椋――ムク――壱
自分の片腕ほどの長さの銃を抱えたまま、アタシは戦場から逃げ出した。ついさっきまで味方だった追っ手から逃げるために、銃は捨てられない。
何をしているのか分からなくなった。
「敵を撃て」なんてのは戦場を知らないお偉いさんが言う言葉だ。あそこに居ると敵だの味方だのは考えられなくなる。自分に武器を向けた人が敵なんだ。それが昨日、ご飯を一緒に食べた友人であろうと。
――素人を使うから悪いんだよ。
頭に浮かんだのは、文句と言うよりは言い訳に近い。
内円ではあちこちで場所取り戦争が起きている。外円から逃げてくる人数に対して内円は狭すぎて、みんな生きる場所を確保するために必死なんだ。国は戦士団を派遣して火に油を注ぎに来る。
内円には『平等』が蔓延している。男女差別なく戦に参加しよう。機会は年齢に関係なく与えられなければならない。『平等』という言葉に安らかな響きを聴いていたアタシは『平等』を振りかざす世界に絶望した。
ドォン!
何度も、何度も手の内で叫ぶ銃がまた人の肉を裂く。
火薬袋の中身は今ので最後だ。
もう銃を持っている意味がなくなってしまったので、潔く捨てて丸腰で逃げよう。さすがに味方も敵も、戦場の匂いの遠くなったこの辺りまで来れば出会わないだろう。
絶えたまま物も言わない人を前に、限界を迎えたアタシの足がガクッと崩れた。
いっそのこと鬼になってしまえたなら楽なのに。
人間側の半円は、平等に絶望を分け合う世界になってしまっている。向こう側には誰も流されてこない川があって、煙に包まれない空があるのだろう。
――不公平だ。
どうして嫁入り前の十七歳が銃なんか抱えて戦場を走らなければいけないのか。神様にだって答えられないだろう。今はもう神様は居なくなってしまったらしいけれど。
ザッザッっと足音が一つ聞える。
慌てて目の前の、元味方の腰から剣を奪って構える。剣なんか使った事が無いけれど、相手が銃でなければ何とかなるだろう。
ガササッ!
飛び出した男の槍の切っ先がアタシを狙う。
構えた剣をすり抜けて、槍がアタシの右肩をザクッと貫いた。
引き抜かれる瞬間そのまま倒れそうになるのを堪え、片腕でやたらめったら剣を振り回す。自分を刺した男が誰かも知らない。
――何も考えたくない。
気が付くと死体が一つ増えていた。
簡単に右肩を布で縛って止血をして、何処へともなく歩き出す。とにかく外へ、外円へ逃げたかった。どす黒い内円はこりごりだ。
夏はいつの間に終わったのか、風が少し肌寒い。
季節のない戦場にいたから、こうして景色を見るのは久しぶりだった。
山ブドウの実にナナカマドの実。トンボが飛んでいる所を見ると、戦場はかなり遠いのだろう。そう言えばさっきの剣を置いて来てしまったから、今おそわれたら命は無いな。などと考えていた。
どの道、帰る家からも遠く離れてしまったし、誰も待っていないだろうから命なんか無くても構わない。
肩の傷が思ったより深く、右腕をつたってポタポタと血が滴り落ちる。
「おい、あんた。大丈夫かい?」
反射的に身構えてしまったが、声を掛けてきたのは心配そうな顔をした男の人だ。その人は山菜がいっぱいの籠を背負っている。
「俺らの村が近いから寄って行きな」
「ありがとうございます」
その人は事情も聴かずにアタシを支えて村にむかえてくれた。
「おーい、誰か先生を呼んでくれぃ! 怪我人だ!」
「何だって? まったく……こんな時に」
突然アタシを連れて帰ったからその人は怒られているらしいけれど、頭がぼーっとして庇う言葉が出ない。何か言う前にアタシは倒れた。
話し声で目が覚めた。
右手は痺れていて上手く力が入らないけれど、それでも動く。治療を施され布団に寝かされているようだ。
「そんなバカなこと出来ないよ」
「他にどうしろって言うんだ!」
アタシを助けてくれた人ともう一人。
ゆっくり目を開けると、もう一人の方が気付いて側に来た。
「初めまして。僕は医者です。気分はどうですか? 傷は痛みますか?」
「痺れてる」
それだけ言って少し腕を動かすと、医者は大丈夫そうだと笑顔を見せた。手伝ってもらって起き上がると、助けてくれた男の人は不安げにアタシを見ている。
「おい、あんた……」
「アタシはムクです。助けてくれて有難うございます」
「あ、あぁ……俺はカイだ。ゆっくり休んでいろよ」
心底ほっとした顔をして、カイさんは部屋を出て行った。
「僕は隣の部屋にいますので、部屋を出る時には声を掛けてくださいね」
医者は丁寧に頭を下げて立ち上がる。
そうしてアタシは、傾いた陽が入り込む畳の部屋に一人になる。
横になると布団が温かくて涙がこぼれた。布団で寝るのなんか何日ぶりだろうか。もしかすると何か月も前だったかもしれない。
ふとバラバラになった家族の事を思い出す。父は私と同じでどこかの戦場へ、母は医療隊へ、弟は戦士団へ入隊した。一番しっかりしていたのは弟だ。
「自分もどうせ戦うのなら生き残る可能性の高いところへ行く」
そう言って自ら志願した。
アタシは、ただ流されるまま戦場に連れて行かれた。そこからはもう生き残る事しか考えられなかった。だから私はいつも赤く染まっている。
「入ってもいいかしら?」
「どうぞ」
母くらいの歳の女の人が一人、お粥を持って入って来る。
「手、つらいでしょ? 食べさせてあげるから大丈夫よ」
「すみません」
戦場に出て一年も経たないのに、人の温かさを忘れていた。やはり逃げ出して正解だったなと安堵する。アタシが一人いなくなったからと言って戦局が変わるわけもない。
「ねぇ、この傷……どうしたの?」
「戦場で戦っていたんですけど、逃げてきちゃったんです。その時に槍で」
「そう。大変だったのねぇ。それじゃあ、ご家族は内円に?」
「そうだったんですけど、今はバラバラでどこかの戦場にいますよ。内円は争いばかりですから。帰れる家なんか、ありません」
「そうなの……」
女の人が笑った気がした。
――たぶん気のせいだ。
「一人なのね」
小さな声だったけれど、女の人は間違いなくそう言った。
――心配してくれているのかもしれない。
「外円は静かでいい所ですね。この辺りで暮らそうかな」
女の人は返事のかわりにニコッと笑う。
アタシはお腹が空いていたのでお粥をすぐに完食して女の人に礼を言う。ここの人たちは優しい人たちばかりだ。治ったらどんなお礼が出来るだろうか?
手先が器用なので机や椅子を作ろうか。扉や道具を直してもいいかもしれない。
「先生から薬をもらって、早く寝てね」
その晩は薬が効いていたのか、久しぶりに安心して眠れるからか、夢も見ずに次の日の昼頃まで眠っていた。
「おはよう。具合はどうだい?」
「傷の痛みは気になりません。でも眠くて」
「眠れるうちは眠ればいいよ」
返事をしたかどうか覚えがない。アタシは夢現に薬だけ飲んで、また眠った。
次に目を覚ました時、まだ太陽は真上にあった。これでは時間の感覚が狂ってしまう。
丸一日くらい眠っていたと言うのだろうか。とりあえず、喉がカラカラなので隣の部屋を覗いたけれど先生はいなかった。
外に出てみると納屋のあたりから三人の話し声が聞こえる。
「だって、あの子は帰る家は無いって言っていたんだよ」
「そういう問題じゃあない。関係のない子を巻き込むなんて」
「関係ないとは言わせないぞ。龍が怒ればどの道なにもかも終わりなんだ」
「確かにその通りだけど、あの子に生け贄になってくれだなんて言えないだろう」
「男は働き手だし、村の女たちは一人もくれてやれないからね」
「お前だって分かっているから、あの子を連れて来たんだろう」
聞いてしまった。
あの子、とは私のことだろう。
結局人間なんてこんなもの。内も外も同じなんだ。外には外の事情があるらしい。
アタシは影から出て三人の顔を見た。医者の先生と、お粥の女の人と、カイさんだ。カイさんは、初めからこの為にアタシを助けたんだと気が付いて落ち込んだ。もしかすると、真正面からぶつかり合って争う戦場より質が悪い。
「アタシは生け贄か?」
「いや、その……ちょっと話を聞いてくれ。十日ほど前、この近くに龍が出たんだ。もちろん半円の向こうだったさ。けど、あの龍だぞ? それが境界の近くで、それはもう空を割らんばかりの声で吠えてな。それから星が落ちたんだよ。燃え尽きるみたいにポロポロ落ちてきたんだ。きっと怒ってるんだよ」
「そうなのよ。それに体の大きいこと。遠くの空に浮かんでいるってのに、もう目の前みたいに大きく見えるのよ。狼の遠吠えや、たくさんの白たちがドタバタ動いていたし、あれは百年前の再来よ。そうなれば人間は終わりなの。分かってくれるわね?」
カイさんと女は必至で話すけれど、何の理由にもなっていない。
「それにね、生け贄は来世で白になれるのよ」
よく回る口は汚くて醜い。
「死ねって言うの?」
湧き上がる限りの恨みを込めて睨みつける。けれど、今度は医者までもが村長らしいオジサンを連れて来て頭を下げる。
村長は同情を誘うような震える声で言った。
「頼む。白から人間たちを守ってくれ」
どうせ、こっち側にアタシの居場所はないと分かったので自棄だった。
「あんたらの言う通り死んでやるよ! けど内円に逃げ場があると思うなよ。あっちの敵は人間なんだ。白の方がよっぽどマシさ! ここで死ぬまで怯えてな!」
感情のままに叫んで走り出した。
また走って、内円から外円に逃げて来た時のように、アタシは境界の向こう側に逃げる。
当たり前だけど向こうには生きる場所なんてないだろうな、と思う。これで本当にアタシは終わるんだ。
――向こうに待っているのは死神。
境界の森には村からいくらも走らないうちに着く。
太くて背の高い木々が陽を隠す薄暗い森に入ると、風もないのに急に寒くなる。
土の匂いが濃くなって、ここはもう白の土地だと体で感じる。そうすると聞きなれたカラスの鳴き声さえ違って聞こえる。
まだ誰にも会わない。
もしかしたら白なんて普通の、何も特別じゃない動物なのかもしれない。
今まではそんな風に思っていたから大して怖くはなかった。
けれど境界を越えると分かる。ここには何かがいると。
棒っきれのように薙ぎ倒された大木。戦場で嗅ぎなれた血と腐敗した肉の臭い。変な形に地面がへこんだ水溜り。
想像以上に大きくて数が多い何かがいる。それでも人間の半円にアタシの居場所はないのだから、行くしかないんだ。
ふと甘い桃のような香りがして立ち止まる。
見上げると、枝にぶら下がるみたいにして赤い花が咲いていた。甘い香りはその満開の花からしている。
花はこんなにも熟れた果実のような香りをさせる物だったかと不思議な気分になって、少しだけ落ち着いた。
ゆっくり歩いてみると手の平ほどもあるドングリや、見た事もない深い青色の蝶なんかが目に付いた。
川の姿が見えないのに、ゴウゴウと流れ落ちる水の音が聞こえている。きっと壮大な川か滝でもあるのだろう。
空はあまりにも高く空っぽに見えて、恐ろしさと切なさがこみ上げる。
同じ地上。右と左が違うだけで自然はこんなにも生き生きと好き勝手に振る舞うのか。それなら人間の半円はよほど窮屈だろう。
『カァア、カァア』
またカラスが鳴いた。
ザクッザクッと何かの足音が聞こえる。
――そうだった。ここに居るのは死神だったんだ。
つい忘れていた。現れるのは白い何かだろう。助けてと叫んだら通じるだろうか?
「なんだぁ? 本当に人間がいるじゃねぇか」
そう言って頭を掻くのは、色白の大男。
真っ白でボサボサの長髪を一つに結い上げ、真っ赤な目をして、着流しの着物を着ている。その額から生えた二本の角がツンと天を向く。
「おい、何しに来た?」
そう言った口元に牙が見えた。鬼だ。けれど逃げようとは思わなかった。言葉が分かる事に安心してしまったのか、死ぬ気なら肝まで据わるのかは分からないが。
「アタシは生け贄だ。龍の怒りを鎮め、人間たちを襲わないでくれって話の為に来た」
「龍だぁ? あの爺さんなら死んだぞ。今のところ人間たちを襲う予定もないしな。だから生け贄はいらねぇよ。帰れ、帰れ」
「えっ! そんなの困るよ! 帰る場所なんてないんだから!」
「ないのか?」
自然な会話ができる。アタシはそいつに聞いた。
「あんたって白なの?」
「おう」
「鬼?」
「おう」
白は存在していた。
その事実はアタシにとっては歴史的発見くらいの衝撃なのだ。
それが人によく似た鬼の姿で、ましてや会話が出来るなんて。それに、どうやら攻撃する意思はないらしい。
「帰れないなら俺の住処に来いよ」
「えっ……」
まるで友達を家に呼ぶ気軽さで誘われた。これは、付いて行くと大鍋や大きな包丁なんかが用意されているのではないか? と勘ぐってしまう。
「なんだよ」
鬼は不服そうな顔をしている。
「助けてくれるってこと?」
「おう。困った時はお互い様だからな」
白い鬼はニカッと笑う。
昔話に聞く鬼はこんなに笑わないし、こんな事も言わない。白はむかし神様だったと言う話は、もしかしたら本当なのだろうか? 一人で考えても分からない。
「あんたもアタシを食べるために助けるの?」
「はぁ? 物騒なこと言う女だなぁ。人間なんか食うかよ」
食あたりをおこしそうだと、鬼はゲラゲラ笑う。
これは一体どういう事だろう?
今度こそアタシは信じてもいいのだろうか?
最後に失望するような事にならないだろうか?
「俺はゲッパクだ。取りあえず飯ぐらいは作ってやるから安心しろよ」
会話に飢えていたからなのか、話しているうちに人間の半円に居場所がないのなら白の半円に生きたっていいじゃないかと、開き直りではなくてそう思った。
初めから生きられる当てもなかったのだから、最期だと思って付いて行くのもいい。戦場よりはマシだ。こうしてアタシはまた流れのままに生きていく。
アタシの悪い癖だ。決めたふりして決めてもらっている。
「ムク」
「ん? そうか、ムクって言うのか。よろしくな」
握手を求められて握った手は硬く冷たくて、石のようだ。こんなに人間とは違っているのに、ここ最近に会った誰よりも人間らしい。
『カァア、カァア』
「またカラス」
「あいつは噂好きなんだが、あんまり関わるなよ。この前も狐がそそのかされてな。まぁ、そいつも碌でもない奴なんだが大騒ぎが起きたんだ。性格わるいんだよ」
ゲッパクは眉間に皺を寄せる。
「ずいぶん酷い言い方してくれるなぁ。せっかく人間がいるって教えてやったのに」
「降りて来るなよ。お前は日頃の行いが悪すぎるんだ」
ゲッパクの顔の前を、白いカラスがバサバサと飛び回る。
「お嬢ちゃん、火薬の臭いがするね。血の臭いもするなぁ。白を殺しに来たのかい?」
「バカ言わないで!」
カラスは高笑いのような鳴き声を上げて森の奥へ消えていく。
「ゲッパクは一人?」
「基本は一人だな」
「なんで?」
「まぁ、異端児ってやつだ」
泣きそうなと言うのか、困ったような笑顔を浮かべてワザとらしくゲッパクは豪快に笑い声をあげる。
さっきまでは生きる事を諦めていたアタシより、諦めているように見えた。
こうしてゲッパクに付いて森を進んでいると思い出したように怖くなる。
これを何というのか知っている。
これは戦場に出たら捨てろと言われていた『甘え』だ。もしかしたらアタシは鬼に気を許してしまったのかもしれない。
最初にゲッパクにあった場所からそう離れていない辺りに川が流れていた。その川を辿って上流へ歩いて行くと滝があり、そこが住処らしい。
驚いたのは水晶の岩があちこちに柱のように立っている事。アタシは初めて水晶を見たから、光を反射する様があまりに綺麗で目を奪われる。
「ん? どうした。水晶なんて珍しくもねぇだろう?」
「初めて見たよ」
「はぁ!? もう向こうには水晶ねぇのか?」
「ないよ」
厳つい顔のゲッパクが口をポカンと開ける姿がおかしくて、つい笑ってしまった。
「その川を覗いてみろよ。底でキラキラしてんのも水晶だ」
流れのゆるい辺りから覗くと、岩や水草なんかの色に交ざって紫色にキラッと光る物がある。それは水の色に柔らかく溶け込んで、川を芸術品のように見せている。
「綺麗だろう。この辺りには紫の水晶も多いんだぞ」
本当は水晶には色がないらしい。色は混ざり物なんだと教えてくれた。
「こっちの半円は綺麗だね」
別に感傷的になった訳ではなく本心でそう呟いただけなのだけれど、ゲッパクはアタシの頭を撫でた。
「昔は人間たちの方だって色とりどりの水晶でキラキラしてたさ。短剣に首飾り、勾玉や置物までぜんぶ水晶で作ってたんだ」
ゲッパクの思い出を塗りつぶすみたいな言葉しか思いつかない。
「でも捨てちゃったんだって。水晶はもう必要ないからって言ってたよ。詳しい事は知らないんだけどね」
おそらく、ゲッパクが言うのは百年前までの世界。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます