第19話 鑑定の色

 翔の目を覚ましたのは、くちゃくちゃと何かを口に頬張り雑に食い散らかすような不快な音だった。いくら食い意地が張っているリーフェでも流石にこのようなマナーのなっていない食べ方はしない。


 では、一体誰が。


「あ、ショウさんっ。大丈夫ですかっ?」


「リーフェさん……、ここは……?」


「ステラさんの工房です。あの後ショウさんは気絶されて……」


 と、翔の覚醒に気づいたリーフェが言った直後に思い返される気絶する前の翔の記憶。振り乱される紫色の長い髪と到底人とは思えないほどの眼光の女性が足元から這いずり上がってくる蛇蝎磨羯の類であるということを。


 油の指していないブリキの人形でもそのような動きをしないだろうというほどのカクついた動きでいまだにくちゃくちゃと音を立てながら何かを食らっている者の方へ首を三十七度右に向けた翔。そこにいたのは、薄暗いシルエットでしゃがみこみながら本日のお弁当であるサンドイッチが入ったバスケットの中身を漁り貪り食うもの姿。


 それは一瞬、サンドイッチを食らう手を止めて翔の視線に気づいたのかグルリと首を後ろに百八十度回転させその視線の先の正体を凝視する人間の姿。


「ヒィっ」


「君か……、君かぁああああアアアッッっっ!」


「ギャァああああああアアッッ!」


 再び蘇る最悪のファーストコンタクト。まるで女性のような悲鳴をあげた翔はすぐさま腰に装備してある剣を引き抜こうと弄るが、剣が外されているのかどこにも見当たらない。そんなことをしている間にも、目の前で這いずり寄ってくる謎の人間は徐々に近づいてくる。


 もはや為す術もない翔は壁に背中を預け、失禁する覚悟でいた。


「君か……ぁ?」


「……えぇえ?」


「君かぁ……? この食事を作ったのはぁ?」


 突然の問いに翔は首が捥げる勢いで首を縦にふる。その回答を聞いた彼女は呻き声にも似た感嘆の声を漏らし始める。同時に翔の意識もまたフェードアウト寸前にまで持っていかれるが、それはマヨネーズで湿った手で翔の両手を握ったことによって引き戻される。


「あ……」


「あ……ぁ?」


「ありがとうっ! 君は命の恩人だっ!」


 彼女に感謝されるのとリーフェが彼女に向けて拳骨を放ったのは全くの同時であった。


………………………………………………………………………………………………


「いやいや、驚かしてしまってすまなかったねぇ。私の名前はステラだ、ステラ=ウィオーラ。どうぞよろしく」


「こ、こちらこそ……」


 部屋は先ほどとは比べ物にならないほどに明るくなり、太陽の光を取り入れた一室には様々な実験器具やら工作道具が立ち所に並んでいてまるで夕方の理科室のような雰囲気が漂っている。そして、そんな一室の真ん中で身だしなみを整え、さきほどの埃の化け物から人間へと戻ったステラが片手を差し出し握手を求める。身長はさして高くないが、決して低くもない。年齢は言動を見ても決して若い者ではないが、見た目は二十代後半といったほど、顔立ちはどこか線が細いように見えるが、何を考えているかよくわからない不思議な顔立ちをしている。


「今一色 翔です」


「ほう、変わった綴りをするのだね。イマイシキか……」


 マジマジと翔の体と握手をしてきた手を観察するように弄るステラ。先程まではホラーの様相を醸し出していたステラの腰ほどまでの長さの髪は後ろでひと束に纏められ、今は素顔が見えているが翔の観察をしている紫色の両目は先程までの死人のそれとは違いキラキラと輝いているように見えた。


「ステラ。こっちの片付けは終わりましたよ」


「お、アルステイン。お疲れさまぁ」

 

 部屋の一室から出てきたリーフェは両手に洗濯物の山を抱え戻ってきた、だがそのほとんどが白衣のようなもので、普段着や女性らしい服というのは一切見えない。戻ってきたリーフェにヘラヘラと手を振るステラだが着ている白衣の下には季節外れのほつれが酷い黒い毛糸のハイネックセーターを着ていた。


 リーフェが奥で入れてきたであろうお茶を翔とステラの前におく。カップとソーサーは全くもってバラバラではあるが淹れた紅茶の味が変わるわけではない。一口に含むと先程までの興奮が紅茶の温かさと相まって徐々に解けていくのがわかった。


「フゥ……、相変わらず紅茶を淹れるのが下手だねぇアルステイン」


「そう言うなら飲まなくてもいいんですよ〜」


「マズイから飲まないなんて道理はないんでね。ありがたくいただくよ」


 そう言いながら嬉しそうに紅茶を飲んでいるステラを見ながらその全くもってつかみどころのない人柄に翔は半ば警戒心を隠せないでいた。


 そんな翔の様子に気づいたのか、ステラは一気に紅茶を飲み干すと細い指先を顔の前で合わせその指の間から観察をするように翔の顔をジッと見始める。


「……君は、私のことをどのように思うかな?」


「え……、というと」


「インスピレーションというやつだよ。率直に言ってもらって構わない」


 まっすぐと向けられる鋭い視線から翔は目をそらすことができない。その質問の真意が一体どのようにあるのかはわからないが試されていることはよくわかる。何か世辞を言うべきなのか。だが、その目はそんな世辞を求めているようなものではない。


「……、よくわからない人だなと。掴み所のない人だと思います」


「ほう、君は世辞の一つでも言うタイプかと思ったが?」


「そんなもの。あなたは求めていないでしょう?」


 果たしてこの回答であっているのだろうか、何かを彼女に求めているわけではないが妙なプレッシャーが翔の額から冷や汗を流させている。しばらく、気の抜けたような時間が流れた。

 

 だが、その空気もまた気の抜けたような笑い声によってかき消された。


「ハハハハっ! ヒィ〜、いやぁ〜面白い奴を連れてきたねぇアルステイン」


「ショウさんはいい人ですよ。あまりからかわないであげて下さいね」


「ヒャハハハハァ〜。いやぁ、こいつ見えてるものを見ないくせに。見えないものをしっかり見てるなんてアベコベで実に面白い奴だ。気に入ったぜ? イマイシキよ」


 困った顔をするリーフェ、そして一人で勝手に盛り上がっているステラを怪訝な表情でみる翔は、絶対にこの人とは仲良くなれない自信があると思っていた。


 一頻り笑った後、新しく淹れられた紅茶を一気に飲み干し「うん、マズイっ」と大きくステラが言ったことでようやく一段落つき、リーフェが翔の隣に座る。


「さて。本題に入ろうか、アルステイン。今日はお茶だけをしに来たわけじゃないんだろう?」


「もちろんです。今日はこちらのショウさんの剣を鑑定してもらいたくて来たんです」


「ほう……、君の剣か」


 ステラは翔の腰のあたりをジロジロと見回すが剣は現在所持していない。それを見かねたのかリーフェは近くの長テーブルの上から何かを取り出すと翔に差し出す。それは紛れもない、翔が身に付けていた、件の鑑定品の剣である。


「なんだ、そっちの剣か。別に違う方でもよかったんだがね」


「え?」


「いや、アルステインにはまだ早い話だったか。もっとも、君のお連れさんは意味を理解しているようだがね」


 そう言ってニヤニヤしながらステラは気恥ずかしそうに下をうつむいている翔を見るが、リーフェには何を言っているのかわからず、ただただ不思議そうに二人を眺めている。話は振り出し、ようやくステラは翔の持つ剣を見始めるが、その様子は先程までのふざけていたそれとは違い、まさに職人というべき眼光の鋭さと真剣さがその表情に表れていた。


「だいぶ古い、実戦用で作られている剣だが鞘の装飾が派手だ。おそらく騎士団長クラスの人間が持つ代物か、貴族の……、いや。それは違うな、であれば持ち手をこんな雑に作りはしない……」


「ということは、これ結構高いんですか?」


「ん? 君はこれを金に変えたくてここに来たのか? イマイシキ」


「え……、いや……」


「モノの価値を金銭感覚で測るような奴は心が貧しい証拠だぞ、もっと色んなものを見てこい」


 視線を剣から外さず、そのように受け答えをするステラの言葉は酷く重かった。確かに、それは様々な物の価値と質を見極めた者の言葉の深みであると翔は感じた。しかし、ステラの表情はあまり冴えない、まるで蛇に睨まれたような険しい顔つきで剣と向きあっている。


「ふむ……、でもこのままでは埒が明かないな。一回のぞいてみようか」


「ステラ。その、今日はお代は……」


「ん? そうだなぁ、銀貨四枚と銅貨二枚。と、言いたいところだけど久しぶりに美味しいご飯とマズイ紅茶が飲めたんでね。チャラにしてあげるよ」


 そう言いながらステラは翔の膝の上から鑑定品の剣をひょいと持ち上げヒラヒラと振り回しながらリーフェの言葉を軽く去なす。互いに顔を見合わせた後、翔とリーフェは前を歩くステラの後を追いかける。


 実験室にも似た部屋の中で、一際異色な空気を放っている机。それは長机には変わりないのだが、机に彫り込まれているのは様々な種類の文字と様々な形をした魔法陣で並べられた触媒と思しき様々な素材が端に並んでおり、まるで黒魔術でも行うかのように不気味だった。


「それじゃお二方。こいつ付けろよ、良いというまで外しちゃダメ」


 そう言ってステラが後ろの二人に投げたのは、目を保護するための皮とガラスで作られた安全メガネだった。彼女に言われた通りに大人しく安全メガネを身につける二人、視界はあまり良くないが確かに目は守られているという気はする。


 安全メガネをかけ準備を終えた二人、その二人の目を覆うようにステラの手の平が重なる


「よし、そんじゃ始めますかね」


 後ろの二人を確認し、ステラがテーブルの上においた剣の上に手を乗せる。その瞬間、机に掘られた魔法陣の一つ一つの溝に発光する紫色の液体のようなものが流し込まれ徐々に剣とステラは淡い紫色の光に包み込まれてゆく。


『一切合切包み隠さず、私に見せろ』


 理不尽にも思えるいい加減な詠唱をステラが唱えた瞬間、紫の光は一瞬弾け飛んだかと思うとその光は先ほどまでの激しさを失い、ステラの手元に光の球体となって留まっている。


「ほぉ……、お二方もこっちに来て見てみろよ。とても面白いものが見れるぜ」


 まるでいたずらっ子のような不敵な笑みを浮かべてステラは二人の方へと振り返る。恐る恐るステラの背後から覗き込むように机の上に乗っている剣をみる翔とリーフェ。


 そこには、ステラが照らす紫の光で剣の中身を透視している光景だった。


「すごい……」


「すごいだろ。私だけの専売特許魔術だ、ほかの連中には絶対真似できない」


 思わず零した翔の一言に誇らしげに反応するステラ。翔の目の前に広がる不可思議な光景は、まるで動画で動くレントゲン写真のようだった。思わず、ステラの光が当たる場所に翔が手を伸ばすと、今まで見たことのない自分自身の手の骨が透けて見ることができた。


「にしても、君。中々に面白い剣を持って来てくれたじゃないか」


「え?」


「この剣、よく見てみろ。中に線が走ってるだろう」


 ステラが剣の刀身に当たる部分に光を当てる。すると、透けた剣から浮き出て来たのは刀身を幾重にも走るまるで電子基板のような木の枝のように細かく広がる直線のようなものの数々。普通であれば、剣や刀にこのような構造は存在しない。このような構造をすれば、確実に剣の耐久は落ち折れやすくなってしまう原因となる。


 一体何のために。


「この剣はな。魔剣製造第一世代の代物で間違い無いだろうさ、まぁわかりやすく説明すれば。魔剣なんていう空想上の産物を本気で作ろうとしていた時代の骨董品ってわけさ」


「それは……、何年前の?」


「さぁ、多分だが千、二千年前じゃ効かないくらい古いものだ。こうやって形が残っていること自体奇跡のような途方もなく大昔のものだ」


 今更そんな恐ろしく昔の剣を使っていたという事実に翔は空いた口が塞がらない。同時に、リーフェもまた頭の整理が追いついていないと言わんばかりの難しい表情をしている。


 もし、仮にステラのいうことが本当だとするのならば、この剣を手に入れた状況がより一層不可解に感じる。百歩譲って、誰かが捨てた安物の剣だというのならば話の辻褄は合いそうなものだがそれが数千年前の化石のような剣だというのなら話があまりにもおかしい。


「ふむ……、どうやら名前が刻まれてるみたいだな。見たことのない文字だ……」


「……」


 ステラが顎に手をやり考え込む。その横でリーフェも覗き込んでいるが、ステラがちょうど光を当てているのは剣を持つ持ち手の部分である。そこには元々この剣に付いていたボロボロになっている皮のグリップが巻かれているのだが、光が照らされ透けているその部分には確かに文字のようなものが彫られていた。


 全員が首を傾げている中、翔だけがグリップを深く覗き込むように顔を近づける。


「パレット……ソード……?」


 ふと、翔が口にした言葉。


 長らく正体不明の剣の名前が判明した瞬間だった。

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