第9話 威圧の色

「おっ、やっと来たか」


「…良いんですか? 出て来てしまって、リーフェさん怒ってましたよ?」


「なぁに。いつものことよ、ほれ付いてきな」


 街の道でガルシアの大きな背中を見つけ、慌てて駆け寄る翔。ギルドでリーフェが怒っていることを伝えるも、どこ吹く風と言わんばかりの顔をして口笛を吹きながら呑気に歩き始める。


 歩くたびに揺れる、後ろで結ばれた髪が馬の尻尾のようだと翔は思った。


 翔は自分より頭二つ分高い身長のガルシアを見上げながら後ろついてゆく。その後ろをついて歩く姿は、親子のようにも見えなくもない。しかし、街で通り過ぎる人々は皆暖かな視線を向けてくれる。


「あっ! ロードおじさんっ!」


「ようっ! 来いっ!」


 ふと、四歳のくらいの男の子だろうか。ガルシアの姿に気づいて大きな声をあげると拙い走り方でガルシアのそばへと駆け寄った。そして、それに気づいたガルシアもまた体を屈ませ、駆け寄ってくる子供を抱きかかえると太い声で大きく笑いながら、その場をぐるぐると回る。


「元気そうだなっ! 風邪は治ったのか?」


「うんっ! 治ったっ!」


「そうかっ! また今度一緒に遊ぼうなっ」


「うんっ!」


 ひどく微笑ましい光景を見る翔、子供をおろし年甲斐もなく大きく手を振って再び会う約束をするガルシア。どこか街の日常の一風景を初めて見たような気がして、東京にはないまた違った暖かさを翔は感じていた。


 そして、子供と別れ。再び街を歩く途中。


「ロードっ! 今日は寄ってくかいっ?」


「おうっ! 帰りにな、ちったぁサービスしてくれよっ!」


「アホっ! ツケ払ったら考えてやらぁ!」


 居酒屋らしき店の前に通りがかると、準備中だったのか外で前掛けをした恰幅の良い男が両手に木箱を抱えながらガルシアに声をかける。苦い表情をして頭を掻きながら笑うガルシアを見ながら、思わず二人のやりとりを見て吹き出してしまう。


「人気者なんですね」


「あぁ、ここら辺は俺の庭だからな。ヨボヨボの爺さんから生まれたばかりの赤ん坊まで俺の知り合いよ」


 そう言いながら、こちらに手を振る街の人々に答えるように手を振り返すガルシアの姿はこの街に愛されている存在なのだと理解できる。一体この人物は何者なのだろうと、興味が湧く。


「そういえば、まだお名前を伺ってません」


「んあ? あぁ、そうだそうだ」


 後ろを振り返り、ガルシアはその目線を翔に合わせる。もっとも、まるで見下ろしているかのような身長差だが、その優しい眼差しにひどく安心感を翔は覚えていた。


「まぁ、小さな街のイニティウム支部のギルド長を勤めている、ロード=ガルシアだ。よろしく」


 差し出して来た彼の右手を握る。すごく大きく、硬い手だったがそれはとても暖かく感じた。


 賑わいこそはほとんどないものの、時間を忘れるような穏やかさに包まれている街を抜け、徐々に建物のない開けた場所へとガルシアとそれについてくる翔は進んでゆく。広い平原の真ん中には舗装のされていない、土がむき出しのままの道がまっすぐと細いペンのインクが掠れるように続いていた。


「さてと、歩きながら君の素性について聞こうかな」


 いまだに背中を見ながらしか歩いていない翔だったが、そこから発せられる有無を言わさないオーラだけは感じ取っていた。


「えっと……」


「あぁ、別に長くても構わないよ。どうせ暇つぶしだ、ゆっくりのんびり聞くさ」


 だが、同時に発せられる穏やかな気の緩みにこの人物をどう捉えるべきなのか翔は迷っていた。おそらく優しい人間であることには間違い無いのだが、どうも掴めないところがあって信用して良いものなのかと迷ってしまう。


「そういえば、昨日彼女とどうだった?」


「……」


「これは、できるだけ簡潔にわかりやすく答えてもらいたいね」


「いやっ! 何にもしてませんっ!」


 声のトーンが変わり、ガルシアの周りの空気が一瞬だけ凍りついた。やはり、何か考えがあって自分を連れ出したのでは無いだろうかと言う疑念が再び思い返される。


「ところで、さっき受付で料理とかの話してたけど。あれはなんだい?」


「あぁ、昨日自分がリーフェさんの代わりに料理を作って。そうしたら味をしめちゃって」


「なるほどね……、自分も経験済みだけど。彼女の料理はそこらの魔物より危険だからね……」


 ガルシアの顔もまた、彼女の料理を思い出したのか苦笑いを浮かべる。そんな他愛も無い話を繰り返して、さらに二人は平原を進んでゆく。周囲を見渡すと、そこは初めてこの世界に来た時、あの街へ向かった時と同じ場所だと翔は思った。


「さてと、こんなところでいいか」


 ガルシアが軽く伸びをすると、平原にポツポツとおいてある岩に腰をかけて懐から細長い葉巻のようなものを取り出す。


「君、吸う?」


「え? いや、大丈夫です」


「へぇ……そう、君くらいの歳で吸わないの珍しいね」


 ガルシアは翔に差し出して来たもう一本の葉巻を懐にしまい込むと、小型のナイフで吸い口を軽く切り口に咥える。そして、口に加えた反対側の方に人差し指の先を翳す。


『火よ』


 次の瞬間、ガルシアの指先にガスバーなほどの大きさの赤い炎が点り葉巻の先を徐々に焦がしてゆく。まるで極上の料理の香りを味わうがの如く深く息を吸い込んだガルシアは幸せそうな表情で煙を空に向けて吐き出した。


「はぁ〜、あそこじゃ吸えないからさぁ。それにして、珍しいものを見るような目で見るね、君」


「えっ、あ。すみません、ジロジロと」


 おそらくガルシアは魔法を使ったのだろう。だが、昨日の今日で見慣れるわけもなく、突然目の前で指先に炎を灯した彼に翔は唖然とした表情で眺めていた。


 再び、ガルシアが葉巻を咥え息を吸い、煙とともに吐き出す。


「いやぁ、それは良いんだ。それ以上に気になってさ、君。イニティウムの出身かい?」


「いや、違いますけど…」


「それじゃ、どこの出身だい? 少なくとも見ない容姿だから気になってね」


 ガルシアの優しい眼差しに変わりはない。だが、その瞳の奥に確かに獣の視線を翔は感じた。この感覚を翔は知っている、これは一登と対峙した時に感じる相手の行動を読み取ろうとする野生の勘にも似た観察眼だ。


「黒い髪、肌の色もここらでは見ない色だ。それに、瞳の色も黒い。見たことのない民族衣装に、見たことのない形をした剣。俺も長く冒険者をやっていろんな土地を巡ったけど、君のような人種に会った記憶が無くてね」


「……それは、重要なことでしょうか?」


「ほう……そこそこ胆力はあるようだ」


 睨み据えたガルシアに向かって翔もまた声を出す。聞き返した理由は特にないが、このまま話すのはひどく癪に思えたのだ。


 ガルシアが翔を見たまま立ち上がる。後ろ姿しか見えていなかったガルシアの背がより一層大きく見えた。ガルシアの大きな体は太陽の光は遮り、影を作りながら翔を見下ろす。だが、その眼にはすでに敵意は宿っていなかった。


 何かを守りたい、そんなどこかで見たことのある眼をしていた。


「ここには、私とショウ以外誰もいない。長くなっても構わない、そうでないと私は君を彼女のそばに置くことを看過できない」


「リーフェさんのことですか」


「そうだ」


 ちっぽけなプライドだと思った。特別なことなど何処にもないのだ、ただ単に違う世界からやって来た人間。倫理観が違うのかもしれない、だが何かを守りたいという気持ちは痛いほどよくわかる。そんな人間を相手にした時、そこには国境も種族も世界の場所ですら関係ないのだ。


 風が吹くのと同時に、翔は口を開く。ガルシアの加えた葉巻が細い煙を作って真っさらな空へと流れてゆく。かつて、そんな眼をしていた人を遠い記憶で見たことを翔は思い出した。


 話は小一時間で終わった。内容は、リーフェの家でしたものとほとんど同じだ。ガルシアは岩に腰掛けたまま黙って話を聞いていて、その間に消費した葉巻の吸い殻がガルシアの足元に溜まった。


「チキュウねぇ……」


「信じてもらえないとは思いますが……」


「いや、信じるさ」


 ガルシアは、最後の一本を岩に擦り付けつけて火を消すと徐に立ち上がり伸びをする。なにはともあれ信じてもらえたことに安心したのか、翔の強張った肩の力も抜ける。


「何、緊張した?」


「それはまぁ……」


「ハハハッ、そりゃあ悪かった。だけど、君かなり強いでしょ? 雰囲気でわかるさ、話してる最中もずっと反撃の機会を伺っていたし」


「……まぁ」


 ガルシアと話している間。もし仮に、自分が信用に足る人物ではないと判断され切り捨てられることがあっても最低限逃げる方法を翔が模索していたのは事実である。だが、話を聞きながらこれらのことを考えていると見抜いたガルシアも相当なやり手である。


「まぁ、彼女も事情を知っているのであれば。反対する言われはないはずさ」


「すみません、なるべく早めに出てゆくので……」


「ゆっくりしていきなよ。何しろ、この街で新しい冒険者が誕生したのは何年振りかの話さ、みんな新しい仲間を欲しがってたからなぁ。喜ぶと思うぜ?」


 嬉しそうな表情で語るガルシアの眼には最初にあったときの優しさが戻っていた。


「さて、どうしようか。同伴実習とは言っても、そこらへんにいる獣を一匹狩って、その様子を見てもらうってだけなんだど」


 そういって、ガルシアは周囲を見渡すがこの広大な平原には見る限り何もおらず、絶好のピクニックポイントであることがわかる。何らかの動物のような気配も全く感じず、鳴き声のようなものも全く聞こえない。


「ふむ……暇だな。それじゃ、別のことをしますかね」


「別の?」


「うん、君のその剣。見せてもらえるかな?」


 徐に、ガルシアが指を刺したのは翔が腰に下げている剣である。翔はベルトから剣を取り外し、ガルシアへと渡す。そして、それをまじまじと眺める彼の表情は宝物を眺める少年のような純粋な表情だ。


「ホォ。いい剣だ、手が込んでる」


「道に落ちてたのを拾ったんですが、捨てたはずなのに戻って来て……」


「マジかよ。怖いな、それ」


 だが、そう言いつつもガルシアは剣を眺める手を止めない。鞘の細部から、持ち手の細部まで眺め手先で軽く弄ぶように回すと、しっかりと両手で握りしめ演武を見せる。洗練されたそれは、力強く、かつ堂々としたものだと翔は感じた。


「おぉ。かっこいい」


「だろ? 剣はあまり使わないんだけど、一度教わってな。にしてもいい重さだ、よく馴染む。なぁ、抜いて見ていいか?」


「構いませんけど……僕以外に抜けないんですよ、それ」


「何だそりゃ、かっこいいじゃん。じゃ、抜いて俺に渡してくれよ」

 

 ガルシアがこちらに剣を放る。言われた通り、翔は剣を引き抜き、その刀身を露わにさせる。純白の色をした刀身を見たガルシアは感嘆の声を上げ大きい体を屈ませながら、より一層目を輝かせる。


「刃こぼれも全くしてない……この年季の入り方なのに、まるで新品みたいだ」


「どうぞ、よかったら持って見て」


「あぁ、ありがとう」


 翔が剣を差し出す、それをガルシアが受け取る。そして、持ち手がガルシアの手に触れた瞬間だった。少しだけ、ガルシアと剣の持ち手の間に、小さな青白い、静電気のような放電が走ったのを翔は見逃さなかった。


 そして、ガルシアが持ち手を握りしめる。


「っ!?」


「ガルシアさんっ!」


 突如、青い顔をして剣を握ったまま膝をつくガルシア。ただ事ではないことは一目瞭然であった。剣を持ったままのガルシアの右手を剥がしにかかろうと翔がその手に指をかけるがビクともしない。


 剣が原因であることは、間違いがない。


「くそっ!」


 すぐさま翔はベルトから鞘を外すと、それを大きく振りかぶり剣に向けて思いっきり叩きつける。だが、一度叩きつけたところでビクともしない。だが、諦めず何度も何度も鞘を叩きつけると、ようやく剣が苦悶の表情を浮かべるガルシアの手から外れ弾き飛ばされた剣は岩に当たってカランと軽い音を立てると地面に転がった。


「ガルシアさんっ! 大丈夫ですかっ、一体何が」


「ハァ……ハァ……何なんだ、あの剣は……っ!」


「すみません、こんなことになるなんて……」


「いいや、君のせいじゃないさ……ただ、あの剣を持って…君は何ともないのか?」


「えぇ、はい。全く」


 信じられないものを見るかのような視線を向けるガルシア。だが、それ以上に未曾有の事態が二人に襲いかかる。


 風の流れが変わり、どこからともなく腐敗臭が流れてくる。そして、地面を揺らすほどの勢いでなだれ込んでくる足音。嫌な予感がした翔は、ガルシアを担ぎ上げながら、それらが聞こえる方へと視線を向ける。


「ガルシアさん……あれって……」


「あぁ…、見たことがあるのか?」


「いや、無いんですけど」


 翔の視界に映る小さな無数の影。低身長、緑色の肌、醜悪そうな顔付きに餓鬼のように膨れた腹、そしてそれぞれ細い手には刃こぼれだらけの武器、防具。


 一度、友人とやったテレビゲームの敵キャラクターを翔は思い出していた。


「あれ、ゴブリン。ですよね」


「あぁ、その通り。ゴブリンだ」

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