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「何故って、ゴランどの……あなた、ここに連れてきたっていうことは、もうあなた自身が名前を握られているのでしょう。明らかに見た目が違うルパがいるこの小屋の中の人間をですよ、見せることにしたあなたは、リタどのの手の上で見事に転がったんです。まあ、その前に、私の目的も何となくばれているみたいですし……ね、リタどの?」
カールはしれっとそう言い放ち、リタに向かって含んだ笑みを向けた。彼女は同じように微笑んで肩を竦めるのみに留めた。こういう時の青年に向かって何かを言うのは危険だ、と、ゴラン・ゴゾールの中で誰かが言った。その中で、はっはっは、と柔らかな笑い声を上げるのは、中年の男だ。
「その通りだ。いい夜更けだな、お嬢さん。おれは、さかさまのグラダ」
「……さかさま?」
「そのまんまさ。訳あって、さかさまなんだ」
ルパが首を傾げ、それに愉快そうに答える姿に、どうしてか既視感を覚えたが、その根源にまでは至らず、ゴラン・ゴゾールは首をひねる。その横で、グラダはにやっと笑った。
「まあそれはいい。リタ嬢だ。あなたがここに来たということは、おれが――いや、この場所がどういうところなのかわかったということだろうな」
「……直截に言うわ。宰相の支配からマローノ王子を解放したいの」
「ほう」
ぴりりと空気が震えたような気がした。ゴラン・ゴゾールが顔を上げれば、カールの表情が見たことのないものになっている。まるで何かが露見するのを恐れているかのようだと思えた。
視線の先のグラダは真剣な表情だった。
「それはまた、何故だ」
「ここの木材を買っている私のお父様が巻き込まれているのよ。お父様は木材を外国に売って、その資金で王宮に武器を納品しているわ……最近、ジョルマ・フォーツの南を行き来していて感じるわ、盗賊が少なくなっている……多分四年前の一斉摘発のおかげかもしれないけれど、だったら今武器を増やしても意味がないわよね。怖いのよ、何か起こるんじゃないかって。それに、カストーノ王子が暗殺されるのと同時に何の罪もなさそうな近衛騎士がこんなところに飛ばされるのもおかしいわ」
「おう、カストーノ王子つきの近衛騎士……ゴゾール伯の次男のゴランどのか」
グラダの双眸がきらりと光る。数年前に大規模な勢力となっていた盗賊狩りの為に燭台の谷へ派遣されたことを思い出していたゴラン・ゴゾールは、眉を上げるだけの返事をした。
「リタ嬢の目的はわかった。お前はどうだ、ぼうず?」
剥き出しの膝小僧に力強い筋がうっすらとついているのがわかる。水を向けられたルパは不思議そうに瞬きをすると、真剣な表情で口を開いた。
「ぼくは、レミを助けるんだ。ぼくは半分で、レミも半分なんだ」
「それはいいな、ぼうず。何かを守れる男は強いぞ」
「そう、ぼくは強い男になるんだ。あと、伝説のチーズも返して貰わなきゃ!」
「なんだそれ。砂漠の至宝か?」
「伝説のチーズは伝説のチーズだよ! 王宮にあるんだ!」
「そうか」
グラダは笑ってルパの頭を撫でた。
「それは返さなきゃな。で、そこの別嬪さんの一番の望みは何だ?」
カールが顔を上げた。その表情は強張っている。どういうわけかそこに並々ならぬ風格を見出して、ゴラン・ゴゾールは、はっと息を呑んだ――顔だけではない。顎の上げ方、眉間の厳しさ、声の張りと響き、口調、全てに不思議な力が宿っている。
「カストーノは生きています」
「何ですって?」
「しいっ」
「静かに」
リタが大きな声を上げ、ルパやグラダがすかさず窘める。彼女が慌てて両手で口を押さえるのはどこか幼子めいていて愛らしい、と、ゴラン・ゴゾールは何故か今とても思った。それをしっかり待ってから、カールは頷いた。
「生きています。王宮のどこかに囚われている筈です。私は政治に長けた優秀なあの方を助けたい」
「……民思いのマローノ王子はどうする?」
グラダの目がランプの光を反射してきらりと煌めいた。それに相対するカールの返答は揺るぎなかった。
「勿論、彼も共に救います」
「そうか」
采配を振るう中年の男は微笑んだ。そして、ゴラン・ゴゾールを見た。
「ゴゾールの次男どのは?」
ゴラン・ゴゾールは、その瞬間に胸に去来した感情を、見据えた。
「……カストーノ王子の弔いが出来ればと思っていた。墓参りさえできれば、後はどうなっても構わないと」
ゴラン・ゴゾールは己の不甲斐なさを消したかった。
「おれはあの人の力になりたかった。そこのカールからカストーノ王子が生きていると聞かされて、助けに行かなければと思った。砂漠で死ぬかもしれなかった時に助けられたのが、そこのルパの家族……レシテ砂漠で生活しているアルタン族の者だった。その人は、北へ行ったらしいタオモとかいう氏族の人を探しているそうだ。命を救われた礼がしたかった。だが、ルパの双子の家族のレミがさらわれた……王国の巨大鳥にだ。ルパとレミは不思議な力を持っている子だ。それは、アルタン族が生きていくために欠かせない力だ。助けなければいけないと思っている。俺は生きなきゃいけない」
「やることが多いな。人探し、レミを助ける、王子を助ける。どれが一番だ?」
ゴラン・ゴゾールは言われたことに忠実に従い、優先順位をつけて仕事をこなすのが使命だと思っていた。だが、長く喋ったことで、その考えに綻びが生じているのに、気付いた。
「……どれも大事だ、全部やりたい」
「そうだな。騎士は守るものが多いな、ゴゾールの。お前の性格を考慮して言うが、レミと王子を優先にして、そこは一緒に解決できる気がするな、おれは。まあ、その前に、やらなきゃいけない課題がある」
グラダが愉快そうに喉をくつくつ鳴らして笑う。その動きのせいで天幕が揺れたからだろうか、外から土の擦れるような音がした。だが、ゴラン・ゴゾールはその音に僅かな違和感を覚えて、思わず膝を立てる。それに気付かず、男は言い放った。
「おれはこの時を待っていた。ここにいる皆が、この伐採場からとんずらすることだ」
その時だ。
「話は聞かせて貰った!」
小屋の入り口に掛かった布が引き千切られ、闇夜を切り裂くのは凛と響く声。ゴラン・ゴゾールは立ち上がったが、大きな人間があっという間に侵入してくるのが先だった。リタが小屋の隅に寄り、ルパが姿勢を低くして、カールが中腰になる。
その中で、大きな影は腰に手を当てた。剣をはいていない。ゴラン・ゴゾールは息を呑んだ。
「我輩を覚えているな、ゴラン・ゴゾール。褒美を受け取らないその姿勢、まさに貴殿らしい。行けと命じた女が戻ってきた……予想通りだったがな。やはり燭台の谷にいた時に貴殿を信じた我輩が正しかった」
ランプの光に照らされる金色の巻き毛、火が揺れる灰青色の目。その表情は、何と、得意気だ。ゴラン・ゴゾールは困惑した。
「ええと――」
「我輩の名を覚えておらぬわけではあるまいな? 仕方がない、二年振りだ。我輩は非常に心の広い男ゆえ、許そう。だが、念の為伝えておこう、我輩の名はヴェンゼ・テモネーロ。この伐採場の監督官にして警邏隊長である。そこに集う方々におかれましても、是非、しっかりと記憶に刻みつけておいていただきたく。ツコの令嬢どのはもう存じておろうが」
ゴラン・ゴゾールは思い出した。ヴェンゼは優雅に流された前髪を右手でさっと払うという気取った仕草をひとつ、貴族の子息らしい微笑みをその口に浮かべ、グラダとカールを交互に見る。
「そちらのおやじどのがグラダ、そちらの綺麗どころがカールということで、今は宜しいな? 安心したまえ、我輩は親友に恩を返す為に参ったのだ……我輩にこのような叛逆めいた真似をさせる、とんでもない男の為にな。話を聞いてみればよくわかった。今から諸君が行おうとしていることは必然であり、我輩にとっても、国にとっても、騎士にとっても正しい。これは我輩の勘だ」
「ほう」
最初に立ち直ったのはグラダである。男はその場にどっかりと座り直し、試すような視線を、ヴェンゼに向かって下から射る。それに引くことなく相対し、ヴェンゼ・テモネーロは微笑んでみせた。
「諸君の計画に直接参加できないのは残念だが、我輩は警邏を纏める立場として、水面下で総力を挙げてことに当たるようにしよう。犯罪者は犯罪者だ、伐採場の総監督者が罪人報告書に目を通すのは下の仕事だ、と前任者は宣っており、我輩も下に任せていたが……ここ数ヶ月は困惑している顔が労働者の中に沢山いる、と思っていた所だ。我輩が報告書に目を通し、更に正確な証拠を把握しておく必要があるようだ。そうだろう、ツコの令嬢? この壁野郎はあなたに何かしたか?」
まだ茫然とした表情のまま、リタは首を振った。
「いいえ、何も……私は必死で誘ったのに」
「そういうやつだ。秋波を全部跳ね返す壁野郎。その調子ならまだ童貞だろう。顔面はこうだが、こやつに限って、姦通未遂は、ないな」
ゴラン・ゴゾールは思わず口を歪めかけたが、可笑しくなって、噴き出した。
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