第10話 初戦闘の色
翔がまだ日本にいて、小学生の頃だった。友人の渡辺の家で一番気に入っていた『ドラゴンクエスト』と呼ばれるゲームをプレイしていた。勇者は何らかの王命を受けて、仲間を集めレベルアップを繰り返しながら最大の敵である魔王を倒しに行くという簡単なストーリーで、赤貧の今一色家には当然ながらテレビゲームなどなく、そもそもテレビすらなく。少年翔は、彼の家に行くたびにゲームをするのを楽しみにしていたのである。
だが、どんな勇者であろうともレベル1では強い敵には立ち向かうことはできない。そのため、経験値稼ぎとして犠牲になるのが、青くぷよぷよと愛らしい姿をした『スライム』と呼ばれるものを倒して行くのである。
序盤の勇者ですら、最初は最弱のスライムを倒してゆくのである。
「……ちなみに、意思疎通はできないんですよね?」
「あぁ、当然だろう。できたら狩ったりはしないさ……」
翔の目の前にいるのは可愛らしい見た目のスライムではなく、醜悪な表情をしている
「すまん……倒せそうか?」
「……俺、生き物。斬ったことないんです」
生まれてこのかた、翔は虫を殺したことはあっても。武器を使って生き物を殺すなどというものはしたことがなかった。唯一斬ったことがあるとすれば、水に浸した簀巻き程度である。
「いいか。ショウ、いいことを教えてやろう」
「何ですか……?」
「殺らなきゃ、殺られる。それが冒険者だ」
心臓が大きく跳ね上がる音がした。
ガルシアの言葉がひどく重さを持って、翔の全身の血を熱くさせる。
抱えたガルシアを岩に腰掛けさせると、翔はゆっくりと腰の剣を引き抜く。白い刀身が太陽に照らされギラギラと輝く。睨み据えた先、ゴブリン達は口からよだれをダラダラと流しながら奇声をあげた。
「……スゥ」
息を深く吸い込む。
静かに目を閉じ、全神経を肌に流れる風に向ける。
空気の微かな揺れ、
呼応するように目を見開いた翔の右手に握られた剣が、まるで空気を斬り裂いたかのように軽い音を立てる。だが、次の瞬間には。翔を襲ったゴブリンの一体の首は綺麗に青い血を撒き散らしながら太陽にキラキラと乱反射して地面へと落ちていった。
「フゥ……」
息を吐き出す翔、この時点でゴブリンは只者ではない気配を感じ取っていたのだろう。目の前で、首を跳ね飛ばされた仲間の死体をにらみつけながらジリジリと距離をとってゆく。
ゴブリンとは、それなりに知性のある魔物だ。集団で行動をし、罠を作り他の小型の魔物を狩るほどの知性を持ち合わせる。だが、ゴブリンが人を襲う理由はなぜか。当然ながら人間を捕食する面を持ち合わせている、だがそれ以上にゴブリンが人間を襲う理由。それは、
楽しいからである。
特に、力を持たない子供や女を甚振る好み、男が出稼ぎで家を空け、残された女と子供が主に被害に会う。故に、久しぶりに家に帰ってきた男が、村の人間の話で妻と子供がゴブリンに襲われ喰われて死んだという事実を聞き正気を失ったなどということもありふれた話だった。
「シィ……ッ」
翔は両手に構え直した剣を、下段に構え体勢を低くしたまま正面のゴブリンへと突進する。突然のことに驚いたゴブリンは右手に持った棍棒を振り下ろすが、翔の頭に当たるか否かというところで翔の振り上げた剣が棍棒を弾き飛ばす。
『ギッ!?』
次の瞬間、ゴブリンの顔面に叩き込まれた翔の足の裏が炸裂する。大きく引き飛ばされたゴブリンは地面を何度か転がると体を何度かピクピクと痙攣させるとそのまま動かなくなる。
だが、片足を上げた状態でバランスを崩しやすい、隙のできた翔をゴブリンが逃す手はない。
すぐさま周りで囲い込んでいたゴブリン数匹が翔にめがけそれぞれ武器を振り上げながら襲いかかってくる。
「スゥ……」
再び息を吸い込む翔、剣を握る手と、体を支えている左足に力を込める。
ゴブリンの武器が交差する。だが、交差する武器が穿ったのは空気と舞い上がった数本の枯れ草。だが、その上には上半身を大きく拗らせ飛び上がった翔が、真下を目を見開きながらゴブリンの姿を凝視していた。
『今道四季流 剣技一刀<春>
落下と同時に繰り出される技、それは捻った上半身を使いながら回転を加え、剣で周囲の敵を切り刻むというものだ。そして、翔の放った技は渦に巻き込まれた鰯の如くゴブリンの体を剣でズタズタに引き裂いてゆく。
そして、それを遠目から見ているガルシア。
次々と敵をなぎ倒してゆく翔の姿を見ながら、安堵の表情を浮かべる。ガルシアの状態は簡単に表現するのであればガス欠だった。体内に宿す魂に色を与え続けるための力である、魔力がすっからかんなのである。当然魂に色を与え続けるための力がなければ、体に不調が現れる。それは主に目眩であったり、立ちくらみ、軽いものだったら夏バテ程度だが、重症化すると意識混濁、最悪死に至るものだ。
あの一瞬。
翔の剣を離すのが一歩遅ければ、ガルシアはこの世にいなかっただろう。そして、ガルシアの頭の中では今、翔が手にしている剣の正体が気がかりであった。ガルシアが魔力を欠乏させるに至った原因は確実にその剣を握ったことだろう。
であれば、なぜ翔は無事であるのか。どれだけ頭を回しても、ガルシアには思い浮かぶ理由などはなく、そもそも全身の気だるさのせいか頭が全く回っていなかった。
「ったく……、だが。まぁ、大したもんだぜ……」
ゴブリン相手に、渡り合うには最低でも半年以上経験を積まなくてはならない。今回は不測の事態であったが、本来ならこのような状況は逃亡が推奨されている。だが、冒険者の訓練を何も受けず、軽々とゴブリンを狩るような輩は軍隊落ちの兵士か、元野盗など人間を相手に戦うことを慣れている者だ。
翔が振るう剣は、人を殺すために考えられた技だということをガルシアは見抜いていた。
『ギィっ!』
「チィ……ッ『爆ぜよっ!』」
ガルシアに襲い掛かったゴブリンが地面から発した炎の爆発に巻き込まれて霧散する。爆発元は、先ほどまでガルシアが吸っていた葉巻の吸殻だ。その瞬間、次々といたるところで小さな爆発が起こる。それらは全てガルシアが捨てた葉巻の吸い殻であり、魔術で一度発熱した熱を急激に放出させるガルシアの魔術の十八番であった。
突然の爆発にゴブリンがたじろぐ。この程度の爆発では集団で動くゴブリンを倒すことは叶わないが、足止め程度には十分な効果を発揮する。
そして、翔はその隙を見逃さなかった。
「スゥ……」
息を深く吸い込む。
剣を構え直す。
目前の敵の位置を把握、最短で最小限の動きで攻撃を行うことができるよう頭の中でシミュレーションする。
「ッシィッ……!」
鋭く息を吐くのと同時に、翔は地面を駆け抜ける。
一閃、
一閃、
一閃、
その全てが必殺、その全てがゴブリンの命を刈り取ってゆく。その間、一度も立ち止まることなく、残る敵を全て斬り伏せてゆく。
『今道四季流 剣技一刀<冬>
最後の一閃がゴブリンの喉を掻き斬った。翔が剣を納めるのと同時に、ゴブリンの体は膝から崩れ地面へと倒れる。だが、翔もまた剣を収めると地面に膝をついてしまう。
同時に、剣を投げ出し両手を突くと、その口から一気に胃の中のものを吐き出した。
「ウッ……オェっ! ェッ! ゲホッ、ゲェっ!」
「ハァ……ハァ……、大したもんだ。と、褒めようと思ったが、ちっとキツかったか」
地面とにらめっこをしている翔の傍にフラついたガルシアが寄り添うようにその背中をさする。辺り一帯はゴブリンの死体であふれていて、太陽の熱に焦がされる血の独特な臭いが周囲を包み込んでいた。
生き物を殺した。
その感触が震える翔の両手に深く刻み込まれた。剣を受け止めた時に衝撃、肉を断つ感触、骨を断つ感触、喉笛を突く感触、それら全てが鮮明に刻み込まれてしまった。
「俺……やっていけないかもしれません……」
「あぁ、そうだな。向いてないかもしれないな、けど。やるだけの価値はある」
挫折を覚えた、冒険者として初めての仕事だった。
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