リソウキヨウ

アイマスクと耳栓

第1話 製造工場 上

 先日、実家で妹が倒れたらしい。親が言うには過労とのことだ。確かに妹は体の強い人間ではなかったが、ただの学生生活で倒れるほど虚弱でもなかったはずだ。ゆえに私は母に近頃の妹の生活の詳細を訪ねてみた。

 母が言うには、妹は普段通り朝から部活の練習に参加し、昼は学校で過ごし、夜は宿題をこなして就寝していたという。だが、それだけで倒れる羽目になるだろうか。

 後に直接妹に話を聞いたところ、朝起きる時間は5時で、夜は両親が寝静まった後に宿題と、生徒会の仕事をこなして、3時に就寝していたそうだ。そして、倒れた時期は運悪くテスト期間で、宿題が多い時期だったらしい。

 これを聞いた日の夜、布団に入った私にある言葉がよぎった。

「教育とは、洗脳である。」


 この国では、現在過労死・過労自殺がしばしばニュースを沸かし、スラングであった「社畜」はいまや子供でさえ知るところとなっている。そして過労死や過労自殺をするのは愚かな社畜であるというふうに彼らはどこか蔑んだ視線を送ってさえいる。

 しかし、彼らは自分達のほとんどが社畜になるよう仕向けられているということに気づいていない。

 子供たちは、朝の決まった時間に教室という名のオフィスに出勤し、授業という名の会議に出席し、テストという名の仕事をこなし、家に帰れば宿題という名の残業もどきをするよう強制されている。これはもはや社畜候補生と言われても否定できないだろう。さらには、宿題という名の残業をこなさなくては良い評価がもらえず、良い公立学校への進学という出世ができないようになっている。そのため、社畜候補生たちは死に物狂いで、寝食を削っておのれの仕事をこなすのである。結果、そのうちを何割もしくは何分、何厘かが若い身体を壊してしまうのだ。

 より恐ろしいことに、社畜候補生になってしまった時点で、限りない洗脳の連鎖に組み込まれてしまうのである。

 子供たちは幼い頃より目上の人の指示に従順になり、反抗しないように育てられる。入学後、教師という上司の指示に疑うことなく従い、反抗する者を蔑視するよう訓練される。そして就職し、晴れて社畜の仲間入りをすると、賃金という儚い信用を基に社会の最底辺を軽蔑し、自らを「立派な大人」と名乗るようになる。そして、結婚し子供ができると、その子を「立派な大人」にしようと奮闘する。

 ここからわかるのは、子供の最大の味方であるはずの親が、誰よりも率先して子供を破滅の道に誘おうとしているという問題である。彼らは自分達を最後の拠り所としている子供を害しようとしている教師を止めることをしないどころか、教師の子供への洗脳を諸手をあげて受け入れる。教師もまた、子供のためを思ってなのかもしれないが、積極的に子供を社畜に訓練する。もはや子供の味方はどこにもいないのだ。

 ではなぜ「立派な大人」はそのような行動をするのだろうか。それは彼らが社会の現状維持を望んでいるからである。

 社会の最底辺を蔑視する彼らは我が子が最底辺の一員になることを望まない。そのためなんとか我が子が社会で成功するよう腐心する。そこで、かつて洗脳を受けた彼らは、自らが最低限「成功」していると誤認しているため、彼らはどうしても我が子が「失敗」する危険を犯すことに堪えきれず、子供に自身のような最低限の「成功」というローリスクをとらせようとする。つまり、結果として社会が維持される社畜の再生産を望んでいるのだ。

 では、「大人」が頼りにならないのならば学校という制度を見直してはどうだろうか。確かに、社畜再生産の場と化している学校を、真に人間を育てる場にできればこの負の連鎖を終結させられるかもしれない。しかし、そこにはまだまだ大きな壁が立ち塞がっている。

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