5
「……おお、生きておったのか」
「ろくに名乗らぬまま、あの場を辞してしまって申し訳ございません。タオモ族のジンと申します」
ラモ翁は双子の背に回していた腕を離し、ジンに向かって一歩、二歩、よろよろと近付いた。ジンは義理の父の腕を優しい手つきでそっと支え、レミとルパを引き寄せてから、その場に膝をついた。
「ジンか。よう戻った」
「父親と自称できぬような体たらくで申し訳ございません。その上、まだお願いがあって馳せ参じました」
「……何をする気じゃ?」
「ジョルマ・フォーツの貴人の案内を頼みたく。お父上どのが保護した者は、何か言っていましたか?」
ラモ翁は砂長竜の方をちらりと見やってから、首を振った。
「理性などないな、気をやっておったぞ。行こう、行こう、と、ただ垂れ流しておる。わしの言うことなどきかん。すぐどこかへ行こうとするのじゃ。それの赴く方へ行くのじゃな?」
「ええ。レシテナルダが、決してジョルマ・フォーツの者を襲うことのないように。可能ですか?」
「……行くしかあるまいて。こやつのことは案ずるでない、わしの言うことはちゃんと聞きよるからのう」
ラモ翁とジン・タオモが頷き合った時だ。
砂長竜がのたうち回り、歯を震わせてとんでもない音を立てた。
「どうした!」
「言う前から、おぬしらのところの兵士は!」
ゴラン・ゴゾールは目を凝らした。暗闇に乗じて砂長竜の背に乗りかかっているのは人間の影。それは兵士の形をしていて、先程までラモ翁が乗っていたであろう絨毯の上で、何かを持ち上げたり取り出したり、捨てたりしていた。
「あったぞ、食いものだ!」
「こっちには水だ!」
「おぬしら、やめんか! 危険じゃ!」
制止も聞かず、彼らは好き勝手に物資を漁っている。ヴェンゼや警邏の者が止めようと叫んでいるが、彼らには聞こえていないようだった。宰相はというと、いつの間にか遠く離れた場所にたった一つ設営されている綺麗な天幕の方に移動していて、その光景を冷たく眺めているだけだ。
ラモ翁は、砂長竜の頭の所に走っていって、その鱗を必死で撫でて宥めている。
「ああ、動くでないぞ、傷付けるでないぞ――どうなるかわからんからのう、落ち着くのじゃ、赦すのじゃ」
「すまない、ラモ翁……おれの国の者が」
「仕方あるまいて……予想はしとった」
視界の中で、食料の入った箱の中からチーズを見つけ出した兵士たちが、起こした焚き火で早速それを炙っていた。それはもしかしたら避けるチーズかもしれなかった。ゴラン・ゴゾールは、人々を守る騎士であった男だ。だから、哀れな未来を体験することになるかもしれない彼らに向かって、声を掛けた。
「おい、悪いことは言わん、それを食うのはやめておけ。後悔する羽目になるか、砂漠で迷子になるぞ」
「何言ってんだ、こいつ」
「王子殺しだろ、信憑性なんてあるかよ」
「んなことより腹が減ったぜ」
しかし、兵士たちはその忠告を一笑に付した。そうして彼らはチーズを炙り、あっという間に口の中へ放り込んだのだ。
「おい、これ、飛ぶぞ!」
「砂漠の秘宝が作ったんじゃねえのか?」
「避けるチーズだ、避けるチーズ!」
「だったら尚更食わねえとな、恩恵にあずかれるかもしれねえ」
妙な動きをするチーズに驚いた者もいたが、彼らは自分たちの目的が砂漠の秘宝であることをしっかりと知っていた。宰相から聞かされていたのだろうか。うっかりチーズを逃がした者は、また誰かから切れ端を受け取り、焼いて食った。避けるチーズを体内に取り込んでしまった彼らの末路を思って、ゴラン・ゴゾールは首を振った。
傍に来たヴェンゼに、天幕の方に戻れ、と言われ、一行は連れて行かれた。
ジョルマ・フォーツの紋が施された天幕には布の仕切りが付いていて、簡素な部屋が形成される。入り口に程近い一角を覗き込んでみれば、宰相がひとりで食事を取っているところだった。
怒りを覚えたゴラン・ゴゾールは、思わず声を掛けていた。
「あなたは止めないのか、宰相どの」
返されるのは冷えた視線である。
「よく考えてみろ。馬鹿を一掃するついでに不毛の大地の案内人が増えるのだから、便利なものだ」
宰相はそんなことを言いながら、持参したらしい干し肉とパンをスープに浸す。まあまあ、と宥めようとするヴェンゼに従って、ゴラン・ゴゾールは何とか怒りをやり過ごした。
天幕の外で阿鼻叫喚の騒ぎが繰り広げられたのは、その二刻後のことであった。
「おい、聞いてねえぞ! 何で止めなかった!」
そんなことを叫びながら一人の兵士が天幕に転がり込んできて、ゴラン・ゴゾールに向かって訴えてきたのは、ランプの灯りが弱くなってきて、ヴェンゼが油を継ぎ足そうとした時である。
「……忠告はしたぞ、それを聞かなかったのはそっちだ」
「力ずくで止めればよかっただろう!」
「無茶を言うな、おれの腕はこうなっている」
兵士に向かって、ゴラン・ゴゾールは後ろを向いてみせた。未だに腕は拘束されたままだ。若き監督官と警邏の者に水と固形物は摂取させて貰っていたが、己の腕を動かして何かを出来る状態ではない。
「犯罪者が国の兵士を力ずくでどうこうするのは問題ですしね」
残念そうな表情のマローノが言うと、兵士は憮然とした表情になった。その時だ、天幕の仕切りの向こうから、宰相が現れた。
「どうかしたかね」
「ヴォプロ宰相どの! いかがいたしましょう、砂長竜の背にあった物資を食った者が、皆、変なことを言いながら、砂漠の方へ向かっていくのです! 宰相どのは、止める方法をご存知でしょうか?」
「やはりそうなったか。彼らは、何と言っている?」
宰相は冷静な態度を崩さぬまま言った。まるでこうなることをわかっていたかのようなその口調に、兵士の顔には動揺が走る。
「……行こう、行こう、とか、約束の地へ、とか、そういうことをぶつぶつと言っています」
「そうか。先だってチーズを食わせた近衛騎士と同じ症状だ」
「ですが、戦力が……止める方法は……止める方法はおありでしょうか?」
「止めずとも、追えばよいではないか。その先に秘宝があるそうだからな」
宰相はそこでゴラン・ゴゾールを見た。まるで、こいつが秘宝のありかを保証してくれる、とでも言いたげな視線だ。
「皆で追うのよ」
「ああ」
リタが言えば、ジン・タオモも同意した。
天幕は畳まれた。日の出を遠く望みながら、一行は宇宙と砂の間に横たわる闇を、砂長竜の長い身体に乗って泳いでいく。
ぶつぶつ言いながら進んでいく兵士たちの後ろをうねうねとうねりながら追いかけていく巨大な身体の上からは、時折、砂の中から砂鮫が飛び上がるのが見えた。星の光に照らされて、滑らかな鱗が硬い光を反射するのが美しい、と、ゴラン・ゴゾールは思った……砂鮫たちは、天敵である砂長竜に接近するという危険を冒し、譫言を零しながら進んでいく人間を感知して、喰らっているのだ。だが、その攻撃を潜り抜ける者もいて、そういった幸運な兵士たちは、尚も一定の方向を目指していた――皆が、一様に。
「レミ、ルパ。レシテナルダの背から決して落ちるな、潜り鰐は昼しか動いていないが、昼夜問わず襲ってくる砂鮫は特に危険だ」
ジン・タオモが、己の子に向かって諭しているのが聞こえる。レミとルパはラモ翁の長く過酷な旅に同行していた子供だから、忠告の必要などないだろう。だが、双子は神妙な顔をして頷いていた。
「わかった、ととさま」
「……ぼくも気を付けるよ」
ルパがジン・タオモのことをととさまと呼ばないのが何だか微笑ましい、と、ゴラン・ゴゾールは思った。いつか自分も家庭を持った時、こんな風に話をする機会があるのだろうか。今までは貞淑で控えめな女性が良いと思っていたが、このような旅をさせるかもしれないことを考えると、勇ましく図太い者との間に子を為すのが良いのではないか、などと考えてしまう。
例えば、このような状況で、己の背に額を預けてうつらうつらしているリタのような。
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