lose heart

「雨かぁ……じめじめするしやだなぁ」


 窓の外、暗くどんよりとした雨雲の下で激しい雨足を聞きながら、私はそんなことを呟いた。

 私は普段、図書館から少し離れた場所にあるログハウスの一角を住処にしている。

 幸い雨漏れも少なく、劣化もあまり見られない良好物件だ。

 二階や別の部屋は置いておいて。

 清潔なベッドに、綺麗なカーテン。大きめの机の上にはお掃除したばっかりのパソコンパーツが乱雑に置かれている。

 これほどまでに状態がいい住処は他には無いだろうと自負するほど、自慢の家だ。


「そろそろご飯でも食べようかな」


 私は椅子から立ち上がると、この部屋唯一の扉から廊下に出た。

 一階の廊下だが、採光がとても良くこんな天気でも隅々まで見渡せる。完璧な建築だ。

 ただ、若干劣化がきていて、所々から雨漏りがしている。

 受け皿を用意してもすぐに溜まり、いちいち替えるのが面倒くさいので、そのまま放置している。

 床に染みを作っているが、腐って落ちなければ良しだ。

 そんな廊下を通って隣の部屋。倉庫だ。

 ここは先ほどの私の部屋と同じ間取りの部屋で、状態も良さげな場所だ。雨漏りもない。

 私はここを普段からとりあえずの荷物置き場としており、ブルーシートを広げた上に集めた基盤などのパーツや工具、発電機などなどを置いている。

 それ以外は、ちょっとした備蓄食料だ。

 私みたいな引きこもりフレンズは、ラッキービーストとの邂逅が少なく、食料を手に入れるのも一苦労。

 かと言って畑を作る暇もなく……ということで、貰えるだけ貰っておいてここに保管しているというわけだ。

 窓も塞いであるし、唯一の出入り口は鍵付き。他のフレンズや動物に取られる心配のない、完璧で特別な倉庫。それがここだ。

 私は壁際に置かれた籠の中から、数個ジャパリまんを取り出して、自分の部屋へと戻った。

 椅子に座り、ぼーっと窓の外を見つめながら、一口、二口と食べ進める。

 この味はとっくの昔に飽きていて、他の料理でも作ってみようと考えてはいるのだが、やはりこの完全栄養食に見合う料理など作れるはずなく、そもそも味を楽しむだけの事など娯楽でしかない。そんなことができるリソースのない私は、ただただ我慢してコレを食べるしかないわけで。


「お米が欲しい」


 カレー味のジャパリまんを食べながら、届きはするが叶えるのが面倒な夢を呟いた。


「ごちそうさまでした」


 何もなくなった膝の上を見て、手を合わせて常套句を口に出す。

 それにしても、暇だ。

 こんな雨だと、図書館にも行けないし、機械漁りに建物を回ることも億劫でできないのだ。

 何かないかと、上の空を続けていると。


 ずばん!


 と勢いよく扉が開かれた。


 「誰?」


 落ち着いて、この部屋唯一の扉を見る。

 するとそこには、ずぶ濡れになった博士がいた。


「博士……? なんで?」


 いつもは図書館の維持管理をしている博士が何故ここにいるのか。何故私を訪ねてきたのか、理解できなかった。

 博士は息を上げ、びしょびしょに濡れた頭の羽を小さく上下に揺らしている。

 その羽じゃ飛ぶことは難しいだろう。しかもこの風だ。流されてしまう。

 そんなことを思いながら、博士の足元を見ると、やはり靴と靴下が泥でぐしゃぐしゃになっていた。

 博士の服からは絶え間無く雨水が流れ出て、床をどんどん濡らしていく。


「ホントにどうしたんですか、博士」


 冷静にそう聞くと、博士は呼吸を整え、息を呑んで声を絞り出す。


「としょ……図書館が……」


「図書館が……?」


 博士の声は震えており、図書館に何かあったに違いないと、私も心してそれを復唱する。


「図書館が、沈んだのです……」


「……沈んだ?」


 私は博士の言葉を疑った。確かに何日も雨が降ってはいるが、この程度の雨なら十分排出できるほどの機構が図書館には備わっている。

 図書館は崩れ去った地上階より下、今残っている遺産は全て雨風から守られる地下にある。

 第一保管庫は完全な密閉空間で、扉を施錠していれば虫どころか水すら入ることを許さない仕組みだ。

 『沈んだ』とは、どういうことなのか……?

 私はいても経ってもいられず、勢いよく立ち上がって住処を飛び出した。

 服はすぐに雨に濡れて重くなり、靴も水を吸い泥を吸って気持ちの悪い履物に変化する。が、そんなことをお構い無しに全力で走り抜ける。

 足音で後ろから博士が追ってきているのがわかるが、地上のフクロウはネコには勝てない。すぐに雨足にかき消され聞こえなくなった。


 無我夢中で走り、図書館の位置する草原に出た。

 びしゃんと、大きく水しぶきを上げる。

 その水しぶきにびっくりし、息を上げながら立ち止まり、真下を見た。

 太腿から下が見えなかった。

 正確には、溜まった雨水で見えなくなっていたのだ。

 この草原は周りの土地とは別に少し標高が低い盆地であり、普段は小川が通って下流に水を排出できている場所だ。

 そんな場所が今では、止まることを知らない雨に打たれ続けて、一面光の反射する鏡になっていた。

 その鏡は水の波紋を幾度も作り、ここが草原であること自体を忘れ去れるほど、美しいものとなっていた。

 それと同時に、私は知った。

 博士の言った言葉の意味が。

 波を立てながら、歩みを進める。

 ざばざばと音を立てて、すぐに図書館の前に着く。

 入り口から中に入ると、二階へ続いていたと思われる階段の途中、丁度螺旋階段で屋根ができ水から離れられる場所に、助手が座っていた。

 朧とした目で入ってきた私を見ると、助手は地下への入り口がある方を見て、顔を振った。

 私は、もう解っていた。

 頭では解っていたはずなのに、体が勝手に歩みを進める。

 やがて地下階段前まで来ると、体もやがて事実を知って、その場に立ち止まった。

 目の前には、鏡。

 水平で、波紋を作り、空っぽになった私を朧げに映し出す、鏡があった。

 もう一歩歩みを進めると、ざぶんと足が落ちた。水位が太腿から、腰にまで達するほど増えた。

 いや、増えたのではない。私が沈んだのだ。

 もう一歩踏み出すと、今度は胸まで沈んだ。


 そうだ、ここが、ここか。


 私は、地下階段の二段目に立って、やっとこの事実に信じたのだ。


 管理室は、防水設計になっていない。

 管理室が水に沈んだ時点で、電気系統は死に絶え、機械はただの金属の塊となって鎮座する。

 例え第一保管庫の中が生きていたとしても、管理室が死んでしまえば、扉は開かないのだ。


 ああ、またか。


 私はそう思った。

 第二保管庫のように、ここにあった読める全ての本は、機械停止と水という鎖に縛られて、読めなくなってしまった。


 見上げて、真っ黒に染まった空を見渡す。

 空を覆っている雲が、私の心も曇らせ、悪天候に仕立て上げていく。


 そんな時に、ふと、とある本に書かれていた文を思い出した。


 There is Always light behind the clouds.


 その一文を、必死に覚えた拙い知識を使って脳内で翻訳し意味を知った時、言葉にできない感情が渦めいた。

 今投げ捨てようとしていた希望を、絶望に持ち替える事なく、そのまま持ち続けることを、その一文が選ばせてくれたのだ。


 それを、足下の鎖付図書が教えてくれたのだと思うと、自然と涙が溢れ出た。

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KemoNostalgia 風庭 雪衣 @wind-garden

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