8話 「英雄アウレリオの冒険」
「若さま、ひとはね、思いがけないものに出会うと、その本性を露わにするものなのですよ」
おのれの乳母だったカシルダは、幼い頃よく言った。
「それって、怪物ってこと?」
「いいえ、若様。怪物は、最初から怪物でございますよ。たちが悪いのは、一見怪物に見えない怪物です。そんな奴も油断することは必ずある。そんな時に不意をつけば、正体を見破れるかもしれません」
「あれだ! 『英雄アウレリオの冒険』!」
強欲な竜族を退治する、お気に入りの伝説だ。
「はいはい。左様でございます。だから、決して油断なさらないで、怪物と出くわしたら、奴らの弱みをきちっと見極めてくださいましね」
「もちろんさ!」
午後は、アウレリオごっこをしよう。カシルダのところのハイメを誘って、裏の崖まで行くんだ。
「ああ、若様。うちのハイメは、今日は奥方様のご用事で町へ降りてますからね。今日こそは、きっちり時間割通り、学師様と勉学をなさってくださいまし」
バシリオ=ルカスは、ふと子供の頃のやりとりを思い出した。
目の前に立つ白鯨のような女が、まさにそれなのだろう。
北方出身の巨体を別にすれば、陽に灼けぬ肌の白さは、夜の海に浮かぶ
「ひさしぶりだねえ、バシリオ=ルーカス」
ルーカスと、喉の奥で転がすように言う。北方ではこうだ。バシーリオ、ルーカス、アウレーリオ。
「相変わらず、いい男だ。いたぶりがいがありそうで、こうしてお前の前に立っていると、胸が高鳴って抑えきれないほどだよ」
バシリオの手首を掴む。氷のような冷たさに悪寒が走った。
「ウネルマ、なぜここにおまえがいる。俺がいるとどうしてわかった。この娼館はなんだ」
「なぜ、なぜ、なあぜ。相変わらず面白くない男だねえ」
「答えろ、ウネルマ」
白い女は、笑みをおさめた。古代の女神像のような冷厳な無表情となって、血赤の
「
ウネルマと呼ばれた大女は、寝椅子に足を開いて座り直し、前屈みになってさらに目を細める。
「だが、他のことは忘れてしまったようだねえ。そういえば、近頃神殿を訪ねて、愛しい恋人を見舞ったことはあるのかい」
「おまえには、知る術があるのだろう」
「ああ」
ウネルマはバシリオ=ルカスを凝視した。
「ほう」
その〈眼〉に何が映るのか。血色の目は神を視るという。神とは奪う者だ。おのれからすべてを奪い去り、闇を遺した。おのれが見ることはない、感じることもない最悪の禍いだ。
やがて、ウネルマは莞爾と笑った。
「確かに、ルドミラが拾うわけだ。これほど冷え冷えとした憎悪を背負う男は稀だろう。しかも」
と、さらに笑みを深くする。
「金剛石のような頑固者だ。否、エダ神のごとき怠け者か」
バシリオ=ルカスはテーブルの酒瓶を傾け、二つの酒杯に注ぐ。ウネルマの眼のような血色の酒だ。オマールの北西、山岳地帯の岩桃の実を砕いて造る。
一気に干して喉を灼くと、もう一杯を女へ突き出した。
「御託を並べなくてもいい。おまえは言うべきことを言って、さっさと北の穴蔵へ失せるがいい」
ウネルマはわざわざと目を見張り、オマール天鵞絨のような厚く滑らかな笑い声を立てた。
「言うわ、言うわ。やれ、愉しいのう」
ウネルマは赤い酒を飲み下し、目を閉じた。口許には、揶揄するような笑みを刷いたままである。
軽く頷きながら眉間を寄せると、次の瞬間、瞼を上げた。途端に柔らかな物腰が消え、鞭のようにしなる武人の声を発した。
「バシリオ=ルカスよ」
「なんだ」
「盲目の神の名において命じる。この海都を訪れし邪なる者を探せ」
バシリオは驚きもせず、女の動く口を見つめた。
「邪なる者を見つけ出し、闇に帰すのだ」
「邪とは」
「甦りし者。境界を破りし者」
バシリオ=ルカスは鼻を鳴らした。詩のごとき物言いは、いつものことだった。
「報酬は」
「二つの月が九度満ちる昼夜。雲なき蒼天のもと、揺るがぬ影を与えよう」
「それだけか」
「不服か」
バシリオ=ルカスは押し黙った。
「相応の対価だ。不服ならば」
「わかった」
幾度となく繰り返された駆け引きだ。だが、待たされたカードはただ一枚。しかも、最初から対手に読まれているそれだ。
「せめて教えろ。甦りし者とは何だ。何の境界を破ったのだ」
ウネルマの眸が告げる。会見は終わったのだと。
「行け」
狩るのはおのれ。狩られるのもおのれ──か。
バシリオ=ルカスは、もう一杯悠々と酒杯を満たした。殊更ゆっくりと飲み干すと、床へ叩きつけた。
(続く)
海洋都市エダルの興亡 濱口 佳和 @hamakawa
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