第七話
「断る」
その言葉は必要だったのか。
きっと店主には届かなかっただろうから、不要だったのかもしれない。口を開くより先に、手が出てしまったから。
だが、自分に聞かせる為に必要な言葉だった気がする。その言葉があったからこそ、俺は手を出せたんじゃないかな、って。
その拳の所為で、人間としての欠陥品は綺麗な軌跡を描いて一つのテーブルに落ちたワケだが。
中々に頑丈な家具だったらしく、煌びやかな装いを机上に飾り、なお不動という実用性を誇っている。
ちなみに、煌びやかな装いとは店主の身に着けている物の事だ。
少々飛び散ったが、それが却って計算された様な配置になっている。
やっぱり自然が一番だな。何か違う気もするが。
「てめえ!親分に何て事をしやがる!」
「頭下げても許さねぇからな!」
「身分が高くても、此処じゃ俺等がルールだ!」
室内の各所からワラワラと黒服達が罵声を伴いながら集まって来る。笑笑。
奥の別室からも、人が来る気配があった。
結構な人数に成るだろうし、皆それぞれ腕に覚えがありそうだ。
ちなみに他の客は気にせず自分の楽しみに耽っている。中には気にする者も居るが、催し物だと思っているのか、手を拍ち、何やら興奮して叫んでいる。
店主程では無いが、それ等の有象無象も高価な服や装飾品を身に着けている。
この反応も薬の影響だとは理解しているが、それが無性に腹立たしかった。
だから。
それを、ぶつける事にした。
激情に駆られてはいるものの、意識は身体から切り離され、全体を俯瞰している。
だから、囲まれてしまう事が無い様に上手く立ち回れるし、テーブルなんかの障害物にぶつかる事も無かった。
ただ、淡々と一人ずつ沈めていくだけだ。
剣で切り掛かって来た男の腕を取り、少しだけ力を加える。
これだけで襲撃者の力を全て違う方向に変換出来る。すると、宙を舞う。
その軌条の先に他の従業員が存在するのは必然。つまり、巻き込む。
其処に追撃を加えるのがセオリーだが、如何せん数が多いので諦める。
但し、其の光景に意識を奪われた者には容赦はしない。
顎先を俺の拳が掠める。それだけで脳震盪を起こし、意識を失う。
逆の手では襲い来る剣の腹を打ち、自らの身を守りつつも襲撃者の体勢を崩す。
直後に、側頭部に鋭い蹴りを見舞う。
「この場合は俺が襲撃者、かな」
多対一の基本。
囲まれない事。
そして、同時に複数の敵を相手取る事。
それを可能とする強さと、意識の切り離しという技術。
正直、負ける気がしない。
それぞれのテーブルに黒服を一人ずつ生やす余裕があるくらいだ。
しかも全員同じポーズで。
店主含め、皆が土下座スタイル。
ぶっちゃけ快感。
そうだよな。こうやって思うがままに動くなんて初めての経験かもしれない。
物心がついてからは、ずっと家族の顔色を伺って生きて来たし、ルシードの側近に成ってからだって周囲に配慮してばかりだった。
まあ、ルシードにくっついてからは、あいつの立場があるから有能さを出さないという配慮だったけど。
その鬱憤が鬱屈して、自分を見失ってたのかな。鬱陶しい柵に囲われていたから。
今なら解る。本来の俺は、悩み抜いてから決断を下す人間だし、決めてしまえば手加減なんかせずに全力で突っ走る型だ。
それが、ルシードやリオンに思考する事を丸投げして、行動だって阻害されていた。ルシードの声望が上がってはならないからな。取り巻きは無能である必要があった。
唯一全力で働けるのが『裏』働きだけだ。
ところが、俺は『裏』の適性が皆無だった。ルシードやリオンは適性も有ったし、其れを好んでいる節もある。
俺だけが違う。
始めは砂粒の様な不安や疑問だった。其の取るに足らない想いが、日々の積み重ねと夢とのズレを養分に、育ってしまった。
「俺は⋯⋯!最っ高に馬鹿じゃねえかっ!」
「生まれが良いからって調子に、ぐはっ!」
数人を囮にしながらも、かろうじて背後に回り込む事を成し遂げた黒服に、褒美の裏拳を叩き込む。
その破壊力とは裏腹に、拳への衝撃は驚く程に小さい。
技のキレが冴え渡っている証拠だ。
頭がスッキリすればする程、身体の動きが良くなっていくのが解る。ただ激情に身を任せているだけでは、絶対に出来ない事でもある。
「大体⋯⋯俺まだ未成年だぞ!?もう何年、国の仕事してるんだよ!?情操教育的にとか、倫理的にもアウトだよ!何なの、ブラックなの!?」
「訳の解らねぇ事を、この餓鬼、がっ!」
叫びの最後の「がっ!」は俺の攻撃によるものだったりする。
その場で崩れ落ち、土下座スタイルになる。
ちっ。テーブルの上に生やせなかったか。流石に数が多いからキツくなってきたな。
とは言え、単に倒すだけなら困らない。
「こいつ等が弱過ぎるんだよ。たかだか学生一人に蹂躙されるとか、仮にも裏の店が其れで良いのかよ、ってんだ」
いや、本当に『仮』なんだけどさ。実態と言うか、隠れて国が運営しているんだし。
まあ、周囲を確認すると全てのテーブルには人花が咲いているので、これ以上は飾れなかったみたいだ。
結構な人数を活けてしまったな。
自分の現状に不満を抱いているのかな、俺は。どう考えても、八つ当たりの憂さ晴らしが入っている。
「そこまでだ、若旦那。もうこのフロアに敵は居ない。全滅させちまってまさぁ」
「おかわりが欲しいくらいだが、やり過ぎになるか?」
「既にやり過ぎでさぁ」
「マジか⋯⋯ところで、その格好は?」
ス、っと音も無く近づいて来たオミナエシは、先程までの黒服では無く、明らかな襤褸を身に纏っていた。そのクセに気品のある立ち振る舞い。まあ、俺にだけ聞こえる声量故か、口調だけは素だったが。
「私も一緒に出て行きますから。捕らえられていた貴族の子弟という体でね。 若旦那に保護された形なら、簡単に此処から退去出来ますからね」
「抜け目無ぇ⋯⋯」
「それが『裏』ですよ、若旦那」
その言葉に、若干目元と口の端が歪んでしまうのが自覚出来る。ほんの一瞬。僅かな痙攣、それくらいの些細な変化。
だが、それに気付かない『裏』七草では無い。とは言え、態度に出す様な真似はしなかった。
どうやら見逃してくれるらしい。
「保護されるのが、私一人だけでは疑われるかもしれません。他に一人二人、連れて行った方が良いかもしれないですよ?」
「そんな、声まで変わって⋯⋯!」
あまりにもオミナエシの貴族の演技が堂に入り過ぎていたので、思わず茶化してしまう。自分の失態を隠したい、という願望も入っているが。
俺は近くのテーブルまで歩くと、其処のテーブルクロスを乱暴に引っ掴み、思い切り引いた。
テーブルの上にあった料理や酒、人型の生け花はテーブルから落ちるどころか、ほぼ動いてすらいない。
驚きと賞賛の声がいくつか聞こえる。
まだ催し物だと思われているのかな。とことんまで愚かなのか、はたまた薬の強さなのか。
まあ、これから逮捕されてしまう連中の事なんて考えても意味は無いか。
テーブルクロスを手にして、俺は空間の中心部に向かうと、其処で泣き叫び、喘ぎ狂う女にそれをかけてやる。
ドレスは脱がされていないとは言え、色々とお見せ出来る状態では無いからな。
だが⋯⋯。
「ああああーっ!」
テーブルクロスをかけられた令嬢⋯⋯ガヤー・ペンネは、張り裂けそうな叫びを上げ、気を失った。
「どうやら、薬が強力過ぎて、外部からの刺激だけで達してしまったみたいですね」
「⋯⋯凄く吃驚した。死んだかと思った。その場合、トドメ刺したの俺だよな、とか考えた」
「相変わらず中身は臆病な儘ですか?これだけ強くなっておきながら。目に涙浮かんでますよ?」
「自覚してるよ、この野郎。ただなあ、これでもまだ、殺しは未経験なんだよ。ルシードが気を遣ってくれてるみたいでな」
小さく嘆息するオミナエシ。
解ってるよ、甘やかされていると言うか、大事に使われているって事実は。
オミナエシの視線や、自分の感情やらを誤魔化す為に、一度わざとらしく頭をガリガリ掻いてから、そっとガヤーを抱き抱える。
マリーナ嬢の取り巻きで、冷たくて細い方、というくらいの印象しか残っていない。
そんな彼女は軽かった。
一連の流れを見てしまった所為もあるかも、だが。
悲しいくらい、軽かった。
その肉体も、その扱いも。
其れが無性に腹立たしかった。
自分だって、彼女をちゃんと見ていなかったくせに。
それでも、いや、だからこそ何かしたかったのかな。
「へえ、この娘を連れて行くのですね」
「どうせ誰かを保護するなら、多少なりとも事情を知っている奴の方が良いだろうよ」
「まあ、この状態じゃ国に保護されるのが幸せとは限りませんからね」
「後で情報を回してくれないか?『元締め』から聞いた方が良ければ、そうするが」
「いえ、お屋敷で待機して頂ければ。部下をやります」
誰かの目が。何者かの耳が。潜んでいる可能性は常に考慮しなければならない。だが、この店は他国の人間の接待、という側面もあるのだ。狂乱に満ちたこの空間にも、冷静な奴が混じっているかもしれなかった。
『元締め』なんて言葉を使ったのも、それが理由だ。
普段なら、『裏』七草筆頭、ススキの名を使うだろう。
だが、こうする事で様々な想定が出来る。
俺が用心している。
俺達はススキの存在を知らない。
『裏』のトップはススキでは無い。
国の『裏』とは別の組織の人間である。
撹乱を狙っている。
ざっと思いつくだけでも、これだけある。
俺の素性がバレている事も含め、向こうは考える筈だ。
そして、頭脳戦ならばルシードとリオンに敵う相手は存在しない。
誰が為の婚約破棄 もうきんるい @kansen
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