第4話 幸先の色

「抜け…た?」


「……」


 現れたその刀身は、まるで汚されていない画用紙のように綺麗な純白だった。


 さらに引き出された刀身には、幾何学模様に似た黒い文字らしきものが彫り込まれている。そして、その全貌はとてもではないが大昔に作られたものとは思えないほど保存状態が良かった。


「えっと……そのフライパン。下ろしてもらえます?」


「えぇ。ですが、その前にその剣を床においていただけます? ショウさん」


 殺気立った目を向けるリーフェを前に、ゆっくりと剣を床に置いた翔は、そのまま両手を頭の後ろに回し無抵抗のポーズをする。それを確認したリーフェはゆっくりと息を吐き、フライパンを床においた。


 確かに、一人暮らしの女性に異世界から来たという異常者らしき男が剣を持っていたなど、日本だったら報道ものである。


「すみません、なんか。抜けちゃいました……」


「そうですね。やっぱり、貴方のってことなんじゃないですか?」


 ここまできたらこれは自分の物と認めざるを得ないのではないないだろうか、と考え始めた翔。だが、同時に何も持たないで来てしまった以上、現地でこういったものを調達できたのは運が良かったのではないか、と同時に考えている翔だった。


 最悪、売れば金にもなるだろう。


「これ、リーフェさん。読めますか?」


「え? これですか」


「えぇ、そうです」


 翔が指を刺したのは、剣に掘られた幾何学文字である。どれどれと言わんばかりに覗き込んだリーフェだったが、その眉間にはシワが寄っている。


 しばらく、唸ること数分。


「わからないですね……どこの地域の言語とも違いますし。それに今の文字とは全く形が違います」


 この世界の人間が言うのだから間違い無いだろう。文字の彫られている剣の質感は一登の持っていた象牙のハンコのような滑らかな手触りで、しかしひんやりとした鉄のような硬度を持っていそうななんとも不思議な材質である。


「ですが、綴りを見る限り。どこか魔術的な雰囲気を感じますね……」


「え? 魔術?」


「えぇ。ほら、ここの頭の文字が同じで、そこから文節が三つに分かれてるんです。それで、これらの文節を帰結するように最後の綴りが……」


「ちょっと、ストップ」


「はい?」


 片手を上げ、それぞれの文字を細い指で指し示しながら解説をし始めるリーフェに説明を中断させる。いきなり入ってきた新しい情報の説明をしてもらわなくては、理解しようにも理解できないからだ。


「あの、魔法。が、あるんですか?」


「えぇ。ありますけど……ご存知なかったですか?」


「はい、ご存知なかったです」


 『まさか本当に違う世界から……?』などと言う言葉が彼女の口からボソリと溢れたのが翔の耳に入ってきたが、疑いようの余地もないほど翔はこの世界とは別の世界の住人なのである。


「えぇ、説明しましょうとも。この世界では、生物は皆大昔に聖典より記されし、創生の双子の巫女から地上の営みに幸あれと与えられたのが魔法です」


「はぁ」


「双子の巫女は、人々にそれぞれ魂にを与えました。知性ある生き物は、与えられた色に従いそれぞれの歩む道を決めたとされています。そして、その色が今では魔法という概念に変わっていきました」


「ちなみにですけど。魔法って、どんなことができるんですか?」


「え? あぁ、そうですね……」


 難しいことを言われたところで、地球とは違う概念の話がわかるはずもない。であれば、実際にそれを見せてもらったほうが理解しやすいだろう。


 手の上に顎を乗せ、少し何か考えたようにリーフェは仕草をし。しばらくして、空間の一箇所を指差すとそこをクルクルと回転させる。


 そして、


『風よ』


 たったその一言だったが、ひどく重みがあって緊張感で空気が張り詰めたかのように翔は感じた。次の瞬間、部屋のどこからか優しい風が流れる。そして、それは淡い緑色のオーラを纏い、リーフェの指先に集まると指の動きの通り空気が回り始めた。


「……すご」


 思わず口から感嘆の声が漏れる翔を見て軽く微笑むリーフェの指先に現れた緑色のオーラは、部屋の隅に小さな渦を作り床のホコリを巻き上げてしばらくして、空気に解けて消えていった。


「これが、魔法です。すみません、あまり使ってない部屋で埃っぽくて」


「おぉ……」


 目の前で起こった超常現象に翔は開いた口が塞がらない。確かに、魔法と称するにはふさわしい光景だったであろう。


「他にもいろんなことができますけど。まぁ、お部屋のお掃除くらいならこの程度で十分ですね」


 リーフェはそう言って少し得意げに話す。少なくとも、魔法の確認ができた時点で翔はここが地球ではなく、そして自分の知る世界ではないということを確信した。


「さて、と。ショウさん」


「え、はい」


「貴方。今日、どうされるつもりですか?」


「……あ」


 突如振られた話に思わず翔は口から声が漏れる。


 今の翔の立場は宿なしである。突然この世界に飛ばされたため、全文通り先立つ物は一切ない。仮に金品を持っていたとしても、この世界では何の価値にもならないだろう。


 そして、床に置いてある剣を見つめる。


 翔は考える、


 おそらくこれは相当な業物だろう。であれば、これを売れば多少の金は手に入るはず、それらで節約をしながら仕事を見つけるのも一つの手であると。


 だが、そこで思い出した。この剣は、捨てても帰ってきたのである。


 となれば、売ってもおそらく自分のところへ帰ってくるだろう。魔法が平然とあるような世界だ、剣や物の一、二本戻ってきたところでなんら不思議な話ではない。だが、日本には昔から捨てても捨てても帰ってくる呪われた人形の話なんてのがごまんとある。


 そう考えた時、ホラーや怪談が大の苦手な翔にとって、剣を捨てる。もしくは売るというのは得策でもないような気がしてきた。


「あの、ショウさん?」


「は、はいっ!」


「そんな驚かないでくださいっ、私までびっくりしましたっ」


 声を掛けられたことで、とっさに大きな声を出してしまった翔。だが、驚いたのはリーフェも同じのようで、胸に手を当てて深呼吸をしている。


「す、すみません。驚かせてしまって」


「いえ、それは良いんですけど。別に、今すぐ追い出すなんて話はしてませんよ」


「……え?」


「一応、ギルド職員の公務として。ギルド登録者の冒険者に何らかの障害が起きた場合、尽力に対応するというのがありまして、しばらくの間。私の家に滞在していただいても構いませんよ」


「でも、自分。ギルド登録者? というのでもなんでもないただの一般人ですよ?」


 そう言うと、素っ頓狂な顔をしたリーフェだったが。しばらくして、再び優しい笑みを浮かべ、翔の眼をまっすぐ見る。


 それはどこか、遠き日の見たことのない母親の眼差しによく似ているような気がした


「困った時はお互い様です。今回は、特例ということで」


「……すみません、何から何まで」


「良いんです。ちょうど部屋も余っていましたし、ここは自由に使っていただいて構いませんよ」


 リーフェの言う、ここというのは今まで翔が暮らしていた六畳一間よりも明らかに広い部屋だった。多少埃っぽいが掃除をすればどうにかなる問題で、家具もそれなりにあり、人ひとりが十分に暮らして行くことのできる広さだった。


「あと、一応なんですが。食事も用意しました、あちらの世界の料理がどんなものかわかりませんけれど……、普通に食事とかは取られるんですよね?」


「え、えぇ。それはもちろん」


「ふふっ、そう、良かった。今日は少し自分で頑張ってみたんです、準備ができましたらリビングにいらしてください。ここを出て突き当たりの廊下を左ですから」


 そう言って立ち上がるとリーフェは先に部屋を出よう翔を背に扉に手をかける。だが、ドアノブに手をかけようとして、一回振り返ると正座をした翔を見下ろしながら口を開いた。


「ちなみに、私の寝込みを襲わないほうが。身の為ですよ」


「き、肝に命じておきます」


「えぇ。よろしい、それでは。お待ちしてますので」


 そう言って、微笑みを崩さないまま部屋の扉を開け出て行ったところで翔は大きなため息をついて大の字になって床の上に転がり天井を見つめる。


 天井には、一際綺麗なランプの光が灯っていてその周りを見たことのない色の虫が群がってランプの灯りを突っつき回していた。


「……とんでもないことになったな……」


 だが、同時に翔は思った。


 これは、幸先がいいと。

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