第40話 エピローグ(2)
体験授業を終えて、和葉は教室のある棟を出た。心なしか軽やかな足取りで、赤いレンガの門へ向かう。もう夕方だというのに、まだ外は真昼のように明るい。
鼻歌でも歌いそうな心地で歩いていると、門に父の林太郎が立っているのが見えた。地味な茶色の私服姿である。
「お父さん! どうしたの?」
「いや、今日は仕事も休みだし、ゴルフもないし、暇だったから散歩に出かけただけだ。そしたらお前が行くと言っていた高校が見えたから、ちょっと見に来ただけだ」
林太郎は照れを隠すように、素っ気なく言い放った。和葉はずっと機嫌がいいようでニコニコと笑っている。
「このレンガが懐かしくて、つい眺めてしまっていた。何でだろうな……。どこで見たんだろう……。全く思い出せないんだ」
「お父さんも? 私もこのレンガが懐かしくてさ、ずっと見てたんだよ。そしたらココの校長先生が来て、この辺はレンガ造りが盛んだったって教えてくれた。粘土がいいんだってさ」
「ああ、なんか聞いたことがあるな。へえ、粘土がいいのか……。じゃあこの辺でレンガを作っているところを見たのかな?」
「多分それ、『あの国』の大学で見たんだよ。私もさっき思い出したけど」
和葉が得意げに言った。林太郎は目を丸くしている。
「もしかして、中央地区大学か? お前が一緒にいた先生は中央地区大学の先生だったのか……。俺と一緒にいた先生も同じ大学だよ。だから何回かお父さんもその大学に行ったことがあるんだ。そうかそうか……だから懐かしく感じたんだな」
2人の間に、また一体感が生まれた。しかし和葉はハッとしたように慌てた。
「いや、分かんないけどね! まだ特定するのは早いけど。先生も言ってたもん。『真実を見つけたと思っても、勉強を続けていたら真実ではないことに気づくこともある』って!」
林太郎は顎を手で擦り、感嘆の息を吐いた。
「いいこと教えてもらったんだなあ、和葉は。確かにな。でももし俺たちが行った大学が同じで、『そこ』のレンガと『ここ』のレンガが一緒だったらどうなんだろう」
和葉は最初、何を言っているか分からなかった。「例の国」と日本は全く別物で、何なら「例の国」のことは幻か何かと思っていた。たまたま見た幻の世界が、林太郎と同じだったというだけ。そういう風に無理やり解釈していた。
「でも、『あの国』は日本じゃないでしょ? 私たち同じ夢を見てたんじゃない? ほら、夢って現実の出来事を整理するために見るっていうし」
「そうなんだけどな。あのアクアマリンのネックレスがどうしても引っかかって……。科学じゃ解明できないことも存在するのかもしれないと思ってな」
「お父さんがそんなことを言うなんて、珍しいね。結構現実主義なのにさ。仕事も科学っぽいし」
林太郎は病気のワクチンを開発する仕事をしている。本人は無自覚だが、知らず知らずに「例の国」に影響を受けているだろう。彼は病気で苦しむ人々の姿を、たくさん見てきた。
「たまにはいいじゃないか。こんな風に想像力を鍛えるのも大事だぞ。俺の考えたのは『パラレル世界』説だ」
彼は少年のような顔で語り出した。
あの世界は「日本があらゆる場面で、別の選択をした結果」なんじゃないか、というのが彼の持論だ。
開国のタイミングが異なったり、戦で勝つ武将が異なったり、死ぬはずだった人が生きていたり……。そんなことがあったら、日本は全く違った様子になっていただろう。「日本」という名前ですらないかもしれない。
そうした国が、和葉や林太郎が行った「例の国」なのかもしれない。林太郎はそう言った。
「それ、めっちゃファンタジーじゃん。そういうドラマあったよね。でもその説いいかも。本当かどうかは分かんないけど、夢がある。面白い!」
林太郎は得意げな顔をして頷いた。得意げな気持ちになるとき、彼は顎をわずかに上げる癖がある。
「夢と現実の境目は、意外と曖昧なのかもしれないな。飛行機だって、『空を飛ぶ』っていう夢の世界を現実にしたものだしな。俺たちが行った国のことだって、いつか分かるさ」
「分からないなら分からないで面白いけどね。ずーっと想像してるのも楽しそうじゃない?」
和葉は風で口に入りそうになった髪の毛を払いながら言った。林太郎は「確かに」と笑って、2人は歩き出した。彼は最近笑う回数が多くなったと、和葉は思う。
2人の帰路に、「例の国」へ行った時に入った湖がある。幸い柵は作られていなさそうだ。
「あの医者が余計なことしなくてよかったな」と珍しく他人に対して棘のある言葉を吐いた父に、和葉は思わず笑ってしまった。
「この湖が綺麗なのは、近くの人たちが遊びにくるからだからな。柵ができて人が来なくなったら、行政もこの湖をほったらかしにするだろう。そしたらただの汚れた水たまりになってしまう」
「お父さん、詳しいね」
「『あっち』で一緒にいた先生にこういうことを教わったんだ。最近まで忘れていた。駄目だな、ちゃんと復習しないと」
林太郎はおどけたように言った。湖は日の光に反射してキラキラと光っている。平日ではないからか、家族づれが多い。まだまだ暑い日にはぴったりの遊び場だ。ボートに乗っているカップルもいれば、やや浅めの所で魚を捕まえている子どももいる。
「とは言っても、深いところに落ちたら危ないよね。お父さんも『あの国』にまた行かないようにしてね」
和葉はいたずらっ子のように笑った。
湖の傍には大きな木が植わっており、木の葉はまだまだ落ち葉になるには早いと言わんばかりに青々としている。
風が吹くたびに、木の葉が楽し気に揺れる。和葉は「歌ってるみたいだ」と言おうとして、恥ずかしくなって言うのをやめた。
一際大きな風が吹いて、1枚の葉が和葉の手もとに落ちてきた。最近雨は降っていないにも関わらず、まるでずっと水を吸っていたかのように瑞々しい。
(葉も呼吸してるんだっけ)
ふと理科の授業のことを思い出した。
和葉は木の葉をどこか無機物のように感じていたが、急に生きていることを実感した。
葉脈を指の腹で撫で、手の平に置いてみた。するとまた力強く暖かな風が吹き、大きな木が揺れ、何枚かの木の葉が大きく舞い上がった。
その木の葉に混ざるように、和葉の手のひらの葉も風の中に入って、遠くへ飛んで行ってしまった。クルクルと楽し気に舞う木の葉を、和葉はずっと眺めていた。
木の葉は雨が育てる 大江ひなた @suihe
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