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ゴラン・ゴゾールは驚きのあまり、振り返って大声を出した。愉快そうな笑い声を上げた第二王子は、至って愉快とは程遠い真顔だった。
「嘘を言ってどうする。収賄の罪により没落させられたナパーノ家の筆頭だ。非常に有能だった。収賄を抜きにしても、王国が失ってはいけない人材だ。確か、その罪を暴いたのはネーロ・ヴォプロだったな。おそらく濡れ衣だろう……そしてその次に、私は嵌められた。切れ者のダラグなら何とかしてくれるかもしれんが……」
冷えた玲瓏な視線が、ゴラン・ゴゾールの腕の中にいる第一王子マローノに注がれた。絶え間なく風が吹きつけて髪を乱す中で、第二王子は声を張り上げて、己よりも少し先に生まれた兄に対して問うのだ。
「命が危険だから入れ替わろうという提案を飲んだのは事実だが、おまえが犠牲になったと後で知って、どれだけ私が後悔したか。尊き御身、第一王子ともあろう存在が、どうして自分を安売りした……マローノ?」
マローノは、ゴラン・ゴゾールを見上げてから、カストーノの方を見た。弟王子は身を捩って兄王子を視界の中心に据えようと努力をしている最中であった。もぞもぞと動く感触がこそばゆい。
「……私は、カストーノの清廉さと正しさ、決断力こそ、国を率いていくために必要であると考えています」
「私は、あなたの優しさと民への想いこそ、為政者たるべき資質だと思う、マローノ」
「……しかし、己の思い付きと感情ばかりを出してしまうような私では、役不足です」
「そんなことを誰かが今更言ったのか。私たちはもう幼い子供ではない。私は、今も変わらない、あなたのそういうところを好いている」
第一王子は唇を震わせただけで、何も言い返さなかった。ふたりのやり取りを聞いていたゴラン・ゴゾールは、巨大鳥が羽ばたかせる翼よりも高いところにある雲が、凄まじい速度で王都の方へ取り残されていくのを眺めていた。落ち着かないのだろうか、右腕の方でリタが身じろぎをして、思わずその腰を支えれば、息を呑む音がして、次いで囁きが首筋に掛かってくる。
「ふたりでひとつって、双子によくあることなのかしら」
彼女も、王子たちのやりとりを聞いて、思うことがあったらしい。正気を失った「行こう、行こう」という声が聞こえる中、ゴラン・ゴゾールは、言い得て妙だと思った。
巨大であるから愚鈍かと思いきや、ヌヴォアーラは非常に飛行速度の高い生き物であった。森も、伐採場も、あっという間に過ぎていった。燭台の谷もあっという間に越えていった。重罪人を砂漠に放逐するのならば最適な輸送方法である。
砂漠に近付くにつれて雲は消え、陽射しは徐々に強烈なものとなってきた。宰相の指示だろうか、鳥たちは徐々に高度を下げていく。ゴラン・ゴゾールは、ヴェンゼに向かって大声で言った。
「砂漠で助けてくれた人が、もしおれたちのうち誰かがチーズを食ったら保護してくれる、という約束をしてくれた。おれたちじゃなくても、何かに気付くだろう……砂鮫や潜り鰐の豪華な晩餐にならないような運の強さがあれば、だが」
若き監督官はゴラン・ゴゾールに向かって微笑んだ。宰相やジン・タオモとまともに渡り合える立場にいるのは彼だけだ。
「砂漠に降りれば会えるか?」
「あの人と一緒にいる砂長竜が、間違いなくこっちを見つけてくれるだろう」
「砂長竜か……わかった」
ヴェンゼはそう言って、別のヌヴォアーラの籠と何やら手信号でやり取りを始めた。やがて、四羽の巨大鳥は示し合わせたように、砂の大地を目指して降下していった。
一行が降り立ったところは燭台の谷と砂漠の境目だった。
「よし、放せ」
宰相の命令で、三人の近衛騎士の拘束が解かれる。
「行こう、約束の地へ」
「行こう、行こう」
まだ空の色は変わっていなかったが、日は傾いていた。正気を失った者たちは、似たようなことを呟きながら、皆が皆同じ方向を目指して歩を進めていった。その気味の悪さに、警邏の者たちや兵士たちは、誰一人として追おうとはしなかった。音に吸い寄せられる砂鮫に出会う前にラモ翁が見つけてくれることを、ゴラン・ゴゾールは祈った。
「監督官から協力者がいるとの報告を受けたが、妙な真似をすればどうなるかわかっているな」
宰相は、兵士に命じて、ゴラン・ゴゾールだけでなく、リタや第一王子マローノ、第二王子カストーノまで縄で拘束させながら、そんなことを言った。
「……それは一理あるでしょうが、王子様がたを拘束するのは下策ではありませんか、宰相どの?」
「ノーリ・ペコ王家の血筋は優しさが過ぎる。だから、国も軟弱なままなのだ。今ここで、水の精霊王の加護を得て力を伸ばし始めた西方の国に呑み込まれるわけにはいかん。戦は国力を削ぎ、民を飢えさせる。最小限の犠牲で国を強くするのが最善だ」
ヴェンゼが見かねて口を出せば、宰相はそんなことを言った。それを聞いたゴラン・ゴゾールは、不思議に思った。どうして王子を廃したがるのだろう?
気が付いたら、疑問を口に出していた。
「宰相どのは、ご自身で国を率いるおつもりか?」
「私でなくともよいのだよ。だが、真にこの国の未来を憂いておるのは私だけだろう。貧民街は整備されねばならない。隠者の森と伐採場で私の邪魔をする者も廃さねばならない。今のままでは、十年のちには、ジョルマ・フォーツは消えているかもしれん。砂漠の秘宝の力を利用して、国を豊かにする必要がある。この子供が舞えば草が生えると言ったな。それはまさに、大地の精霊王の恵みに他ならないだろう……それを食った羊の乳で作ったチーズがあらぬ方向へ行かせる作用を引き起こしたとしてもな。草だけでなく他の植物も生やすことが可能かどうか、試す必要がある」
「……他国に呑まれることが前提なのか?」
「敵国だ」
「……宰相どのは、村でも滅ぼされたのか?」
ゴラン・ゴゾールは訊いた。すると、宰相の顔が、はっきりと歪んだ。それだけで察することができた。
「そうか」
「……不毛の砂漠に秘宝がある。おそらくそれは土の精霊王の加護によるものだ。それを利用して力をつけ、水の精霊王の加護を得た国を凌駕し、併合し、大陸を統一する……そうして街道を整備し、交易の活性化を図れば、今以上に我々は栄えるだろう」
「成程な、納得はいった」
「ほう……ゴラン・ゴゾール。愚鈍かと思っていたが、なかなかどうして、物分かりのいい男かもしれん」
そこで初めて、宰相の顔に違う表情が見えたような気がした。だが、と、ゴラン・ゴゾールは思う。その壮大な計画の途中で、何をどれだけ失うことになるのだろう? 尤も、自分たちが助かる為に近衛騎士を何人か犠牲にしようとしているのは事実ではあるが、果てを考えると、恐ろしい気持ちになるのだ。
リタがこちらを凄い目で見ているのが気配だけでわかった。その冷えた視線を受け止めるだけで、ゴラン・ゴゾールの思考が、驚くべき速さで冴えていく。
「納得はいったが、最小限の犠牲……大切な人を奪われた者が、反旗を翻し、宰相どのに楯突くだろう。ないことないことを言いふらして、宰相どのの熱心な想いを邪魔してくるかもしれない。それをいなすのは面倒だとは思わないのか」
「そのための、砂漠の秘宝だ。力の前に人はひれ伏す」
空の色が変わり始めてきた。宰相は、近衛騎士が消えていった方向をじっと見つめている。
やがて陽が落ち、星の明かりのみが世界を照らす刻が訪れた頃。砂の蠢く音と共に、太くて長い生き物が、曖昧な闇の境目からその姿を現した。
手首は身体の後ろで拘束されていたが、足は動ける。ゴラン・ゴゾールは、鎌首をもたげた砂長竜の前に躍り出て、叫んだ。
「ラモ翁!」
「おぬしか、ゴランどの! 迎えに行くとは言ったが、お前さんじゃない者を保護した。何が起こったのじゃ? レミとルパは無事か?」
間違いなくラモ翁の声が聞こえて、ゴラン・ゴゾールは安心した。アルタン族は約束を守ってくれる人々であった。しかし、キシキシと耳障りな音は、砂長竜が歯を擦り合わせて出している警戒音だ。ラモ翁も砂長竜も、何か想定外の事態が起こっていることに気付いている。メエ、メエという羊の鳴き声は聞こえないから、きっとノージャの街にでも預けてきたのだろう。
「これはどういうことじゃ。そこにおるのじゃろう、ゴランどの?」
「ラモ翁、来てくれると思っていた。レミもルパも元気だ、そこにいる」
ゴラン・ゴゾールの暗い視界の中で、双子と共に、ジン・タオモらしき影が動いたのが見えた。
「じじさま!」
「じじさま、ただいま!」
「おお、よかった、レミ、ルパ! 無事じゃったか!」
砂長竜の背から飛び降りたラモ翁は両手を広げた。その中に、双子が飛び込んでいく。それを見ているだけで、レミを助けることができてよかった、と、ゴラン・ゴゾールは思った。
「ラモ翁、探していた人を見付けた。あと、砂漠に案内して欲しい客人が、ちょっと沢山いる」
ゴラン・ゴゾールが言い終わった後に、ジン・タオモが進み出る。ラモ翁の表情が大きく動いたのが、暗闇の中でもよくわかった。
「お父上どの。全てを携えて、約束通り、只今帰還いたしました」
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