ホイヨトフ

安良巻祐介

 遠目に見ただけでは、卵の黄身に似た球形であった。

 健康的な、濃い黄と橙とが混じりあっているところも、つるつるぴかぴかと光っているところも。

 しかし卵と違うのは、その真ん中に小さな目鼻口があることで、近づくと見えてくるその異様なパーツによって、それは結局、卵よりも昔の絵画の中の太陽──顔のある、しかしどこまでも無表情そうな、あの少し不気味な太陽の方を、見る者に想起させる代物となっていた。

 地面から三、四メートルという、これまた高いような低いような中途半端な位置に浮かんだそいつは、あの生命学研究所が閉鎖を余儀なくされるに至った不幸な事故──口さがない都新聞は「天罰」などと称していたが──の直後、研究所跡地の寂れた区画へとその姿を現したもので、発見時には事故の些かショッキングな経緯も相俟って、典型的なある種の怪談として語られた。

 しかし、新聞屋やテレビジョンやオカルト界隈の期待したような反応を、この太陽もどきは何も見せず、いくら待っても、ちょっかいをかけても、ただただ跡地の上にぽつねんと浮かんで、斜めに見下ろしているだけだった。

 責任者であったG--博士を筆頭とする生命学研究所の主要な職員は、各種重要書類と共にその全員が事故によって消滅──死亡ではなく──していたため、太陽もどきとそれまでの研究との因果関係も、永久に闇の中へと葬られてしまった(太陽の顔が博士の亡くなった実子に似ているという噂が流れたが、風聞の域を出ない)。

 そうして、役所から危険区域立ち入りおよび未確認生物捕獲調査許可が降りるよりも早く、飽きやすい大衆は世間に次々現れる他の派手なニュースの方に気を取られ、つまらない人面太陽への関心を失っていったのだった。

 こうしてあらゆる因果から切り離された太陽もどきだけが、まるで見張り番のように、跡地の上へ残った。

 それはただ、時たま金魚のように口をパクパクさせるだけで、後はただずっと浮かんでいる。

 僕はそれを眺める。そして何か、不滅という言葉を思い浮かべる。

 あの小さな太陽は、この研究所どころか、これからもしこの町が、この国が、いや、この世界が、この宇宙が滅んだとしても、変わらずにずっと其処に在るような気がする。

 そして、さらに思う。

 もしかしたら、それが目的だったのではないか、と。

 モニュメントなどという陳腐な言葉では到底表せない、もっと途方もなくて、抽象的で、孤独な何か。

 そういうものを、世界のある一点へ、かつん、ぽとりと落として、永遠にそこへ浮かべておく。

 そのために、わざと割られた卵の殻から、零れ落ちた中身が、あの太陽もどきなのじゃないか──。

 僕は座ったまま、眺めている。そして何か、不滅という言葉について、考えている。

 空を、本物の太陽と、その影のような月とが、幾つも幾度も行き過ぎていった。

 きっと、僕の妄想は妄想に過ぎない。太陽もどきは何も語らない。真実を語るものはもはや誰もいないのだ。

 しかし、それなのに──あるいは、だからこそ──こうしていつまでも座って眺めている限り、僕は何かむしょうに、ひどく厳かな気持ちに囚われるのである。……


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ホイヨトフ 安良巻祐介 @aramaki88

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ