第21話 風鈴祭

 あくまで私見だが、高校の文化祭は早すぎる。

 「物足りない」でも「詰め込みすぎ」でもなく、「早い」。

 その開催時期もさることながら、みな青春に焦っているように見える。

 学校行事の中でも数少ない「祭」の称号を冠するそのイベントは、空回りを絵にかいたような様相を呈する。

 即席チームで数週間準備をして、二日で畳む。祭というのは大概そういうものなのかもしれないが、高校文化祭の目まぐるしさは度を超えている。本来こういったイベントを行うにあたり必要な秩序が一切形成されていないのだ。

 最初は大見得を切って「成し遂げる」ことを目標にする。しかしそれを形にするための具体的な設計に乗り出す者が出ないまま、スローガンやキャッチコピーといった技術不要の思想だけが乱立され、あれよあれよという間に時は過ぎる。最終的にガムテープだらけのダンボール片が量産され、完全に崩壊する前に当日を「乗り切る」ことが目的になる。……なんてことはざらだろう。

 そしてそこには推敲の余地がないように思える。地域に残る伝統的なしきたりでもあるまいに、困ったら去年と同じことをやっておけばOKというのもいかがなものか。

 この闇雲感が俺は苦手だ。とりあえず「らしい」ことをしておけば青春が体感できるという思考停止――いわゆる「惰性」が、柴剣太郎しばけんたろうの肌にはどうしても合わなかった。

 ある友人は「高校生の標本としてケンを取ってくるのは間違いだ」といい、またある友人は「外れ値とはまさにけんくんのこと」という。しかし、新学期開始から約二ヶ月での挙行を遅いと感じる人間はそう多くないだろう。それでも多くの学校が新年度早々にこの祭事を敷いているのは、早く親睦を深めろという上層部からのそれとないお達しなのかもしれない。

 県立自由ヶ崎じゆうがさき高校も例に漏れず、来たる六月の末に「風鈴祭ふうりんさい」という文化祭が催される。名前の由来については諸説あるが、本当は校名にもある「自由」というワードを使いたかったという。そのまま使うと語呂が悪いので工夫を凝らしたとのこと。自由なイメージの「風鈴」をそのままあてた説と、「フリー」から転じた説の二つがある。どちらにしても、こんな時期に開催していては名称として不適切だ。それこそ思考停止で名前を決めてしまった毒親は、責任をとって開催時期を二ヶ月ほど後ろにずらすか、このイベントを撤廃するかを択一すべきである。

「では、話し合いに移りましょう。伊野部いのべくん、よろしく」

 B組担任の山吹やまぶき先生が手を叩く。それに応じて、クラス委員である伊野部が立ち上がった。

 さて、そのバックボーンには多少のいい加減さを感じながらも、俺は文化祭の下準備にそれなりのバイタリティをもって臨んでいた。

 なぜなら『苦手なことでも前向きに取り組む』べきだからである。

 これはポリシーか、はたまた座右の銘か。

 否。苦手なことに毎日取り組んでいては気が滅入ってしまう。

 この異様に意識の高いワード。こいつの正体は、今日の占い結果である。効力が一日限りであることが肝なのだ。どう捉えても後ろ向きなアドバイスな時点で察してほしいが、順位は芳しくなかった。しかしそれは、変動して然るべき要素の一つなのである。

 最新鋭である俺の人生訓と行動原理は動的に変わる。それを決定づけているのは、先に述べたように日々の占い結果だ。理由はいろいろあるが、ひとまず俺は朝に与えられた使命をこなすことを目標に生きている。

 さて、占いがそうしろと言ったので、『苦手なこと』にもチャレンジしたいところではあったのだが……。

 教壇に上がった伊野部は、黒板に一通りの役職を書き出した。それから立候補を募って、よしなに捌いては次の役割決めへ移る。特に思考の余地もない仕事を、さもテキパキと取り仕切っているように振舞いながら、誰にでもできるような仕事を着々と進めていく。

「次、クラス代表! 誰かやってくれる人」

 さすがにこれはハードルが高い。そもそも、クラスに別途で文化祭選任を立てる必要があるのだろうか。代表はお前じゃないのか、伊野部よ。

 当然、そんな中途半端な役回りに名乗りを上げる人間はいなかった。少し考えれば想像はつく。文化祭に憧れを抱く人間であればとっくに実行委員に入っているし、人前で何かしたいのであればクラス委員や生徒会でいい。このクラスにはもう、積極的にそういう役に回りたがる生徒は残っていなかった。

 ここでいうクラス代表とは、文化祭の運営者ではなく、クラスの先導者でもない。出し物の準備を取り仕切り、運営とのやり取りをする気の滅入る役である。つまりは、都合の悪いときに矢面に立たされるのに何の記録にも残らない。その上、運営とクラスの軋轢に振り回される、とても不憫で割の悪い事務リーダーだった。

 占いに従うなら、ここは名乗りを上げるべきだろうか? 言い訳のようであるが、俺は別にクラス代表を「苦手なこと」とは思わない。中学の時にもそういうことはそれなりにやってきているし、変に悪目立ちしてまで定義的に際どいところを攻める理由もない。

 そしてこれは今日に留まることではない。確かに今後を左右するようなことも、占いが言えば基本的には叶えていく方針ではあるが、俺の羞恥心だってそんなに安くはないのだ。すぐに効力が切れるなら、ここは流して然るべきだろう。

「クラス代表と言っても全部任せるわけじゃないよ。基本的には僕もサポートするからね」

 よし、やろう。ってなるかお前。

 それじゃ何を成し遂げても、「伊野部くんのサポートもあって」という言葉がついて回るだろうに。意図して成果まで横取りしようとしているなら、なかなかのやり手である。

 ふと、肩を叩かれる。後ろの席に座る木滝恒彦きたきつねひこは俺が振り向くより早く、物理的に耳寄りな情報を告げてきた。

沙妓乃さぎのちゃん、クラス代表やるらしいよ。各クラス代表とも全面的に協力するってさ」

 よし、やろう。

 めちゃめちゃ信用できる。むしろこっちがサポートしてあげたい。庇護欲しかない。

 俺は正面を向きなおす。

「お、やってくれるかい? ちょっと意外だな」

 伊野部は多少面食らったような顔を見せる。

 だろうな。

 だって正直、俺も驚いた。

「じゃあよろしく、山根やまねさん」

 あの小冬こふゆが、整った所作で手を挙げていた。俺はその姿に驚くと同時に、得体のしれない寒気を覚えた。

 昔から小冬を知っているつもりだが、こんなことは一度もなかった。あいつは集団の最前に立って何かを指揮するような性格だっただろうか。

 文化祭という大きなイベントに情熱を燃やしているから? 仲のいい沙妓乃がいたから?

 どれもあり得る話だが、しっくりこない気がした。この感覚はいったい何だろう。

 果たして、俺は本当に小冬という人間を知っているのだろうか。

 人の気持ちを察したり、悟ったり、探りを入れたりするのは得意ではない。むしろ「苦手」だ。

 でも、今日はそういうことをやる日だったはずである。

「副代表は誰かやってくれるかい?」

 伊野部は問いかける。

 やれやれと、すかした顔で今度は間違いなく挙手をした。まったく、手を焼かせる。

「お、決まりだね」

 目を瞑ったまま、俺は心の中で相槌を打つ。

「一番早く手が上がった木滝くん。副代表よろしく」

 同時に四人ほど手を挙げていたようだが、副代表には真っ先に手を挙げたツネが選出された。


 ……俺は?


 *   *   *


「あはははは!」

 ツネは笑う。

「意外だったよ。まさか本当に立候補するなんてね」

「道具係に名乗りを上げた覚えはないんだが……」

「まったくさ! 伊野部君もなかなかやる」

 本当に意味が分からないが、あの時手を挙げていたツネ以外の三人は道具係に抜擢されてしまった。俺と武山たけやま畑中はたなかというモブキャラスリーマンセルだ。道具係とはつまり、出し物をやるのに必要なものを洗い出し、どう調達するかを検討、必要であれば購入し会計までこなさなくてはいけない史上最悪のオールラウンダーだ。

 伊野部、本当にやり手だったとは。まさにイノベーションだぜ……。

 雑用係を決める過程でイメージがよくなることはまずない。どう進めても押し付けるような構図になるからだ。しかし、副代表に立候補した人間であれば、何か仕事がしたいのだろうというこじつけができる。当人たち以外の恨みを買うことなく、逃げ場も与えずに道具を準備させることができちゃうのだ。

「だけど意外だったのは本当だよ。まさかケンに副代表をやろうなんて気概があったとはね」

「あのタイミングくらいしか、今日の占いを達成させる機会がなさそうだったからな」

 そう返すとツネは、呆れと少しの怒りが混じったような表情をした。

「ケンはもう少し素直になった方がいい。気づいたころには遅いことだってあるんだよ」

 ツネを知らない人間からすれば、意味ありげなことを言って格好つけているようにしか見えないだろう。しかしこいつは違うのだ。たまに本当に未来が見えているんじゃないかと思うときがある。

「そういう含みのある発言で人を不安にさせるのも、直した方がいいと思うぞ。というか何でお前も手挙げてんだよ」

 今の表情は見間違いだったのだろうか。そう思うほど自然に、ツネは屈託のない笑顔を見せる。

「ははは、違いない。今回に限っては、意地悪が過ぎたかな」

 ツネは数歩だけ跳ねるような動きを見せ、俺と距離をとる。

「ときにケン。提灯ちょうちんさいについては聞いたことあるかい」

「提灯祭……? そりゃどこのお祭りだ」

「自由が丘高校では『動の風鈴、静の提灯』なんて言われているらしくてね。去年からささやかれ始めた、言ってしまえば裏文化祭さ」

 風鈴と提灯、どっちも静な気がするんだが。というか歴史、浅すぎる。

「パンフレットの裏に『提灯祭のキーワード:氷のTATY』なんていう文字列が載ったらしくてね。その暗号を解き明かそうと、必死な連中も結構いたらしいのさ。誰もこれが何なのか分からなかったみたいだけどね」

 なんと無為な祭典だこと。

「……タティーってどういう意味だ」

「うーん、なんかポーランド語でお父さんって意味らしいけど」

 なんだそりゃ。本当に意味のある文字列なのか?

「まあそういうこともあるから、ケンは自由に動けた方がいいのさ!」

 俺に何をさせる気だ。まさかその提灯祭とやらを運営しているのもこいつじゃあるまいな。

 ツネは心底楽しそうに顔をほころばせている。頭の後ろで手を組み空を仰ぐ様は、芸術に疎い俺でも画になると確信できるくらいだった。

「いつまでも僕の意地悪に何もできないケンじゃ困るからね」

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