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「怖くなんてない」

 今まで見てきたガツガツと前のめりな者は、あの手この手を使って迫ってくるから恐ろしいのである。己の好みではない筈だった。だが、ゴラン・ゴゾールは、即座にそう言い切った真っ直ぐな彼女を、どうしてだろうか、好ましいと思ったのだ。口元は自然と緩んだ。

「おれがあなたを怖いと思ったから、なしだ」

 彼女は、きょとんとした表情になった後、思いっきり顔をしかめてみせた。

「何よ、それ……姦通未遂なんて何かの間違いだわ。昼間に、あの男の子が言ったことだって、絶対嘘よ。私が怖いって、この私が! あんた、本当は犯罪なんてしそうにないいいところのへたれなお坊ちゃんか何かで、しかも絶対に童貞でしょ、わかるのよ」


 酷い言い草だと文句を述べ、私だってあんたみたいな犯罪者顔のへたれは好みじゃない、などと詰られ、ならばよかった互いに好みじゃないなら交渉成立だ、などと返し。しまいには何だかおかしくなってきて、ふたり同時に吹き出し、それが止まらなくなって、寝台の上に座って暫く腹を抱えながら笑い転がっていた。

 そして、双方、幾分か落ち着いた頃。ゴラン・ゴゾールは、リタに向かって、訊いた。

「気になるんだが、交代してまでおれに迫ったのは何故だ?」

「……そうよ、お願いを聞いて欲しかったの」

リタは真面目な表情になった。ランプの灯が揺れると、天幕の中の影も揺れる。寝台が大きく傾いだように思えたのだろうか、彼女の肩がぴくりと震えた。何かに怯えているのだろうか。

「大事な身体を差し出してまで叶えて欲しいことが?」

「……あんたは私を抱かないって言ったし、私も言わない」

「気になるだろう。言ってみろ」

「筋が通らないのは嫌なの」

「いいから、リタ」

 名前を呼ばれたことに驚いたのだろうか、リタは目を見開いてゴラン・ゴゾールの顔を見たが、すぐに視線をランプへと逸らし、口を開いた。

「お父様のことなの」

 彼女はそこで口をつぐんで、心のうちに生じている疑念を確かめるかのように、ぎゅっと目をつぶった。ゴラン・ゴゾールは、彼女が顔を上げるまで辛抱強く待った。己の主人が主人であったから、待つことには慣れている。

「お父様は騙されているわ」

「誰にだ?」

「ジョルマ・フォーツの宰相よ」

 ゴラン・ゴゾールは、宰相がどうこうという話を他の者からも聞いた、ということを思い出した。

「マローノ王子の政策は知ってる? 貧民街の整備をする、その為に隠遁の森の木を利用する、って。普通なら、この伐採地から木材を買って、王都に納品する流れでしょう? だけれど、お父様は、宰相様直々の頼みだからと言って、ライマーニ公国に高く売って、お金に換えて、金属とか武器を買って、高い値段で国に納品しているの。わかるのよ、沼地の国で家を建てるのに石なんて使えないから、水に強いこっちのイヴェルタ檜が欲しいってこと……」

 同じ小屋で暮らしている男の顔が脳裏に蘇った。王都に行って貧民街に建てられる家になるはずの木はどこに行ったんだろうな? と、その男は記憶の中で言う。ゴラン・ゴゾールの中で、何かが繋がったような気がした。

「政策はいかにもマローノ王子らしいとは思ったりするけれど、放っておくなんて、らしくないような気がするのよ。あの方はお優しいと評判だわ、木材が王都に来ていないなら、それに気付いて、どうにかしようとした筈だもの」

「……なるほど」

「お父様が買った金属とか武器がジョルマ・フォーツでどうなっているのか、私は知りたいけど、突き止めたところで、それからどうするのか、何かしたいと思っていても、どうにもならないような気がして仕方なかった……でもね、ここであんたを見てびっくりしたの、私」

 ゴラン・ゴゾールは身構えた。リタの目はこちらを鋭く射抜いてくる。

「あんたを見たことがないなんて私は言わないわ。商人はね、人の顔を覚えて、人を観察するのも、仕事なの。勤勉で隙がない、堅物で女にも靡かないと評判の近衛騎士ゴラン・ゴゾール、第二王子カストーノ殿下暗殺の罪により、砂漠行きの刑。大方誰かに嵌められたんでしょ。姦通未遂は誰かのでっち上げた仮面かしら? 監督官の前での演技はへたくそすぎたわね。砂漠からどうやって帰ってきたのか知らないけど、あんたがあの子たちと何かするつもりなら、それに乗っかるべきだと思ったのよ」

「あの子……?」

 己の心臓のあたりをぎゅうっと掴まれたような気がして、ゴラン・ゴゾールはそこから逃げようと、彼女の言葉から逃げ道を探して、それだけを呟いていた。すると、リタは、全てお見通しだとでも言いたげな顔をで、肩を竦めた。

「昼間、監督官の前であんたに縋ってた、あの綺麗な男の子よ。あの子、名前は?」

 彼女が言及しているのはルパではなかった。あの少年が同じ場にいたことはまだばれてはいないらしい。ゴラン・ゴゾールは、そこで、小屋にいる筈の中年の男がノージャの双子の片割れに何を取ってくるように頼んだかをはっきりと思い出した。放置されている箱の中にある紙、書いてあるのは木材の買い付け額。これはリタに深く関わることなのではないか?

「……言ったらどうするつもりだ」

 ゴラン・ゴゾールは腕を組んで彼女に尋ねた。己や中年男のたくらみはともかく、カールが王家の従者且つ替え玉であったなどという重要な情報を本人の与り知らぬところで簡単に口にしてはいけないような気がした。ランプの中の炎がまた揺れて、彫りの深い彼女の眼窩や鼻を、くっきりと際立たせている。

「あの子が誰だかもう見当はついているの」

「……会ったことがあると?」

「対面はしていないけれど、眺めたことならね」

「じゃあ言わなくてもいいな」

 ゴラン・ゴゾールがそう返すと、リタは左膝に左肘をついて、左手で頬杖をつく。男物のシャツの間から豊かな胸がちらりと見え、意味深な微笑みはとても蠱惑的だった。が、それはすぐに自嘲的なものに変わった。

「……誤解しないで欲しいことがひとつ。あんたには、遊び慣れているっていう風に思われたくないから言っておくけれど、私は処女。だけど、それでもね、あんたに身体を売ることにして、協力を取り付けるつもりだったの……姦通未遂なんてあんたは絶対にやらかしたりしないだろうし、私にも手を出さないかもしれない、とは思ってたけど。でもね、それは、あんたがたまたまここにいて、あんたについて噂程度のことだけでも知っていたから、なんか、いけるかもって思っただけ。私の目論見が外れて、最悪、滅茶苦茶にされるかもって考えないわけじゃなかったけど……でも、私とお父様の為だもん」

 ゴラン・ゴゾールは顔をしかめた。握り締めた手の指先から己の鼓動を感じる。信頼されているのだろうということはわかったが、それ以上に、何か靄のようなものが喉のあたりに渦巻いているような気がした。

「……おれを侮りすぎだ」

「あら、信頼しているのよ」

「でも、自分を犠牲にするつもりでいただろう、あなたは……リタ」

「やあねえ、辛気臭い顔しないでよ。私の好みからこれ以上遠ざからないで」

 月光のような慈愛が僅かに宿る微苦笑を、リタは漏らした。たおやかな指がそっと頬に触れてきて、ゴラン・ゴゾールは思わず息を呑む。女という生き物と接触することそのものがとんでもない刺激になりそうな気がして、思わず立ち上がって、誤魔化すように、早口で言った。

「……そんなに面倒なことをしなくても、おれは協力しただろう。ついてくるといい、こういうのは早いうちに相談するのが正解だ」


 天幕のランプの灯りを吹き消し、リタの手を引いてこっそり小屋に帰ると、ランプの灯がひとつついていて、皆が元気そうに起きていた。何かを企んでいたらしい。ゴラン・ゴゾールは、ちょうどよかった、と、彼女を皆に紹介した。

「なるほど、リタどのですか。私はカール、カール・ポネマスです。ジョルマ・フォーツの第二王子の従者で、替え玉でした」

 この粗末な城の主である中年の男――そういえばまだ名を知らない――も起床して目をギラギラと輝かせているのだ。それまで、男がいる前では一切名乗らず誰の名前も呼ばなかったというのに、カールは、開口一番にそう言ってのけた。ゴラン・ゴゾールが気を使って、青年のことを何も言わなかったというのに。

「ぼくはルパ! 砂の大地レシテの民、アルタン族、ノージャ氏族のルパだよ!」

 ルパも元気よく答えた。ゴラン・ゴゾールは頭を抱えた。

「何故揃いも揃って正直に言う」

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