第11話 魔力の色

 散々な一日だった。


 翔は重くなった両足を引きづりながら帰路につく、同じく何もしていないのにも関わらず満身創痍と言わんばかりの顔をしているガルシアを連れてだ。


「風呂に入りたい……」


「今度いいところ紹介してやる……今日はすまなかったな……」


「本当ですよ……」


 全身に返り血を浴びている翔は道の途中で体を拭いたものの臭いが取れることはなく、現在ツナギの上半身を脱いで下着の状態で歩いている。道中、弱々しいガルシアの声で道に生えている食べれる草と食べれない草などの説明を受けていたが終ぞ頭に入ることはなかった。


「今日は、どうだった。ショウ」


「……なんと言えばいいか、甘く見てました」


「お前さん程の技量なら、ゴブリン如きの相手なんぞ造作もないだろうさ……何、慣れだ、慣れ」


「……」


 確かに、あの程度の魔物だったらなんとかなると翔は思っていた。だが、それ以上に自分が生き物を殺すことに慣れてしまうことが怖かった。罪悪感がないと言えば嘘となる、だが自分が殺さなければ二人とも死んでいた。


 生きるためには、他者の命を奪わなくてはならない。


 改めてこの世界の摂理に触れた瞬間に思えた。


 だが、一度決めたことでもある。そして、冒険者にならなければならない理由がある以上、辞めるという言い分はできないだろう。せめて、自分自身で生活の環境が整うまでの間は我慢して続けようと思った翔だった。


「だが、慣れた瞬間が一番危ない。油断してると、すぐに落とすぞ。命をな」


「……肝に命じておきます」


 ラノベで見るような冒険者の職業ほどかっこいい仕事ではない、思った以上にキツい物を感じた。何より、そう語るガルシアの目をみれば十二分に伝わってきた。命のやり取りをする以上、気を引き締めていかなくてはならない。二度とあのような目に会うのはごめんだが、今日の出来事は翔にとって良い体験となった。


 しばらく歩き続けると、街が見え始める。陽も傾き始め、夕焼け空の反対側には二つの大きな月が昇りはじめていた。


「そう言えば、これって。何に使うんですか?」


 翔がそうやって見せたのは、麻の大きな袋。相当な重さのあるそれは、軽く揺さぶると金属の擦れ合う音が聞こえる。中身は、ゴブリンの身につけていた装備品の鎧であったり、剣などの金属製品だ。


「あぁ、それな。それは、溶かして違うものに作り変える材料にするんだよ。俺らが使う剣とか、鎧とかな」


「なるほど……」


「……まぁ、あいつらが持っていたもののほとんどは殺された冒険者から剥ぎ取ったものだ。そうやって俺らとあいつらでこいつが循環しているってわけよ」


 ガルシアが麻袋を軽く小突くとガゴンと鈍い音が鳴った。不思議なものである。ゴブリンを殺そうとした武器で人間が殺される。因果応報とはこのことを指すのだろうか。


 そんなことを考えながら、街を抜けてゆく。通りを歩く人々はどこか忙しない、それぞれに帰る家庭があり、家に灯る優しい光はどこか眩しく思えた。そんな風景を横目に二人は道を歩んでゆく。そして、すっかり暗くなった頃にギルドの入り口が見えた。


「フゥ……着いた」


「いいか、ショウ。ここからが正念場だぞ……」


「え?」


 何かを覚悟したような険しい表情をしているガルシア。ギルドの扉のドアノブを握る手は震え、冷や汗が浮かんでいる。だが、その理由を翔は薄々気づいていた。そして、その上で次に起きることも予想ができた。


「ッ……リーフェさんっ! ただいま……っ」


「ガールーシーアーさーんーっ!!」


 ガルシアがドアを開けた次の瞬間。彼の大きな体が吹き飛び、ギルドの入り口から数メートル後方で仰向けになって倒れる。そして、倒れたガルシアの横には黒く四角い帳簿のようなものが砂煙をあげて転がっていた。とてもではないが、推定体重九十キロの大男を飛ばすほどの威力がある代物には到底見えない。


 同時に、ギルドの扉を大きく開け放ち登場したのは怒りの形相を浮かべ全身に緑色のオーラを噴出させているリーフェの姿だった。まさに文字通り怒髪天である。


「こんな陽が落ちるまで、どこをほっつき歩いていたんですかガルシアさんっ!?」


「ち、違うっ。同伴実習訓練でゴブリンにさ……」


「ゴブリンっ!? しっかり逃げてきたんですよねっ!?」


「いや、その……えっとね……」


 頭から血を流すガルシアがゆっくりと視線を翔のほうへと向ける。リーフェもまたガルシアの視線の矛先を翔のほうへと向けた、そのあまりの剣幕に翔も思わず軽く身震いと生唾を飲み込む。


「ショウさん血まみれじゃないですかっ、まさか……ショウさんが?」


「えっと……その、はい。なんというか……成り行きで?」


「……」


 次の瞬間、リーフェの表情が途端に柔らかくなる。シワの寄っていた眉間は消え、頬には笑みすら浮かべている。だが、目の奥は一切笑っていない。わけのわからない恐怖に縛られた翔はしばらく呼吸をすることを忘れていた。そして、その様子を見たガルシアが『ヤベ……』と溢すのを翔は聞き逃さなかった。


「ガルシアさん、後でだーいじなお話が山ほどございますので。すぐさま準備をしてくださいね」


「……はい」


「あと、ショウさん? まずはそのお召し物をメルちゃんに言って洗ってきてもらってください。代わりの洋服はございますので」


 無言で素早く数度頷く翔、もはや言葉を発することなど許さないという雰囲気がリーフェの周囲に立ち込めていた。ガルシアはと言えば、その眼は虚空を仰いでいてまるで処刑前に神に祈りを捧げている囚人のように見えた。


 空気感に耐えられず、ガルシアを見捨てギルドの中へと入る翔。扉を閉めた瞬間、激しい怒号が響くが今後彼女と一緒に暮らしてゆく上で今まで以上に気を引き締めようと思った。


「あ、こんばんわ」


「その……どうも」


 正面の受付で書類の整理を行っていた猫耳の少女が翔に気づいて顔を上げる。だが、翔の姿を見るなり大きく体をビクつかせるとその表情は徐々に青ざめて行った。


「へ、えっ。えぇええええっっ! 血っ! 血まみれじゃないですかっ!」


「すみませんこんな格好で、代わりの着替えを用意してくれるとリーフェさんに……」


「と、とにかくこちらにきてくださいっ!」


 半ば悲鳴にも似た声をあげた少女は、翔の手を勢い良くとると受付の裏へと連れ込む。受付の裏は翔が思っていたよりも広く、応接室らしきものから職員の部屋から用途がわからない部屋まで色々と並んでいた。廊下の一番奥まで手を引かれ案内され、着いた部屋はそれぞれ小さな個室のような区切りがある部屋で、壁に立てかけられている備品を見る限りではシャワー室のようなところだと翔は思った。


 そして、少女が壁から出ている半円状のものに軽く手を触れると部屋の中が優しい明かりで包まれる。


「ここで着てるものを脱いでくださいっ」


「あ、はいっ」


 言われるがまま、翔は自分の着ているツナギの上半身を脱がし、黒い下着に両手をかけて脱ぎ捨て上半身裸となる。そのまま、両手をツナギの下半身の足から脱ごうとした時に翔の手が止まる。片足で立ったままの状態で、翔は顔を上げた。


「あの……」


「ひゃっ、えっとっ! すみませんでしたっ!」


 目と目が合い、勢い良く部屋を飛び出した少女。着替えを見て恥ずかしくなったのか、その顔はひどく赤かった。同時に、自分よりも幾分か年の若い少女に裸の姿を見られたことが気恥ずかしくなり翔も顔に熱が篭るのを感じた。


 血まみれになった衣服は、カゴが置いてあったので一つに纏めておき。裸になった翔は仕切りのあるシャワー室のような小さな部屋に入る。中にあった小さなレバーを何度か動かすと天井につけられた小さなノズルから暖かい湯がシャワーのように降り注いだ。


「……フゥ」


 髪を流すと、地面に流れる湯が少しだけ青色に染まる。それを見て、また吐き気が沸き起こるのを翔は感じた。立ちくらみにも似た揺らぎ翔の頭を揺さぶり、膝をつかせる。


 本当に、このまま何かを殺すことに慣れてしまうのだろうか。


 自分自身の中で抑えてきた何かがふつふつと湧き上がるのを感じる。同時に幼い頃の記憶もまた、積み重なる記憶の層に生き埋めにして置いた記憶が浮上してくるのがわかる。


「はぁ……くそ……っ」


 握りしめた拳で床を叩くと、水しぶきが灯りに照らされキラキラと輝く。一登に教わった剣術は結局のところ、生き物を殺めるためのものだということを改めて思い知った。


『守るための力だ、己を守るための力だということを忘れるな』


 初めてこの手に刀を握ったときから毎日聞かされていた言葉だった。


「あの、大丈夫ですか?」


「……大丈夫です」


 部屋の外から心配そうな女性の声が聞こえる。弱々しい声で返事をした翔だったが、正直に言えば大丈夫では全くなかった。このまま、冒険者になることを諦めて何らかの別の方法で仕事を見つけようと考えているほどに憔悴しきっていた。


「こちらに、代わりに着替えを置いておきますね」


「ありがとう……」


 シャワー室を出ると、血染めの作業服を入れて置いたはずのカゴには丁寧に畳まれた代わりの服と手ぬぐいが用意されていた。礼を言うと、濡れた体を手ぬぐいで拭き肌触りこそ悪いものの服として成立しているものを身につける。


「その……イマイシキさん?」


「ショウでいいですよ」


「はい……では、ショウさん? 本日は、その。ありがとうございました」


「そんな……たまたま居合わせてしまっただけです」


 翔は着替えながら扉の向こう側の少しだけ嬉しそうな少女と会話を交わす。翔には、なぜ自分が礼を言われるのか全く思い浮かばなかった。シャワー室の熱気が頭の中をぼんやりとさせているのか、それとも今の自分の心境がそうさせているのか。


「最近、イニティウムではゴブリンの被害が絶えなくて……中には家族を失った人まで……、その、心強かったですっ。新しく入ってきた人が、強い人で……本当は、こんなこと言ってはダメなんですけど」


「……」


「ショウさんが、冒険者になってくれて。よかったです」


 不思議なものだった。先ほどまで感じていた嫌悪感と罪悪感などの悪感情が徐々に薄れてゆくのを翔は感じていた。人とは単純だ、一言の感謝の言葉でどんな悪徳にでも手を染めようとする。特に、男という生き物なぞはその傾向が特に強い。


 たった一言で、己を殺すこともできる。


「その……お名前は?」


「あ、まだでしたよね……メルト=クラークと言います。新人ですが、精一杯サポートさせていただきます」


「……今後とも、よろしくお願いします」


………………………………………………………………………………………………………


 テーブルに並んでいるのは、色とりどりの野菜を散らしたサラダに香辛料の効いた芳しく、食欲のそそる匂いをさせたゴロゴロと具材の入ったスープと付け合わせのパンである。


「うーん、どれも美味しいですねぇっ! やっぱり疲れた時は食事をするに限りますっ」


「たくさんあるので、ゆっくり食べてくださいね」


 自宅に戻った翔とリーフェ。


 今から二時間ほど前、翔がシャワーを浴びた後ギルドの待合室に戻った彼が目にした光景はボロボロになったガルシアが床に転がっている姿と、ひどく疲れた表情をしたリーフェが椅子に座って頭を抱えている姿だった。


 その姿は、どこかセクハラ社長を返り討ちにした敏腕美人秘書のような構図に見えて思わず吹き出してしまったのを翔は覚えている。その後、メルトと翔の二人掛かりでリーフェを宥めて機嫌をとった後に、機嫌取りの材料として使った夕食を翔が振舞っているという状況である。


「本当にあの人にも困ったものです……、今度あんなことをしたら近くの酒場の全て出入りを禁止にしてやりますっ」


「まぁ……あはは」


 何も言うことができず乾いた笑い方しかできない翔は無言で空になったリーフェの器にスープを盛る。今回の夕食はカレーをイメージして作ったものだったが、スパイスから調合する作り方を翔は経験したことがなかったため、カレーと呼ぶには程遠いが完成してしまったのだ。もちろんしっかりと食べれるものにはしている。


 その証拠に満足気にカレーもどきを頬張っているリーフェはすでに三回お代わりをしている。


「まぁ、今日はいきなり色々と体験させてしまいましたが。明日は魔力適性検査のみですので安心してくださいね」


「はぁ……ちなみに魔力適性検査って。どんなことを調べるんです?」


 パンをスープに浸し、一口で頬張ったリーフェは答えんが為とコップの水を飲んで口の中のものを一気に胃へと流し込もうとする。


「んぐっ。んっ、あぁ。以前、魔力の色があることはお話ししましたよね?」


「はい、覚えてます」


「明日行う検査は、魔力の色とその濃さを調べるものなんです。これで、どんな魔術が自分に向いているかとか、魔術師としての才能があるかが見極められるんです」


「濃さ……ですか?」


「えぇ、十段階で分けられていて。私は緑の七から八だったかな? もう数十年前なので記憶が曖昧で」


 それがどれほどの物なのか基準がわからないため、翔はどのように反応すればいいのだろうかわからなかった。だが、自分自身にも魔法がもしかしたら使えるのかもしれないと考えると自然と頬が緩むのがわかった。


 魔法、魔術。どれも科学の粋を超えた超自然的な力、誰もが扱うことを夢見てきた代物が目の前にあるのかもしれないと大人ながら浮き足立ってしまうのも無理はない話だった。


「ちなみに、他の人は?」


「すみません、それは規則で……、お教えするのはできない決まりなんですよ。個人情報ですからね。多分ガルシアさんとか魔法大好き人間ですから、尋ねれば教えてくれると思いますよ」


「なるほど……」


「では、私はちゃんと教えたので……」


 そういって、リーフェは先ほどもったばかりにもかかわらず空っぽになった器を翔に差し出す。情報の引き換えにしてはあまりにも食い意地のはった報酬であると翔は思った。


 きっと、今日より明日の方が楽しくなりそうだ。


 そんなことを思いながら鍋の中をかき回した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る