堕落と反逆のハロウィン

雨間一晴

堕落と反逆のハロウィン

「全くもって、なっちゃいない」


 男は、お祭り騒ぎになっている渋谷を歩きながら、言い捨てた。


 何の仮装もしておらず、黒のリクルートスーツに青いネクタイ、おでこを出した清潔感のある、爽やかな七三分け、整った顔立ちは、人気のニュースアナウンサーといったところだ。黒縁の眼鏡がしたたかに光っている。


「そもそも、ハロウィンの起源が分かってる奴なんて少数だろ。ただ普段と違う格好で、はしゃぎたいだけなのだろう。ただの祭りなら、それでも構わないさ。諸説はあるが、先祖の霊と共に現れる悪霊を追い払うために、怖い格好をするのだ。お前らのどこが怖い」


 お祭り騒ぎに男の呟く声は消されていく、眠たげな瞳で溢れ出しそうな仮装した人々を観察している。


「おい、お前」


 男は喧騒の中でも、耳元で呟かれたような違和感を感じながら、声の主を見た。


「俺を呼んだのか?」


「そうだ、話がある」


 赤いネクタイの、リクルートスーツ姿の男が、シャッターの閉まった店に背中を預けていた。もしくは、女性なのかもしれないが、判断が付かない不思議な声だった。


 頭に本物の大きなカボチャをはめている。ありきたりなデザインでくり抜かれているが、光が存在しないほどに真っ暗で、中の表情は一切見えないのだ。


 生のかぼちゃなのだろうが、古い物らしく、カビが黒や灰色を広げていて、艶は無く、シワが所々に走っていた。異様な大きさの頭も不自然じゃない長身だった、二メートルはあるかもしれない。

 肩に一匹の小さな黒猫が、座りながら透き通った青い瞳で、男を見据えていた。


「センスがあるじゃないか、本物のカビたカボチャとは気合が入っているな」


「本当はカブが良いんだが、サイズが無くてな。こんくらいで驚かれてたら困る」


「お前、なかなか分かっている奴だな、今のハロウィンは腑抜けている」


 男は眠たげな目から、鋭い狼のような目付きに変わっていた。


「全くだな、つまらなそうに歩いていたから、そう言ってくれると思ったよ」


「話は何だ?」


「お前、本物のハロウィンに興味はあるか?」


「本物?」


「ああ、どうだ。こんなハロウィンに満足してないんだろう?」


「ああ、こんな物じゃ、いつか悪霊に支配されるだろう。俺は悪霊を見たいから良いのだがな、かと言って、こんなふざけた仮装大会じゃ悪霊に失礼だろ」


「くく、全くだな。お前もなかなか分かってる奴で嬉しいよ」


「それで、本物のハロウィンって何なんだ?」


「悪霊の世界だよ。人間が真面目にハロウィンしてないからな、俺らも人間の仮装を楽しみにしてるんだが、最近つまらなくてな。本来の意味を思い出してもらおうと思ってたとこだ」


「なんだ、あんた、頭のおかしな奴か?悪霊なりきりコスプレなら、付き合ってられん」


 男が呆れてカボチャ頭に背を向けようとした時、シャッターの開く音が響いた。

 カボチャ男は、相変わらずシャッターのあった場所に背を向けている。開かれたシャッターの向こう側は、全く見えない。真っ黒な闇で、不自然に暗すぎる。


「ここで何を言っても信じてもらえないだろう、向こうで話そうじゃないか。お前が望む恐ろしい悪霊が沢山いるぞ。向こうに行くには、お前さんには死んでもらわないと行けないけどな」


「……」


 あまりに現実離れしたファンタジーな言い回しも、外界の光を寄せ付けない闇が男の心を揺さぶった。ただそこにあるだけの闇が、あまりに深く怖いのだ。


 シャッターの開く音は、間違いなくお祭り騒ぎの喧騒にも響いたはずだが、誰一人見向きもしない不自然さも説得力を加速させていたのだろう。男は黙って闇を見つめていた。


「死んだら俺は悪霊になれるのか?」


「お前が、そう望むのならな」


「とても信じられない話だが、良いだろう。丁度つまらない現実から逃げたかった所だ。これが嘘で、中に入った途端に殺されるとか、つまらない事はやめてくれよ。それこそ悪霊になれそうで良いかもしれんがな」


「くく、どの道、向こうに行くなら死ぬのだから、話としては変わらないがな。付いて来い」


 二メートルのカボチャ頭と肩の黒猫は、闇に背を向けたまま後ろに倒れ込んだ。


「これで居酒屋のキャッチだったら笑えないぞ全く、いらっしゃいませとか言われたりしてな」


 特に躊躇することもなく、男も続いた、その目は更に輝いていて子供のようだ。口角が上がり鋭い八重歯が見えている。


 闇は下に続いていた、信じられない程の大穴らしい。重力が働いていないのか、落下していくシャボン玉のように緩やかに落ちていく。


 すぐ先に落ちたカボチャ頭から、青白い光が漏れ出ている。黒猫の目が透き通った青色から、ルビーのような赤に変化していた。


「なるほどな、それを見失ったら終わりな訳だ」


 カボチャから漏れる青い光が、辺りを照らすが、壁は見えず、所々に目の付いたままの頭蓋骨や、人の形のままの全身の骨がピンで止められたように浮いている。


「そうだ、見失ったら、そこら辺の骨の仲間入りだぞ、素敵だろ。くく」


「そいつは素敵だ」


 三十分程だろうか、落下するのにも男が飽きてきた頃に、下に点々とオレンジの灯りが見えてきた。重力を思い出したように落下が急加速していく。


「そろそろ着くぞ、適当に着地しろ。出来るならな、くくく」


 地面に大量の骨で出来た山があった、いや、骨しかないのだ。恐らく数え切れない程の人間が、着地に失敗したのかもしれなかった。


「もう俺は死んでるんじゃなかったのか、さっきから死にそうになってて笑えんぞ」


「くく、ハロウィンタウンに着く前に死んだら、死ぬ事も出来ないぞ。言ってなかったか?」


「やれやれ、悪霊らしくて嫌いじゃないけどな」


 二メートルのカボチャ頭が先に着地する、いや、着地しすぎている。カボチャ頭だけが地面に残り、首から下が骨の山に埋まっている。


「おいおい、お前が失敗するのかよ、あーあ、訳わかんないけど、やるしかないんだな」


 男は風圧でめくれ上がる七三の髪の下で楽しそうに笑っていた、どうする事も出来ずに足から骨の山にめり込んでいく。


「お前、嘘ついたろ?」


 カボチャ頭の真横に、男も顔だけ出しながら呆れ顔で尋ねた。骨の山がクッションになり、不自然なほど無傷だった。


「悪霊が嘘をついて何が悪い、ここに上から直接来た人間はお前が初めてだ。少しは怖がれただろう?それに誰に話しかけているんだ?」

 

「お前だったのか、はは、なるほどな」


 男の前方に、二つの赤い目が光っていた。ついさっきまで小さな黒猫だったはずが、黒いタキシードを着た男になっていた。絵に書いたようなイケメンなドラキュラといったところだろう、彫りの深い顔立ちに筋の通った鼻、切長の細い赤い瞳。猫の小さな耳が付いたままなのが不自然だった。


「ドラキュラなのか、お前?」


「そうだと楽なんだけどな、ただの黒猫さ、少し化けれるだけのな」


「その可愛い耳は消せないのか?」


「消せたら良いよね、うん……」


 黒猫はイケメンな見た目に反して、肩を落として、猫耳を優しく撫でながら子供口調で嘆いた。


「おー、ニック。人間捕まえてこれたのかい?」


「ああ、こいつが居れば、きっと人間共を恐怖に叩き落とせるぞ」


「おい、猫。お前、また嘘付いただろ?これの、どこが怖い悪霊だ?」


 黒猫をニックと呼んだ悪霊を見ながら、男は呆れたようにボヤいた。


「だから、お前を呼んだんだろ、言ってなかったか?」


 その悪霊は、子供が書いたような、お化けの姿で、真っ白な浮いたゴミ袋のようだった。つぶらな目が二つ、うるうるしていて、優しく笑った口。小さく突起のように付いた二つの手。ワクワク感を抑えられずに、男の周りをフワフワと浮きながら回っている。


「騙された、帰らせろ」


「帰れるなら、どうぞ?くく」


「あー、最悪だ。全く恐ろしい事態になったものだ」


「ほら、恐ろしいだろ?それは何よりだ。さあ街で早速準備に取り掛かろう、お前は我らが怖い悪霊になるため、プロデュースするために来たのだろう?」


「えー!そうなの!それは楽しそうだね!ニックはやっぱり天才だ!天才なんだ!ふふふー」


 可愛いお化けが浮かれたように上下に揺れている。


「はー、まぁいいさ、現実よりは楽しそうだ。ハロウィンタウンとやらで、考えさせてもらうよ」


「なーに?ハロウィンタウンって?」


「知らん、人間界の街じゃないか?ダサい名前だな」


「おい、お前、また嘘付いてただろ」


「くく、ほら行くぞ。ここは夜が明けないから、お前ら人間の世界の時間は進まないが、それでも急がねばなるまい、楽しい事は早くやりたいものだ。人間達が恐怖に沈む顔が早く見たいな、くくく」


「人間を恐怖に落とすのだー!行くぞ人間、ぼくについて来いー」


 可愛いお化けがオレンジ色の灯りが集まる方向へと、フワフワと向かっていく。


「やれやれ、とりあえず、この骨の山から出してくれよ、全くなってないな悪霊とやらは」


「くく、悪霊が良い奴だったら矛盾してしまうだろ、ほら行くぞ」


 黒猫はドラキュラの姿のまま、男に手を差し出す。


「手も足も出なくて無理なんだが、ちょっと掘ってくれ」


「世話のかかる人間だな、全く」


「こっちが言いたいわ、この嘘吐き悪霊が」


「くくく、違いないな」


 二人は静かに笑い合った。



 男がシャッターに消えたのを目撃した、小さな魔女の仮装をした女の子がいた。


「ままー?今ね、ここに落ちてったよー?」


「何も無いじゃない、ただのシャッターの閉まった店よ」


 魔女の仮装をした母親が呆れていた。


「違うよー、開いてたもん、あれ?」


「あら、開いたわね、このお店、こんな時間から始まるのかしら」


 シャッターサイズの闇から、一人の男が現れた。肩に黒猫を乗せている。


 ボロボロになったリクルートスーツに、ボサボサの髪で、徹夜明けのように覇気のない、クマの出来た顔だった。


「本当に時間経ってないんだな、そこは本当だったか。何年も過ごした気分だが」


「くく、本当は嘘にしたかったがな」


「俺は死んでないだろ?」


「くくく、どうだろうな?」


「普通に疲れた。死んでいるなら疲れない体にして欲しかったよ」


「人間はわがままだな、全く」


「わー!黒猫さんが喋っているよ!」


 女の子が黒猫を指差して喜んでいる。


「すみません。この子ちょっと、ハロウィンでテンション上がっちゃってて」


 母親には黒猫の声が聞こえていないのかもしれない。


「ほう、俺の声が聞こえるのか、お前も素質があるかもな、くく」


「また勧誘か?もう必要ないだろ」


「ああ、そうだな。やっと我らのハロウィンを始めれる」


 男の後ろの闇が溢れ出す。火事から逃げる黒煙のように、渋谷を染めていく。闇に触れられて電灯や照明が消えていく、渋谷にパニックと悲鳴が感染していく。


「わー!すごい!どうやってるの!」


 女の子が楽しそうに飛び跳ねている。母親は理解出来ずに腰を抜かして倒れている。


「ふふ、まだまだ、これからだぞ少女よ、なあ、ニックよ」


「くくく、素晴らしいな。ああ、そうだとも、ハロウィンはまだ始まったばかりだ」


 シャッターから溢れ出す闇に紛れて、幾つもの赤い瞳が、鋭く光り輝いていた。

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