第13話 無色の色
いたって平和なギルド、イニティウム支部。その受付の椅子には名物看板敏腕受付嬢エルフのリーフェ=アルステインではなく、猫耳、巨乳、ドジっ子という三拍子が揃った期待の新人受付嬢メルト=クラークでもない。そこには無精髭を生やし、顔には傷と腫れを治すための薬草を染み込ませた布を左手に持って仏頂面で当てているギルド長、ロード=ガルシアの姿があった。
「今日も今日とて平和だねぇ、メルトちゃん」
「あ、布。交換しますね」
「お、サンキュー。メルトちゃん」
穏やかな日差しが入り込むギルドの受付。客がこなければ特にすることのない二人は受付と待合を占領してティータイムと洒落込んでいた。
「そういえば、あの二人遅いねぇ」
「そうですねぇ。もしかしたら魔力検査っていう程で。実はデートしていたり」
「う、嘘ぉっ! どあっチャァっ!」
メルトの言葉にガルシアが大きな声を出しながら思わず立ち上がる、その拍子に右手に持ったカップからこぼれ出た紅茶がガルシアの足に掛かりさらに大騒ぎである。一悶着あり、新たに薬草の染み込ませた布と新しいズボンと新しい紅茶を淹れなおして、仕切り直し。
「な、なんでそう思うのかなぁ。メルトちゃん?」
「だって、先輩も若くてカッコいい男の人がいいに決まってるじゃないですか。それに今ショウさんは先輩の家にお世話になってるはずですよね?」
「そ、それはまぁ? 俺が指示したことだし?」
動揺のあまり震えるガルシアの右手に淹れたばかりの紅茶が再び溢れそうになる。震えたままの手で紅茶を口に運ぶガルシア。歴戦の冒険者として、数多くの魔物と渡り合った彼であったがどうやっても苦手な分野というものが存在する。
「ガルシアさんも早く素直になればいいのに……」
「だ、だってぇ……俺、無精髭の汚いおっさんだしぃ? それにぃ、あくまで俺はリーフェさんの上司でぇ……」
「ガルシアさん……このままだと、取られちゃいますよ。先輩、ショウさんに」
ガルシアが口に含んだ紅茶は、本来向かうべき場所へ向かわず人体の入ってはいけない器官へと入り込んでしまう。そして、セットでついてきた『むせる』という生理現象でさらに一悶着。
仕切り直し。
「そういえば、ガルシアさんと先輩が知り合ったのっていつの話なんですか?」
「ん? そりゃ……何年前、いや。何十年前だったか……まぁ、話せば長いよ。うん」
メルトは、先ほどまでの慌ただしい雰囲気とは違い。どこか懐かしげな、またはどこか寂しげな面影をしているガルシアの表情を珍しげに見ながらグラスに入ったアイスティーを口に含む。
「それに、あの人は。俺のことを、手のかかる弟か息子みたいに思っているんじゃないかなぁ。俺なんか、あんな綺麗な人と不釣り合いだよ。うん」
「……あ、もしかしてショウさんを先輩の家に泊めさせた理由って」
と、メルトがガルシアの様子と言動から察した憶測を口にしようとした瞬間だ。おもむろにギルドの入り口をジッと見つめるガルシア。思わず口に出ようとした言葉を飲み込み、メルトも同じくギルドの入り口を見つめる。
しばらくして、ギルドの入り口から人の近づく気配とともに。カランと扉のベルから軽い音を立て一人の人物が入ってきた。
「おかえりなさい、リーフェさん」
「ただいま戻りました。ギルド長」
入り口と待合ロビーで言葉を交わす二人。そんな二人を眺めて、案外お似合いにも見えないのにとメルトは思って困ったような笑みを浮かべながらグラスに入った残りのアイスティーを飲み干し、空になったグラスを下げるのと同時に帰ってきたリーフェの分の紅茶を淹れようと立ち上がる。
だが戻ってきたリーフェの顔は普段見せる穏やかな表情ではなく、何処と無く険しい。
その空気感をいち早く察したのはギルド長、ロード=ガルシアである。
「リーフェさん、ショウはどうしたのかな?」
「彼には先に帰宅するように指示をしました」
「なぜ? 一応この後の流れでは彼に自分の持つ色の魔力と向き合うための講習があったはずなんだけど?」
リーフェの分の紅茶を淹れようとしたメルトの手が止まる。先ほどまでの穏やかな空気は一転、一気に糸を張りつめたような緊張感のある空気に変わる。ガルシアとリーフェが違いを見つめあい、しばらくの時間が流れた。
「……正直に、言いますと……。想定外の事態が起こりました」
「彼に何かあったのかな? 魔獣程度なら、ナイフ一本でも貴方なら十分に対応できたはずでしょう?」
ガルシアの声は冷たい。先ほどまでの惚けた中年男性の姿はそこになく、リーフェとガルシアの間にはただ上司と部下の関係が冷徹に敷かれているのみである。
「いえ、魔獣などでは……、彼自身に問題が」
リーフェはそう言いながら、腰についているポーチから何かを取り出すような仕草をする。メルトとガルシアの二人はその様子を眺めるが、リーフェの手に握られたものを見ることができない。何かを取り出し、リーフェは待合ロビーに置かれたガルシアの目の前にあるテーブルの上にそれを置く。
「……これは?」
「これが、彼の魔力検査の結果です」
「……何もないように見えるが?」
「手に取って見てください、しっかりとそこにあります」
リーフェに言われた通り、ガルシアはゆっくりと机の上に手を伸ばす。何もない虚空をつかんだように見えたが、だがガルシアはその何もない虚空をつかんだようにメルトは見えた。そして、その存在を確かめるように、ガルシアもまた顔にシワを寄せながら手に持っている何かを窓からそそぐ日差しに透かしたりなどを繰り返している。
「……これは、無色か?」
「はい、無色です」
眉一つ動かさないリーフェの表情に、眉をひそめたのガルシア。
そんな張り詰めた空気を破ったのはメルトだった。
「先輩、その。お茶、飲まれますか?」
状況は十二分にわかっている。だがそれ以上に、この空気感に耐えられなかったのはメルトだった。メルトの差し出した紅茶をジッと見つめるリーフェだったがようやくその表情に緩み、肩に入った力が抜けていった。
「……ふぅ、そうね。メルちゃん、ありがとう。いただくわ」
メルトの差し出した紅茶の入ったカップを受け取ると、ガルシアの目の間におかれた椅子に座る。リーフェは紅茶を一口含みながら、今だに険しい表情をしているガルシアを見つめる。そんなガルシアの前にメルトは紅茶の付け合わせのスコーンをゆっくりとおく。
そして、それを合図にするように。ガルシアは手に持っていている何かをテーブルの上に置くと大きくため息をついた。
「……無色か……」
「そうですね。私もまさか生きているうちに目にするとは思いませんでした」
「……聖典なんて、大昔に読んだきりだったが。あれ、どんな内容だったっけか?」
ガルシアが額に手を当てながら尋ねるように聞くと、リーフェは静かに立ち上がり待合ロビーにおかれた小さな本棚から一冊の読み込まれてボロボロになった古い本を取り出し持ってくる、そしてページをめくりながら書かれている文字を細指で追ってゆく。
「あ。ありました、無色に関する記述が」
「読んでくれるかな、リーフェさん」
「はい、わかりました」
額から手を離し、体を乗り出すようにして聞こうとするガルシア。それにつられ、メルトもまたテーブルのそばに椅子を持ってゆき、ガルシアのように崩した座り方ではなく背筋を伸ばし椅子に座る。
『……この世界に、二つのものあり。持つもの、持たざる者である……』
そんな出だしから始まったリーフェの語り。内容はどこかおとぎ話のようで、それでいてしっかりと教訓がある、例え話のようなものだった。
そしてその内容はいたってシンプルである。
要約すれば、色を持つ民と、色を持たない民。色を持つ民は魔法の神秘を使い生活をすることができたが、色を持たない民は魔法を使うことができず常に貧しい生活を強いられていた。やがて、色を持たない民は、色を持つ民を妬み、憎しみを持つようになった。そしてそれは大きな戦争となり、結果として色を持たない民は地上を追われることとなったのである。これらの話は何れにしても事実として語り継がれておりこの話も、聖典が誕生した数千年前の出来事として今に至るまで語られているのである。
「そう、確か。そんな話だったな」
リーフェが話を終えた後。思い出したように、ガルシアは聞きながら閉じていた目をゆっくりと開く。
「その乱戦の名残でできた大きなクレーターが、いまの王都になっているそうです」
「……まぁ、これといって驚くような内容じゃないが。この話の後に、無色を持つものは一人もいなくなったはずだろう?」
「そうですね。ですが、今回ショウさんが……」
追われた民、持つものに反抗した民の持つ色の無色。それが、どんな意味を持つかひどく単純にわかりやすかった。翔の事情を知るものならば何も思うところはないだろう、せいぜい珍しいものだと思うだけかもしれない。
だが、何も知らない人間が無色と知ったのならば。
「……迫害ですね」
「あぁ、そうだな」
ガルシアは賛同すると同時に、懐からタバコを一本取り出し指先に魔法で炎を灯し火をつける。軽く息を吸い込み、深く息を吐き出すと口からこぼれた白い煙は天井に届く寸前で空気に溶け込んで消えてゆく。
「ショウさんは、これから……」
「メルちゃん。わかっていると思うけど。これは機密事項扱いになるかもしれないから決して外に漏らさないように」
「は、はいっ」
「ギルド長、この内容を本部に報告するべきでしょうか?」
一息。
タバコを指でもみ消し、深く息を吐く。しばらくそのまま動かないでテーブルの上に置かれた何もないはずの空間をじっとガルシアは見つめる。メルトとリーフェの二人の視線がギルド、イニティウム支部の最高責任者の回答を待っていた。
「……ギルド本部に、報告をする」
「……それは、なぜ?」
「今後、彼が何か助けが必要になった時。ギルドが唯一の理解者として働くようにしたい。協力してくれるかい? リーフェさん」
真剣な眼差しをリーフェに向けるガルシア。その問いに対し、リーフェは無言で頷いた。そんな二人のやりとりを見ながら、メルトは改めてこの二人は仲の良さを超えた絆のようなものを感じていた。
案外、遅かれ早かれ。
「さて、忙しくなるぞぉ。メルトちゃん、今日は残業だよ〜」
「へ、え? いやぁ〜」
と思ったのもつかの間。ガルシアの無残に言いつけられた容赦ない残業命令に、メルトは膝から崩れ落ちた。そんな様子を見たリーフェも少し微笑む。ようやくギルド、イニティウム支部にいつもの空気感が戻ってきた。
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