第8話 裏の色

「それでは、書類の内容に沿って質問をさせていただきますね。お名前は?」


「今一色 翔です」


 受付で行われているリーフェと翔のやりとり。そしてその受付の裏には、主に冒険者が持って来た素材の選別、そしてこの街に住まう冒険者の個人情報などが納められている。そして、それら以外には職員の休憩場所であったり、事務作業を行うような場所も完備されている。


 二人が会話するその受付の声が届くか届かないかのところの裏で、大小の二つの影があった。


「なぁ、メルトちゃん」


「なんですか、ガルシアさん」


「昨日さ、あの二人。おんなじ屋根の下で過ごしたんだよね」


「そう……ですね」


「先、越されちゃったかもよ?」


「んにゃっ!?」


 初々しい見た目で驚きの声を上げるのはギルドにきて三年ほどの獣人の新人職員。ブロンドの前髪を手作りのバンダナであげているその顔は獣の顔ではなく人間の少女の顔をしている。対して、少女の目の前で顎に生えた無精髭を弄っている赤毛混じりの男はロード=ガルシア、このイニティウムのギルドの元締めにあたる人物である。


「いやぁ、昨日連れ帰るって言ったときはビビっちゃったけどさ。リーフェさんにも、ようやく長い冬が終わって、春が来たのかなぁ」


「いい歳して何言ってるんですかっ! リーフェ先輩はそんな軽々しく男を連れ込むような軽い人じゃありませんっ、きっとギルド職員としての責務を全うして…」


「でも、連れ込んじゃったじゃん。軽々しく」


「なっ!?」


 受付でやり取りを行うリーフェと翔。その姿を裏口でこっそりとリーフェの後ろ姿を覗いているガルシアはどこか昔の自分を重ねているような眼差しで眺めていた。あまり見ることのない表情に、メルトもガルシアの背中を叩く強さを緩める。


「ほんと。綺麗なまんまだなぁ」


「ガルシアさん?」


「そういえば、あの少年。冒険者になるつもりか?」


「え? まぁ、そのつもりでいらっしゃったんですから」


 しばらく顎に手をやり、考え込むガルシア。しばらくして、何か思い出したかのように握った拳を手の平にポンと乗せ、メルトの方へと体ごとクルリと向ける。


「よし、それでは新人に問題ですっ」


「へ? え、はいっ!」


「新人冒険者にまず行うべきこととは一体なんでしょうか?」


「はいっ、魔力の色相検査と基礎知識教育の座学ですっ」


「う〜ん、残念七十点」


「えっ!? えっと……」


 慌てた様相のメルトが必死に思い返すように唸りながら腕を組みながら考え込んでいる。無理もない、このイニティウムにて新しい冒険者が誕生したのは数年ぶりの出来事だからだ。無論、それはメルトがイニティウムに派遣される前のことである。


「あ、ベテラン冒険者の同伴実習っ!」


「お見事、大正解」


「……ちょっと待ってください? それって」


「その通り。メルトちゃん」


 俺が、あの少年の冒険者の同伴実習に付き合おうかと思う。


 ガルシアはそう言うと、その大きな口でニカっと笑った。


…………………………………………………………………………………………………


「それでは、最後に。以上の設問を終え、本当に冒険者になることに同意しますね?」


「はい、同意します」


「それでは、以上で登録申請の方が終了となります。お疲れ様でした」


 面接にも似た緊張感から解放された翔は、椅子に座りながら大きく伸びをすると深く息を吐いた。およそ二十分ほどの時間をかけてリーフェによる申請書類の代筆及び内容の説明と質問が終わる。流石に、命のやりとりをする可能性がある職業なだけあって、その質問の内容も量も非常に多いものだった。


「それでは続いて」


「えぇ」


「申請手数料として、銀貨一枚を収めていただきます」


「えぇ、はい……はいっ?」


 銀貨一枚、その価値を翔は全くもって知らないが。先日、日本の異世界転移・転生信者が血の涙を流して羨むような出来事を体験したばっかりの翔に当然ながらこの世界の金品を持っているはずがない。


 だが、一つ翔は思い出した。


 着ている作業着のポケットをごそごそと漁ると、その指先に円形状の硬いものが触れた。


「あの……これじゃ、ダメですかね……?」


「それ……は?」


「僕の世界で言うところの、銀貨です」


 受付のテーブルに置かれた銀色の硬貨、それは翔が作業現場で飲み物を買おうと懐に入れておいた日本銀行発行の五十円玉である。


「すごい……こんな精巧に鋳造された硬貨見たことがありません……」


「どうですかね……? 銀貨一枚分の価値ありますか?」


 五十円玉を手に取ったリーフェはそれを手に取り、表面を指でなぞったり指先で弾いたりしながらまじまじを眺めている。


 だが、所詮駄目元だった。


「すみません、この大きさで銀の重さではないですね……」


「ですよね……、よかったらそれは記念にどうぞ」


「え? いいんですか?」


「はい、僕が持っていてもしょうがないので」


 この世界で使えないのであれば、例え百万円の札束を手にしていてもそれは意味のないことなのである。トイレで尻を拭く紙程度なら使い道があるかもしれないだろうが。


 五十円玉を受け取ったリーフェはそれを大事そうに胸のポケットにしまう。だが、未だに銀貨一枚の件は解決していない。翔は、そろそろ本気で腰に付けた剣を売り払う時が来たかと思い始めた時だった。


「ショウさん、私からのご提案なのですが」


「……聞きましょう」


「私に朝・昼・晩の食事を作る。というので手を打ちませんか? そうしたら、銀貨一枚は私が立替えますけど」


「……昨日の肉じゃが、そんなに気に入りましたか?」


「はいっ、それはもうっ!」


 キラキラと期待を込めた目を翔に向けるリーフェ、よっぽど昨日の食事が気に入ったのだろう。しかし、こうなってしまえば冒険者をやるよりも『異世界食堂』なるものを開いた方が儲かるのではないだろうかと翔は思ってしまった。


 しかし、それを考えるのはもう少しこの世界に染まってからでもいいと思った。


「わかりました、材料さえあればいくらでも作りますよ」


「やったっ! これからもよろしくお願いしますねっ!」


「っ……」


 ひどく嬉しそうな表情を浮かべるリーフェに、翔の顔は変にクシャッと潰れて、その歪んだ口から息が漏れる。美人の幸せそうな表情というものは、時にとんでもない高火力を持って男の精神を羽交い締めにしてくるものである。


「では、お金の問題も解決しましたし。続いては座学を…」


「その必要はないぜ、リーフェさん」


 突如、リーフェの背後から聞こえた野太い声。驚いて振り返るリーフェと資料に目を向けていた翔は同時にそこへと視線を向ける。するとそこには、身長約190cmほどの大柄な男が二人のことを微笑みながら見下ろしていた。


「ガルシアさんっ!」


「呼び捨てで良いって言ってるじゃんか、リーフェさん」


「でも、ギルド長を呼び捨てにするなど…」


 ギルド長という単語からして、ギルドの取りまとめ役のような存在なのだろうかと翔は思った。確かに、それなりに年齢の行ってそうな貫禄のある面持ちと、赤みがかった髪を後ろで束ねている姿はいかにもという凄みを出していて、座ってその姿を見ている翔も萎縮するほどだった。


「ギルド長、こちらが昨日ここで気絶してた…」


「イマイシキ ショウ君、だね?」


 あまり嬉しくない紹介とともに、ガルシアの話の矛先は翔へと向けられた。突然名前を呼ばれ驚いた翔は軽くビクついてガルシアと目線を合わせた。

 

 しかし、なぜガルシアが自分の名前を知っているのかが疑問だった。


「なぜ、自分の名前を?」


「え? あぁ、さっきあそこで盗み聞きを……あ」


 ひどく素っ頓狂な声を出して、大きく強付いた手を口に当てるガルシア。盗み聞きをしていたという単語に反応したリーフェの長い耳がピクリと小さく反応する。


「盗み聞きということは……メルちゃんっ!」


「い、いやっ。その……えへ」


 受付の裏の扉からひょっこり顔を出しながら舌を出して登場したのは先ほど翔を見て裏へと逃げた猫耳の獣人である。あの時は一瞬の出来事でよく姿が見えなかったが、非常に可愛らしい顔をしていると翔は思った。


「もうっ! 後で資料整理を手伝ってもらいますからねっ!」


「へ?……あ、いやぁ〜っ。許してぇ〜っ!」


 ブロンド、ショート、猫耳、猫目、尻尾。ここまでならまだ翔の心臓も持ったかもしれない、だが彼女の胸部にはこれまた非常に良く熟れた巨大な果実を二つを持っていた。それを見た瞬間、翔の視線と姿勢が下の方へと向き始める。


 そして、さらに加えて美女と可愛いの絡み。このような光景が現実に存在していたことが驚きであった。


「と、とにかくですっ! 座学が必要ないってっ、一体」


「あぁ、それ。俺が全部面倒みるから」


「えっ!?」


 ガルシアとリーフェのやりとりが続く。だがどちらかというと一方的にリーフェが攻めてきてガルシアが聞き流している状況だ。そして、肝心の翔は全くもって状況を読み込めていない状態だ。


「あの……どういうことです?」


「あっ、すみません。えっと…本来ならば、この後ギルドの制度や冒険者をやる上で守らなくてはならないことなどを座学で講習を行う予定でして、本来なら私が講習を行うはずだったんですが…」


「まぁ、要は俺が座学兼実習をするってことよ。まぁ、暇だし」

 

「暇なものですかっ!」


 突如話に割り込んできたガルシアに大きな声をあげるリーフェ。だがその様子をどこ吹く風と言わんばかりに聞き流しているガルシア。だが、翔の本心はおっさんより、若々しい美人に講習をして欲しいと思っていた。


「さぁてと。ショウで良いかな?」


「え、えぇ。良いですけど……」


「早速出るかっ!」


「はいっ!?」


「鉄は熱いうちに打てと言うじゃないか。さっ、サッサとここから逃げるぞっ!」


 そう言いながらガルシアは立てかけてある布に巻かれた長い棒状のものを手に持ち、受付の上を飛び越えると駆け足で出口へと向かいながら壁に掛けてある皮の外套を手に持ち扉を開け放って外へと行ってしまった。


「……えっと、どうすれば?」


「……すみませんショウさん。あのギルド長をお願いします……」


「わ、わかりました。追いかけますねっ!」


 そして、翔もガルシアの後を駆け足で扉を開け放ち、ガルシアの後を追いかけた。

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