第5話 食卓の色

 世の中にはご都合主義というものがある。


 その種類はとても様々で、後付けの矛盾であったり無闇な奇跡の連発であったり、主人公側に有利な状況が続いたりすることなどがあるが。今この状況は主人公側に有利な状況が続いている言わばご都合主義な状態なのだろう。


 だが、得てして良い流れがあるということは、当然悪い流れもある。


 人生とはうまくいかないものだ。


「さぁ、どうぞ。お腹いっぱい食べてくださいね」


「えぇ、いただきます」


 異性との食事を経験したことのある人間はわかるであろうが、その中でも特に男とというものは十中八九かなり緊張をするものである。その理由としてあげられるのは、テーブルマナーがしっかりとできているかどうか、食事をする以外の会話の内容をどうするべきであろうか。


 想像力を働かせてほしい。


 初めてあった人間で、そこに今まで出会ったことのないような美女、もしくは美男という要素が加わり、さらには見知らぬ人間である自分を家に暖かく迎えてくれるような優しさを兼ね備えている。そんな人が、久しぶりに腕を振るったという料理を目の前に出されているわけだ。


 当然、そんな状況になったら脳内を裸足で踊りたくなるだろう。


「どうか、されましたか?」


「え、あぁ。いえ、その。えっと、緊張しちゃって」


「ふふっ、可愛いところあるんですね。おかわりもたくさんありますから。どんどん食べちゃってくださいね」


「は、ははっ」


 食事においての緊張について触れたが、テーブルマナーなどは当然。男の身である自分を快く泊めてくれた彼女に遠慮をするのも然り。だが、ある程度の場数を踏んで十九年生きてきた翔にとってそれは些細なことであった。なら、現在なぜ翔は額に汗を浮かばせ、不自然にならないように引きつった笑顔をリーフェに向けているのか。


 故に、これらの情報を統合して。今翔の目の前で起こっていることを説明するのならばだ。


「……う」


 出された料理が、果たして本当に料理なのか。という、問題である。


 確かに、翔はこの世界に触れてから約十時間程度の時間しか経っておらず、その半分以上を気絶して過ごしていたのだ。故に、この世界の料理がどんなものかを知らない。だが、それでなくとも、今部屋に見合わない広々としたテーブルに並ばれている料理の数々から感じる殺意の正体は一体なんだというのだろうか。


 間違っても『これ、食べれますか?』などと聞けるはずもない。そんな無礼を行うなど、今一色家末代までの恥である。


「えっと、リーフェさん? 自分、この世界の料理は初めて見まして……その、すみませんが説明をいただけると助かります……」


「あ、そうですよね。では、まずこのスープなんですけど」


 そう言ってリーフェが指を刺したのは、某ガキ大将も裸足で逃げ出すほどの禍々しい色をした液状の何かである。もちろん、説明を聞いたところでわかるはずもない。だが、聞いて見たところで、一体この色素はどこから現れたのだろうかと疑いざるを得なかった。


 そうして、一つ一つの説明を聞いてゆき地獄へと続くカウントダウンが0になったところで、いよいよ実食である。


「で、では。いた、だきま、す」


 しっかりと手を合わせて、出された食事に感謝を述べる。それはどんな状況でも変わらず行うのは、一登の教育の成果である。


 木で作られたスプーンを片手に、翔はまずはじめに並々と盛られたスープから手をつける。だが、液体に触れたと思った木のスプーンから液体ではないものの感触が伝わる。その瞬間、発せられた匂いで思わず噎せそうになったが、ここは我慢と言わんばかりに舌を噛んで耐える。


 掬い上げたものは、すでに液状ではなくスープとは呼びがたいゲル状の何かだった。確かに、こう言った料理も存在するが、明らかにそれとは何かが違う。


「……ぐっ」


 口に運び込んだ瞬間に体が危険信号を出したのがわかった。


 ざらりとした舌触りから、何かがすり潰されていることがわかるが。まるで、砂の入った水を口に含んだようで居心地が悪い。そして、感じる味はまるでコーヒーのような苦さに酢と鰹出汁を溶かし込んで、そこにさらに栄養ドリンク剤と卵白とトマトソースを放り込んだようなしっちゃかめっちゃかな味をしている。


「どうですか? お口に合いましたか?」


「ぐっ、うっん! あ、は。フゥ……え、えぇ。すごい、個性的な味でっ! んっ、げほっ! 癖になりそう……っ!」


 衝撃的な味のせいか、数度白い景色が見えかけた翔だが何とか意識だけでも繋ぎとめようとテーブルの下でフォークを使いながら自身の手の甲を刺していた。


「ち、ちなみに何ですが。この料理、人に食べさせたりとかは?」


「え? はい、もちろん。みなさん大変喜んでおられましたよ。でも、毎回口から赤いスープを出されるんですよね、何ででしょう?」


 確かに、こんな美人の出した料理なら皿をも喰らわん勢いで食べるだろう。しかし、口から血を流すほどとは恐れ入る。全員が全員、彼女を傷つけまいとした結果、このようなモンスターを生み出してしまったのだろう。しかし、ここははっきりいうべきだろうか。


「でも、みなさんに喜んでいただいてるようで。私も嬉しいです」


「く……っ」


 言えるはずもなかった。


 美女の笑顔の前に、男は皆無力である。


 だが、このまま食べ続ければ命が危険だ。すでに、この世界に来てから何度か死の危険を感じているが、今一番感じているかもしれないと翔は思っていた。


 何か打開策はないだろうか、そう思った時。ふと、リビングの壁に備え付けられている古風なキッチンが翔の眼に入った。淡いクリーム色の壁にぶら下がっている調理器具はほとんど地球でも見慣れたばかりのものである。


「その、リーフェさん?」


「はい、何でしょう?」


 向かいのテーブルに座りながら、モリモリと劇物を口に運んでゆくリーフェの姿を見て。エルフというのは胃が頑丈に作られているのかと心配になる。


「えっとですね。素敵なお食事、作っていただいてありがとうございます。ところで、異世界の料理に興味、ありませんか?」


「え?」


「異世界の料理です。自分、料理は大得意なので。よろしかったら、これらに合うようなものを一品。作らせていただけますか?」


 一瞬戸惑った表情をしたリーフェ。だが『異世界の料理』というのに興味を惹かれたのだろう。少し考えた後、翔に軽く頭を下げた。


「それでは……お願いしますねっ」


「はい。台所を少し、お借りします」


 正直、これらに合いそうな料理など考えられなかったが。少なくとも食べれそうなものを多めに作っておけばそちらに食指が動くだろう。


 作る料理は、すでに決まっていた。


 まず、必要なのはジャガイモ、人参、玉ねぎ、細切れ肉。そして、水と、醤油、酒、砂糖、みりん、そして出汁である。すでに、これらの材料を見て察しのいい人間なら何を作ろうとしているのか検討がつくだろう。


 まず、台所の下にある野菜庫からそれぞれの野菜に似たものを探し出し、それらを下処理。大きめに乱切りして行く。そして、それらを油を引いた鍋に肉を入れる。


「すみません、火はどうやって使うんですか?」


「そこの赤い摘みに魔力を込めて捻ると火が出ますよ」


「……」


 火を起こすのにも魔法が必要なことに翔は唖然としてしまう。しかし、魔力を込める訓練など受けたことがないため、仕方がなく火を起こすところまではリーフェの力を借りることにした。


 鍋の下に炎が灯る。コンロらしきものの下には火種のようなものは何もなく、まるでIHみたいに真っ平らなところから炎が吹き出ているような感じだ。


「リーフェさん、もう少し弱めで」


「え? お肉を焼くならこれくらいじゃないですか?」


「いえ、こんなに強くなくても大丈夫ですよ。しっかりと焼けますから」


 鍋の横から炎が吹き出るほどの超強火だったが、リーフェは渋々摘みを捻り炎を標準的な強火へと戻す。そして、肉の色が変わるまで炒めたら、それぞれの野菜を投入。その間に、調味料を一つ一つ味見をして、それぞれ地球の調味料に該当するものを選んでゆき鍋の中に投入して行く。


「何だか、優しい匂いがします」


「えぇ、少し待つ間に他のもいただきましょ……うか」


 煮込みに約二十分。その間に、リーフェの生み出した料理を堪能する。スープ以外にも、ほかに料理は出ていたが、どれも似たような味で果たしてしっかりと味見をしたのだろうかと不安になるほどだった。


 その間、市販品であろうパンを主に食べて凌いでいた翔だが約二十分経過と同時にすぐさま鍋の様子を確認する。鍋の中の野菜はそれぞれ綺麗に色がついており、しっかり煮込まれていることがわかる。そこで、食器棚においてあった平皿を使って落し蓋にし、そこからさらに約十分。


 落し蓋を取り、そこから火を止めてさらに約十分蒸らす。そして、最後に味見をして完成。


 計一時間弱、命の危機を感じながらの料理は翔にとって初めての経験であった。そうして完成させた料理は、テーブルのど真ん中に置かれた。


「これは……」


「はい。これは、僕の住んでいたところでは一番有名な料理の『肉じゃが』というものです」


 家庭で彼女、彼氏に作ってもらいたい料理第一位と言っても過言ではない定番料理だ。その調理の簡単さとお手頃さでは赤貧の今一色家でよく出されていた料理でもある。


「肉じゃが……変な名前ですね。でも、美味しそう」


「えぇ、どうぞ。冷めないうちに」


 翔は何気に、家族以外に料理を振る舞うのは初めての経験である。よって、これで『まずい』などと言われた暁にはショックで寝込むレベルである。それだけ今一色家の食卓を七年に渡って支え続けたプライドは高い。


 リーフェはフォークを使い、しっかりと煮込まれたじゃがいもを一つ半分に分け。その愛らしい唇を尖らせながら息を吹きかけ冷ます。その間、翔は固唾を飲んでリーフェが口にするまで、その様子を見守っていた。


 そして、じゃがいもが彼女の口の中に入った。


「んっ!」


「ど、どうしましたっ! 口、火傷しました?」


「すごいっ! 美味しいですっ! ザラザラしませんっ!」


「当然ですっ!」


 ひどく喜んだ表情のリーフェに翔は思わずつっこんでしまった。だが、喜んでもらったのは嬉しかったのか、翔も自然と頬が緩む。そして、味見程度しか食べていないため、翔も自分用に取り分け異世界式肉じゃがを堪能するが、じゃがいも以外は地球のと対して食感も変わらないものの、じゃがいもは地球のに比べて少しだけとろみがあることがわかった。


 そんなこんなで、食卓の時間は更けて行く。


 用意してあった肉じゃがも、リーフェは痛く気に入ったのか二人分よりも少し多めで作ったのにも関わらず、全て平らげてしまった。全くもってエルフの生態というものが翔はより一層気になるところである。


「ふぅ〜、ごちそうさまでした。本当に美味しかったです」


「お粗末様でした。気に入っていただけたようで何よりです」


「ショウさんっ、明日は何を作ってくれるんですかっ!?」


「えっ? あ、そう。ですね、ちょっと食材を見ながら考えて見ます」


「はいっ、明日も楽しみにしてますねっ!」


 翔はエルフの生態に『腹ペコ』『食べ物を与えると懐く』を加えた。


 そのあと食器などの片付けを二人で行い、それぞれ部屋へと向かった。異世界初日のささやかな晩餐はこうやって終わった。


 部屋に戻り、すぐさまその体を布団へと投げ出す翔。精根尽き果て、舞い飛ぶホコリも気にせずベットの柔らかさに体を預け仰向けになる。部屋の灯りはすでに消えていて、部屋の中を照らすのは窓から漏れる二つの月明かりのみである。


「大変なことになった……」


 眠気の中で、地球に置いて行ってしまった人々のことを頭の中に浮かべる。


 家族はいない、だがそれ以上に自分を支えてくれた多くの人がいる。


 そんな人々のために、自分は一体何ができるのだろう、


 一体この世界で何をすることができるのだろう。


「……みんな、ごめんな……」


 そんな言葉を口にしながら。夜の闇と、冷たい月明かりに体は意識を引き摺り込む。


 夜がふける。

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