くりかえす勇者と魔王の物語 - [短編][約1万文字]

@mumomumo

くりかえす勇者と魔王の物語

 むかしむかし、あるところに十歳ほどの幼い男の子がおりました。

 男の子の名前はジムといい、夢はお国を守る兵士となることでした。

 理由は単純で、兵士という響きがカッコよかったからです。

 ですが、ジムは同年代の幼い兵士見習いの中でも遅れを取っていて、自分には才能がないのだと、幼いながらも現実を受け入れようとしていました。


 ある日、ジムが城の広場で稽古を受けていると、窓から同い年ぐらいの女の子が外を眺めているのを見つけました。

 その姿は、まるで花のように可憐で美しく、ジムは見惚れてしまいました。


「こらジム! 稽古中どこ見てるんだ!」


 脳天に木刀が振り下ろされたジムは、頭を押さえてうずくまります。

 後ほど教官から、こっぴどく説教を受け、また居残りをすることになるでしょう。

 ですが、今のジムにとって、そんなことはどうでもよく思えました。

 先ほど見た美しい女の子の顔が、なぜか寂しげだったからです。


 案の定、ジムは教官から説教と居残りの罰を受け、夕飯も食べることができず広場で素振りをしています。

 あたりはすっかり暗くなっていて、虫の声と木刀が空気を切る音しか聞こえません。

 いまごろ他の兵士見習い達はみんなで夕食を囲んでいることでしょう。


「どうして僕だけ……」


 ジムは誰に言うでもなく、ため息混じりに声をもらしました。


「どうしてって、私をジロジロと見ていたからでしょ。」


 すると、どういうわけか、背後から女の子の声が聞こえてきました。

 びっくりしたジムが振り返ると、そこには昼間に見たあの女の子が立っていたのです。

 突然の出来事に木刀を頭上にかかげながら、ジムは固まってしまいます。


「また私をジロジロ見て……」

「いや、ごめん。びっくりしちゃって。」


 ジムは木刀を下げて女の子に向きなおります。

 すると、女の子は上品な布で包まれたパンをジムへと差し出しました。


「あなた夕食たべれなかったんでしょ。後でこっそり食べなさい。」

「ありがとう。でもどうして?」


 女の子は恥ずかしそうに俯くと、こう答えました。


「こ、これは取引よ! あなたが居残りした日は私がパンを持ってくるから、私と……私とお話してちょうだい!」


 暗くてもわかるほどに女の子の顔は真っ赤になっています。

 ジムはそんな女の子の仕草が可愛くて笑ってしまいました。


「なんだよそれ。でもサボってるのが教官にバレたらまずいからな。」


 ジムは指先で頰を掻きながら、困り顔で女の子を見ました。

 そこには、昼間に見たあの寂しそうな顔がありました。

 その顔を見ると、ジムの胸はきゅうと音が聞こえるかのように締め付けられます。

 ジムは言葉を続けました。


「だから、素振りしながらでよければお話ができるよ。」


 ジムは照れながらそう言うと、女の子の顔は明るい笑顔へと変わりました。


「私は、リベカよ!」


 それから、ジムは毎日のように居残りをするようになりました。

 晴れの日は屋外の広場、雨の日は屋内の稽古場と、ジムとリベカは示し合わせたかのように会ってはお話をします。

 もちろん、教官に怒られてない日も自主的に居残りをしていました。

 居残りでリベカとお話するのは、ジムにとっても気がつけば楽しみになっていました。

 ジムの兵士になりたいという理由も、しだいにリベカを守りたいというものに変わっていきました。

 すると、ジムの腕前はみるみるうちに上達していき、周りからも一目置かれる存在となりました。



 五年後、ジムは首席で兵士見習いを卒業することとなりました。

 そして、五年という歳月はジムとリベカの仲を深めるために十分すぎる時間で、ジムとリベカはお互い惹かれ合うかのように恋に落ちました。

 ですが、良いことばかりではありません。

 今日はいつもの居残りとは雰囲気が違います。


「ついに明日出発ですか。」

「そうだね。」


 ジムとリベカはそれきり黙ってしまいました。

 それもそのはず、毎日続けていた居残りが、一生できなくなるかもしれないのですから。

 見習いを卒業し兵士となった以上は、戦地に赴くのは当然のことです。

 そう、明日はジムの初陣なのです。


 現在、ジムのいる国は隣国と資源を求めて領地を奪い合う戦争をしています。

 数ヶ月は帰って来れないでしょう。

 リベカの目から涙がこぼれ落ちました。


「あれ、ごめんなさい。泣かないって決めてたのに。」

「リベカ。大丈夫。必ず戻ってくる。」


 ジムはそう言うと、リベカの唇に自分の唇を静かに重ねました。

 それは必ず生きて戻るというジムの強い決意の表れでした。





 ジムが戦地に来てから半年が経ちました。

 ジムの国が前線を押し戦争にも終わりが見えてきていましたが、長期に渡る戦いで兵士達は疲弊しています。

 ジムも例外ではありませんでしたが、リベカを想う事が唯一の心の支えになっていました。

 ジムがテントで他の兵士数人と休憩していると、一人の兵士が中に飛び込んできました。


「おい、王女が敵の内通者にさらわれたらしいぞ! なんでも、城をこっそり抜け出して戦地に向かっていた道中でさらわれたらしい。護衛兵の一人が生かされて城に戻って敵の交渉条件を王に伝えたらしいぞ。」

「王女の名前はなんて言ったかな? あの王は娘を大事にしすぎて、俺たち下級の兵士には名前すら公表してないからな。」

「それなら以前、貴族様が離しているのを聞いたことがあるぜ! 確かレベッカとか言ったかな。」


 ジムは他人事のように聞いていましたが、レベッカという名前にどこか引っかかるところがありました。

 なぜなら、レベッカという名前の発音は、他国の言葉ではリベカと発音するからです。

 ジムは、まさかそんなことはないと思いながらも、駆け込んできた兵士の次の言葉に耳を疑いました。


「なんでも、ジムとかっていう兵士に会いに行くとかで抜け出したらしいぞ。」


 テントにいた他の兵士の視線がジムへと向けられましたが、既にジムはそこにはいませんでした。





 ジムは馬を替えながら三日三晩走り続けて王都に戻りました。

 王女の奪還作戦に自分も参加するためです。


「貴様が我が娘をたぶらかしたというジムだな?」

「はっ!」


 王座の前へと通されたジムには、王の言葉をただ肯定することしか許されませんでした。

 王女奪還の隊は既に出発していて、ジムはその隊には参加できず、王の前に跪いています。

 普段は入ることのできない城の中を歩いていると、途中に飾られていた王女の肖像画に紛れもないリベカの顔が描かれていて、ジムはリベカが王女レベッカである事を改めて知らされたのでした。


「貴様を今すぐ八つ裂きにしてやりたいのだが、そんなことでは生ぬるい。貴様には責任を取ってもらおう。」

「はっ!」


 王はそう言うと立ち上がり、側近の兵士を従えて歩き出しました。

 ジムも兵士に促されその後をついていきます。

 隠し扉を開けると、そこはひたすらに地下へと階段が続いていました。

 先頭の兵士が松明を持ち足元を照らしながら階段を下っていきます。


 階段を下っていく途中で牢獄を通過し、横目で見ると一般市民らしい女性らが牢獄に入れられていました。

 その牢獄の前では貴族と思わしき人物が何か品定めをしているようです。

 詮索は不要と、ジムは見なかったことにして階段を降りていきました。


 どれほど降りてきた事でしょうか、ようやく最下層まで来たようです。

 そこには、中心が手の形にくぼんだ壁があり、王はそのくぼみに手を合わせると、何かボソッと呟きました。

 すると、どういうわけか、壁だと思っていた石は扉だったようで、低い音を響かせながら左右へと自らゆっくり開き始めました。


 その扉をくぐると、松明の光を反射した金銀財宝が眩しくきらめき、ここは宝物庫だということがわかりました。

 さらに奥へと進むと、入口よりも小さな石の扉に突き当たりました。

 王は入口と同じようにその扉の手形に手を合わせると、またもや扉が自ら開きました。

 扉の中にはどこにでもあるような小瓶が置かれていましたが、その小瓶の中には、赤とも紫とも黒とも例えられないおぞましい色の液体が入っています。

 王はその小瓶を手に取とると、ジムへと差し出します。


「ジムよ、これを飲むがよい。そして勇者になり我が娘を救い出すのだ。そうすれば貴様の罪は許してやろう。」

「はっ。」


 口答えなどできるはずもありません。

 ジムは付き添いの兵士たち全員から槍を向けられているのです。

 王の申し出を断れば、ジムは直ちに処刑されるでしょう。

 ですが、この得体の知れない液体を飲むことよりは、殺された方が幸せかもしれません。

 しかし、ジムが殺されてもリベカが助かる保証はどこにもありません。

 ジムが兵士になった理由は、リベカを守るためなのですから、死よりも苦しいことが待っていたとしても、ジムにとっては本望なのです。

 ジムは王から仰々しく小瓶を受け取ると蓋を開き一気に飲み干しました。


「ぐっ!」


 ジムの心臓は破裂しそうなほど大きく鼓動し、まともに息をすることもできません。

 体内では何かが蠢くような感覚があり、身体が作り変えられているような気分です。


「それでこそ我が国の忠実なる兵士だ。この悪魔の血を飲んだ貴様は、人間ではあり得ない力を授かるだろう。もっとも、理性と欲望の葛藤で精神が壊れるのは時間の問題だがな。理性が勝っているうちにその力を使い我が娘を救い出す勇者となれ。」


 次第に落ち着きを取り戻したジムは、自分の身体を確認しましたが、少し体が軽くなった程度で特に何も変わった様子はありませんでした。


「うむ。返事がないようだな。おい、こやつに槍を突き立てよ。」

「!?」

「なんだ、聞こえなかったのか? 私は返事もできんジムの腹を槍で突き刺せと言ったのだ!」

「は、はっ!」


 王に指差された兵士が、命令通りにジムの背後から腹部に槍を突き立てました。

 槍は見事に背中から腹部に貫通し、ジムは自分の腹部から出ている槍を見下ろし、うっとうしいと槍を引き抜きました。

 傷口はすぐさま塞がり、何事もなかったかのように再生した肌が破れた服の間から見えます。


「すばらしい! 勇者ジムの誕生じゃ!」

「ひ、ひぃ!」


 王はそれに歓喜し、槍を突き刺した兵士はそれに恐怖しました。

 ジムはその場にへたり込んだ兵士に振り返り、人でない真っ赤に染まった瞳で見下ろすと、こう呟きました。


「腹が減った。」





 敵国の要求は、王女の身の安全と引き換えに、争っている領土の引き渡しと無期限の休戦協定でした。

 ただし、王女の引き渡しは条件には入っておらず、王女を自国に招き入れて戦争の抑止力として利用する予定なのでしょう。

 そんな敵国へジムは一人で向かっていました。

 先に出発した王女奪還の隊は全滅との連絡が入りましたので、協力できる仲間はいません。

 ですが、ジムは恐怖も不安も感じていません。

 ちょっとそこまで食事をしに行くような感覚です。


「ひぃ! 化け物!」

「お願い! この子だけは! この子だけは……」


 そう、文字通り道中の集落で食事をしながら王都を目指す旅です。

 この時のジムの頭の中で理性と呼べるものはたった一つしか残っていませんでした。

 それはリベカを救い出すことです。


 しかし、敵国も黙って見ているわけがありません。

 ジムが次に襲うであろう集落に、王都から派遣した何千もの兵士を待機させていました。

 相手が一人であれば数で圧倒しようということでしょう。


 ですが、集落への到着予想時刻になっても、ジムは一向に現れませんでした。

 その代わりに、敵国の王は王都の目の前にジムが現れたとの報告を受けました。

 ジムの背中には翼が生えていたとのことで、おそらく空を飛んできたようです。

 多くの人を喰らったことで、悪魔の姿により近づいたのでしょう。


 ジムの討伐のために兵士のほとんどを集落へ派遣していたこともあり、王都に残る兵士は最低限の数です。

 その兵士たちもジムの姿に威圧され手が出せず、ジムはすんなりと敵国の城へと入っていきます。

 

「リベカは……どこだ?」


 ジムは城の隠し通路から逃げようとしていた敵国の王の頭を鷲掴みにして、リベカの居場所を問い質しています。


「し、知るか。お前みたいなガキに教え……あがががぁぁ!」


 尋常でない握力で握られた王の頭からは、頭蓋骨が軋む音が聞こえてきます。


「わ、わかった、教える。地下の牢獄だ。」

「リベカを……牢獄に……閉じ込めているだと!」


 牢獄と聞いて、ジムの手に力が入ります。


「あががが! ちが、ちがう! 一時的に牢獄に入ってもらっているだけで、そちらの国が交渉条件を飲んだら貴族階級として扱う予定だったのだ!」

「ふん、どうだか。」


 ジムは王を投げ捨てると、牢獄まで案内させました。

 そこは、湿度が高くカビと排泄物の匂いが立ち込めていました。

 こんなところにリベカを数日でも閉じ込めたこの王を、ジムは許せません。


「ジム!」

「リベカ!」


 久しぶりの再会です。

 リベカは目に涙を浮かべて、鉄格子を挟んでジムの手を握ります。

 ジムもリベカの手を握り返しますが、ジムの目からは涙が出てきません。

 どうやら、完全に悪魔になってしまったのか、涙が出ないようです。


「リベカ、僕の姿に驚かないのかい?」

「何を言っているの? あなたはどんな姿になっても紛れもないジムよ。」

「ありがとう、リベカ。それじゃあ、鉄格子を壊すからちょっと離れていて。」


 ジムは鉄格子を針金を弄ぶかのように両側へと開くと、一人通れるほどの隙間ができました。

 リベカは待ちきれないというように、その隙間から飛び出しジムへと抱きつきます。

 ジムもリベカを優しく抱き寄せます。


「リベカ、待たせてごめんね。」

「本当よ。 ジムのバカ!」


 ですが、乾いた破裂音と共に、その幸せは一瞬で地獄へと変わってしまいました。

 リベカの背中からは大量の血液が吹き出します。

 リベカを貫通してジムの胸にも穴が空いていますが、悪魔となったジムの傷口はすぐに塞がりました。


「これは銃と言ってね、火薬で鉛玉を……がっ!」


 次の瞬間、王の頭部はジムの投げた小石によって破裂しました。


「おい! リベカ! しっかりするんだ!」

「私を助けるために……悪魔の血を飲むなんて……ほんとバカな人。ここまで来るまでに……とてつもない地獄を見たでしょうに。」


 リベカの言う通りで、ここまでの道中はジムにとって地獄でした。

 道中の集落でジムは自分の食欲を抑えることができず、女子供見境なく喰らい尽くしました。

 しかも、理性もしっかりと残っているために、罪悪感で押しつぶされそうになるのです。

 ですが、リベカと会いたい気持ちがそれを上回っていました。

 まさしく、リベカと会うために悪魔に魂を売ったのです。


「きっと、私も同じことをしていたと思うわ。あなたと一緒になれるなら地獄だって喜んで望むもの。」


 リベカはゴホっと吐血しながらも話を続けます。


「だから、あなたの血をちょうだい。」


 ジムは何も言わず自分の手首の動脈を切りました。


「ジム、愛してるわ。」

「リベカ、愛してるよ。」


 ジムは勢いよく吹き出す新鮮な悪魔の血液をリベカの口へと運びました。





 むかしむかし、あるところに男がおりました。

 男は戦いに身を置き報酬を得る傭兵の戦士でした。

 そして、男には魔王を殺すという悲願があります。

 その瞬間が、今まさに男の目前に迫っているのでした。


「貴様が魔王か!」


 数十年前に突然姿を現したそれは、ある国を一夜にして滅ぼしました。

 強大な力を持ったそれを人々は魔王と呼び恐れましたが、魔王はそれ以降、他の国を滅ぼすというようなことはせず、ただひっそりと滅ぼした国の城にこもっていました。

 ですが、魔王が現れてから近隣諸国では人間が失踪する事件が多発していて、魔王が何かしているのではないかという噂が広まりました。

 失踪する人間の数は年々増えていき、事態を重く受け止めた各国は休戦協定を結び、協力して魔王の討伐を進めることになりました。


 一週間前、男の恋人が突然失踪してしまいました。

 なんの前触れもなく、家族にも事情を話すことなく突然いなくなってしまったのです。

 男は魔王の仕業であると確信し、各国が協力して立ち上げた魔王討伐隊への入隊を志願しました。

 表向きは討伐隊と謳っていますが、裏を返せばこれは捨て駒の偵察任務なのです。

 男はそれすらも承知していましたが、誰よりも早く魔王へとたどり着きたかったのです。

 そして、部隊が編成されるということは、他の隊員を囮にすることができます。

 もちろん、そんなことをしたら罰を受けることは必須ですが、男は後のことなど考えていません。

 魔王と刺し違えても仇を討ちたかったのです。


 そして、ついに魔王が潜む城へ攻め込む日がやってきました。

 捨て駒の任務という噂が流れていたせいか、各国からの参加者はごく少数です。

 魔王の首には賞金がかけられていることもあり、集まったのは金目当ての輩がほとんどのようです。

 部隊とは名ばかりで作戦もへったくれもありません。

 突撃の合図と同時に、皆城へと駆け出していきました。

 男はその後ろをゆっくりと歩いて城へと向かっていきます。


 男はようやく城へとたどり着き、城内へと入りました。

 先行した連中の死体が道中で多数転がっていることを予想していましたが、死体など一つもありませんでした。

 本当にここに魔王がいるのか、一抹の不安を抱きながら男は先に進みます。

 すると、どこからか嗅ぎ慣れた臭いがしてきました。


「血の臭いだ。」


 傭兵として何度も足を運んだ前線で嗅いだ独特の鉄臭さが、男の向かう先から漂ってきました。

 臭いの濃さも嗅いだことがないほどに濃厚です。


「これは全滅してるだろうな。」


 帰る人間がいなければ全滅という事実以外に何の情報も残らないので、偵察任務の意味すら無くなりそうです。

 ですが、覚悟を決めた男の足は止まることはありませんでした。

 城内を進んでいくと、水たまりがあることに気づきました。

 しかし、男にはわかっています。

 その液体が水ではないことに。


「貴様が魔王か!」


 男の前方には背中から翼の生えた少年が積み重なる死体の上に立っていました。

 人間に当てはめると、見た目からは十五歳ほどに見えます。


「やっぱり、僕は魔王って呼ばれてるんですね。」


 少年はどこか悲しげな顔を見せた。


「この人たちと違って、あなたならお話ができそうです。僕に少しお付き合いいただけませんか?」


 魔王は男にそう言うと、礼儀正しく深々と一礼しました。

 その作法は、男の国のものと同じで、何か違和感のようなものを感じ、疑問をぶつけずにはいられませんでした。


「どうして俺たちの作法をお前が知ってるんだ?」

「それは、僕があなたと同じ国の元兵士だったからです。」


 男は自分の耳を疑いました。





 彼女の最後の言葉を聞いてから一日が経ちました。

 あれから彼女は一度も目を覚ましません。

 ですが、もう傷口は塞がっているので、身体は悪魔と変化したはずです。

 彼はベッドに横になった彼女の手を握り、自分と最も遠い存在である神に祈るのでした。


 彼女の最後の言葉を聞いてから一月が経ちました。

 どうやら瀕死の状態で悪魔の血を飲んでも、意識までは回復しなかったようです。

 彼女はこのまま目を覚まさないのでしょうか。

 彼は彼女の手を握り、今日も不安な夜が更けていきます。


 彼女の最後の言葉を聞いてから一年が経ちました。

 彼女ではなく彼に少しの変化が起きました。

 人間を喰らいたい欲求がほんの少しずつですが増していくのです。

 大量の人間を喰らってから一年が経過し、徐々に腹が空いてきたようです。


 彼女の最後の言葉を聞いてから十年が経ちました。

 依然として彼女は目を覚ましませんが、彼女を見る彼の目に別の感情が宿り始めました。

 今までは人間に対する食欲だけでしたが、ここ最近では彼女に対しての食欲が生まれてきたのです。

 彼女を愛おしいと思えば思うほどその欲求が増幅し、彼の中で葛藤が始まりました。


 彼女の最後の言葉を聞いてから……。



 彼の葛藤は数十年続きました。

 ですが、彼は決して人間を喰らおうとは思いませんでした。

 人間を喰らうことで、精神がより悪魔へと近づき、理性が欠落していくことを数年前に身をもって知ったからです。

 いっときの空腹を満たせても、最終的には理性を無くして彼女までも喰らってしまうことを、彼は十分に理解していました。

 そして、彼は彼女を喰らってしまうぐらいなら、一緒に地獄へ行こうと考えるようになりました。





「あなたに僕達を殺して欲しいんだ。」


 魔王は男に微笑むと、そう言いました。

 男は微笑み返すと、こう言いました。


「言われなくてもそうするつもりだ。」


 男は背中に背負った鞘から剣を引き抜き、魔王の肩へと刃を斜めに振り下ろしました。

 魔王は避けることもなく、男からの一撃を静かに受け止めました。

 しかし、剣は肩に少しめり込む程度で、魔王を両断することはできませんでした。


「人間では僕を殺すことはできないんだ。」


 魔王はそう言うと、剣を持ち上げました。

 すると、魔王の肩に開いた切り口があっという間に塞がってしまいました。

 男はその光景に驚愕し、生きた心地がしませんでした。

 ですが、魔王はそんな男の様子を気に留めるでもなく、話を続けました。


「あなたは何で僕を殺しにきたのですか? この人たちとは理由が違う気がするのですが。」

「ふざけるな! 俺は貴様にさらわれた恋人の仇を取りに来たんだ。」


 怯んでいた男でしたが、魔王のその言葉を聞くと怒りを思い出したかのように険しい顔で魔王を睨みつけました。


「ああ。その事ですね。僕は人間をさらったりなんてしていません。あなたの国が魔王という共通の敵を作り出し、国ぐるみの奴隷商売を有利に進めるための自作自演をしたのでしょう。あなたの恋人もおそらく城の地下にある牢獄に捕らえられているでしょう。まだ買われていなければの話ですが。」

「そんなデタラメを信じられるか!」


 男は激昂して魔王へ掴みかかります。

 魔王はそんな男を振りほどくでもなく、まるで同情するかのような視線を向けました。


「僕の話を信じなくても結構です。僕達を殺した後、ご自身の目で確かめていただければ。」

「でも、俺にはお前が殺せねぇ。」


 男は俯くと、諦めたように力なく魔王を放しました。


「いいえ、殺す方法が一つあります。ついてきてください。」


 男は魔王に言われるがままに後を追っていくと、王座が置かれた大きな広間にたどり着きました。

 王座の横には大きなベッドが置かれています。

 そこには魔王の見た目の年齢と同じぐらいの少女が安らかに眠っていました。


「彼女は僕の妻です。彼女も僕と同じで元は人間でした。今は僕の血を飲んで悪魔になっていますが。」

「元は人間? 血を飲んで悪魔に? それで俺にどうしろってんだ?」


 男は魔王が何を言おうとしているか既に察していましたが、あえて魔王の口から聞くことにしました。


「あなたに僕の血を飲んでもらい、悪魔になって僕達二人を殺して欲しいのです。それに、悪魔の力を手に入れれば、あなたもあなたの恋人を救い出す勇者になれます。」

「でも、そこのお嬢さんみたいに俺も寝たきりになっちまうかもしれないよな?」


 男は当然の不安を口にしました。


「彼女に僕の血を飲ませたのは瀕死の状態になってからでした。その前に飲ませていればよかったのですが。」


 魔王の顔には後悔の色が浮かんでいました。


「そうか。俺はあいつが生きている可能性があるなら、人生の全てをそれに賭けたい。後悔はしたくないからな。」

「そうですか、あなたが恋人のために、その他全てを犠牲にする覚悟があるのでしたら、僕の血を飲んでも正気を保てるでしょう。ただし、それは死ぬよりも圧倒的に辛い選択となります。」


 男は魔王の目をまっすぐに見て、こう答えました。


「ああ、覚悟はできている。」

「わかりました。それでは、あなたを魔王を倒す勇者にしましょう。」


 魔王は自らの手首を切ると、勢いよく血が飛び出しました。

 あたり一面が魔王の血で染まります。

 魔王は自分の血を銀のワイングラスへと注ぐと、血まみれの手で男へそれを手渡しました。

 男はそれを受け取り静かに飲み干しました。


「これでやっと一緒に地獄へ行けるね。リベカ。」


おわり。

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