私のこの手で・・・

ありす

第1話 その日彼女は、安楽死を選んだ

-琴原京介の場合-



僕はあの日からずっと、雫さんのことを考えている。


なぜ、僕は間に合わなかったのか

なぜ、僕はもっと早く会いに行かなかったのか

なぜ、あの人は



安楽死を選んだのか・・・



部屋から見える窓の外は、全てが灰色がかって見えた。



僕はどこかであの人にまた会えると思っていた。

ビルの上から飛び降りようとした、あの日から。


ーーーーーー


夏が終わりに近づいた、雲ひとつない太陽の下。昼下がりの日曜日だというのに僕は中学生らしく学生服を着てお気に入りの灰色の雑居ビルの屋上にいた。この場所に来るのは何度目だろうか。何度も死にたいと思うたびに訪れては、屋上から見える小さな車や人の影を見て恐ろしくなり飛び降りる勇気を失った。


僕は小柄で運動もできなければ勉強もできず、なんの取り柄もない。小学生の頃は割合なんでもできると思っていたけれど中学生になると自分よりもずっと勉強も運動もできる人がゴロゴロいて、自分は普通だったと思い知らされた。中学校から英語教育が本格的に始まり、僕はついていけなかった。これまで挫折なんて味わったこともないから自分の頭の中で起こっている出来事を処理しきれずに、あっという間に成績は地に落ちた。身体の成長も遅く、走るのも遅い、泳ぐのもクラスで一番遅い。体育祭では僕が走る番になっても誰も見ていないし、クラスの列に戻っても誰も声をかけてくれない。それでも中学1年はなんとか持ちこたえた。


そんなことを考えながら靴を脱ぎ綺麗に並べてその下に家族に当てた手紙を置いた。屋上の手すりに両手をついて手すりを乗り越えようと思ったその時だった。


「あーーー、死にたーーい」


女の子の声が聞こえた。


僕は心臓がドキッとすると同時に「えっ?」と言葉を発して声の主を確認した。


振り向くと、僕と同じように手すりにつかまっていた黒髪ロングに色白でいかにも「女子高生」という肩書きの似合う綺麗な女性がそこにいた。


「君も、死ぬの?」僕は彼女に言った。


彼女は僕の方を見てすぐに視線を落とし、僕の足元に綺麗に並べられた靴をじっと見た。


「んーー、自殺、とはちょっと違うかな?ほっといても私、もーすぐ死ぬの♪」彼女は自分の死がまるで人事であるかのように言った。


「君は、ALSって病気知ってる?」

「いや・・・」


聞いたことのない名前だった。エーエルエス。全く検討がつかないという顔をしていると彼女は続けてこう言った。


「筋萎縮性ナンタラって言ってね、全身の神経が徐々に麻痺して最後は息ができなくなって死ぬんだって。余命はあと2年」


余命は2年て、もうすぐ死ぬんだ。僕は思った。だけど彼女から死の匂いは全く感じられない、いたって健康な肌にツヤツヤの黒髪。僕と会話するその声はとても明るくきっと彼女は人に好かれるんだろうな、と思い、


「ピンピンしてるように見えるけど」と僕は言った。


彼女はすぐさまこう答えた、

「今はね。それでさっき、ALSの患者さんに会ってきたんだぁ。手足は動かないし、自分で呼吸できないから機械付けて呼吸してるの。動くのは眼だけ。でもね、眼の動きだけでパソコンに文字を入力して、機械が代わりに喋ってくれるの!すごくない?!」

「う、うん・・」


なんだかよくわからないが、大変な病気のようだ。眼の動きで文字が入力できるというのは聞いたことがある。すごい技術だ。しかしそれよりも、やはり彼女はどう見たって普通の女の子にしか見えないし、死期が迫っているとも思えない。第一、僕が自殺しようとしているのに何故この人は平然としていられるのだろうか。


「・・・で、あんたは何で死にたいの?」彼女は僕の気持ちを察して言った。


「僕は・・・」


この人に全て話してしまおうか。彼女はどこか儚げで明るく、自分も死にたいと発言していた。この人なら僕の気持ちも少しはわかってくれるかもしれない。そう悩んでいると彼女は


「いじめ?」と聞いてきた。


年上の女性とあまり話したことはないが、先に言わないで欲しい。僕の問題は深刻なんだ。と思いつつも話を聞いてくれるのが嬉しかった。


「僕はチビで、メガネで、走るのも遅くて勉強もできないから、クラスのみんなからいじめられてるんだ。」


僕は思いのたけをぶつけた。この人なら何か受け止めてくれるのではと期待を込めて。


「なるほどねー、そりゃ死にたくなるね♪」

「いや、フォローしてよ!」

「あははっ!冗談よ〜!」


彼女の言葉は僕の期待通りだったのかもしれない。僕はきっと誰かに止めて欲しかったのだ。誰かと笑って話がしたかったのだ。ただそれだけの望みだったのに、僕がいじめられていると知ったクラスの担任は見て見ぬ振りをして、クラスメイトも僕から目を背けるようになった。そうこう考えていると、



「学校やめちゃえば?」と、僕をフォローするように彼女は言った。

「え?」

「だって学校なんて世の中にいくらでもあるよ?たった1つの学校が合わないってだけで死んだらもったいないじゃん?」


できるなら自分もそうしたい。だけど中学生の自分には学校をやめて働く勇気もなければ転校したいと親に言う勇気もない。せっかくマイホームを購入した親に転校したいと言うのははばかられるし。どうしたらいいかわからず、鬱積を晴らすように僕は声を張り上げた。


「それができないから悩んでるんだよ。中学生には自分の生きる道を選ぶ権利なんてないんだよ!」


僕らの他には誰もいないビルの屋上に僕の声が散っていく。彼女も黙ったままだ。そんな沈黙を破るように彼女はゆっくりこう言った。


「・・・君は、人が死ぬとこ、見たことある?」

「え?ないけど…」と僕は言った。


彼女は言葉を続ける。


「よかったら見に来てよ。私、自分に誇りを持って死にたいんだ」


本気なのだろうか。ただ、冗談を言っている風ではない、その瞳に嘘はないと僕は思った。彼女は僕にゆっくり近寄り、僕の頭に柔らかくて小さなその手を置いた。僕より背の高い彼女の黒髪が風に揺られて僕の頬に触れる。



「私が死ぬまで、君も死んだらダメだよ?」



なんて返事をするのが正解なのか、わからなかった。きっと正解なんてないのだろう。言葉ではうまく返事ができそうにない。でも彼女とどこかで繋がっていたい。自分以外の誰かと繋がりを持つことができれば、僕は死の世界からの誘いを断る理由ができたと思った。


「私、牧野雫。君の名前は?」彼女は優しく言った。

「琴原、京介」

「・・・京介くん。約束だからね」

「・・・うん」


たった一つのきっかけが、たった一つの出会いが人の人生を変えることがあるんだって、この時初めてわかった気がした。


これが、彼女との出会い、中2の夏だった。

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