第12話 自分の色

「そういえば」


 寝る直前、翔は布団の中からもぞもぞと這い出ると壁に立てかけておいた剣を手に取る。何度か剣の造形を見直す。相変わらず持ち手はボロボロだが、それ以外は博物館で飾られているような造形をした剣である。鞘に施された銀装飾は草木が絡みついているような装飾で実戦用ではなく、観賞用の剣ではないかと疑ってしまう。


 だが、一つだけおかしなところがあった。鞘に嵌っていた小指ほどの大きさの石、最初に見たときには道に転がっている石と何ら変わらないはずだった。しかし、何ら変わらないはずの石が少しだけ色づいているように見えたのは何かの見間違いであったのか。


「赤いな…」


 石の変化に気づいたのは、ガルシアが剣を手にとった瞬間からだった。鞘から剣を外しガルシアに渡した瞬間、翔は自分の腰に回していた鞘の石が赤い色に鈍く光るのを見逃さなかったのだ。


「……魔力は色で表現される。か」


 リーフェに言われたことを思い出し、ボソリと口にする。だが、それがわかるのは今ではない。となれば今の自分自身にできることをするのみである。


「明日。話してみるか……」


 剣を再び壁に立てかけて、翔は布団の中に潜り込む。部屋の中には隙間風が入り込んで秋の涼し気な空気が流れ込んでいる。体を縮こませ、なるべく布団から体を出さないようにして丸くなりながら翔は目を瞑る。


 今は、寝よう。


……………………………………………………………………………………………


「それでは、これより魔力適性検査を行いますね」


「はい。よろしくお願いします」


 翌朝、リーフェと共に家を出た翔はギルドに到着してしばらく待たされた後、仕事着に着替えたリーフェに連れられてギルドの裏側へと連れて行かれた。決して、告白や決闘の申し込みなどではない。


 ギルドの裏側に広がるのは深い森である。例によって晴天で太陽の光が燦々と降り注いでいるのだが、森へと続く道は鬱蒼としていて山登りでも入りたいと思わない物々しさを翔は感じていた。その重圧は自然の深淵というべきか、それと自然の神秘への畏怖かわからなかった。


「では、行きましょうか。足元が大変滑りやすいので気をつけてくださいね」


「わかりました、気をつけます」


 まず、リーフェが先行して森へと入る。彼女は念のためとナイフを携帯しているが、この森には魔獣が寄り付かない特殊な空気が流れているらしく軽装備でも安全が保障されているらしい。実際に森の中へと一歩踏み入れると寒気にも似たプレッシャーを翔は感じていた。


「目的地はここから歩いて三十分かかります、それまで暇なので。何かお話しません?」


「お話、ですか…」


「はい。メルちゃんから聞いたんですけど、どうも帰ってきてから気分が悪かったとか」


「あぁ……、えっとですね……、生き物を斬るのって初めての経験で……、ちょっと怖かったというか。罪悪感が……」


 思い出せば出すほどに、無我夢中で生き物を切り刻んだ感覚が両腕に張り付いている。肉を断ち、殺されまいと血眼でこちらを睨みつけていた視線。それらを掻い潜って剣を振るった感覚はおそらく死ぬまで忘れることはできないだろう。


 むしろ、忘れてはいけないのだ。


「最初はみなさんそんな感じですよ。生き物の命を奪い、生きる。それが私たちに与えられた生き方ですから」


 後ろを振り返りリーフェは慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら翔に語りかける。


 生き物の命を奪う、そうやって生きてゆく。調理済みのコンビニ弁当を食べるのと何ら変わらない。ただそれが己の手で下すか、下されたものを手にするかの違いだけだ。人とは、生き物とは結局のところ罪深くなければ生きてゆけないのだ。


「深く考えないことです。でも、ショウさんは優しいです。向こうの世界がどうなのかはわからないのですが、私たちの世界ではあれらはただシンプルに魔獣、排除しなくてはならない悪ですから」


「……」


 そう語るリーフェの口調は少し冷たいものを翔は感じた。それも当然の話である、この世界において彼らは忌み嫌われ、排除しなくてはならない生活を脅かす悪そのもので、でも殺すことに躊躇している自分がいる。


 矛盾の塊だ。


「私も昔は冒険者をしてましたけど、最初はショウさんと同じでしたからねぇ……、今となってはへっちゃらですけど、魔物の解体がすごく苦手で」


「え、冒険者だったんですか。リーフェさん」


 『えへへ』と言って可愛らしく舌をちろりと出して頬を染めて笑うリーフェだったが、その事実を聞いた翔はその華奢な見た目からは想像できない彼女の意外な一面に驚きを隠せないでいた。だが、軽やかな足取りで足場の悪い湿った森の中を進んでゆくリーフェの姿をみれば自然と納得できてしまった。


「昔、と言っても百二十年くらい前のことなんですけどね」


「十分大昔じゃないですか」


 百二十年前と言ったら人が一生を過ごすのには十二分すぎる年月である。だが、長い年月を生きるであろうエルフにとって百二十年という月日は一瞬のことなのだろうか、それともやはり人間と感じる月日の長さは同じなのだろうか。ふと、そんなことが気になった。


「すみません、失礼なことを伺いますけど……リーフェさんって人間換算で何歳なんですか?」


「え? あぁ、考えたこともありませんね……でも、エルフの平均寿命が七百年生きるか生きないかですから……人間で言うところの二十代中間か後半と言ったところでしょうか」


「なるほど……」


「エルフって、二十歳までは普通の人間と一緒に成長するんです。けど、そこから成長が止まって、ずっとその姿が変わらないで生き続ける。周りの人たちは見た目も変わって死んでゆくのに、私たちは姿が変わらないまま生き続けるんです」


 翔の前を歩くリーフェは変わらず、軽やかに森の中を進む。だが、そう話す彼女の背中は少しだけ寂しげに見えた。


 一体彼女の何が、冒険者を辞めさせるきっかけになったのだろう。


「リーフェさん、どうして……」


「着きましたよ、ショウさん。そこ、木の根っこで引っかからないように注意してください」


 翔の言葉を遮るように、リーフェが草木の向こう側から手招きをして呼ぶ。その手を掴み、草木をかき分けながら進むと、それは突如として現れた。


 大きく開けた森の中、それの周囲には先ほどまでのように木々が並んでいたわけでもない。そころどころ草木についた朝露が太陽の光でキラキラと輝いていて。そして、その中心には生姜今まで見たことのないような大きく太く、深くシワが刻まれた時代を感じる青々と茂った巨木がそびえ立っていた。


「ここは……?」


 ぽっかりと口を開けたまま呆然と目の前の巨木を見据える翔。その姿を見ているリーフェは、どこか嬉しげで『すごいでしょ』と言わんばかりの表情をしている。


「これはですね、大陸でも九本しか生えていないとっても珍しい木なんです。私たちが生まれるずっとずっと昔に、双子の巫女様が大陸の人々を祝福するために与えてくださった木なんだそうですよ」


 リーフェが語るのはこの木のあらまし。双子の巫女などの話が出てきたが、この世界における宗教の経典のようなものなのだろうか。現に地球でも、宗教によっては様々な地球の誕生が語られている。この世界にも宗教があり、それぞれに世界の創造について語られているのかと思うと、未確認生命体やら陰謀説に憧れる少年心ながら翔にも多少の興味を覚えた。


「それでですね、この木はすごく面白い特徴があって。幹にちょっと血を垂らすと、その人の持ってる魔力に反応して、この木の葉っぱが教えてくれるんですよ」


「……はぁ」


 リーフェが駆け寄って指を指しているのは、少し朽ちている大木の大きな血管のような幹。見ている限りでは、ものすごく古い大木となんら違いはないが、果たして本当にリーフェの言うようなことが起きると翔には想像ができなかった。


「では、早速始めましょうか。翔さん、手を出していただけますか?」


 リーフェが腰に差していたナイフを抜き取り慈悲にも似た微笑みで優しく手を差し出している。もはや、こんな光景は思わず謝ることがなくても土下座をしてしまいたくなるような恐怖心が翔の背筋を走って行ったが、生唾を飲み込み、少しだけ震えた手でリーフェに右手を差し出す。


「すみません、少しだけ痛いですよ」


「あまり、その……痛くしないで?」


「大丈夫ですよ、これでもベテランですから」


 スッとナイフの刃が翔の小指の先へと走る。一瞬の痛みに翔は思わず顔がこわばるが以外にも痛みを感じたのはその一瞬だけで、傷口から流れる血とは裏腹に指先が若干痺れるような感覚がした。


「ナイフにしびれ草の汁を少量塗ってあります。なので、あまり痛みは感じないはずですよ」


「確かに、あまり痛くは……」


「変な感じですよね。では翔さん、出た血を木の幹に垂らしてください」


「わかりました」


 リーフェに言われるまま、指先から溢れそうになっている珠のように赤い血の一滴を複雑に絡み合うように生えている大きく太い木の根へと一滴、二滴と垂らしてゆく。


 しばらくしても、変化はない。


 何かが蠢くような気配もなければ、天変地異が起きて地面が大きく揺れるなんてことも起きない。いたって平然に時間がだけが静かに流れてゆく。


「あの……リーフェさん? 何も起きないんですけど……?」


「ショウさん、上っ!」


 あまりに何も起きず思わずリーフェを不安げな目で見る翔、だが真っ先に翔の目に飛び込んできたのは少しだけ興奮して真上を指差すリーフェの姿だった。それにつられ、翔も思わず彼女が指を差す自分の頭上を見る。


「へ? 上?」


 そして、見た瞬間。思わず翔は大きく息を飲んだ。そこに広がる光景、それは大樹から伸びる無数の枝についた無限にも思える葉の数々。それらが太陽の光を遮りあいながら細やかな光の柱を作り上げているのだが、その光を透かす葉の一つ一つが教会のステンドグラスのように色を変え視界に飛び込む。


「綺麗でしょ? ショウさん」


「……すごい」


「この中の一枚が、ショウさんの持っている魔力の色を教えてくれます。それにしても、こんなに反応するなんて、この仕事に就いて初めて見ましたっ」


 興奮するリーフェの翡翠色の目は様々な色に変化する葉に透く光に照らされてキラキラと輝いているようで、翔は頭上に広がる光景よりもリーフェの整ったその綺麗な横顔に見惚れていた。


 綺麗でしょ、ショウさん


「綺麗です……」


「あ、ショウさん。もうそろそろですよっ」


 思わず口にしてしまった翔の言葉はリーフェには聞こえていなかった。そして、再び上を指差したリーフェ、同じく慌てて上を見上げる翔。葉の色の変化は徐々に治っており、様々な姿を見せていた葉の色も次第に七色、六色、五色と徐々に数を減らしていった。


 果たして、自分は何色に選ばれたのか。


 一体どんな魔法を使うことができるのだろうか。


 先程までの甘酸っぱい気持ちは、なりを潜め代わりに湧き上がってきたのは少年のような純情であった。そして翔と同様に、リーフェの目にも期待の色が見える。


「さぁ、あともう少し……あれ?」


「ん? なんだ、あれ……」


 最後の一色に差し掛かった瞬間である。葉の色が再び荒ぶり始めた。様々に色を変える葉の色、それはまるで何かが抑えきれないと言わんばかりに煌々と荒ぶる何かを抑え込んでいるように見えて、先程の姿とは打って変わり不気味にも思えた。


 不測の事態に、翔も動揺していたがそれ以上に動揺をしていたのはリーフェだった。顔が若干青ざめ口元に手を当てながら、その瞳には若干の恐怖すら浮かべている。


「な、何が起きて……」


「これって、何か不味いんじゃ……」


「はい、でも。とにかく、最後まで様子を……」


 その瞬間である。突如、葉の色の変化がまるでビデオテープの停止ボタンを押したかのようにピタリと止まり、次の瞬間に枝の端から崩れてゆくように葉が地面に落ちていゆく。


「リーフェさんっ」


 とっさに翔が取った行動はリーフェを守るように覆い被さり落ちてゆく葉から守ろうとしたことだった。目を閉じながら徐々に葉が一斉に落ちてゆくという聞きなれないを音を聞きながら、脅威が過ぎ去るのを待つ。背中にかすかに感じる落ちた葉の重み、だがしばらくすると葉の落ちる音は徐々に減っていった。


「ショ、ショウさん。もう、もう大丈夫ですから……」


「え、あ。すみませんっ。急にこんなことを……っ」


「い、いえ。守っていただいたんですから。気にしないでっ」


 もぞもぞと腕の中で動くリーフェをとっさに離す翔。気恥ずかしくなり思わず、お互い顔を赤らめながらあらぬ方向を向く。周囲を見渡せば、そこは先程までとなんら変わりのない光景であり、周りに広がるのは樹々だけである。


 だが、そんな変わりのない光景に二人は確かな違和感を覚えていた。


「……落ちた葉がどこにも……」


「えぇ、見当たらないです」


 周囲を見渡す限り、先程まで大きな音を立てて落ちていたはずの葉がどこにも見当たらないのである。空一面を覆い尽くさんとするばかりの量の葉が一斉に落ちてきて地面に一枚も姿が見えないというのはあまりにも不可解だ。


「そんなバカな話が……」


 と、翔が一歩踏み出した瞬間である。


 ガサリと確かに多くの葉が擦れ踏まれるような音が響いた。「え?」と一言口にこぼした翔はもう一度、踏み出した足でもう一回地面を踏みつける。するとやはり、先ほどと同様、葉を踏みしめたような音が確かに聞こえた。


「……まさか」


 リーフェが思わず地面にしゃがみ込むと、両手でまるで水をすくい上げるかのように何かをすくい上げていた。


「ショウさん……これ、よく見てください」


「……っ!?」


 リーフェが両手にすくい上げたもの。それはあまりにも目を凝らさないと見えないような、それはあまりにも精巧に作られたガラス細工のような見た目をした大量の葉であった。


「この色は……」


 リーフェが険しい目で両手の中身を見つめる。そう、これは色と呼ぶにはあまりに色とは呼べない、だが確かに存在する色。


「無色だ」

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