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 みるみるうちに湿り気を帯びて土の色が変わっていく様は、ここが荒れた大地であることを忘れさせる。ジョルマ・フォーツの者が秘宝と呼んでいるのはこれなのではないか、と思った。岩にぶら下がっていた枯れ草が落ちて、新しい芽がぴょこりと生えた。それはあっという間にぐんぐん伸びて、次々と葉をつけて、蔦もかくやという程の勢いで、岩を覆っていく。

 メエ、メエという声がした。見れば、羊たちが集まってきている。

「……成程、仰っていた通りなのですね。裸足で岩に触れることが大事なのでしょうか……砂の上で踊るだけでは効果がないのでしょうか。詳しいことを尋ねてみたいですね」

 カールがぶつぶつと色んな事を呟いている。その視線の先では、レミとルパが同時に、ふう、と息をついたところだ。

 あたりは草原になっていた。羊たちは我先にと草原へ飛び込んでいく。その向こうでは、砂長竜が、やんちゃな子供たちを見守るかのように、草を食むもこもこの集団の方へ頭を向けている。ゴラン・ゴゾールは、それを見ていたが、気付いたら口を開いていた。

「……羊はこの草を食っても飛んでいったりはしないんだな」

「……私みたいに、時間が経ってから効果が出るのかもしれませんよ?」

「……そうしたら、もっと羊の数が少ない筈だ。砂長竜は確かに強いだろうが、初めて遭遇した時はおれにばかり集中していたからな……それに、あの進み方じゃ、こんな頭数を維持できるわけがないと思う」

 ゴラン・ゴゾールは、砂漠に放り出された日のことを思い出しながら、カールに答えた。羊たちがどこかへ行くなら、砂長竜が己にばかり注意を向けていたあの時がいい機会だっただろう。

「確かに、砂長竜で囲って移動するとか、どこかへ行かないように一頭ずつ縄で砂長竜の胴体に括りつけるとかをしていると、羊の心も安らぎませんし、乳も出なくなりそうです……良い方法ではないですね、チーズも作れません。やっぱり、砂漠に生きるものと私たちの間に違いがある、と考える方がしっくりきます」

 カールは羊を眺めながら、ゴラン・ゴゾールにそう返した。


 燭台の谷まではすぐで、一刻も掛からなかった。

 羊はノージャの街に逗留させたままで、砂長竜とラモ翁、レミとルパが付き添いである。

 街を発つ時、カールはパミルに別れの挨拶をして、また来る、そうしたら歓迎する、などというやりとりをしていた。

「アルタンの人々は巫に子の素を提供するだけの存在ではなく、皆で協力して、街の決まりを作っていますから。パミルどのに受け入れられたということで、私も既にその一員です。私が私としてお役に立てるかもしれません。今まで、ジョルマ・フォーツの王宮で学んだことは、何も無駄ではなかったんです」

 青年はラモ翁に向かって笑顔でそう言った青年は、童貞を捨てて自信を拾ったようだった。

「そうか、あの子の為に戻ってくるというか。そしたら、おぬしらには、こいつを渡しておこうかのう」

 すると、ラモ翁は、カールに向かって皮の袋を差し出すのだ。彼が受け取ってそっと開けた。覗き込んでみれば、拳大の大きさの白い塊がふたつ入っている。ふたりは思わず顔を上げた。

「チーズですか」

「カールどのは勿論。ゴランどのはおまけじゃ。いざという時はこいつを食え……そして飲み込め。そうしたら、砂漠まで出てきたところで、わしが保護できるからのう……その折にはまた下剤の世話になって泣くことになるじゃろうから、食う時がこないことを祈る。あの一滴も、おぬしが持っておきなさい、ゴランどの。何かに使えるかもしれんじゃろう」

 成程機転の利いた使い方である。しっかり味わえないであろうことが残念ではあったが、ゴラン・ゴゾールは、その心遣いが嬉しかった。

「かたじけない、ラモ翁。だが、決して無理はしないと誓おう」

「無理しない! 大事ね! また会いましょう!」

「無理しない! 大事だ! また遊んでね!」

 燭台の谷の岩によじ登って遊んでいたレミとルパが寄ってきて、腕や腰にしがみついてきた。ゴラン・ゴゾールは、それ、と掛け声をかけて、力に任せてそのままぐるぐると回る。双子は歓声を上げ、愉快そうに笑った。

「レミとルパも、元気でな」

「うん! ありがとう、ゴラン!」

「楽しかった、ゴラン!」

 ゴラン・ゴゾールは力自慢の腕で双子を砂の上に立たせ、跪き、そのままぎゅっと抱き締めた。柔らかくてきめの細かい肌は、とてもすべすべしている。銀の髪が首筋を擽ってくるのが愛おしかった。己も子を持つことがあるのだろうか、そうしたらこんな未来もあり得るだろうか、と思って手を放し、今度はカールに駆け寄る双子を見ながら、さて、とラモ翁に向き直る。

「では、今はこれで」

「気を付けるのじゃぞ」

「肝に銘じます、ラモ翁。今はこれで」

 王子様、王子様、などとレミとルパに言われて戸惑っていたカールも、顔を上げて言った。双子はそれを合図としたようで、ラモ翁の傍にさっと並んだ。

「土の精霊王さまのご加護を!」

「土の精霊王さまのご加護を!」

 それから、レミとルパは、すぐに何かを見つけたのだろう、すぐ向こうにあるキノコのような形をした奇岩へ向かって、一目散に駆けていった。

「元気だなあ」

 ゴラン・ゴゾールがそう言った瞬間だ。

「やだ、誰? 放して!」

 レミの声だ。次いで、ルパの声が飛んできた。

「お前、レミを放せよ!」

 一瞬にして何が起こっているかを悟ったゴラン・ゴゾールは、走った。巫がよく攫われたという話をしてくれたのはラモ翁だ……大昔の話だとは言っていたが、今はない、などいう風に、老人が話したわけではないのだ。

 砂に足がとらわれて素早く動けないのがもどかしい。カールとラモ翁が後ろから慌ててついてくるのが、声や足音だけでわかった。

「どうしたんですか、ゴランどの!」

「レミがどうかしたか!」

 ゴラン・ゴゾールは、二つのことを同時にするのが苦手であった。今、己のやりたいことは、力一杯走ることだった。だこら、答えられないのを、もどかしく思った。

「レミ、レミ!」

 ルパが叫んでいた。キノコの岩の向こう、地面がでこぼこしていて上手く走れず、手を伸ばしながら地団駄を踏んでいる、その小さな姿がちらちら見えている。ゴラン・ゴゾールは、走った。全速力で走った。

「どうした、ルパ!」

「レミが! レミがさらわれた! 助けて、ゴラン! 強いんでしょ!」

「どこだ!」

 キノコの岩まで来て、ゴラン・ゴゾールはあたりを見回した。ルパが縋ってくるのを受け止めながら、岩の向こうや隙間に目を凝らす。何かが動いたと思った瞬間、それは巨大な両翼を拡げ、空へ舞い上がった。

「サルアダーン!」

 ラモ翁が大声を出した。

 巨大鳥だ。ゴラン・ゴゾールは、力強く羽ばたくその姿が、己を砂漠まで運んでいた生き物である、と気付いた。 巨大鳥は飛んでいく。その方向は、北だ。脚に籠のような何かを括りつけている。その中に、必死に動くものがあった。それは声をあげた。

「ルパ!」

 レミだ。レミがさらわれた。

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