第16話 日常の色

 ガルシアとの戦いの後、翔が目を覚ましたのは一日経った後のことであった。まず始めに目を覚ました瞬間目に飛び込んできたのは、ひどく心配そうな顔で手を握っていたリーフェの綺麗な顔と申し訳なさそうに頭を掻きながら苦笑いを浮かべているガルシアだった。


 全身打撲、切り傷、擦り傷。全治一週間程度の怪我で済んだのは幸いだった。だが、それ以上に酷かったのは全身の筋肉痛で、体を起き上がらせるのも一苦労であり動こうとするたびに全身に電気が走るような痛みが二日ほど続いた。その間、看病としてギルドの仕事と並行してメルトとリーフェが翔の様子を見に来た。


「どうだ、もう動けるようになったか?」


「はい、なんとか……」


 そして、目が覚めて三日経ったこの日はガルシアが翔の部屋へとやってきた。少しだけ筋肉が引きつる痛みをこらえて上半身を起こす翔。ガルシアの両手には見舞いの品としてフルーツの入った籠のようなものが握られている。


「改めて、申し訳なかったな……。これは心ばかりの詫びの品だ、受け取ってくれ」


「すみません、こちらこそ……美味しそうです」


 籠を受け取り、ベットのそばに置かれた小さな棚の上に置いておく。その間にガルシアは壁に寄せてあった椅子を手に取り、翔のそばに置いて座るとあたりをキョロキョロとし始めた。


「にしても、この部屋。今はショウが使ってるのか」


「え? ガルシアさん、ここ使ってたんですか?」


「まぁ。金がないとき、リーフェさんの家に居候してた時期があってな。昔はここに小さい花瓶があってな、庭の花を毎回飾ってくれてたんだ」


「そうなんですか」


 意外な事実だった。ガルシアとリーフェの接点といえば怒り怒られる上司部下関係以外の何物でもないと翔は思っていたが、まさかこのような接点があったとは思いもよらなかった。少しだけ意外そうな表情をしていた翔を見て、苦笑いとどことなく気恥ずかしさの混ざる表情を浮かべるガルシア。


「さて。今日来たのはお前さんに謝る以外にもしっかりあってだな」


「はい」


 すると、ガルシアが懐から一枚の用紙とペンを取り出し、それをテーブルの上に置く。サッと見たところでは何かの契約書であることがわかった。


「この前の一件でお前さんの技量を見て判断した結果、ギルド長権限で優遇措置をとりたいと考えている」


「優遇措置……ですか」


「あぁ、簡単に説明すると。冒険者にはランク付けが存在して、それに応じた仕事や依頼をギルドが提供するシステムになっている。通常であれば、入りたての冒険者は全員Eランクからのスタートだ。だが、明らかに技量がEランクを凌駕するものである場合は、それに応じたランクを入った段階で与えることができる」


 先程までの哀愁漂う眼差しから、真剣な眼差しで翔を見据えるガルシア。まさに有無を言わさない雰囲気だが、説明を聞いて思うところがあるのも事実だ。口元に手をやり、無言になる翔。


「……ちなみに、ランクはいくつからスタートになるんですか?」


「Cランクからだ、主な依頼内容はゴブリンなどの小型の魔獣の討伐。イニティウムではあまりないが、要人の護衛任務なんかも時々ある。お前の技量ならば問題がないだろう」


「……」


 技量がある、だからこそこのようにガルシアから話を持ちかけられている。


 技量だけはある、だが精神力は? 


 果たして、自分はこの措置に見合うだけの人間なのか。


 それに出せる自分の答えは、当に知っている。


「ガルシアさん、このような話を持って来ていただき。ありがとうございます」


 まずはこのような話を持ち込んでくれたガルシアに感謝の意を、こんな話は滅多に出ないのだろう。ガルシアの表情をみればよくわかった。自分を信じてくれてのことだ、決して他意があってのことではあるまい。


 だから、正々堂々。深く頭を下げる。


「申し訳ありません、そのお話。断らせていただきます」


「……当然ながらしっかりとサポートをするつもりだ。もちろん、段階を踏まなくてはならない知識や技術もギルドが責任を持って協力をする。それでも、断るのかな?」


 少し翔の回答に驚いた様子のガルシアだが、それでも真剣に優遇措置を勧めて来る。本来であればこんな話を逃す手はないのだろう。


 だが、それでも。


「ガルシアさん、俺。親父に何度もぶっ叩かれながら剣術をようやく身につけたんです。七歳の頃から休みなく、本気で。本気で死ぬかと思った時もあります」


「……」


「でも、地道に。自分なりにやって来たつもりです。今回もそうします。地道に、自分なりに冒険者やっていくつもりです」


 最初から何でもできたわけではない。今回だってそうだ、いきなりなんでもできるわけではない。ならば、地道にやるしかない。それに、最初から始めるのは決して苦ではない。昔なら考えられなかったが、今ならきっと楽しいはずだ。


 答えを聞き、しばらく固まった様子のガルシア。だが、その言葉の意味を理解するように、数度瞬きをした後、優しい表情に戻り大声で笑い始めた。それは、一人用の部屋の狭さにはあまりにも大きく、気持ちよく響く笑い声だ。


「ハァ〜、頭が硬いんだか。謙虚なんだか。わかった、お前の考えは十分理解した。では、通常の登録で構わないのか?」


「はい。すみません、お手数をおかけして……」


「いいんだ。それが俺たちの仕事だ」


 ドアをノックする音。それを開けて入って来たのはリーフェだ。どうやら先ほどのガルシアの大きな笑い声に驚いて入って来たらしい。


「ガルシアさん、どうしたんですか。急に……」


「いやいや。なんでもないさ、それよりも。ショウは措置を断るそうだぞ」


「え? そんな、ショウさん。これは本当に珍しいことなんですよ、もう一度考え直されてみては……?」


 ガルシアの言葉を聞き、驚くリーフェ。だが、その答えに翔は静かに首を横にふる。「いいんですと」一言添えて応えるとガルシアは「言った通りだろ?」と言わんばかりの表情をリーフェに向けると、小さくため息をついてリーフェは翔の両手を握る。


「え? リーフェさん」


「ショウさん、私たちが。きっと、貴方が優秀な冒険者になれるよう全力でサポートを行います。どうか、これからも改めて。よろしくお願いします」


「……はい、これからもよろしくお願いします」


 優しさという暖かさが両手に広がる。それは、どこか恥ずかしくて安心するような。母親のいた経験はないが、これが母親のいる暖かさとでもいうのだろうか。しばらく赤い顔しながら俯き固まる翔、しばらくして見るに耐えかねたガルシアが軽い咳払いをした。


「あ……」


 とっさに手を離すリーフェ、恥ずかしさのあまり両手で赤くなった顔を覆い俯く翔。


「さて、ショウ。今日、何か予定あるか?」


「え? いや、特には……」


「そうか。なら、今日は全快祝いも兼ねて俺が奢ってやろう。いいか?」


 どことなくガルシアの表情が険しく感じた翔、それに一切気づかないリーフェ。ガルシアは翔の肩に手を回し、バシバシと叩きながら先程と比べ物にならないほどの威圧感と有無を言わさない空気を醸し出している。


 これはまずい、と思った瞬間。まさに天啓とも思える考えが翔の脳裏をよぎった。


「そ、そうだ。今日は自分がみなさんに料理を振るうというのはどうでしょうか?」


「え……でも、ショウさんは病み上がりですし無理は……」


「大丈夫ですよ。それに、今まで皆さんにはお世話になっていたんですから。せめてお礼をさせてください」


「でも、せっかくガルシアさんからたっぷり絞れると思ったのに……」


「……え?」


 急に飛び出したリーフェの発言に目が点となる翔とガルシア。確かに、食べる量は凄まじいリーフェ。食事を奢ろうものならば、財布の中身は一瞬で空になるだろう。しかし、もちろんガルシアの善意という名の犠牲を有効活用する方法はある。


「で、では。今日使う食材はガルシアさんに奢っていただくということで。任せてくださいリーフェさん、そんじょそこらの店には絶対出せない料理を作って見せますから」


「ショウさん、大好きですっ!」


 まさに目がハートになっているリーフェ、そして目の光がだんだんと失われてゆくガルシア。流石に気の毒に思い始めた翔だったが、一応こんなのでも上司になるわけで助け船の一つでも出しておくのが気遣いというものだろう。


「では、自分は下準備をしますのでガルシアさん。リーフェさんに付き添ってあげていただけますか? 多分すごい量になると思うので」


「……まぁ、いいけど。別に、一緒じゃなくてもいいけど。ショウがいうから仕方なく行ってやるだけだからねっ」


 なんともおっさんの汚いツンデレを見てしまったが、これでガルシアの面子も保たれたはずである。


 そうなれば、次はレシピである。翔は、大人数相手の料理を作った経験はないわけではないが、それは慈善活動の炊き出しとかであり親しい中にある友人らを招いて料理を作った経験はない。となれば、次に考えるのは自分自身が他人に呼ばれて振る舞われた料理の中で嬉しかったものを考えるべきだろう。


 熟考二分ほど。


「……では、これで行きますか。リーフェさん、材料を指定しますのでメモの準備をお願いしてもいいですか?」


「わかりました、すぐに持ってきますねっ」


 早足に部屋から出るリーフェ。よほど嬉しいのか、浮き足立ったままどこかに飛んで行ってしまいそうな雰囲気である。そんなリーフェの後ろ姿を眺め、ガルシアと翔は顔を見合わせて思わず笑ってしまった。


 数秒と経たぬうちに足早に帰ってきたリーフェ。戻ってきた細く尖った耳をヒョコヒョコと小刻みに動かしながら真剣な眼差しを向けるリーフェに早速、翔は材料と分量を指定し伝える。材料の種類はそこそこに、分量はかなり多めに。全体の総量を考えれば軽く五人前は作ることが可能だろう。


「あと、すみません。できればなんですけど、是非メルトさんも誘ってきていただけるとありがたいです。彼女にもお世話になりましたから」


「えぇ、もちろんです。しっかりとメルちゃんにも伝えておきますね」


「お願いします。では、腕を振るわせていただくとしますかっ」


 勢いよく立ち上がり、肩をぐるぐると回す翔。キッチンに向かい、両手を握ったり閉じたりを繰り返し今まで寝ていた体を起こすように順番に動かしてゆく。そんな翔の姿を横目に、玄関から出てゆくガルシアとリーフェ。二人であればしっかりと材料を揃えてくれるだろう、一応ではあるがこの世界にあるものを使って地球の料理を再現するつもりだ。


 作る料理は、翔が高校生になって人生で初めて呼ばれた友人の誕生パーティーに出された料理だ。そのあまりの美味しさに思わず食い入るようにレシピを友人の母親に聞いたのは記憶に新しい。だが、そんな日常や非日常はすでに遠く、どこかに行ってしまった。


 自分は、帰りたいのか。


 野菜を切っていた手の動きが止まる。


「帰れるのなら……、それは……」


 と、考えたところで思い留まる。帰ったところでどうにかなるのか、地球に戻ってもあるのはアルバイト漬けの日々と道場の運営という二重生活、今以上に自由を感じられた瞬間などどこにもない忙しく、寂しい日常だった。


 だが、今ここには自分を慕う人間がいる。信頼する人がして、期待をしてくれる人がいる。


 一日一日がひどく彩り豊かで暖かい。


 そしてそれは、とても離れがたい。


「……もう少しだけ、ここにいても」


 バチは当たらないだろう。


 玄関から物音がする。すでに下準備は終えていつでも料理にする準備はできている、翔は軽く片付けを行って出迎えるべく玄関へと向かう。少しだけ楽しそうな話し声が扉の向こう側から聞こえてくる。


 ゆっくりと玄関を開けるとそこには三人の姿が。


「おかえりなさい、皆さん」


 この日常で生きよう。


 彩りのある、この日常で。

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