷った。

 まさか、本当に彼が魔女だとは思わなかったのだ。叶えてもらいたい願いなどなく、魔女の好意が無駄になってしまう。


「……空」

「空?」

「生まれてから、ずっと天魔が降り注ぐ空しか見てこなかった。天魔がいなくなった空を見てみたい」


 ショウが生まれた時から、天魔は空から降ってきていた。本当にまっさらな状態の空を見た記憶がないのだ。

 魔女の青い瞳がツイと紺碧の空へ移動し、そしてポロポロと落ちてくる流星群よりタチの悪い怪物の群れを一瞥する。くるん、と大太刀が一回転する。


「いいぞ」

「可能なのか?」

「オレは終焉の魔女――あまねく命に終わりを告げる最強の魔女だぜ? 何人いようが関係ねえ、全員まとめてあの世に送ってやるよ」


 不敵に笑った彼女は、手の中から大太刀を消し去る。青い粒子となって虚空を漂うが、魔女の足元に集まって幾何学模様を描き出す。

 魔女はショウの腰を抱き寄せると、足元に展開される幾何学模様に手をかざして呪文らしきものを唱え始めた。


「『終焉の魔女より告げる。空より落ちる遍く害悪に終焉おわりを。常世とこよを支配する異形に終焉おわりを。その命・その魂に終焉おわりを』」


 夜空から降ってくる天魔が、青く輝き始める。空から落ちてくる個体だけではない、地上を我が物顔で闊歩する天魔にも同じように青く輝きだしたのだ。

 空と地上――双方が幻想的な青い光に満たされる。

 ふと気になって、ショウは終焉の魔女の横顔を見やった。真剣な表情を浮かべる彼女の瞳には、足元に展開されている幾何学模様と同じ模様が刻み込まれていた。


「おり空・零式――」


 一際強く、青い幾何学模様が輝く。

 夜の闇を照らすように世界中を青い光で包み込み、終焉の魔女は告げた。


「――世界終焉セカイノオワリ


 その時だ。

 青く輝く天魔たちが、一斉に青い粒子に吸収されて消えていく。波が引いていくようにザアアアア、と天魔の群れが消滅していき、最後には死体一つ残ることはなかった。

 白銀の星々が瞬く紺碧の空が頭上に広がり、障害物が取り払われた大地はどこまでも続いている。――ショウの目の前には、天魔のいない世界が存在していた。


「ほら、これでお前のお願いは叶えられたか?」

「――ああ。すごいな」


 冷たい風がショウの頰を撫で、髪を結ぶ赤い髪紐の鈴がちりちりと小さな音を奏でる。

 どこまでも広大で平和な夜の世界を見渡して、ショウは息を吐いた。天魔がいなくなったあとは、こんなに静かな世界になるのか。


「じゃあ、バイト代寄越せ」

「なッ!?」

「冗談だよ」

「冗談に聞こえるような声音ではなかったぞ……」


 終焉の魔女から驚きの要求があったが、冗談だと分かった時には安堵した。

 彼女は「真面目な奴だなァ」などと言って、ショウの頭を乱暴に撫でてくる。本日二度目だ。髪の毛も容赦なくぐちゃぐちゃにされるが、不思議と嫌な気分にはならない。


「じゃあ、オレは帰んなきゃな」

「帰るとは……【閉ざされた理想郷】にか?」

「まあそうだけど、多分この世界にはない【閉ざされた理想郷】だ」


 銀髪の魔女は見覚えのある快活な笑みを浮かべると、


「じゃあな、少年。『俺』を守ろうとしてくれた姿勢、格好良かったぜ」


 ――――ゴーン、ゴーン、ゴーン、と。

 深夜の〇時を告げる荘厳な鐘の音が、天魔のいなくなった夜空に響き渡る。鐘の音が鳴ると同時に、銀髪の魔女はショウの視界から姿を消していた。

 おそらく、彼女の世界に戻ったのだろう。一時だけだったが、不思議な時間であったことは間違いない。


「おーい、ショウぼーう」

「ユフィーリアか」


 すると、自分の名前を大きな声で呼びながら、王都の城壁方面から銀髪碧眼の相棒が歩いてやってくる。

 彼女は天魔のいなくなった夜の世界を見渡して、不思議そうに「ええ……?」と首を傾げる。


「なんで天魔がいなくなってんの? 四六時中、休む暇もなく降ってるじゃねえか」

「ああ、魔女に消してもらった」

「魔女に?」


 怪訝そうな表情を浮かべる相棒に、ショウは「ああ」と頷く。


「とても綺麗な魔女だったが、なかなか自由奔放でな。散々振り回された」

「ええ……いや、あのショウ坊」

「来年の収穫祭にはどんな魔女がやってくるのだろうな。また会えるといいのだが」


 不思議と深夜を過ぎた頃合いだというのに、まだ眠くならない。あの強大すぎる力を持ちながら、子供のように他人を振り回した魔女のせいで、目が冴えてしまっている。

 なにかを言いたそうにしている相棒の横を通り過ぎて、ショウは【閉ざされた理想郷】を目指して歩き出す。

 不思議な時間は、もう終わりだ。




「……魔女? 魔女に叶えてもらったって?」


 天魔がいなくなった夜の世界を一瞥して、銀髪碧眼の美女――ユフィーリア・エイクトベルは口元を引き攣らせる。

 ほんの冗談のつもりだったのだ。エドワードとハーゲン、アイゼルネで画策して純粋無垢なショウをからかってやろうと思っただけなのだ。収穫祭には様々な仮装をした連中で溢れ返るので、ちょっとした冗談のつもりだったのだ。


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ハロウィンナイトに魔女が来る 山下愁 @syualice

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