あの、場末じゃなくて、酒場だから……
「未悠。
城にはまだ入るな」
城の高い生垣が見えた頃、アドルフがそんなことを言い出した。
「なんですか?
出戻りは入れないとか?」
と未悠が言うと、
「いや、出戻る前に一度結婚してくれ」
と言ったあとで、アドルフは、
「ちょっと処理しなければならない奴が……
失礼。
ならない案件があるんだよ」
と言う。
チラと森を見、
「タモンの城は危険だしな」
とアドルフが言ったとき、
「うちで良ければ、未悠を
とあまり聞きたくない声がした。
相変わらず、ゴージャスだが、嫌味でないドレス姿のシーラが立っていた。
「……シーラ、なんでこんなところに居るの?」
と生垣を見上げると、その視線を追ったシーラが、
「あんたじゃないのよっ。
そんなとこから、抜け出てくるわけないじゃないっ」
と怒鳴ってきたが、すぐに王子の存在に気づき、咳払いをする。
アドルフを見上げ、シーラは言った。
「未悠を匿いましてよ、王子。
身の安全は保障致しますわ。
王子妃になり損ねた今、王子と未悠には、恩を売っておきたいですから」
いっそ、気持ちがいいくらいストレートだな……と思いながら、未悠は聞いていた。
「そうか。
ありがたいが……」
というアドルフの言葉にかぶせて、未悠もまた、
「ありがたいけど、シーラとずっと一緒とか、緊張するなー」
とハッキリ言うと、シーラは、
「匿ってやろうと言うのに、貴女も大概ね」
と睨んだあとで、
「では、うちの別荘をお貸ししますわ」
と言ってきた。
だが、そのとき、
「シーラ殿」
とおじさんのものらしき声がした。
シーラが、げ、という顔をする。
まだその姿は見えては来ないが、シーラは今来た方角を振り返っているようだった。
「シーラ殿、何処ですかな?
これは私に探して捕まえよ、ということでしょうかな」
と浮かれたような声が聞こえてきた。
「バスラー公爵じゃないか」
と声だけでわかったらしいアドルフがそちらを見ながら呟く。
「王子妃になれなかったものですから。
もう私は売られたのですわ。
大事にもしてくださいますけど、お父様にとっては、私も道具のひとつですから」
「いやー、娘に安定した暮らしをさせたいという親心かもよ」
と言ってみたが、
「そんな親心いりませんわ。
五十過ぎの初婚ですのよ、公爵は」
とシーラは反論してくる。
あー、それはそれは……。
「でも、すごく大事にしてもらえそうだね」
と慰めになるのかならないのかわからないことを言うと、
「まあ、そうね。
アドルフ王子のように、見目麗しく権力もあると、次々妾をお作りになるかもしれませんものね」
と己が身の不運を嘆くついでにか、シーラは、ついに、王子にまで毒を吐き始めた。
いっそ、清々しいな、と苦笑いして見ていると、
「ところで、未悠。
なんですの、その破廉恥な格好は。
さすが場末の女ですわね」
と言ってきた。
王子の三倍の毒を吐かれ、
「あの、場末じゃなくて、酒場だから……」
と気弱な声で返してしまう。
今のシーラとやり合うのもなんだか申し訳ない気がするし。
やっても負けそうな気がするし……。
でもあの、マスターの店は、健全な呑み屋なんですよー。
夕方早い時間は、家族連れが楽しくお食事してますよー、とマスターのために、心の中だけで反論してみる。
そういえば、王子のお陰で、酒場のおかみさんたちには会えたけど。
向こうの世界に戻ったとき、怒涛の展開で、うちの両親には会えなかったな、と思い出す。
普段から、一人暮らしで、常に会っているわけでもないので。
便りのないのは、良い便り、とばかりに、今、娘がこんな目に遭っているなんて思いもせずに、暮らしていることだろう。
心配かけなくてよかったと言えば、よかったが。
でも……
ひとつ、気になっていることがあった。
自分と社長が兄妹だということ以上に……。
そんなことを考えているうちに、基本、気の短いシーラはしびれを切らしたようだった。
イライラとした感じで、バスラーの声がする方を見ていたのだが、突然、叫び出す。
「もうっ、毒を喰らわば、皿までですわっ。
では、王子、未悠。
失礼致しますわ。
うちの別荘に来るのなら、あとで連絡してくださいなっ」
ではっ、と身を翻し、シーラは今来た道を戻っていく。
「私は此処におりますわ、公爵!」
という半ばやけくそ気味の声が聞こえた。
「……公爵から逃げて此処に来たんだったんですね」
「ああ、そのようだな。
だが、バスラー公爵は、今まで独り身を通してきた、気のいい男だ。
……むしろ、バスラーが可哀想な気がしているんだが」
とシーラの消えた方を見ながら、アドルフは呟いていた。
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