紫黒――シコク――弐
緑の階段の途中には狸の家族がいた。さらに上がっていくと猿やら兎の姿もある。
昔は選ばれた人間しか通ることを許されなかった階段を上ると、両脇には太い木々が立ち並び、木の根が石段を押し剥がしている。虫も鳥も、森の命がここに集まっているようだ。枝葉が陽を遮って薄暗く、濃い蜜の匂いがする。
何の脈絡もなく懐にしまった水晶の短剣が気になった。理由は分からない。勘と言えば近いかもしれなかった。
手を入れてみると短剣は温かくなっており、微かに振動している。気のせいではない。
「この上に何かが居る気がします」
「何かって何だ?」
「分かりません。水晶が震えているんです」
「ほう……」
団長は笑う事もせず、それ以上なにか聞く事もない。
身を低くして飛びかからんばかりに俺たちをじっと見る動物たちの間を上へのぼって行くと、気のせいかと思うくらい小さく、歌が聞こえた。
俺は上にいる何かが気になって残りの石段を駆け上がる。
「シコク!」
急に駆け出した俺を通すものかと言わんばかりに、石段の終わりに様々な動物たちが立ち塞がる。その向こう、溢れる陽射しの中に見えたのは狼や熊に交ざるリスや鹿。兎も狸も狐も、争うことなく食いあう事なく何かを円で囲んでいる。
歌はその中心から聞こえていた。
『日の出の彼方にまします白よ。
白き息吹は今も我らを清めてくださいますか?
黒き我らの祈りは届きますか?
お姿見えぬ悲しみに、言葉を交わせぬ今の世に、懺悔、懺悔とうたう歌。
白き風吹く陽のもとに、祈れや祈れ、届けや届け』
聞き覚えがある様でどこか違う歌。
その声のなんと透き通っている事か。夏の風が火照った体を癒して天に吹き上げる様な、捉えどころのない夢幻のような声だ。今にも動物たちが俺に飛びかかろうとしている事など忘れて聴き入った。
「抜け!」
団長の怒号に体が反射して意識せず剣を抜く。すると別の声が聞こえた。
「ダメだよ。その人は白でも黒でもないから」
声と共に動物たちの円の中から少年が立ち上がった。
灰色の髪を風に遊ばせ、紫の瞳を真っ直ぐ向ける。その姿はピンと張った糸のような危うさを持ち、雲の自由をも内に秘めて見えた。
「シコク。大当たりだ」
「この子が、セツ?」
団長は頷いた。
「僕のこと探してたんだね」
セツが「通して」と言うと動物たちは一気に散らばり物陰に隠れた。それからセツはパッと蕾が開くような笑顔で手招きをする。
「お兄さん、何か持ってるでしょ? 今日の歌はすごく良く響いたから」
何か、とセツは言ったのに俺は迷わず水晶の短剣を取り出した。
「やっぱりね」
言いながらセツも巾着から水晶を取り出す。磨かれていない原石だ。
「どうして分かった?」
「だって、歌うと向こうの半円に響くでしょ?」
当たり前だとでも言うように、セツは可笑しそうに笑う。
そしてセツはパタパタと走って来て、楽しそうに俺に抱きついた。顔を上げたセツは、俺の左肩あたりを見ている。
変わり者、と言われる理由がこの少しの時間でも分かる。けれど、そんな事は気にならなくなるくらいに美しい少年だ。その瞳が俺の左肩から逸らされないまま言う。
「お兄さん、綺麗だね。綺麗な桃色だ」
「桃色?」
さっきは白でも黒でもないと言っていたし、何のことだか見当もつかない。
「お前の言っている事が分からない。教えてくれ」
「へぇ……そうやって聞いてくれる人は初めてだよ」
紫の瞳が俺を捉えたまま懐に飛び込んでくる。
「僕、お兄さんのこと好きだよ」
「あ、あぁ、ありがとう」
「分からないんだね。僕も桃色なのに」
会話も動きも何もかもが掴めない。
「セツだな? 念のため聞くが歳は?」
「十三だよ」
「ここで何をしてた?」
「逃げてきたの。あんまり色とりどりで気持ち悪くなっちゃいそうだから」
「色? よく分からんが、婆さんが探してたぞ」
セツは俺の腕を掴んだまま答えていたが、団長の言葉に苦い顔をした。
「ちゃんと手紙を置いて来たのに」
「なんて書いたんだ?」
俺の質問に、頭一つ小さなセツは楽しそうに見上げる。
「行ってきますって」
「それじゃあ心配するに決まってんだろう」
団長が溜め息を吐く。
「いつもの事だもん」
ふくれっ面で団長に抗議するセツは、さっきと違って急に普通の子供に見える。何とはなしに頭を撫でてやると、猫のように体ごと摺り寄せてくる。
「ところでオジサンさ、隠し事あるでしょ。お兄さんに」
セツがフッと俺から離れる。団長の手を引いて俺の前まで連れてくると、団長は困った表情をしている。
「え? 本当に何かあるんですか?」
「別に、たいした事じゃないが……」
言い淀む様子で隠し事があると確信した。
「言ってよ。お兄さん知りたがってるから。そしたら帰ってもいいよ、僕」
悪戯っぽく言う様子は年相応なのかもしれない。けれど、その容姿や雰囲気がそれらを夜の虹のように特別なものに思わせる。あまりに妖艶な子だった。
「何でバレたんだよ……まったく」
頭を掻く団長をしり目に、セツは「よかったね」と笑いかける。思わず礼を言ったのだけれど、本当にどうして分かったのだろうか?
――何を見ているのだろうか?
「今回、俺がなんでお前だけを連れて来たのかって話だ」
それは俺の生まれが理由らしい。団長の話は外円に在ったという神官たちの村の事から始まった。
白との親交が途絶えた後も、神官たちの村には災害や流行り病の相談が絶えずあったらしく、神を失った人間たちの支えになろうと必死に応えていたと言う。けれど神を失ったのは神官たちも同じで実際は祈るか体を張るしかなく、困り果てて白側に使いを出した。これを切っ掛けに何かある度に生け贄を出すようになった。
「八年前、その生け贄の一人が腹ぼてで村に帰って来たそうだ」
「それって……」
団長は口には出さず、目で言葉の続きを訴えた。
おそらく生け贄の女性は龍に会い、瞬きのうちに腹は臨月になったのだろう。しかし八年前という事は、セツとは別人の話だ。外円ではよくある話なのだろう。
「その後は詳しく知らんが、それが原因で神官たちは内円へと逃げるように住処を移すことにしたらしい。しかし受け入れられなかったんだ」
その女性が産んだ子を恐れたのか、白の怒りを買わないようにと思ったのかは分からない。けれど、受け入れられなかったのは神官たちが白と繋がりがあると思われたからかもしれない。誰も生き延びる事に必死で、他人を受け入れる余裕がないんだ。
「神官たちは、ひとまず廃村で一夜を過ごそうとしたらしいが……そこを襲われた。火を放ち、そこから逃げ出した者は斬る。俺たち戦士団が到着した時には辺りは火の海で、金になりそうなものは持ち去られている酷い有様だった。お前はその村の唯一の生き残りだ」
あそこは俺の村ではなかったのだ。どうりで何の情報も得られなかったはずだ。
「しかし、もしかしたら俺は襲った側の人間かもしれません。記憶が無いのだから否定はできませんよ」
「忘れちまっただろうが、お前は水晶の短剣を握りしめていたんだ。襲われた神官たちの生き残りに間違いねぇ。そんで神官の血を引くのは、もうお前だけなんだ」
みんな死んでしまったからと、団長は言った。
俺は水晶の短剣を眺めてみる。
「それは元々お前の物だ」
短剣を握りしめてみるけれど何も思い出せない。俺も人の為に、何かを祈ったりしたのだろうか?
「お兄さん神官なんだね。それじゃあさ、僕の話聞いてよ」
セツは真っ直ぐに俺の前に立ち、返事も待たずに話し出した。
「僕ね、見えるんだよ。何がって言うと煙みたいな、霧みたいなものなんだけど。人間はみんな心臓の裏あたりから出てるの」
セツは感情が色付きの煙になり、漂って見えるのだと言う。
忘れてしまった俺が聞いて何になるのだろう。それでもセツの話は続いた。
「黒色は怯えの色。白は攻撃。黄色はうぬぼれ。他にも色はたくさんあるけど、なんの感情なのか分からない色もいくつかあってさ。それでね、僕……見ちゃったんだ。婆ちゃんから灰色と青色の煙が出てるのを」
セツは今にも泣きだしそうだ。
「灰色と青色は何の感情なんだ?」
「青色は悲しみ。灰色は、罪悪感だよ」
俺は暑さと疲れでしっかり思考できていないのかもしれないが、作り話ではないと感じた。まるで懺悔するように、縋るようにセツは話す。
「灰色が罪悪感だっていうのは間違いねぇか?」
団長の問いにセツは頭を振る。
「間違いじゃないよ。何度も見たんだから」
他の人で、とセツは俯く。
見えない俺には分からないが、見たくもない他人の感情が見えてしまうと言うのは確かに逃げ出したくもなるのだろう。しかし、お婆さんの話に関してだけ言えば心配にはなっても、逃げ出す理由になるとは思えない。
「罪悪感と悲しみを抱いていたとして、それが何だって言うんだ?」
「父さんが死んだって、聞いた?」
「あぁ」
団長が訝し気な顔で俺の隣に並ぶ。
「青い煙は婆ちゃんに纏わりついてた。けどね、婆ちゃんから出た灰色の煙が棺桶の父さんを包み込んだの。僕には、煙で棺桶が見えないくらいだったよ」
可哀想に、セツはしゅんと肩を落としてしまっている。一拍おいて胸につかえていたらしい言葉を吐き出す。
「婆ちゃんが父さんを殺したんだ」
「まさか」
団長は、口ではそう言っているけれど目を見開いている。
熱い風が俺たちの間を吹き抜ける。空や花を見るように感情を見るセツと、見えなくて苛立ちながら生きる俺たちとでは分かり合う事は難しいかもしれない。俺にとって感情は吹き抜ける風のようなもの。あるのは分かるけれど掴めない。知った気でいても、何処から来たのかも何処へ行くのかも分からないものなのだから。
「とにかく、調べてみるべきではないでしょうか?」
「そうだな。俺が先に行って調べるから、お前はセツと後から来い」
「分かりました」
またセツが俺の腕に絡みつく。不安なのかと顔を覗き込んでみると、紫の瞳が艶っぽく揺れている。真実味に欠ける話を信じてしまうのは、この現実感のない幼い美しさからだろうか。その歳にしては少し小さな体、小さな手で俺を掴まえる。
「それなら帰るのは明日がいい」
「駄目だ。どこで寝る気だよ」
「ここだよ?」
団長の言葉に、セツは不思議そうに首を傾げる。
「団長。俺が責任を持って明日の朝には村に連れて帰りますので」
「大丈夫だよ。僕お兄さん大好きだから」
たった今まで泣きそうだった少年とは思えないくらい柔らかく笑いかける仕草は、本当に男の子なのだろうか? と思うほど艶めかしい。
「分かったよ。村へは、夾竹桃が咲いていた場所があったろう。そこから来い。何かあれば目印を付けておくから」
「分かりました」
団長が石段を下りて行くとセツは満面の笑みで俺を誘惑する。
「ねぇ明日の朝までに帰ればいいなら行こうよ。向こう側へ」
「行くわけがないだろう。危なすぎる」
「でも知りたいんでしょ? 見たいんだよね?」
あぁ。セツには見られている。必死で隠しても、俺の心臓の裏からは知りたいという色をした煙がモクモクと立ちのぼっているのだろう。
――見ないでくれ。
「僕ね、何度も行ったことあるから大丈夫だよ。見せてあげる」
その言葉はどんな女性の甘い誘惑よりも、まるで羽虫を捕らえる琥珀のように俺をがっしりと掴んで離さない。
「我慢しないで行こうよ」
「分かった。けど少し休ませてくれ。疲れているんだ」
「いいよ。起こしてあげる」
俺は眠ったらしい。
そこは綺麗な丘の上で、屋根のない石造りの舞台と鳥居がある。手入れが行き届いた草木が風に揺れる。俺は夕暮れの赤色の舞台に居て、水晶の短剣を握りしめて膝を折る。ここは百年前の謁見の場だと感じた。
すると、何処からか低く響く声が聞こえる。
「セツと共に境界を進め」
見渡してみても誰の姿も見えない。
「誰だ」
「最後の道はその子が持っている」
その後も、何度も質問を投げかけるけれど返って来るのは同じような言葉。
「セツと共に繋ぎ目となれ」
その言葉を最後に声は聞こえなくなった。
目が覚めると幾億の星が目に飛び込んできた。
「夜か……」
「さっき陽が沈んだばかりだよ」
あの夢は何だったのだろう?
この場所に残る意思か。俺とセツが持つ二つの水晶が伝える何かなのだろうか?
「ねぇ、行こうよ」
「あぁ」
俺は手を引かれるまま石段を下り、境界の森に足を踏み入れる。
「あの子を見失わないように気を付けるんだよ」
セツが指さす先には昼間の白い猫がいた。この猫がセツを何度も白の半円へ案内しているらしい。
「言葉は話せないんだ。百年も経っちゃったから忘れたんだね」
月明かりさえ届かない森の中を、セツに手を引かれて歩く。
「セツ。もっとゆっくり歩いてくれ。これじゃあ暗くて……」
「そう? これだけ見えれば十分だけど。手を離さないで。そうしたら大丈夫だよ」
親の手を握りしめる拙い歩みの子供のような気分だ。これじゃあ、どちらが大人か分からないじゃないか。
「お前には見えているのか?」
「見えるよ」
セツが振り向く。その表情さえ闇の中だ。
「どこへ向かっているんだ?」
「綺麗なところ」
高めの、風鈴のようなセツの笑い声が闇に溶ける。
見えないというのは不安を煽るが、悪い事ばかりではない。見えない分、虫の声や花の匂いが雰囲気を伝える。そうすると生ぬるい風も不快ではなくなる。朝顔が咲き、木にとまる蝉の姿が見えるようだ。
知りたい欲に負けて境界を越えてしまった。ここで襲われても文句は言えない。
上を見上げると、満天の星。たったそれだけの光が嬉しいくらいに夜の森は暗い。しかし段々と目が慣れてきたのか、音を聞いて想像を見ているのか、川の流れがあるのが分かった。
「もうすぐだよ」
水の匂いがする。セツが走り出し、手をつなぐ俺は光の中に引き込まれた。開けた川辺で弓月が眩しいくらいに輝いている。
「こっち」
セツに連れられ川を下流に少し歩くと先が滝になっている。
「静かにね。見て」
低い崖の上から下を覗くと、まるで夜空を見上げているようだった。大きな岩で囲まれた滝壺の周り一杯にキラキラと銀色の光が満ちて、水面で月が揺れる。
「分かる? あそこ。白い大蛇がいるの」
「大蛇? どこだ?」
「あそこだよ。滝壺にお尻のほうを浸けて寝てるでしょ?」
目を細めて探すと波紋が途切れている場所がある。岩だと思っていたのは、全て大蛇の体だったようだ。そいつは蛇と呼びたくないくらいの、熊だって丸飲みにしそうなほどの大きさだ。これが白なのかと、恐怖よりも何よりも知った嬉しさで頬が緩む。
「この光は大蛇の寝息なんだよ」
「寝息?」
「そうだよ。口から出てるでしょ?」
「本当だ……」
ふぅぅ、ふぅぅと舞い出す光は白の持つ不思議な力を感じさせる。
「龍はもっと大きいのだろうか?」
「龍?」
しまった、と思った時には口から出た後だった。けれどセツは「会いたいね」と笑っただけだ。いつか会えるだろうか? 百年前のように話をすることなど出来るだろうか?
出来たならいいのにと、この光を見ていて思う。
俺たちは大蛇を起こさないように注意しながら、また猫に案内されて元の謁見の場へと帰る。鳥の羽ばたきが聞こえると、あれも白い鳥なのだろうかと胸が高鳴った。
俺は知らなかっただけなのだろう。知ればこんなにも会いたくなるのに。けれど怖さもある。白い彼らがただ美しいだけではないと分かるから。牙を剥けば人間なんて、ひとたまりもないだろうと分かるから足がすくむ。
『セツと共に繋ぎ目となれ』
夢で聞いた言葉を噛み締める。
翌朝、夜が明けると俺は嫌がるセツを連れて村の夾竹桃の咲く場所まで来た。
なにか目印が無いか探していると、幹に青い羽根の矢が刺さっていた。間違いなく団長の使っている矢だ。
「目印、あったんだね」
「あぁ」
それ以上なんと言っていいか分からず、無言でお婆さんの家へ向かう。あの人がセツに何かするとは思えないが、用心するに越したことは無い。俺はセツの手を離さず背に隠すように歩く。
今日はそんなに朝早すぎるという事は無いのに、昨日と同じで誰にも会わない。お婆さんの家の前に着いたけれど、ここも静かだ。
「団長?」
玄関の戸がすっと開いた。
「来たか」
「あの……お婆さんは?」
目印があったのだから、何か予想外の事が起きたのだろう。静けさが不安を煽る。
「心配するな。目印を付けたのは肯定の意味だ」
団長は顎でセツを示した。
重い足取りで中に入ると、昨日と何も変わった様子のないお婆さんが座っている。
「ただいま。婆ちゃん、ごめんね」
「無事ならもう良いわ」
部屋を静寂が包み込む。それを破ったのはお婆さんだ。
「十日ほど前、村人たちが内円に移り住むため村を出ましたのじゃ。ワシとセツは残る事にしました。息子は付き添いで行き、皆が落ち着いたら戻ってくると言っておりましたが、次の日でした。息子は一緒に行った村の男を支えながら戻ったのです。山賊に襲われたそうですじゃ。息子は武術が達者でしてな。山賊どもを追い払って村人たちに先を急がせました。ですが息子とその男は怪我をして村へ戻ったのです。男の方は間もなく息を引き取りました。真夜中じゃった。息子の方も毒を受けた様でしてな。酷く苦しんでおり、ワシに死にたいと訴えるのです」
だから銃で息子を撃ったと、お婆さんは言った。
「本当の事は言えませんで、銃の手入れの最中に暴発したとセツには伝えました」
すまなかったな、と謝るお婆さんの言葉にセツは首を横に振る。
「婆ちゃん悪くないよね? お願い、何もしないで!」
セツが団長に詰め寄り、団長が眉をひそめて頭を撫でる。
「ここが区切りじゃ。セツはあなた方に預けますで、ワシを連れて行って下さらんか? それが安全じゃ。城の牢にいるのならセツも会いに来やすいじゃろう。良いな、セツ」
「……このお兄さんと一緒ならいいけど、婆ちゃんは牢に入れられるの?」
「そんな事はしないから安心しろ」
団長が笑った。
セツはお婆さんの少し左をじっと見ている。
「知りたがりのお前さんに、百年前の話をしてやろう。百年前、とある選ばれた巫女がいつもの様に龍のもとへ行くと、龍同士が食いあいの喧嘩をしておったそうじゃ。その様子はあまりに恐ろしく、巫女は怯えきって人々のもとへ駆け戻って武器を取り、民を守らねばならぬと言った。その様子を見てしまった龍が怒ったと言うのが真実じゃ」
手に入れた真実は、白と黒だけでは判断できない物だった。
「事実を知った気分はどうじゃ? 歯痒かろう。何も出来ぬのなら、知らぬ方がいい事もある。しかしお前が全ての事実を知りたいと言うのなら、境界を進むのが良いじゃろう。そこでしか見えない物が多くある」
真実を知り、俺は無力感でいっぱいだった。それでも知りたい。その衝動だけは止めようがないんだ。それに夢の事もある。夢の声は確かに『セツと共に境界を進め』と言った。
「団長、セツを連れて旅に出たいのですが……」
「最初からそのつもりだよ。貴重品もって来いって言っといただろう。お前に外円調査の任務を与える。定期的に報告をよこせ」
俺が頷くと、セツが言う。
「楽しそうだね。いいよ。僕も行きたい」
お婆さんはお咎め無く、ただ語り部として招く事にすると団長はセツに約束した。
俺はまだ何も知らない。知ったところで何も出来ないとしても、知っていれば繋げられる縁もあるかもしれない。いつか半分じゃない世界がくると信じて、俺は境界を進もう。
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