6

「私は、ゴランどのに謝らなければなりません」

 真夜中のことであった。移動する砂長竜の背でそんなことを呟いたのは、眠れぬマローノである。同じく眠れぬゴラン・ゴゾールは、己のすぐ前で砂長竜に跨っている第一王子の肩越しに、その表情を窺おうとしてそっと覗き込みながら、訊いた。

「……また、何故?」

 マローノは微苦笑を浮かべていた。

「カール・ポネマスと、嘘の名をあなたにお伝えしたことです」

「そのようなこと。あれは、出会うかもしれなかった狼藉者への対策としては、当然だ」

 ゴラン・ゴゾールは言った。黙り込んだマローノの表情はよく見えない。明かりは空に散る星の瞬きだけである。天上に存在している無数の照明はしかし、幾らか明るくなるとはいえ、自ら発光して己が存在を主張するばかりで、太陽のように強烈な光源となって手元までを照らしてくれる、というわけではなかった。尤も、砂漠において、太陽は雲のない空に君臨する唯一にして最強の存在であるわけなのだが。

 ややあって、第一王子は再び口を開いた。

「……あなたに、私の立場まで背負って欲しくなかったのです」

 ゴラン・ゴゾールは、何も気の利いたことを言えない。ただ黙って、彼の次の言葉を待った。冷涼な風が肌を撫で、全身の毛が逆立つのを感じる。目の前にある背中が遠く感じた。両腕は身体の後ろで相変わらず拘束されていたから、触れることも叶わない。

「……それに、砂漠の上で、あなたはカストーノが信を置いていた者だと知って、私は、カストーノよりももっと近くで、あなたと話してみたいと思ったのです……だから、マローノとは、名乗りませんでした。名乗ってしまったら、一線を引かれてしまう気がして」

「――マローノ殿下」

「くだらない嫉妬と思って貰って構いません……もう、あなたも、私を王子として見てしまっていますし、これは取るに足らない過去のことです」

 マローノが振り返った。穏やかに凪いだ碧の目は、笑みを湛えている。

 砂鮫が飛び出す音がひとつ、前方で聞こえた。

「私はずっとカストーノが羨ましかった。ジョルマ・フォーツ国内の貴族とやり合うだけの論理的な思考、余裕、弁論術……清廉さ、決断力。政治を行う者にとって、これは欠かすことのできない能力です。彼は私よりも遥かに優秀です……個人の感情の延長線上にある好き嫌いとは、方向性が違います。カストーノの言葉を嬉しいと思うのは私個人なだけであって、私が優秀であることの証明ではありませんから」

 それは、どうしようもない独白だった。

「……マローノ殿下は、どうしたいのですか?」

 だから、気が付いたら、ゴラン・ゴゾールは、何を考えるわけでもなく、ただそれだけを訊いていた。こちらを向いていたマローノの微笑が崩れて、虚を突かれたような表情になる。

「私が、どうしたい……」

「国内での政務をなさりたかったのですか? それとも、外交ですか? 或いは……カストーノ殿下のお言葉をお借りして言うのであればこうでしょうか……民の傍におられることを望みますか? マローノ殿下、あなたさまは、カストーノ殿下になりたいのですか?」

 ゴラン・ゴゾールは、自分の口からこんな言葉が出てきたことに驚いた。思えば、軍学校へ行って騎士になる、という目標を元々己の目の前に掲げていたからこそ、ゴラン・ゴゾールは、苦手な学問をひたすら努力を重ねることによって補うことができたのだ。

 マローノは、目標を見失っている。そのように思えたのだ。

「……いいえ」

 第一王子は視線をあらぬ方向にやって、そう呟いてから、首を振った。

「いいえ、私はカストーノにはなれないでしょう……同じようなものがふたりいたところで、どちらかは必要ありません……どちらかが命を落とす危険性が増えます。それに、私がカストーノになるのは何だか違う気がするのです」

「どう違うか、おわかりになられますか?」

 ゴラン・ゴゾールは、第一王子の肩から、暖を取る為の粗末な毛布が落ちかけているのを直せないのが歯痒い、と思った。アルタン族の者のように詰襟の服であったらとこんなに思ったことはない。彼の着ている服は、襟がなく、胸元も大きく開いている。砂漠の上において、昼は暑そうだし、夜は寒そうな格好だった。

 マローノは小さく頷いた。

「……何となくは。でも、まだ言葉にはできそうにないです……ごめんなさい、ゴランどのの思うような答えを返すことができなくて」

「いえ、構いません」

 微苦笑を漏らした第一王子に向かって、ゴラン・ゴゾールも、微笑んだ。視界の端、無数の星の間を縫って、何か光るものが尾を引いて流れていった。

「殿下はお若いですから、ゆっくり答えを探しても大丈夫だと思います」

「……それはゴランどのも同じでは?」

「……レミとルパにおじちゃんと言われるくらいには若いですが」

「ありましたね、そんなこと」

 マローノは笑った。身体は拘束されていたが、今、ふたりの心は未来を見据えていた。


 たった一人の兵士は、大変に幸運だったらしく、見事、そこに辿り着いた。

 その姿を追い掛けて、黎明の匂いがする中、一行が到着したのは、砂漠とはおおよそ思えないような場所であった。ゴラン・ゴゾールは、今まで見たことのない不思議な光景に、思わず声を漏らしていた。

「砂漠の秘宝……?」

 目の前には、巨大な渦が存在していた。

 その周囲は、砂長竜の長さを遥かに凌駕している。底を見ることは叶わない。何故なら、渦の中心からは何色ともつかない光が溢れ出しているからだ。渦の周囲には一定の間隔で岩が立ち並び、円を描いていた。三角と四角を組み合わせた不思議な模様に加えて、どこかで見たような虫の姿が、綺麗な正円と一緒に、連続して彫り込まれている。何かの遺跡だろうか、と、ゴラン・ゴゾールは考えた。

「糞丸虫に似ていますね」

 そんなことを呟いたのは、先に砂長竜から降ろされていたマローノだった。ゴラン・ゴゾールも、ヴェンゼの手を借りて砂長竜の背から下ろして貰い、第一王子の眺めているものを見るべく、岩に近寄る。

「……何か意味があるのか?」

「さあ、どうでしょう。しかし、日が出てきたからでしょうか、暑くなってきましたね」

「ならば、我輩が水を提供してしんぜよう……巫が起床するまでに」

 ヴェンゼが元気な声でそう言いながら、ゴラン・ゴゾールのずっと持っていた背嚢を開いた時だ。

 中に残っていたチーズの欠片が、もの凄い勢いで、渦の中に飛んでいった。

「……食べようとしていないのに避けていった、だと?」

 掠れた声を出したのは、一国の王子にしては奇妙に崩れた表情をしたカストーノである。その目はまん丸に見開かれていた。それを聞いた若き監督官は、驚きの残る顔で、僅かな逡巡の後に、肩を竦める。

「……我輩が大声を出して唾を掛けたからかもしれないですな」

「……まさか、チーズが避ける仕組みは、そういうものだったのですか?」

 マローノも微妙な表情になって言う。こうして見ると、第一王子と第二王子はとても良く似ている、と、ゴラン・ゴゾールは場違いなことを思った。

 と、砂長竜の上が、俄かに騒がしくなった。見れば、大人よりもだいぶん小さな影がふたつ、渦のあるこちらに向かって駆けてくる。

「ここが約束の地だ!」

「約束の時が来たよ!」

 レミとルパだ。元気そうな声で口々にそう叫びながら、ふたりはそのままぴょんぴょんと跳んで、砂長竜の背から砂の上に綺麗に着地し、ゴラン・ゴゾールに向かってくる。その後ろから慌てて追ってくるのは、宰相のネーロ・ヴォプロだ。更に後方からはジン・タオモも走ってきている。

「約束の人が、伝説のチーズを持ってきてくれたよ!」

「行くよ、舞おう!」

 レミとルパが、ゴラン・ゴゾールの脇腹の布をそれぞれ左右から掴んで、引っ張っていく。ともすれば飲み込まれてしまいそうな、闇と光が渦巻く巨大な穴が迫ってくる。

「ゴラン、歌って! 何か特大のを!」

「賑やかな歌がいい!」

「賑やかな歌……」

 双子は手に手を取り合ってその場に立ち、ゴラン・ゴゾールを見上げた。澄んだ紫色の美しい瞳が四つ。

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