第三章 王都への道
1
「僕も一緒に行く!」
ゴラン・ゴゾールがすぐさま王都へ行ってレミを助け出す旨をラモ翁に伝えた時、真っ先にそんなことを言ったのは、ルパだった。
「……レミが連れ去られているんだ、危険すぎる。あなたも連れ去られるかもしれない、ルパ……それに、あなたはまだ十歳だ。連れていけない」
「でも、僕のことくらい、守ってくれるよね? ゴラン、僕とレミを持ち上げられるくらい、すごく力持ちだもん! それに、足手まといにはならないから! じじさまにいっぱい仕込まれたもん! 見て!」
何やら色んなものを常時隠し持っているようで、ルパは自分の服の隙間にある衣嚢から固く閉まった錠前と金属の細い棒を取り出し、その曲線部がびくともしないことを見せてから、穴に棒を突っ込む。一瞬でそれはパチンという小さな音を立てて開錠した。その次に衣嚢を探って出てきたのは、なかなか太い縄である。
「僕の腕を縛ってみて!」
と少年が言う。成程、簡単に抜けられるのを証明しようとしているのだな、ということがわかったので、ゴラン・ゴゾールは、ルパの両腕を身体の後ろで縛ってやった。それを見ながら、カールは首を振る。
「ゴランどのは、私を守るので精一杯ですよ」
「カールはもうかかさまと一緒に寝たから大人でしょ、自分で自分のことはするの! いいから見て、ほら!」
にこにこしながら痛烈な一言をカールに向かって投げつけ、ルパは何をどうやったのか、するりと縛めから抜けてみせた。縄を断ち切るものもなしに出来るのだろうか、と、ゴラン・ゴゾールは不思議に思った。また謂れのない罪で砂漠へ放り出されるようなことがあった時の為に、教えを乞うた方がいいかもしれない。
「……大人の基準って、それなんですね」
「それ以外に何かあるの? 大人と子供の違いなんて、別にないよ! ヌーンを焼くのなんて、僕たちの一番小さい三歳の妹のリルテだってできるよ! 街の人が誰でもできる仕事だよ! きっと、カールとかかさまの間に生まれる弟か妹もね、すぐできるようになるよ! しかもね、ほら見て、僕はこんなこともできるからね!」
「……一晩のあれだけで生まれるような気はしませんけれど……ううむ、私の子供、私が父親……」
ぶつぶつ言うカールをよそに色々と能力を発揮してくれる少年は、とても強かった。今度は衣嚢から複雑に絡まった糸を出してきて、あっという間に解く。それから、ゴラン・ゴゾールの背によじ登って、おもむろに飛び降りる。その手に、背嚢に入れていた筈の下剤の小瓶があったのは驚きだ。それを見た青年は呻いた。
「……手口が盗賊じゃないですか」
「じじさまが教えてくれたんだ! ちゃんと助けたのに、僕らのものを盗もうとした人がいっぱいいたから、取り返せるように、って」
「成程、そういう事情ですか」
納得の理由である。それに、ゴラン・ゴゾールは、これほど逞しいのであれば大丈夫なのではないか、と思えてきた。きっとレミも同じように手先が器用なのだろう。だとしたらどこかであっさりと自由になれるのかもしれないが、しかしレミにとって北は知らぬ土地だ。己が助けに行くのが道理であると思えた。
ラモ翁は溜め息をつきながら首を振り、ゴラン・ゴゾールを見て、食料の入った袋をもうひとつ、差し出してきた。
「言い出したらきかん子らじゃからのう……こうなりゃ、わしには手が負えん。守ってやってはくれぬか、ゴランどの」
「守るまでもないような気がするが、そうしよう」
ゴラン・ゴゾールは微笑んだ。そこに畳みかけてくるのはカールの声である。
「……私より使えるとか思ってませんよね、ゴランどの」
「……顔はあなたの方が綺麗だと、おれは思う」
「それ、褒めてます?」
「褒めてる」
……ゴラン・ゴゾールは、冗談も言うが、基本的に真面目が服を着て歩いているような人間である。
事実はどうであれ、ゴラン・ゴゾールとカール・ポネマスは砂漠のど真ん中に放り出されるくらいの罪を犯したということになっている。
「この谷を抜けて真っ直ぐ北へ行けば王都ですけれど、谷に近いところに王国軍の砦があるでしょう、捕まると厄介ですね」
カールは言った。確かに、とゴラン・ゴゾールも思う。だが。
「……そこにレミがいるかもしれないぞ? おれはあそこにいたことがあるから、内部構造はわかるが」
「でも、あの鳥……サルアダーンっていいましたっけ? あれを使って、わざわざ近くの砦に寄りますか? 私ならもっと遠くに行きますね、それこそ、かなり強そうなゴランどのがすぐ追いつけないような場所に。多分、相手はあなたが騎士、しかも近衛であったことを知っています。あと見た目がごつい人は護衛にするからよいのであって、相手にしたくないでしょう」
「……そうだな」
ゴラン・ゴゾールは唸った。己の見た目が人を威圧しているであろうことは自覚していたが、思わぬところで弊害を生んでいる可能性があるのは、少々理不尽である。
「私は、荒れ地の東にある、隠者の森を通った方がいいと思うんです」
カールは言った。荒れ地よりも隠者の森を行く方が、木々のおかげで見通しが悪くて姿を隠せるだろう、ということなのかもしれない。
「面倒なのに捕まることはないだろうな。おれもあの森は知っている」
「南でジョルマ・フォーツの人間と出会うでしょうが、まあ、うろうろしている労働者は大半が軽犯罪者ですし、その中には紛れ込めるでしょう。服もその辺から失敬できるでしょうし」
「そうだな」
話がまとまった後、ラモ翁は最後にこう言った。
「くれぐれも気を付けておくれ。危なくなったらチーズを食うのじゃ」
また下剤の世話になることを考えたのだろう、カールはげんなりした表情だが、それよりもレミである。
荒れ地の東側にある木の伐採地を経由して隠者の森を行き、そこから王都へ潜り込もう、という結論に達した一行は、ラモ翁と砂長竜に別れを告げた後、急いで岩場を歩き出した。
ルパはこういった足場の悪い場所を歩き慣れているようで、ひとり先を駆けて、ゴラン・ゴゾールとカールを案内してくれた。
「ゴラン、カール、こっち! 歩きやすいよ!」
「あまり急きすぎるな、何かいるかもしれない」
砂漠には一見したところ殆ど生き物はいなかった――糞丸虫はいたし、砂の中には恐ろしいものが潜んでいた――が、岩場は豊かに思えた。岩の下にあるのは、まだ湿り気のある赤土。
「乾燥した気候ですから、こういうところの植物は、水分を貯蓄しておくために、葉が厚いんです」
カールはゴラン・ゴゾールの前をおっかなびっくり歩きながら、説明してくれた。
一行はきつい日差しを背に受けながら、ひたすら進んでいった。
岩場にはところどころ水場が存在していて、それが有難い。岩と岩の僅かな隙間から流れ出ている雫は、何とか乾いてしまう前に下へ落ち、長い年月をかけて形成されたであろう窪みに溜まっている。そこまで綺麗ではなかったが、飲めるだけましである。
湧いている水を手で掬って一口ずつ飲むだけで、力が漲ってくる気がした。背嚢の中の水の皮袋はとっておこう、と、ゴラン・ゴゾールとカールは話し合って決めた。
ちらりちらりと視線を感じるのは、灰色をした薄い毛皮の生き物が、岩の隙間からこちらを窺っているからだろう。頭部や顔は人間に何となく似ているが、身体はかなり小さい。牙はあるが、脅威となることはないだろう……尤も、集団で掛かってこられたら面倒ではあるだろうが。通じるわけはないだろうと思いつつ、ゴラン・ゴゾールは、岩の上から大勢で熱心に己を見つめてくる不思議な生き物に向かって、話し掛けた。
「通り抜けるだけだ、決してあなたたちの邪魔はしない」
「……ゴラン、サークルケルドに何言ってるの? わかりっこないよ」
ルパだ。前を向けば、子供らしくない呆れた視線である。
「サークルケルド? この生き物の名前か?」
「……うーん、ゴランたちの言葉だったら、岩の猿、っていうところかなあ」
「猿か」
燭台の谷に派遣されたことのあるゴラン・ゴゾールではあったが、その期間、岩の猿を目にしたことはなかった。山のようになっている岩に手をかけて登りながら、人ひとりも通れないような細い道の先で目をかっぴらく岩猿を見つける。
「……おれは従軍していた時にここに派遣されたことがあるが、見たことはないな」
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