第10話 もしも化かせていたのなら

「ええっ、どうしてですか!?」

 その声がロビーに響いたのは、それから一週間後のことだった。

「復活したんですか!?」

 全く、こいつはいつもこんな次第である。

 あの騒動のあと、高蜂先輩がこんなことを言っていた。


「柴くん、だったっけ。しらたまあんぱん、どうにか続けて作ってもらえないか、お父さんに交渉してみるよ」

 小冬がいたら飛び上がりそうな一言を残し、彼女は去って行った、それからもう四日が経つ。

 そういうわけで、もう無理だと諦めていた小冬にとっては、しらたまあんぱんの復活はこの上なく嬉しい出来事だろう。

 今日もたくさんの戦利品を上機嫌に抱え、歩く。そして、その中でも最も飢えていた、ふっくらときつね色に焼きあがったそれに豪快にかぶりついた。

「あ……」

 小冬は何かに気づいて足を止める。

 俺は振り返る。

 六月は半ばに差し掛かろうとしている。室内にも僅かながら柔らかい日差しが差し込んでいた。生徒たちはそれを衣服や肌で淡くかえし、これからの生活に期待を膨らませている。


 きっと、彼女が涙を浮かべているのも嬉しさからだと思いたかった。


 雫は空気でぼやけた世界にひとつ、鋭く光る。それはまさに、場に不相応な光景と言えるだろう。傍から見れば美しく、幸せそうに映るかもしれない。

 でも、小冬はいつも詰めが甘い。今日ばかりは、無彩色な中身を隠しきってほしかった。

 やっぱりあの日は『陰で人に尽くす』べきだったと、俺はひそかに唇を噛んだ。何も知らなければ、きっと今頃あんぱんの復活をただ喜び、ご自慢のサイドテールを自由にしながらそれを頬張っていただろう。

 切り替わりを終えた白の群れが初夏の光を弾く中、小冬はそのまま下手くそな笑顔を作る。

「プロの、パン屋さんの味だ」

 本当は、そんなことまでわからないくせに。つぎはぎの無邪気で表面を覆っても、見る方の心を傷ませるだけだ。


 その場しのぎの顔と言葉では、どうやったって幼馴染の俺を化かすことなどできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る