第一章 砂の世界

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 寝起きの虚脱感が、身体中を支配している。

 ゴラン・ゴゾールは、目隠しをされ、両手を身体の前で縛られて、大通りを歩かされていた。

 近衛騎士の仕事の途中に、強烈な眠気が己を襲ったのは覚えている。

 休憩時間を貰って、城の自室で滅多にしない昼寝をして過ごしていただけであったのに、ゴラン・ゴゾールは捕らえられた。

「何をするつもりだ、どこへ連れて行く?」

「ゴラン・ゴゾール、第二王子カストーノ殿下暗殺の罪で連行する」

 訊けば、それだけを返された。己を捕らえたのは、同僚の近衛騎士であった。

 王族殺しの罪だという。覚えはなかった。

 剣は取り上げられた。近衛騎士の称号もその場で剥奪された。勅令の証拠である書状も見せられた。我らがジョルマ・フォーツ王国の国王にしか扱えない印がしっかりと押されていた。抵抗しようにも、己を捻り上げたのは、屈強な同僚だった。近衛騎士が身に纏う上等な装備や衣服も全て剥がれ、下着のまま、外へ引き摺っていかれた。

 ゴゾール辺境伯の名代としてジョルマ・フォーツ王都の邸宅に滞在している兄に会って、身の潔白を証明するように頼む時間も与えられなかった。

 彼自身、王国東部に領を持つゴゾール辺境伯爵家の次男ではあるが、どちらかというと聡明ではなく愚鈍な頭脳であるから策謀や文官には向かぬ……と、自身を評価していた。身体を動かして鍛え騎士となって国の為につとめることこそが己の本分だと思い、そのように振舞ってきた。己の手を汚さずに誰かを罠にはめるとか、陥れるとか、命を奪うとか、そういうのは考えるだけでも複雑で、面倒極まりなくて、苦手なのだ。ただひたすらに時間を惜しんで剣を振って、己の力を高め、主君に仕えることこそがただ誇りであった。

 そういうわけではあるが、王宮の者たちはそのように考えなかったらしい。

 ゴラン・ゴゾールは、仕えていたはずの第二王子を殺した犯人になっていた。

 確かに、ゴラン・ゴゾールは二刻前に、件の王子の護衛の任にはついていた。

 第二王子は、供や婚約者を連れ、王宮の中庭で茶会を催していた。その折に、近衛の中では最も信のおけるものであるからと、テーブルに呼ばれて、令嬢から秋波を送られながら、茶を一杯頂いたのだ。その後に眠気に襲われ、ならば別の者と替わればいい、と同僚に言われ、一刻前に他の者と交代し、休憩を貰って、寝ていた。主人を傷付けた覚えは一切ない。だが、足りない頭を必死に捻って、己と交代した者を調べろと言っても、誰も、ゴラン・ゴゾールの言う通りにしようと動かなかった。もう決まったことであったようだった。

 不自然なくらいに、あまりにも全てが急すぎた。

 王都の城壁が見えてきたところで、ゴラン・ゴゾールには、わかった。そうしたい誰かが、いたのだ。

 大通りを半ば引き摺られるようにして歩きながら、カストーノ殿下の――第二王子のことを考えた。二刻前までぴんぴんしていて、眠いのなら仕方ない、いつも真面目で勤勉なおまえにしては珍しいな、なんて、ゴラン・ゴゾールの大好きな美しく優しい笑顔で休憩に送り出してくれたというのに、死んでしまったというのか。自分と別れてから、たった二刻の間に。

「そういう真面目なおまえを見ているのも面白いけれど、もっと力を抜け、ゴラン」

 第二王子の涼やかな声を思い出した。力を抜いて、強烈な眠気に襲われたから、こうなったのだと思った。畏れ多くも同じテーブルについて、慢心して茶を飲んだのが間違いだったのだ。

 国の為につとめることこそが己の本分だと思っていた。だが、己は敬愛していた主人を守ることが出来なかったのだ。

 そんな己にとっては、当然の罰であるかもしれないと、ゴラン・ゴゾールは思った。


 王族殺しのみならず、重罪であると断じられた者は、調査への協力の為、レシテ砂漠のど真ん中に放り出されるのが習わしとなっている。

 刃による死刑を是としないジョルマ・フォーツ王国には、こんな言い伝えがある。

 レシテ砂漠には至高の宝が存在していて、それを手に入れた者は、過酷な砂漠においてたった一人放置されても、必ず生き延びることができる、というのだ。その力を手に入れた者の末裔たちは、砂漠の恐ろしい怪物たちを従え、今も過酷な環境下で暮らしている、と。砂漠の秘宝を手に入れることができれば、砂漠を制し、大陸を統べる覇者となる、と。

 大陸に存在している他の国と比べて、これといった資源のないジョルマ・フォーツ王国は、その秘密を探る為に、最後の命令として、重い罪を犯した罪人たちを砂漠へ調査に出すのだ……名目上は。実質、それは死刑である。それは、ゴラン・ゴゾールが伯爵家に生まれるずっと前から存在していたしきたりであった。父や兄からは「悪いことをすると砂漠に連れていかれるよ」と言い聞かされて育ったゴラン・ゴゾールは、それが恐ろしくて、勤勉であるように努めた。

 翌日のことだった。捕らえられた時の格好のまま粗末な馬車に一日中揺られ、途中で何かの生き物に括りつけられた籠に乗せられ、空を飛んだゴラン・ゴゾールは、どこかから連れてこられた囚人たちと一緒に、砂の上へ乱暴に投げ出された。遅れて、僅かな水と食料の入った背嚢が腰を直撃して、思わず呻く。

 勤勉であろうと、己の罪に心当たりがなかろうと、砂漠に連れていかれてしまったわけだ。己を運んできた何某かの生き物の羽ばたきの音が、あっという間に遠ざかっていく。顔から砂に突っ込んだので、それが何の動物であったのかは、確認している場合ではなかった。

 思わず開いた口の中や、鼻の穴に、細かい砂が入り込んでくる。苦しくて、咳き込んで、唾液と一緒に吐き出した。見上げた太陽が高い。昼近くだろうか。強風が吹きつけてきて、緩んでいた目隠しが飛んでいく。目にも砂が入ってきた。流れた涙は憤りと悲しみと情けなさの味がした。砂漠の秘宝の調査に送り出されたのに、縄も解かず、中々に気の利かない扱いである。

 軍学校で学んでいた時に、地図なら見たことがある。巨大な砂漠は遥か昔から大陸の南に存在していて、ここ数年でその版図を急速に拡大させていた。

 ゴラン・ゴゾールの兄曰く、原因は、この国の第一王子マローノ殿下が貧しい民を救う為に三年前から着手した貧民街の補修と整備だ、という。王都の南には隠者の森と呼ばれる美しい緑地があり、国内で唯一精霊の恩恵を受けられる豊かな場所であると言われているのだが、第一王子の政策の為に、その地の木は砂漠側から伐採されるようになったのだ。

 厳しい監視の下で働かされるのは、まだ罪の軽い罪人たちである。ゴラン・ゴゾールはその運命を辿れなかったけれど、罪人たちの境遇は人づてに聞いて知っていた。貧民街で盗みや暴行を働いた者が老若男女問わずそこで酷使されており、貴重品である水は殆ど回ってこず、食べ物は一日二回配給されるが、僅かなパンのみ。伐採されていく現場は荒れ地と化していて、年々砂に侵食されている……尤も、己は強制労働を飛び越えて砂漠に来てしまったが、と、ゴラン・ゴゾールは思った。

 第二王子であるカストーノ殿下はこの政策に反対していた。貧しさのせいで生活苦を強いられ盗みや暴行を働く羽目になっていた民を使い潰して整えた貧民街が綺麗になる頃には、住人なんていなくなっているかもしれないし、隠者の森に棲む精霊の怒りを感じる。第二王子はそんなことをゴラン・ゴゾールに説明してくれた。でも、敬愛していた第二王子はもういない。

 第二王子カストーノ・ノーリ・ペコ=ジョルマ・フォーツ殿下の死は本当だったのだろうか。

 死んでしまっているというのであれば、御身体は手厚く埋葬されたのであろうか。己に嫌疑がかけられ、罪人として扱われたのなら、死して尚無体を働かれていることはないと信じたい。だが、虚飾で言葉を彩る者が王宮内を跋扈していることは、頭の出来が宜しくないゴラン・ゴゾールでも、何とはなしに察していた。

 砂に顎を埋めながら、墓は、あるのだろうか、と思った。あるのだとしたら、ただ、不甲斐なかった己のことを詫びたいと思った。

 俯せのまま、あたりを見渡した。どこまでも、どこまでも、砂の世界が続いている。

 じりじりと照り付ける太陽が肌を焼いた。砂は熱い。せめて日陰に行きたい、そう思った瞬間、ゴラン・ゴゾールはそれを滑稽に思った。

「……生きたいのか、おれは」

 思わず笑ってしまった。使える主君を喪い、生還の可能性も無に等しいこの状況で、我ながら馬鹿な思考回路である。しかし、ゴラン・ゴゾールは、近衛騎士であった。毎日身体を鍛え、明朗快活で寛大な美しい第二王子をお守りしていた。刺客の剣を撥ね退けたことだって何度もあった。考えるのは苦手だったが、軍学校時代に縄から腕を引き抜く訓練もやったし、腕は十分に太かった。

 魂はそこに在らずとも、敬愛していた主人がの躯が眠る前で、懺悔したかった。

 ゴラン・ゴゾールは、一番近くに転がされて喘いでいる罪人のひとりに狙いを定めた。何故なら、そやつは――まだ若い男だが、罪を犯した者にしては小綺麗な顔で、何となく頼りない身体つきをしている――金属の留め具がついた革の靴を履いていたからだ。

 膝だけで、怯えた顔をしている男に近寄った。

「何をする気ですか、やめてください、やめて」

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