第33話 霊は自覚する

 次の日、俺は中学の小冬を知る人間に、勇気をもって話しかけた。

「海田、ちょっといいか」

 海田は戸惑う様子も見せず、「ん」とこちらに応じる。

「真雪という名前を知っているか?」

「真雪って、真雪先輩? 名前だけなら知ってるよ。今回のお化け屋敷でも、先輩が残した資料をいろいろ参考にしたし。去年小冬が入ったお化け屋敷も、真雪先輩が作ったものだったみたい」

 知っているならなぜ教えてくれなかったんだ。

「それで、小冬は去年の文化祭で真雪について何か言っていたか?」

「ん、特に何も言ってなかったけど……。というかなんで小冬?」

「だって、自分の姉に関することであいつは……」

「姉? 何の話?」

 どうも煮え切らない会話に、海田は首をかしげる。

「だから、真雪が去年行ったお化け屋敷のクラスだったんだろ?」

 真剣な俺の訴えに、海田は顔を真っ青にする。

「え、まってよ……」

 何を待つことがあるのか。そう思った俺に海田が言い放った一言は、これまでのすべての辻褄を一瞬にして残酷につなぎ合わせた。


「小冬って、一人っ子でしょ……?」


 その声は震えていた。

 キーホルダーを「送ってくれた」というところで、気づくべきだった。

 彼女らは、一緒に暮らしていなかったんだ。


 *   *   *


 家に帰ってすぐ、俺は母を問いただした。三年前に小冬の両親が離婚していたことを知ったのは、それが初めてのことだった。

 中学からの知り合いである海田は、小冬に姉がいることを知らなくてもおかしくはない。

 そのときから小冬は母親、真雪は父親とそれぞれの実家で暮らしているという。両者ともに子を持ちたいという思いがあり、真雪の進学に合わせて引っ越しをしたらしい。婿入り婚だったらしく、今の真雪は父方の姓である川瀬かわせを名乗っている。

 つまり山根真雪とは、本当にペンネームだったのだ。きっと離れて暮らしていても、山根小冬の姉であり続けようとしたのだろう。

『氷のTATY』には、姉妹にとって冷酷な判断をした父親に対する皮肉も含まれていたのかもしれない。

『夢が叶ったらまた会おう』

 この言葉の本当の意味、重すぎる想いを、俺はそのとき初めて知った。

 小冬には、どうしても真雪に夢を叶えてもらわなくてはいけない理由があったんだ。

 俺はベッドに横たわる。

 これは、駄目だ。

 俺はスマホを取り出し、おぼつかない操作で検索をかける。今日は……、何をする日だっただろう。

『運命の人に近づける日! 気負わず話しかけてみよう』

 もう、どうでもいい。

 神のお告げは、ただの文字列にしか見えなくなっていた。俺が今まで執着していたものとは、こんなにも目を眩ませて、こんなにも人を傷つけるものだった。

 俺の正体は化け狐などではなく、人を呪う本当のお化けなのだと自覚する。それが占いなんかを守ろうとしていたのだから滑稽だ。小冬の言う通り、身を固めるために見つけた都合のいい盾を、崇高なものだと思い込んでいる哀れな悪霊じゃないか。

 布団にうずくまり、枕に顔を埋める。

「……うああああっ!」

 梅雨明け頃、いつかの昼休み。小冬が見せた涙に、二度とこんな顔をさせるものかと誓った。その意味すら勝手に解釈して「やれやれ、もっと上手く誤魔化してくれ」とさえ思っていた。

 でも、本当はそれに成功していたのだ。俺は見事に化かされた。

 思い返せば、小冬が泣いたのはあれが初めてではなかった。パン屋の娘である高蜂たかばち先輩の家を訪れ、両親の離婚の話を聞いたとき、小冬の様子は少しおかしかった。嗚咽混じりに、どうかパンを作ってくれとしつこく訴える様は、明らかに冷静さを欠いたものだった。

 俺はそれを、いつもの行きすぎたリアクションだと思った。内心、少し愉快とすら思っていたかもしれない。しかし、あれは決してコミカルな涙などではなかったのだ。

 自分の力ではどうにもできない、大きな流れ。そこに立ち会ったとき、俺たち子供ができるのは、無力さを声にして嘆くことだけだ。

 小冬は先輩の置かれた境遇にいろいろ思うところがあったからこそ、あの件にあそこまで固執していたのだろう。

 きっと力になれると思った。

 なんとかうまく立ち回って、ドラマチックに小冬を救い出すことができればどんなにいいだろうと夢を見ていた。

 それでも結局、彼女は足を止め、雫を光らせた。

 たった一日の占いを叶えられなかったことを、心底後悔した。

 でも、何も変わっていない。俺の始まったばかりの青春は、その後悔に空回って、正しいところに向かっているはずのレールを捻じ曲げた挙句、他人の傷口に塩を塗っていた。

 こんな惨めなことがあるだろうか。

 自信を持って逸らした道は、文字通りの邪道になっていたんだ。


 その日から俺は、本当の幽霊になった。

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