第2話 拳豪美姫は迷わない

「あ、そうだったんですね。町の外れに家を……」

「そう言うこと。少しだけ、腰を落ち着ける場所が欲しくてね」

 アヤカ達は、マリンの荷物を回収した後、森の出口にまでたどり着いていた。

 道の先には、既に町の姿がちらと見えており、程よく整備された一本道として、そこへ続いている。道路上には、ほとんど誰の姿も無い。

 そのため、雑談しながら歩いていても、何の問題にもならなかった。

「それにしても、天神族や魔族に知り合いがいるなんて、ビックリです。怖くなかったんですか?」

 アヤカの旅の話を聞きながら、マリンは楽しそうに微笑を浮かべる。

「んん?怖いと言うより、むしろお茶目な連中が多かったね。可愛げがあると言うか」

 アヤカ本人も、また楽しそうに笑みを浮かべると、何かを思い出すように遠くを見やった。

「お茶目……。あ、でも。アヤカさんほどの強さを持っているなら、怖くないのかも?それにしても、さっきのイヴィルゴブリンの群は、どうやって?凄い音がしましたけど」

「どう、と言われても。私には、この拳と体術以外には、武器はない」

 マリンの問いかけに、アヤカは困ったように微笑を浮かべ、荷物を持っていない方の拳を、握ったり開いたりしている。その手は、格闘を武器としている者に特有の傷が見られ、どのような道を切り開いてきたかを物語っていた。

「拳で、風船が破裂するような音がするんですか?」

 その傷痕を見つめながら、更に問いを重ねるマリン。

 すると、アヤカは曖昧な微笑を浮かべて拳を握り、軽く前へと突き出した。

「それは、私にもよく分からないんだけども。友人曰く、何でも、物の速度が音の速さを越えると、その時に空気が破裂するような音が鳴るらしい」

「お、音の速さ、ですか? 何だか想像が出来ないですね」

 その説明に、マリンは目を丸くした。

「うむ。私もピンと来なくてね。ともかく、イヴィルゴブリンを撃退したのは、この拳だよ」

 ただ、その時にアヤカが見せた、自信に満ちた表情と言葉に、マリンは他の全ての疑問や言葉を口に出すことなく、心の内に沈めたのだった。


 町に到着した二人は、長閑な通りを歩きながら、マリンが勤めている薬屋へと足を運んだ。彼女の摘んできた薬草を納品するためだ。

「叔母さん、ただいま戻りましたー!」

「お帰りなさい、マリン。早かったわね」

 アヤカ達が薬屋の建物に入ると、店主と思われる妙齢の女性が、二人を出迎える。

「あら、そちらの方は?」

 そしてすぐに、マリンの後ろから入ってきたアヤカに視線が向いた。

「初めまして。アヤカと申します。彼女が森でイヴィルゴブリンに襲われているのを見かけたもので。荷物運搬と護衛を兼ねて、ここまで付いてきたと言う具合です」

 一歩前に出て、アヤカは薬草の詰まった革袋を差し出した。

「ああ、これはどうも、有難う御座います。え? 襲われていた!?あの森よね?」

 彼女は、アヤカから革袋を受け取ると同時に、目を見開いてマリンを見据える。

「まさか私も、あの森にイヴィルゴブリンが住みついているなんて、思いませんでした……」

 その視線に、マリンが苦笑し、店主の女性は困ったような表情を浮かべた。

「……また、そのうちに見回りが必要になるかも知れないわね。それはともかく。アヤカさん、マリンを助けて下さり、有難う御座いました。何とお礼を言えばよいやら」

「いいえ、礼には及びません。私が助けたかっただけですから。では、私はこれで」

 そう言い、アヤカは一礼して背を向け、店の出入り口へと向かう。

「ああ、そうだった」

 ドアの前で一度足を止め、振り返る。

「近いうちにまた、お伺いします。家に置いておく常備薬が欲しいので」

 それを聞き、マリンがパッと顔を輝かせる。

「あ……。はい! いつでもお越しください! 待ってますから!」

「有難う」

 そして、彼女の声に笑顔を返すと、アヤカは外へと出ていった。


 町を通り、最初に通った場所とは反対側の門から、町の外へと向かう。やはり一本道で、違いと言えば、道のりが、なだらかな丘に向かっていくということくらいである。

「ここは良いねぇ。長閑で。本当に落ち着く」

 丘を登り、頂上に辿り着くと、その先には一軒の家が見える。柵で囲われ、内部には簡単な庭も見える。小屋もあり、中からは鶏のような声が聞こえる。

「ふぅ……」

 門を潜り、家の中へ入る。

「それにしても。旅に出る前に貰ったあの神器は凄いね。転写した家屋の情報を、そっくりそのまま再現するなんて。これで撤収作業まで楽なんだからさ」

 そう言うと、家の暖炉の上に鎮座している、彫金細工が施された一個の水晶玉を見やる。それは青く輝きながら、部屋に淡い光を届けている。

「さて、と。早速、晩御飯の仕込みを……」

 しばらくその輝きを観察し、一時の休息を取ったアヤカは、早速、台所へと向かおうとしたのだが、まさにその時だった。

(この気配は、イヴィルゴブリン? こんなところにも来ているのか……)

 唐突に外に嫌な気配を感じ、彼女は台所へと向けていた足を裏口へと向け、外へと戻っていった。

 そして、外に出た彼女の目に飛び込んできたのは、つい先ほどアヤカに打倒され、恐怖に震えていたイヴィルゴブリンに連れられた、大柄の個体と、最初の遭遇に倍する数を誇る軍団が、柵の外に集まっている光景だった。

『お、親分! あいつです! あの女です!』

 件のイヴィルゴブリンが、大柄の個体に向けて話している。

『あん? 何かと思えば、おお、恐ろしく上玉じゃねぇか!』

 親分と呼ばれた大柄の個体は、アヤカの姿を認めると、まさに下卑た厭らしい笑みを浮かべた。その頭の中で何を考えているかが、透けて見えるような表情だった。

『へへ、こいつぁいい。オイ、お前ら。あの女を取り押さえてひん剥け!』

 そこから繰り出される、お約束のような命令。周囲の軍団も、その声に大きな盛り上がりを見せる。件のイヴィルゴブリンも、最初に倍する戦力に囲まれているからか、報復できる絶好の機会に、舌なめずりまでしている。

「お約束過ぎて、溜め息すら出ないな」

 目の前で、士気が猛烈な勢いで高まっていくイヴィルゴブリンの集団を見据えながら、アヤカは肩を竦めた。

「これは、少しきつめの仕置きが必要か……」

 一気呵成に迫りくるイヴィルゴブリンの集団の目の前で、ゆったりと構えを取るアヤカ。

 そして、一瞬、風を纏って髪や服裾をなびかせたかと思えば、その次の瞬間には、彼女は親分ゴブリンの目の前に移動していた。

『なっ……』

 目の前に突然現れ、拳を構えているアヤカの姿に、親分ゴブリンは驚愕に目を見開いた。

「特別に加減してやる。生きていたら反省すると良い」

 その言葉と同時に放たれた、目にも留まらぬ速度の拳が、大柄の体躯の腹へと、突き刺さるようにめり込む。

『ごお……!?』

 何かが軋む音と共に漏れ出た呻き声は、その直後に、彼が砲弾のごとく吹き飛ばされたことで響き渡った、盛大な風切り音の向こう側へと、掻き消されていった。

「これぞ、我が奥義之壱。奉天拳。まあ、あんなものを奉られても、困るだけだろうが」

 遥か彼方へと消えていく親分ゴブリンを見送りながら、アヤカは溜め息を吐いた。そして、ゆっくりと他のイヴィルゴブリン達へと向き直る。

『うげ……』

 目の前で、自分たちのリーダーが拳の一撃で吹き飛ばされるという、思わず目を覆いたくなるような惨事に直面したイヴィルゴブリン達は、自分たちに向けられたアヤカの視線に震えあがった。

「次だ。数の暴力に頼ったその性根、叩き直してやろう」

 そして、目の前で拳を握り締めた彼女の様子に、恐怖にかられたイヴィルゴブリン達の集団が、絶叫を上げながら襲い掛かる。

 しかし、直後に起こった数回の破裂音が、その絶叫の全てを飲み込み、掻き消してしまうのだった。

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拳豪美姫は平穏に暮らしたい ~それでも難はやってくる!~ ラウンド @round889

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