第6話 記憶の色

 ぼんやりとした朝の色が視界に入り込むのと同時に、可愛らしい鳥の鳴き声が耳に入り込んできた。ここまでならば、いつもの朝の光景となんら変わりはないのだが、周りを見渡してみる光景はいつもの部屋ではなかった。


「……何時だ、今」


 翔は左手の腕時計を確認すると時刻は九時四十二分を指していた。起床は基本的に六時にしている翔にとって昨日は相当疲労が溜まっていたのだろう。ベットからゆっくりと起き上がり、両腕を上げ体を左右に動かすと背中の骨がポキポキとなる音が広い部屋に響いた。


「……さてと」


 ゆっくりと立ち上がり、部屋を出る。突き当たりの廊下を左に曲がると昨晩夕食をとったリビングにたどり着く。だが、そこにリーフェの姿はない。その代わりに、大きいテーブルに畳まれた状態の着ていた作業服と小さなメモ用紙のようなものが置かれていた。


「お昼にギルドを訪ねてください……、なんだろう……」


 メモに書かれていたものを読み上げ、テーブルに置き直すと台所の水を出すためのポンプを数度動かす。しばらくすると綺麗に透き通った冷たい水がポンプの口から吐き出される、それを両手で掬い上げ思いっきり自分の顔に叩きつけるように顔を洗う。


 それを数度。


 大きく息を吐いた翔は、自分の顔についた水滴をそばに掛かっていた布で乱暴に拭き取る。


「よしっ」


 喝を入れた翔は、テーブルの上に乗っている作業着に着替える。羽織るとかすかに石鹸の匂いがして、リーフェが洗ってくれたのだろうと思った。そして、一度部屋に戻り壁に立てかけてあった剣を手に取る。


「まぁ、これしかないからな」


 そう自分に言い聞かせるように、腰にベルトを巻きつけ剣を装備する。腰に感じるずっしりとした重みはひどく慣れているように感じて、少しだけ悲しい気持ちになってしまった。部屋を出て、リビングを抜け、玄関へと向かう。


「あ、」


 玄関には翔の靴が綺麗に揃えてあって、ボロボロだったはずのスニーカーは手直しがされていて、開いた穴が塞がったり、元々見窄らしかったはずのスニーカーだったが思わず涙が出てしまいそうなくらい暖かな気持ちになってしまった。


「……ありがとうございます」


 スニーカーに軽く頭を下げ、丁寧に履き直すと玄関の扉を押し開ける。


 開けた瞬間に入り込んできた優しい空気。


 太陽の匂いと、湿った土の香り。


 玄関を抜けると、そこは一面緑と青に支配されている世界だった。


「すご……」


 風が青々と茂る草を撫でるように流れ、都会の汚い空気に慣れていた肺が一気に新鮮な酸素を吸い込もうと大きく膨らむ。


「日本じゃお目にかかれないな……これ」


 玄関の扉を閉める、鍵のようなものはついていなかったが鍵などつけなくともいいくらいに周りに余計な建物がない。


 小さな庭になっている玄関先は、一部分だけ耕されていて何も生えてはいないものの何か育てるには十分な広さだと思った。レンガ敷になっている道を軽く歩き、手作りの白い木のフェンスの扉を開けて庭を抜ける。


「はぁ……いい天気だ」


 空に雲など一つもなく、太陽の光も気持ちがいいくらいに透き通った光を降り注がせている。このままピクニックにでも出かければ最高の休日になるだろう。目の前に広がる草原の一番近くに小高くなっている丘が見える。そこまでやや足早に登って行くと、大きく拓けた周囲が一望できる。


「あ、街だ」


 太陽から見て真後ろの西の方角、小さな林の向こう側に集落があるのがわかる。ギルドへの道筋がわからないと思っていた翔だが、これでなんとかなるだろうと思った。


「……試しに、振ってみるか」


 翔は、自身の左の腰に装備させた剣の持ち手に触れる。普段手にしていた獲物とはだいぶ形は違うが、それでも両手で持ち振るうという動作に変わりがあるわけではない。刀と大して勝手は変わらないだろうと踏んでいた。


 そう思いながら、翔は剣を鞘から引き抜く。鞘走りの金属と木が擦れる音がひどく耳に心地よく感じる、引き抜いた純白の剣は太陽の光を吸い込みより一層白く輝いているように見えた。


「一体何で出来てるんだ、これ」


 持てば、確かに鉄のずっしりとした重みと頑丈さを感じる。だが、見た目以上にそれは不自然に軽くも感じた、少なくとも翔自身が今まで握ってきた居合刀よりも軽い。


 だが、軽くても剣は剣だ。


「スゥ……」


 翔は深く息を吸い込む、全神経を剣を握る両腕へと集中させる。


 暖かな空気に、張り詰めた空気が翔を中心に広がる。


 刀の先を相手の目線に合わせて構える、正眼の構え。動作としては基礎中の基礎である、だが翔はその基礎を体の全細胞が記憶している。


 一登に教わったもの全てを記憶している。


 一歩踏み出す、


 風が止まる、


 空気が静止する、


「……スッ」


 漏れる呼吸、


 振り下ろされる両腕、


 空気が切り裂かれる音が響いた。


 瞬間的に起きた風は、振り下ろされた剣と同時に周囲に広がる草木を押しのけるように広がり渦を作って舞い飛んだ風と草と共に空へと昇って消えた。


「……まぁ、久しぶりにしては上出来か」


『今道四季流 剣技一刀<秋> 落陽らくよう』 


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