百合の勝利、百合の花冠

癒えぬ傷を抱えた少女《白雪楓》
彼女に惹かれた少女《黒鳩空》
しかし二人の運命は、大きな矛盾を孕んでいました。大きな自己矛盾を。
白雪楓の悲劇が、彼女の自己を孤独の淵に落としていたのです。二人の恋は、窮極の認識に至るための試練に託され。歴史は繰り返す。一度目は悲劇として。二度目をどうか喜劇として。黒鳩空の命を賭したブリュメール十八日が幕を開けます。

物語は、華麗なる修辞はさることながら、強靱な哲学論理に裏打ちされた過去の悲劇と現今の喜劇が交互に展開されていきます。森羅万象研究会の部員ならびに個性的な面々(個人的には、カワボJKしもぼくちゃんが好きです)が打ちだす喜劇は、悲劇を南泉和尚の趙州のような、二項対立を止揚したのちの陽だまりにさらすことができています。
一枚また一枚と白雪楓の秘密のヴェールが捲られていくにつれ、読者の意識にかかったブリュメールも晴れていくようです。
額縁なしに森羅万象を見せるような手際は、さすがとしか言いようがないです。
なによりも悲劇と喜劇の弁証法は、物語の一側面です。多重人格者白雪楓の心理の裏では、カバラの生命の樹が人間の根源的なテーマを通底させています。
そうして著者の川崎めて仟さんは、二人の少女に勝利を与えるために、大胆な手法を試みています。
 
ここからは黒鳩空の空虚な身振りに習って私もヘーゲル的反省を深めていきます。
私なりの言葉がこの作品を引き受けることになればと願って。
物語の本質部分に触れているかもしれません。それも願うことなのですが。

黒鳩空がパスカルの賭けにより反復する空虚な身振りとは、彼女をヘーゲル的主体にすることです。
彼女は〈本質的副産物、否定されるための空虚な身振り〉によって主体を〈空〉にします。黒鳩〈空〉は、外的精神的支えに白雪楓を充てます。そして黒鳩空は、自身を〈白雪楓を悲劇から救う存在〉として措定します。それが彼女の空虚な身振りによる賭けでした。

では黒鳩の賭けが彼女に与えたものはなんだったのでしょう?
幾度も賭け、自分を空にして負けてでも賭けつづけ、最後に生まれた最初に信じていたものとは。
黒と白が止揚した灰色の百合?

私は〈王国〉だとかたく信じます。
楓と黒が交じりあった〈マルクート〉です。それもきわめて百合的な。
導入部において、二人は分かり合えていたのかもしれません。黒色の〈ビナー〉は理解ですから。
しかし白雪楓の方に悲劇があった。二人にはコミュニケーションが必要でした。分かり合うための時間は、白雪楓の弁証法と黒鳩空の賭けに費やされます。

第四章において。
慈悲の青が白雪の巣居に黒鳩を招待します。楓は黒鳩を傷つけ、その血を吸います。
マルクートの別名は、シェヒナーです。シェヒナーは、神の女性的イメージです。またタルムードのハギガーによると、楽園としてのシェヒナーが他のセフィロトから切り離され孤立したとき、シェヒナーは悪の乳を吸うとされています。
ここから白雪楓は黒鳩の神的女性的イメージであったといえます。ゆえに白雪はシェヒナーが悪の乳を吸うかのように黒鳩の血を吸ったということができるのではないでしょうか。

シェヒナーを再び、セフィロトの樹に接ぎ合わすこと。二人の百合の王国の誕生には、その段階を経なければなりませんでした。いつまで?

黒鳩空の空虚な身振りが、白雪楓自身を反省させるまで、です。
白雪はあらかじめ〈黒鳩に救われる存在〉だったと前提されたとき、白雪楓は黒鳩空となるのです。神的女性的崇高的で悪の乳を吸うしかなかったシェヒナーの白雪楓が反省され、白雪楓は〈黒鳩空〉となり、二人の色彩は〈王国〉の樹立を描きあげたのです。

であるのなら、この物語は、カバラに勝利した新しいカバラといえるでしょう。
そうするとますます黒鳩空の賭け金が、どれほど天秤を重く傾かせていたことかわかります。
かたわらの少女の王国と王冠を手にするための、自分でも信じられない信仰。あったかもわからない、来るかもわからない、白雪楓との百合の王国を、帰巣本能が求めつづけ。ハトの迷信行動のごとくひたむきに信仰しつづける姿は、もはや殉教者です。愛する少女の悲劇を喜劇に変えようと必死に戯れながら。鳩戯少女のブリュメール十八日。

その日々に服し見事、黒鳩空は、主体から離れた外的な白雪楓の残滓としての勿忘草を手に入れたのです。