第2話 動いてよ・・・

〜牧野雫の場合〜


真っ白なキャンパスに描かれたその男性は、リクライニング付きのゴツゴツした車椅子に座っていた。


もう30分は経つだろうか、彼はピクリとも動かない。かろうじて動くその目は、車椅子に取り付けられたモニターを眺めていた。


「ワタシノナマエハ、ダイチ。ALSカンジャデス」

無機質な機械音が、彼の名前と病名を告げた。


筋萎縮性側索硬化症(ALS)。


全身の神経と運動機能が徐々に麻痺し、やがて死に至る病。原因不明の病気で、治療法はない。


もう何度調べて、何度その言葉が頭の中を駆け巡っただろうか。


余命は通常2〜3年。症状の進行は個人差が大きいらしく一概には言えないのだろうが、私の余命もきっと同じくらいなのだろう。徐々に運動機能は衰え、自分で歩けなくなり、服を着替えることや身の回りのこと全てができなくなって、最後には呼吸が止まり死に至る。


そんなことを考えながら、この日のために丁寧に削った4Bの鉛筆を握りしめ大地さんのシルエットをどう描くかじっくり観察していく。茶髪で、もみ上げを刈り上げた2ブロックのヘアスタイルは彼にとても良く似合っていた。太い眉にキリッとした鼻立ち、病気になる前はサッカー選手だったと言う彼はきっとモテただろう。素敵な顔だちで、今もまだその輝きは失われていない。その一方で首から下には彼がALSと必死に戦ってきた痕跡がはっきりと残されている。喉には呼吸をするために白い管が取り付けられ、時折スタッフが彼の様子を心配そうに見つめている。さらに視線を彼の身体に移すと、ゾッとした。ポロシャツの袖からのぞかせる彼の腕はやせ細り骨に皮がぴったりと貼り付いているのが見てとれる。あえて緩めのズボンを履いているのかサイズがなかったのか、明らかに大きなズボンからは彼の身体がすでに廃用症候群をきたしていることを匂わせている。


さて、どこから描こうか。乾いた口を潤すように唇を一度締め直し、カバンからペットボトルを取り出して一口の水を飲んだ。構図は決まった。



私は小学生の頃、地元で開かれた絵画学生コンクールで佳作をとった。描いたのは大阪城の天守閣。なんのことはない絵だったが大人たちは喜んだ。私もまんざらではなかったので嬉しくなり、中学校からは本格的にデッサンの勉強を始めた。絵を描くことが当たり前になり私の生活の一部となり、高校に入ってからは通学中の電車内でも出勤中のサラリーマンや学生をこっそり手帳に描いていた。将来は東京芸術大学に進学してもっと絵を学びたいという夢を持ち、絵を描くことで社会と繋がっていられると感じていた。



高校2年の春。学校で良く転ぶようになった。最初は疲れているんだろうと思って気にも止めず、家族や友達も口を揃えて「疲れてるんだね」と言っていた。絵の描きすぎで運動不足なのかと思い体力を作るために毎朝ランニングすることにした。朝のランニングは清々しく、一緒に走っている人がいると妙な連帯感が芽生え挫けそうになった足に力が入った。ランニングを始めてからは思った通り体調は良くなり、転ぶことも少なくなってやっぱり疲れていたんだなと安心していた。両親も友達も「やっぱりね」と言いながら安堵の表情を浮かべていた。そんな日が数ヶ月続いた後、私は青信号の横断歩道を走って渡った時に道路の真ん中で足元から崩れ落ちた。すぐに立とうと思ったけど、足に力が全く入らなかった。


車に引かれるという心配よりも先に「ぜったい何かおかしい」と、言いようのない不安感に襲われ身動きが取れないでいると、


「大丈夫?歩ける?」とたまたまそこを通りかかっただけの人に声をかけられた。


「ダメです。身体に力が入りません」

私がそう言って動けずにいると、だんだん大きくなった人だかりの中から「通してください」と声が聞こえ薄い水色の服を着た救急隊に抱えられて病院に運ばれた。私が絶望の淵に立たされていても、どこの誰とも知らない人が手を差し伸べてくれる。自分の良く知る家族や友人、クラスメイトや先生だけが世界の全てじゃないだ。そんな風に人の温もりと可能性を感じた。



病院のベッドで寝ていると、母が駆けつけてくれた。


「雫!大丈夫?」心配性の母は言った。まだ何もわからない状態だったけど、ひとまず母を安心させようとして「大丈夫だよ」と微笑んだ。


母は少し安心したのかキャスター付きのパソコンラックの上でパチパチとタイピング音を鳴らしていた看護師に声をかけ、その看護師はひとしきりの入力を打ち終えた後部屋から出ていき、担当医を連れて戻ってきた。


医師は「神経内科医の工藤です」と爽やかな口調で話しかけてくれた。どちらかというと爽やかなタイプは苦手だったので表情は変えずに軽く頭を下げて挨拶をした。


空いている病室に案内され、「症状はいつから?」という類の質問が私を責め立て、医師の表情や言葉の一つ一つから自分の病気の深刻さを推し量ろうとした。病院に運ばれて間も無くMRIやCTなど画像検査を終えていたので、医師は丁寧に結果を説明してくれた。


「特に以上は見当たりません。ひとまず脳卒中の可能性はないでしょう」と医師は安心していいのか悪いのかわからないセリフを述べた。


医師はすぐには診断をつけなかった。まだ検査しなければいけないことがあると最後に告げ、それから私は毎週病院に通うようになった。



ALS患者が日本でできる医療の選択肢は2つ。


呼吸器をつけて「生きる」か。

呼吸器をつけないで「死を選ぶ」かの2択だ。



数ヶ月後に病名を知った私は、何も考えられずにいた。


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