海外旅行
ンマニ伯爵
海外旅行
「やっぱり、思い切って来てよかった! すっごい楽しい!」
澄江は、燦々と照る異国の太陽の下で、両手を大きく空に向かって上げ、ゆっくりと深呼吸をした。青空のところどころに、くっきりとした小さな白い雲が点在し、まるで空の高さを示しているようだ。目を下に移していくと、眼前にはその青空をバックに白く巨大な像がある。
「あれ、大きなわさび、みたいだね」
横で一緒に像を眺めていた中学生の拓海が口を開く。
澄江の夫、隆史は、拓海のすぐ後ろに立ち、巨大な像の口から勢い良く飛び出る水を眺めていた。像は、上半分はライオンを模したもの、下半分は魚だという。シンガポールの象徴、マーライオンだ。真後ろから見ると、上半分のライオンの鬣は、何やら植物の葉のようでもあり、また「下半身」には沢山のウロコ状の突起が生えていてゴツゴツしている。その様子は確かに「わさび」のようでもあるな、と思った。なかなか面白い着眼点じゃないか。隆史はその白い「わさび」を真後ろから撮影した。
周囲では、沢山の観光客が同様にマーライオンにスマートフォンを向けている。もっとも、隆史のように「真後ろ」から撮っている人間はおらず、他の観光客はみな、斜めや横から、要するにマーライオンが口から放水している様子を撮影している。
(そんな写真は、どこにでもあるだろうに)
隆史は、ちょっと天邪鬼かな、などと思いながら他の観光客たちの撮影シーンを眺めていた。
とはいえ、先ほどはちょっと離れた場所から、遠近法を利用してマーライオンを「指でつまんでいるような」ありきたりな写真を撮って喜んでいたりしていたのだが。
三人は、六年ぶりの海外旅行に来ていた。シンガポールは、初めてだ。
澄江が、たまたまホームAIアシスタントの「プログナンス」に「はあ、くたびれた」と独り言を言ったことで、壁のモニターに対処タスクが表示された。その内容が「家族でシンガポールに行きましょう」だったのだ。
それを妻から聞いた隆史が、なるほど、じゃあ自分はどうするかとプログナンスに問いかけたところ、回答は「心身に疲労が蓄積しつつあり、仕事を離れて家族と過ごしてみては」だった。
さてシンガポール旅行だが、そんなの行く日程、取れるんだろうか。土日だけで海外旅行は、さすがに窮屈だろう。となると、休日と有給を組み合わせて、となる。
会社の業務アシスタントに繋いで問い合わせると、ちょうどいい塩梅に二週間後に数日、業務が薄いゾーンがった。ここで有給が取れそうだ。拓海はちょうど夏休みのはずだ。
そういえば最近、仕事で使っている眼鏡型端末に、会社の労務厚生部門からの「いつもと違うことやろうキャンペーン」のバナーが度々表示されていたことを思い出した。普段はあまり意識していなかったが、たまには業務を離れて違うことで頭と体を使ってみよう、そういう気持になっていった。
「澄江、シンガポール行こう! 仕事の端末も置いて」
「あら、珍しいわね」
澄江は驚いた表情で隆史の方を見た。普段、あまり家族サービスには積極的ではない夫が、会社を休んでまで家族旅行に行く、というのは初めてのことに思えた。
「拓海の夏休みの予定、どうなってたかな」
「拓海は……うん、そのあたり、登校日なんかは無いみたいね。講習会もとりあえず、大丈夫みたい。映像授業は日をずらせるし」澄江がスマートフォンのアシスタントアプリを見て応える。
「勉強のペース配分も調整つくなら、その間は端末での勉強もお休みに出来るな」
「拓海、喜ぶかしら」
「どうだろう。プログナンス、拓海は喜ぶだろうか?」
「大丈夫です。シンガポールはちょうど学校での英語の題材に出てきたところなので、興味を持てると思います。ぜひ一緒に行くべきです」
壁に装着されたプログナンスのスピーカーから安心感のある声が聴こえてきて、隆史たちを勇気づけた。さっそくその場でプログナンスに指示を出し、三泊四日のシンガポール旅行を申し込んだのだった。
「そろそろ、レストランの時間ね」
澄江は、スマートフォンのメッセージを見ながら言った。マーライオン像のすぐ側にあるレストランだ。普段参加しているSNSに組み込まれたアシスタントから教えてもらった、評判のレストランだ。人気店のため通常は予約でいっぱいらしいのだが、今回はアシスタントがシンガポール旅行の計画と家族の趣向を組み合わせて事前に仮押さえをしておいてくれたようで、旅行前には予約完了の通知が来ていた。
高級なカニのレストランであるが、隆史の家の収入では妥当な値段だ。このあたりの判断もメニューの組み合わせを含めてアシスタントが自動でやってくれているので、安心して任せられる。
隆史と拓海は、澄江についてレストランに入り、いつもより早い夕食を取った。
「このカニ、すごいね」
辛いソースにまみれた大きなカニの身を頬張りながら、拓海はニコニコ顔だ。澄江は辛いものはあまり得意ではなかったが、不思議とこれは美味しく食べられた。
「しかし、楽しいな、今回の旅行。ホテルも高級だけどプログナンスが割引きクーポン調達してくれたし」グラスに注がれたシンハービールを口に運ぶ隆史。
「そうよ。あんな最上階でラウンジの傍なんて、まるでスイートルームだし、こんなところにあの値段で泊まって許されるのかしら、って感じよね」
夫婦の会話を横に、拓海は次の料理が来るまでの間、スマートフォンのカメラをあちこちに向けて黙々とARを楽しんでいるようだ。ついでにデバイスのアシスタントが判断して、様々な写真を自動で撮ってくれている。
一日目二日目ともに、ナイトサファリやユニバーサルスタジオといったアトラクションのチケットも、予定に合わせて事前にアシスタントが入手していたものを現地で提示するだけだった。
「本当に便利ねえ。昔はいちいちネットで検索してチケット購入、とかやってたものね」
「だよなあ。クレジットカード番号入れて、名前と連絡先と……とかね。そんなことに消耗してたのが、嘘みたいだ」
一昔前を知る夫婦は便利さを実感するような言葉を交わしていたが、拓海にとっては「それが普通」の日常だろう。明日の帰国のチケットも、とっくにアシスタントが用意している。家につくまで、スケジュールに沿ったアラートを確認し、それに合わせて動けばいいだけだ。スムーズで安心、そして安全に帰宅できる。
三人は、高級ルームの柔らかなマットレスに体を沈めた。
「え、どういうことですか?」隆史の声が響く。
帰国した三人は、羽田空港の入国審査で足止めを食らっていた。
「すみません。パスポートの電子認証が失効していると、ここに表示されているので」
「いや、まだ期限まで……」
「そういう事ではないようです。何故なのかはここには出てませんね。ちょっと、お待ちください」
入国管理局の職員が、耳にはめる古いタイプの受話器を叩いて、どこかに連絡をしている。
「どうしたのかしら。三人とも?」困惑顔の澄江。
「そうみたい。俺たちだけじゃなく、同じ便の人たちの……十人、いやもっとかな」隆史が同様に足止めされている人間を見回して言った。
隆史の傍に寄ってきた拓海も、不安げな表情をしている。
しばらくすると、先ほどの入国管理局の職員とは異なる制服を着た人間がこちらに向かって来た。
二十人ほどだろうか。
先頭の女性が、にこやかに挨拶をしながら三人に声をかける。同じ制服を着た残りの職員も、ところどころで他の乗客に声をかけている。
「お待たせしました。ちょっとばかり、入国管理の手続きの不具合があるようなので、こちらにいらして頂けますか?」
言葉遣いは丁寧だが、有無を言わせない重みがある。三人はコクリと頷くしかなかった。
いつの間にか隆史達を含む数十名の乗客は制服の職員に取り囲まれていた。その後、ざわめきながらも全員でその場を移動した。
入国審査を待っている他の人々が、自分たちを見て何事か噂をしているようだが、分からない。なんせ、自分たちでも分からないのだ。
案内された集団は数人ずつに分けられ、廊下に並ぶ頑丈そうなドアの中に次々と案内されていった。
三人は、そのドアの一つから中に案内された。
静かだった。灰色の絨毯が敷き詰めてある。大きめのベージュのソファにテーブル、奥には木製らしき机がある。まださらに奥に別の部屋があるようだが、ここからは詳しくは判らない。シンガポールで泊まったホテルの部屋よりは狭いものの、単なる「待機場所」としては豪華に思えた。
隆史は何故か、これ以上奥に進むことに強い抵抗を覚えた。澄江や拓海の顔を見ても、やはり同様不安げな様子だ。
振り返って制服の職員を見た。表情や物腰は柔らかいものの、何故か疑問を封じるような圧迫感を覚える。とりあえずは入らざるを得ない空気だ。
「しばらくこちらでお待ち下さい」
職員はにこやかに挨拶すると、うやうやしく頭を下げてドアを閉めた。かすかに精度の高そうな機械音がした。
ドアは、二度と開かなかった。
「おかしいやないかい!」
田村が路上で大声をあげた。周囲の人々が驚いて視線を集めるが、田村の風体を見て即座に目を逸らし、また歩きはじめる。
「……いったいナニがどうなっとるんや!」
通話用のワイヤレスイヤホンを耳に入れて電話をしながら歩いていた田村は、耳からイヤホンを取り出して道路に投げ捨て、革靴の底で踏み砕いた。
田村は、チンピラだ。かつてはメンバーが千人を超える大きな非合法活動組織に所属していたが、何故か半年ほど前から櫛の歯が抜けるように少しずつメンバーが減っていき、組織運営が不能となってしまい、そして自然崩壊したのだ。
驚くべき崩壊だった。主要メンバー、特に、表には出てこないような、実力のある幹部や情報のハブとなるような人物から、逮捕されたり海外で行方不明になったり交通事故で死んだり、怪我や病気で次々と居なくなっていった。
初めは対立組織の攻撃や策略かとも思っていたのだが、想定している「敵」も似たような状況で、お互いに疑心暗鬼のまま顔を見合わせ慌てふためいている間に次々と構成員が消えて「綿菓子が溶けるように」同時に崩壊していった。
崩壊の過程で分裂していき小集団となって生き残りを図った者も居たが、結局それらも小さな泡のように消滅していった。
田村は、崩壊の兆しが出た直後から何らかの組織的な攻撃であることを想定し、注意深く観察していたが、何も判らなかった。個々の事例の繋がりが全く読めない。ただただ、崩壊した。そして残されたのは、「力」を失い孤立したチンピラ達だけだった。
最初はそれでも残った人間同士で連絡を取り合おうと考えたこともあった。しかし、不思議な直感がそれを止めた。何となく、集団ではなく一人で動いたほうが安全なような気がしたのだ。
しかしそれは逆に、「全てを自分でやらねばならない」ことを意味する。結果、田村は情報収集から何からすべて、自分一人でやっていた。
通話の相手は、証券会社だった。
昼食のためにセルフフードに入り注文をしようとしたが、デジタルペイが認証不能になってしまって注文が出来なくなっていた。他の店に入っても、店員の居る店でもダメだった。田村のデジタルペイは、某大手証券会社のデジタル口座アドレスと紐付いている。その電話窓口に問い合わせていたのだ。
「誠に申し訳ございません。お客様のご質問の意味がわかりません。もういちど、ハッキリと、要点をよろしくお願い申し上げます」
という、田村好みの冷たい女性の声が、虚しく繰り返されるのみだった。
この会社は大手なのだが、実店舗が無い。元々は株式を主体に扱う普通の証券会社だったが、五年ほど前にデジタル決済とその自動運用業務に特化し、成長していった。そして一昨年に全ての業務をAI化して全ての実店舗を売却した。だから、文句を言いに行く場所が無いのだ。
「くそっ、腹減ったな」
周囲にある様々な「使えない」飲食店の看板を見回しつつ、自宅へと戻った。
(……??)
違和感があった。部屋に入って点いた電灯の配光が変だ。
田村はAIアシスタントが嫌いだ。配光も自分で自分好みにマニュアルでセッティングしていた。いちいち変更するのも面倒なので配光は固定になっているはずだったが、いつもと違っている。部屋の隅が暗い。好みと違う。よく見ると、床に固定してある間接照明のアームの角度が少し変わっているようだ。
(誰かが入ったのか?)
一瞬考えて、玄関から出ようとした。扉が開かない。
(ちっ)
玄関とは反対側に移動すると、室内を見回しながら静かに窓のロックを解除し、開けようとした。
開かない。固定されているようだ。
(……)
そこへ、玄関に人が来たというインジケータが表示された。
振り返ると、扉のスクリーンに映る筈の人影が映らない。人影どころか、何も映らない。
田村は咄嗟に椅子を手に持つと、思いっきり窓にぶん投げた。窓ガラスが砕け散り、同時に玄関のドアが開く気配がした。後ろを振り向くこともなく窓から飛び出し、外に駆け出した。
「しかし、AIもずいぶん進化したもんだよ……」
真っ先に、首相の水樹が口を開いた。
広いテーブルの周りに、十五人の閣僚が円になって座っている。テーブル中央の大きな空間ディスプレイには、政策案が幾つか提示されている。そこには、根本的で中心的な国家課題である「国力の衰退」の項目から四方八方に伸びるツリー、そして一番端にはその根源的なターゲットが表示され、ゆっくりと回転している。裏側には、それぞれに対応した具体的な「解決策」が示されていた。
「AIなんて、最初はキワモノで、なんだか統計に毛が生えたような物だったんですけどね」
「そうそう。将棋や囲碁、あとは自動運転か。あんな感じのもので、『知能』っていわれてもなあ、単なるパターン認識じゃないか、と思ってたもんだよ」
「あの後、ものすごい勢いで成長しましたね」
「っていうか、成長してることに、一部の人間しか気づかなかったんだよ。今みたいな形は、ほんの一部のIT企業にしか見えてなかった。じわじわ、乗せられてたんだ」
「スマートフォンやら家庭用のアシスタント、業務アシスタントも、最初は単なる『メモとスケジューラ代わりの便利機能』だったんですけどね」
「あれが統合されて、あらゆるデータを元にパターンマッチングだ」
「よく考えたら、人間の行動なんて、全部パターン化されてますからね。把握しきれなかっただけで」
「そうなんだよ。考え方だってそうだ」
雑談を横で聴きながら、官房長官が政策ツリーの変化を見ていた。山奥の滝壺を呆っとしながら見ているように、ただただ、眺めている。
「人間ってのは、もう少し複雑だといわれてたんですけどねえ」
「まあ、技術の進歩もあるだろけどな。囲碁だって、こんな複雑なゲームはコンピューターごときに扱えない、人間が負けることはまず無い、っていわれてた。それがアッサリとやられた。そのうちゴッホやベートーベンの『新作』なんかが出てくるようにもなった。誰も見たことも聴いたこともないものだ。そして、『誰の模倣でもないもの』を作るようにまでなった」
「『創造性』も身に着けたんですね」
「だなあ。人間の『創造性』なんてもんは、所詮は歴史の蓄積から拾い上げてきた断片の組み合わせに過ぎん、って話もあるくらいだから、人間は人間の創造性を買いかぶってたってわけだ」
水樹が肘掛けに右手を置くと、そこにはいつの間にか各種ビタミン入りの飲み物が置かれていた。
「これもそうだ。俺は自分の喉が乾いていることに、このジュースを見て初めて気づいた。俺のことを、俺より良く知ってるんだ」
飲み物を置いた人間は、メガネ型端末の奥にある表情も変えずに、水樹の後ろでじっと待っている。
「しかし、いくら人間の思考パターンは似てるっていっても、こんなに早くこういう時代が来るとはなあ」
「それは、人間の側も協力してますからね」
「協力?」
「協力というか、歩み寄りっていうか。ほら、人間って、もともと『楽をしたい』『手を抜きたい』生き物じゃないですか。だから、色んな道具を作ったわけでしょ。その道具が多少不出来でも、とにかく『楽をしたい』って気持ちが強いですから、ちょっと合わない部分は、『自分のほうから』適合させていったわけですよ」
「ああ、なるほどな。最初から完全な道具は無い。道具を改良すると同時に人間のほうがそれに合わせていって、その道具を使うスタイルが成熟するんだ」
「そうなんです。人間て柔軟で、しかも欲望に忠実ですから、すごく便利な機械には全力で適応しますよ。食洗機だって、使う前にザッと洗って綺麗に並べてあげたりしましたでしょ。不完全な機械がちゃんと働けるように、って。マップでの移動経路も、初期のころの地図アシスタントの言ってることが多少違ってるかも、って思っても、なんだか他を探すの面倒だからって結局その通りに行ったり」
「そうそう。最初は音声認識ももう一つだったけど、そのためのこっちがクッキリはっきり話しかけましたよね」
「オススメの本とか、買っちゃうもんな。中身も知らないのに」
「それが一番楽ですし、だいたい合ってる。むしろ、それで選んで読んだのを『あえて楽しもう』とまでしてしまう」
「そういえば、そうかも……」
水樹は、AIアシスタントに勧められて観た映画のことを思い出した。
「こないだ、うちのプログナンスに言われて映画観たんだ。家族と。実はあんまり興味無かったんだよね、正直。だけど、『プログナンスの勧めだから楽しいはず』って感じだろうか、その映画の楽しい部分を探しながら観てたら、なんだか一気に観て、満足したんだよ。家族にも思わず『面白かったな』って声かけたし、レビューも星五つにしたんだ。『とても興味深いので是非』っていうコメントまで書いちまった」
「それ、もし星一つにしたら、どうなるんでしょうね」
「さあな……。でも、そんな事するのは、何となく、不安だろ?」
それを聞いていた官房長官も、うんうんと頷いている。
AIは、人間の「助け」によって、生活のあらゆる場面に静かに浸透していった。かたや人間も、AIに合わせて行動することで選択や無駄のストレスから解放された。そのおかげで「スムーズに生活」し続けることが出来ていた、いや、していたのだ。
これはつまり、「アシスタントに従わないことは、ストレスになる」ということを意味する。
人間は、一旦その手にした利益を、簡単に手放せるように出来てはいない。
人間は、いともたやすく、自らAIに敗北したのだ。
「で、今回の政策提案、どう思う?」
中央のディスプレイの一部が拡大された。
そこには「全国の公立図書館の屋根を黄色に染め、首相の会見時には帽子が掛かった帽子掛けをテレビに映る場所に設置する」と書いてある。
「マザーAIから出た政策提案なわけだからなあ」
「しかし、これで、なんで『国力の衰退』が解決するんだ?」
「そこが、AIの難点だ。こいつは、人間には解らない言葉で考え、異なる理屈を打ち立てて、そして正解を出す。出した答えは正しいが、我々には道筋は解らない」
「そうなんだよな。そういえば昔、『言語明瞭・意味不明』とか言われた首相が居ただろ。ああいう感じだ」
「懐かしいことを言いますね」
「でも、結局、正しかったんだ。今までもずっと。最初は半信半疑だったが、半年で結果が出ると言われてやってみたら、本当にそうなった」
「医療や福祉、安全保障も教育もそう。『ご宣託』が出る度に、なんでこんな方法で、と思うが、やってみて時間が経つと不思議と何かが解決していってるんだ。こないだの、神田川にかかる橋を全て三日間通行止めにすると同時に衆議院を解散しろ、っての、自分でも言ってて何を役所にやらせてんのか解らなかったが、それやったら全国の停電の件数と傘の忘れ物が激減した。そして何故か、国連安保理で通ると思っていなかった提言が不思議とギリギリ通って、経済冷戦中のあの国が和解を申し出て来たんだ。意味が分からん」
「多分、もっと解らない、我々の理解を超えた効果が、気付かないところで色々山ほど出てるんだよ。マザーと行政AI、あとは接続されている業務用・家庭用プログナンスや個人アシスタントアプリにのみ理解出来る言語と理屈で、我々の世の中は動いてるんだ」
「しかし、こないだの、入国審査で特定の三十七人を選別したら、なんで国力が回復するんだ?」
「我々に推測できるのは、あの選別で帰国せず『枠外待機』になった人間が、成績が悪い、ってことなんだろうが……たかだか四十人程度の操作が、国力全般に影響するとは考えにくい」
「あれだ。『バタフライ効果』って奴か。小さな変化が大きな結果を生む原因となる」
「しかし、あの成績表、我々には、どれが『優秀』で、どうなると『劣等』なのか、尺度すら不明という……」
「といいますか、単純な『成績』の良し悪しじゃなく、その効果だけを目的にしてる、って可能性もありますよね。どんな効果かはよく分からないんですが」
「私たちの『成績』も、解らないですものね」
「我々も、自分のアシスタントの『アドバイス』で動いてはいるが、正直、それ以外の選択肢を考えたり、リスク取って別のことをやる余裕なんて無いんだよな」
「適合した行動をベースに全ての予定が高効率に組み立てられてますからね。無視したせいでどこかが綻ぶと、その後の人生全部がオシャカになっちゃうんじゃないかっていう恐怖がありますね。あるいは、『成績』に影響して……」
テーブルの上の解決ツリーは有機的な動きで分岐し、消滅し、それぞれの実現状況、進捗状況がリアルタイムで表示され続けている。
「あれ、私、そろそろ立たないといけないようですね」
閣僚の一人が眼鏡のフチに手を触れて席を立ち、後ろに下がった。いつの間にか、四人の守衛がその椅子の横に並んでいる。
その時、天井で何かが割れるような異様な音がした。そして大きなものが椅子の上にドスンと落ちてきた。
人間だ。
すかさず四人の守衛が、落ちてきた人間を確保する。
「田村さん、お待ちしておりました。さあ、こちらへどうぞ」
呆然とした表情のパンチパーマの男が、周囲をキョロキョロしながら四人の守衛に連れられて出ていった。
「もう座っても良いようですね」
先程立った閣僚が、またその席に座った。
「何だったんですか? 今のは」
「ああ、ツリーのここ、ちょっと『田村・閣議・今・天井』で訊いたら、出てきました。反社会的人間のようですが、アシスタントをあまり使ってないようです。動きが読みにくく、社会運営に非効率な人間って感じでしょうかね。不確実で反社会的な要素はできるだけ無くしておきたい、ってところでしょう。ああ、以前の『アドバイス』で、青果の販売に補助金を出して、同時にデジタル口座番号が二十七で割り切れるものの情報伝達エラーレベルを三十倍にしろ、とかいうのがあったでしょう。あの直後から、数ヶ月ほどで何故だか組織暴力集団が次々と自滅していった。あれの生き残りみたいです。しかしそれを何故今、ここで、というのは、全くもって。こればっかりは、『マザー』の思し召しで……」
「しかし、それだったらもっと早く『対処』出来そうなもんですけどね」
「アシスタントを『信頼』していないような、行動の予測もつきにくい人間は、確実な場所で待っとくしかなかった、ってことですかね。それがココとは」
「マザー様の意図は解らない。けれど、正しいということだけは、解る」
「我々のこの雑談も、自分の意思なのかどうか、判ったもんじゃないですな」
閣僚の一人が頷き、右手の人差指で眼鏡の縁を撫でながら宙を見据えた。そして右手の人差し指でゆっくりと「承認」のボタンを押した。
海外旅行 ンマニ伯爵 @nmani
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