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 どうやら、ゴラン・ゴゾールと似たような理由らしい。それだけで親近感がわいた。ゴラン・ゴゾールは己のことを一切喋っていないのに騎士だと断定できた理由も、今ならわかる。

「おれが騎士だとわかったのは、城にいたからか?」

 助かった二人は、取り敢えず太陽の位置を確認して、北らしき方角へ向かって歩くことにした。薄く薄く、砂塵の向こうに、影が見える。それは南東にあるイヴェルタ山脈だ。

「ええ、近衛騎士としてのお姿を、拝見したことがあります」

「カール、という名の者に心当たりはないが」

 背嚢を五つ担いでいる体力自慢のゴラン・ゴゾールが、城で近衛騎士として働いていたのは、二年間だ。近衛である。城で働いている者のことは殆ど把握しているつもりだったが、全ては網羅できていなかったようだ。

 畏れ多くも近衛騎士の任に就くことができたが、ゴラン・ゴゾールは、己のことを愚鈍であると思っている。軍学校で軍事や武術は一通り学んだが、どちらかというと物覚えがいいわけではなかったし、試験の際も必死であった。周囲の若者たちは、皆が皆非常に優秀で、毎日城下町へ繰り出して遊び、涼しい顔をして試験を受け、良い成績を修めていた。己ごときが彼らに敵いっこない、と、ゴラン・ゴゾールはいつも思っていた。

「おれは頭が良くないから、名前と顔を覚えるのが苦手だった」

「……覚えておられなくても仕方ないですね」

 ゴラン・ゴゾールの言葉に、カールは微苦笑した。

「確か、ゴゾール伯の次男でいらっしゃった……」

「そうだ、ゴラン・ゴゾール」

「ゴランどの」

「……どの、はいらん」

「近衛騎士どのが、仲良くしてくれるのですか? じゃあ、私のことは、カール、と」

「……騎士の称号は剥奪されたが」

「それでも、私にとっては尊敬すべき騎士どのです、助けてくれました」

 熱砂の中。青年の微笑みはまるで蜃気楼。ゴラン・ゴゾールには、それが水の精霊王のように見えた。とうにこの世界に愛想をつかして姿を見せなくなった奇跡の存在、それの如く。

「そういう方がどんな罪を犯したのかはわかりませんけれど」

「……おれは何もしていない」

 歩みは遅い。汗が肌を滴り落ちていく。天の頂に君臨する太陽の光が、ゴラン・ゴゾールの褐色の髪を焼いていた。

「何もしていないが……おれは、カストーノ殿下をお守りせねばならなかったのに……おれが殿下を殺したも同然だ。お傍にいなければならない筈のおれは、殿下と同じテーブルにつくのを許されたからと舞い上がって、慢心して茶など飲んで、あまつさえ眠気など覚えて、休憩を勧められて……カストーノ殿下をお守りせねばならなかったのに、何もしていなかった」

 沈黙が砂を含んだ風とともに吹き抜けていった。

 暫く、灼熱の世界で砂の上を歩き続けるお互いの荒い息遣いしか聞こえなかった。

 ややあって、青年が声を発した。

「……茶に薬でも入れられていたのでは?」

 それは真理かもしれなかった。だが、ゴラン・ゴゾールは、それを言い訳にしたくはなかった。

「それなら尚のこと、気づけなかったおれが悪い。同じポットから皆が注いでいたのを、おれは見た」

 ゴラン・ゴゾールは言い返した。

「おれは何もしていなかった」

 カールは、なんにも答えなかった。ゴラン・ゴゾールにとっては、言い合いで珍しく勝った筈なのに、立てない程に剣で滅多打ちにされて負けた気分だった。


 南東に見えているイヴェルタ山脈の稜線が、少しだけ、薄くなったように感じる頃。

 あれから無言で、かなり歩いた。そんな気がしていた。最初に放り出された場所は、もう見えない。それはふたりが移動してきたからか、それとも、刻一刻と変わっていく砂の流れが全てを消してしまったからか。

「他の砂鮫の気配は感じられないので、まだあれの縄張りからは出ていないのかもしれません。先程六人ぶんの豪華な昼食を平らげた方は、今頃満腹で、砂の中に潜って、眠っているのでしょう」

 とは、沈黙を破ったカールの考えである。人数まで数えていたのだから、あの状況でなかなかに冷静である。水はまだあったが、皮袋ひとつは既に空になっていた。砂漠の北端に到着するまでに持つかどうかと訊かれると、到底無理だろうと思った。だが、試さないよりはずっといい。

 しかし、ゴラン・ゴゾールは、忘れたわけではない。この砂漠に生息している危険な生き物は、砂鮫だけではないのだ。

「……潜り鰐だな」

「油断している砂鮫を喰らうこともあります。人を喰らうよりは腹持ちがいいでしょうから、まだ焦らなくても大丈夫です」

「……砂長竜もいる」

「……そうですね……あれに出会ったら、必死で水を温存する必要も、ありませんね」

「……それは助かる」

「……食糧になるのは私たちですけれど」

「……そうしたら、クソになって、糞丸虫に砂漠を転がして貰って、それで進めるぞ」

「……歩かなくて済むから、楽ですね」

「……やったな、上々だ」

 あまり頭がよくないと自負しているゴラン・ゴゾールだって、皮肉の言い合いくらいできるし、それで笑うこともあるのだ。だけれど、今出したばっかりの笑い声は乾いていて、空と砂だけの世界に、あっという間に散っていった。

 糞丸虫は、砂長竜の糞を丸めて運び、それを食べる虫だ。丸めた糞を砂の中に埋めて、卵を産んで子育てをしたりもする。卵から孵った幼虫は糞を食って育ち、やがて成虫になる。本で読んだだけだが、ゴラン・ゴゾールは、その足跡の素描が描かれていた頁のことを、ちゃんと覚えていた。目の前に点々と刻まれている模様は、紙の上で何度も眺めた絵に似ていた。

「そら見ろ、カール。将来のおれたちを転がしてくれる親切なやつが通っていったらしい」

「……本当ですね」

 北へと続いている足跡を目で辿ってみれば、それほど遠くない場所で、何かの塊がもぞもぞと動いていた。ゴラン・ゴゾールは騎士であるが、家名を背負い、兄と己の能力を比べてしまう前に抱いていた少年の心だって、まだ忘れていない。

 点々と標された跡をふたりで追えば、果たして、砂の大地にそれを刻んでいるのは、一匹の糞丸虫だった。身体の何倍もの大きさをした黒い塊を、身体を逆さまにして、器用に転がしている。

 と、カールが鼻をひくつかせながら、こんなことを言った。

「……臭いですね」

「……ああ」

 ゴラン・ゴゾールも、それに同意した。糞独特の悪臭が鼻の奥を刺激してくる。青年は畳みかけてきた。

「糞丸虫は、砂長竜が糞をするとすぐ寄ってきて、運べる量だけの糞を、前脚で切り取るそうです」

「……糞をするとすぐ」

「つまり、出したてほやほやということですね」

 カールは言った。ちらりと窺えば、その表情は、硬い。

「……ということは」

「近くにいます」

「ああ、糞丸虫がいるな、目の前に」

 ゴラン・ゴゾールは、カールに向かって肩を竦めてみせた。己にしてはなかなか秀逸な冗談を言えたと思う。だが、青年はそれをお気に召さなかったらしい。滂沱の汗を流しながら、彼は歯を剥き出しにして、焦りと怒りを表出させた。

「言っている場合ですか?」

「……まあ、おれは、カストーノ殿下に、もっと力を抜けと言われたんだ」

「いや、砂長竜の前で力を抜いて、何がどうなるというんです?」

「何がどうなるって……あなたは言ったじゃないか、食料になるのはおれたちだって」

 暑かった。灼熱の太陽に焼かれて、ひたすら暑かったのだ。ゴラン・ゴゾールの意識は朦朧とし始めていた。背嚢の中から水の入っている皮袋を探り当てて、ぐびぐびとその中身を飲んだ。

「あの、だから、出くわす前に何とかここから遠ざかる必要があってですね――」

「まあまあまあ、取り敢えずあなたも飲むといい」

 自分が滝のように汗を流していることに気付いたのだろう、カールは革袋を受け取った。が、それが軽いことに気が付いた瞬間、青年は叫んだ。

「いや、待って、殆ど飲んでいるじゃないですか! 水は温存しないと!」

「ヤツが近くにいるならもう温存する必要もないだろう、水とも今生の別れだ……というか、姿すら見えないものにいちいち怯えているのも面倒だ、どうせ全部危険だろう、なら堂々とするさ」

「いや、いや、諦めるのが早いですよ、騎士どの!」

「称号は剥奪されたし、剣もない丸腰で、何が騎士――」

 ゴラン・ゴゾールの言葉は、どう、という轟音に掻き消されてしまった。

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