いやー、テンキーの早打ちくらいしか
「なにか呑むか?」
シリオを叩き出したあと、アドルフは美しい細工の入った銀の杯を出してきた。
「そうですか。
では、いただきます」
窓際のテーブルを勧められたので、そこに向かい合って座り、葡萄酒をいただくと、アドルフは自分は呑まずに、こちらの顔を見ていた。
未悠が美味しくいただいたところで、
「お前、なにが入ってるかもわからないのに、あっさり呑むなよ」
と言ってくる。
「……呑む前に止めてくださいよ」
ともう底に少ししかない赤紫色の葡萄酒を見た。
「だが、いい呑みっぷりだった」
そう言い、立ち上がったアドルフはテーブルに重そうな布袋を投げてくる。
金属がこすれ合うような音がしたので、恐らく、金貨が入っているのだろう。
「持っていけ。
それで、エリザベートやシリオに礼をし、新しいドレスを買え」
そう言い、アドルフは再び、腰を下ろした。
未悠が布袋には手をつけずに、
「そんなに入ってるんですか?」
と問うと、偉そげに脚を組んで座るアドルフは、
「そんなに入っている」
と言う。
「いやー、たいしたゲームじゃなかったので、そんな、いらないですよ。
せいぜい金貨十枚くらいで」
と言うと、アドルフは眉をひそめ、
「お前、何処から来たのか知らないが、この国の金貨十枚は結構な金額だぞ」
と言ってきた。
そうなのか。
金貨一枚、千円か、一万円くらいかと思っていた。
それにしても、十枚ではもらい過ぎだが。
なんとなく、貨幣だと小銭、というイメージが自分たちにはあるから、つい、軽く十枚などと言ってしまったのだ。
「じゃあ、これ、相当ありますよね」
と布袋を見て言うと、
「その辺の兵士の二十年分くらいの給料だ」
と言う。
「……そんなにいりません。
じゃあ、一枚で」
と言うと、
「それは賭けの勝ち金じゃない。
お前の代金だ」
と言われ、未悠は訊いた。
「……え? 今夜の?」
「一晩でか。
高過ぎだろう」
いや、そんなものの相場は知らんが、とアドルフは眉根を寄せる。
「それに、お前、どうせ酒の相手くらいしかしないんだろう」
と言われ、
「よくご存知で」
と未悠は笑った。
目の前にカードを投げられる。
「酒はいい。
ちょっと付き合え。
金はいらないというのなら、それを元手にしろ」
とアドルフは布袋を指す。
「でも、王子、お疲れなんじゃないんですか?」
と言うと、
「いや、疲れてるんだが、今日もクソ面白くもない舞踏会などに出さされて、このまま、つまらない気分のまま寝るのも嫌だから、お前を呼んでみたんだ」
と言ってくる。
「なるほど。
眠れないので、ちょっと大道芸人を呼んでみた、みたいなもんですか」
と言った未悠に、王子は、
「お前はなにか芸が出来るのか?」
と広げた手持ちのカードを見ながら言ってくる。
「……テンキーの早打ちくらいしか」
と言って、なんだそれは、と言われてしまった。
「ああ、あと、ものすごい早さで、100均の折り紙で箸袋を折れます」
「最早意味がわからないから、早く始めろ」
眠いんだ、と言いながら、カードを出してくるアドルフに、
……いや、だから、さっさと寝たらいいんじゃないですかね? と思っていた。
アドルフは誰かが枕許で本を読んでいる声で目を覚ました。
やさしい声だな、と思う。
まるで子どもに絵本でも読んでいるような口調だが。
……内容は面白くもない城の規律についてなんだが。
目を開けると、部屋ほどもある広い真っ白なベッドの上に未悠が居た。
あのドレスを着たまま、うつ伏せになり、自分の横で本を読んでいる。
目を開け、その姿を見ていると、
「あれ? 起きました?」
とこちらを見て、言ってくる。
「王子が寝たあと、私の方が眠れなくなっちゃって」
帰っていいかもわからないし、とくつろぎ切っていたことを誤魔化すように笑う未悠に、
「なんでその本読んでたんだ?」
と訊いてみた。
「王子が読めって言ったんじゃないですか。
ゲームに疲れて寝るから、枕許で本を読み聞かせろって。
適当にその辺の本をつかんで投げてきたのが、これだったんです」
と未悠はその分厚い本を見せてきた。
「……それは、時計塔の下で拾った本だ。
私には読めない」
なんとなく捨てられなくて持っていた、と言うと、
「これ、本の形はしてますが、ノートのようですね。
誰かが書き綴ったもののようです。
ラテン語みたいなんですが」
とそれをめくりながら、未悠は言う。
「ラテン語?」
「そういう言葉が私たちの世界にはあるんです。
それと似ています。
私は大学でちょっと勉強しただけですが」
と言ったあとで、未悠は渋い顔をする。
「どうした?」
と訊くと、
「今、私はどんな言葉をしゃべっているのでしょうね。
私には貴方がたの言葉がちゃんと意味をなして聞こえます。
でも、きっと日本語ではない」
やはり、これは夢の世界なのでしょうか、とわからぬことを言い、何故か少し寂しげな顔をする。
思わず、未悠の後ろ頭に手をやり、引き寄せようとして、額を派手に厚い本で殴られた。
「お前っ、無礼討ちにするぞっ。
慰めようと思っただけだろうがっ」
と起き上がり叫ぶと、
「なんで私に貴方がキスしてきて、私が慰められるんですかーっ!」
と未悠は叫ぶ。
舞踏会のつまらなさも吹き飛ぶくらいの騒がしい夜だった。
「あら、シリオ様、まだ起きてらしたんですか?」
廊下をウロウロしていたシリオはエリザベートに出くわした。
「ああ、すみません。
なんだか寝付かれなくて。
ちょっと娘を嫁に出したような気分です」
数日前に知り合った、歳もそう変わらぬ娘ですが、と言うと、笑い、
「私もです。
なにやら落ち着きません」
と言ってくる。
今にもなにかやらかしそうだからな、あの娘。
あの剣も持たせていることだし――。
王子となにかあれば、未悠が使わなくとも見つかるはずなんだが。
今のところ、なんの騒ぎにもなっていないようだ、と王子の部屋を窺うように天井を見ると、エリザベートが、
「なにかお呑みになりますか? シリオ様」
と訊いてきた。
あ、ああ。
いただきましょう、と言って彼女のあとについていく。
未悠め。
どうなってるんだ?
ドジ踏んで、既に切り捨てられて埋められてるとか?
ちょっと可哀想だったかな、と思っていたので、翌朝、驚いた。
「なんだ。
生きてるじゃないか、未悠」
「どんな言いようですか」
朝食の席で顔を合わせた未悠は憤慨してそう言ってくる。
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