第9話 包んで隠したその姿
三十分ほどの短い動画配信を終えた俺は、生徒会の扉を開いた。初配信ということで、視聴者からもその程度の時間で許された。
三時にアップロードされた動画、そしてライブ配信。
そこに映っていたのは俺、柴剣太郎だ。
チャンネル『動画の屋敷』。
これは占い部四人からなる動画配信チャンネルだ。
「のやしき」はそれぞれの頭文字をとったものであり、素顔を晒したくはないので狐の面をかぶり基本的にはそれぞれの自宅で動画を撮影、配信を行っている。視聴者を狐のように化かしているというわけではないのだが、四人であることは公言していないため実質そのような形になっているのは否めない。ちなみに、「の」になってしまった沙妓乃は、アカウント登録直前までチャンネル名をすべて平仮名にしようと抗議し続けていた。
配信は当番制である程度決まっているが、ツネは最も頻度が高い。そのせいもあってか、生徒の多くはツネ一人で動画を配信しているものだと思っている。
そして、今日の当番が俺だった、というわけだ。
閑話休題、事件についてだ。
森野先輩は夜に書いた手紙を毎朝ポストに入れていたという。しかし、高蜂先輩はずっと連絡がないと言った。
これはおかしい。話が噛み合っていなかった。誰かが意図的に連絡を妨害していると思った。
森野先輩は高蜂先輩が自分のタイミングで心を開いてくれるようにと、連絡手段として手紙を選んだ。それを誰かがかっさらっていたのだ。
そんな行動をとるのは、彼女らを知る人間、高蜂先輩の両親もしくは自由ヶ崎生だと考えるのがまあ自然なところだろう。しかし高蜂先輩が携帯電話を所持していないのは両親から禁止されているためだと、本人が言っていた。その両親が、文通すら許さないというのはあんまりだ。離婚する二人が互いにどう思っているのかは知らないが、子供にそこまでの仕打ちをしているとは考えにくい。いや、考えたくなかった。
俺たちはまず、彼女らの関係者が多い生徒会役員にターゲットを絞り、詮索を始めた。
正直なところ、最初は書記の崎本先輩が怪しいと思っていた。「絶対負けるから手伝ってくれ」と森野先輩にそそのかされ、彼女らの内輪もめに付き合わされた挙句、なりたくもない生徒会になってしまった。その腹いせという動機が想像できたからだ。
しかし彼女は朝、森野先輩より早く学校に来る。それは俺と小冬が早朝に生徒会室に押し掛けたとき、ホワイトボードに書かれていた日程表から明らかだった。これでは朝にポストに投函された手紙を奪えない。
タイミングを考え、隠し場所は学校であると見当がついた。一日中手紙を持ち歩くリスクはそれほど大きいとは思えない。しかし、自分で持っているよりどこかに隠しておいたほうが、発見されたときに知らん顔ができる。後者のほうが、比較的可能性は高いと思った。
校内で誰でも使える収納スペースというのは、実は案外多くない。
他人のロッカーなどに隠して事を大きくするのは、犯人も望まないだろう。そこで探索場所を絞り、目をつけた場所の一つが生徒会室だったのだ。そしてそれも、生徒会をターゲットとする理由の一つだった。結論この推測は正しかったようで、昨日ツネが室内を探索したところ、机の引き出しから封筒を見つかったのだ。
その時点で、犯人は生徒会役員にほぼ確定した。しかし、先も述べたように知らん顔されてしまっては終わりだ。普通に問い詰めるだけでは、弾かれる。証拠が必要だった。だから誘い出す必要があった。最初のターゲットを守屋先輩にしたのは、リストで上の方にいるからという偶然もあった。しかし、自宅の場所、登校時間、調べれば調べるほど、犯人として適切だった。
守屋先輩は、ここ数日、始業後にやってくる遅刻の常習犯だったらしい。これはほぼ間違いなく、ポストへの投函時間前後の張り込みによる確保を避けるためだろう。結局どんな犯人であっても、現行犯で押さえれば確実ではあった。しかし、行動を起こす前に気づかれてしまってはそれこそおしまいだ。知らん顔されるのを避けるため、それは最終手段にしたかった。
言い訳の効かない状況まで持ち込むことができないかと考えたときに、ツネの発言を思い出した。
三日前、ツネは部室での会議前に「副会長はコンコンのファンだ」と言っていた。
しかし、副会長の一人である森野先輩はコンコンを知らなかった。
ならば生徒会でコンコンのファンであり、他の生徒同様ツネがコンコンだと思いこんでいる副会長は消去法で一人だ。また、生徒会役員にいる男子生徒もツネと守屋先輩だけである。となれば、コンコンのファンであるというプライベートな会話まで行くのも、考えてみれば守屋先輩が最も自然だった。
これを誘き出す材料に使ったのだ。
生徒会室は危険領域だ。一般生徒の立ち入りを禁止するようなことはもちろんしていないが、理由もなく出入りして友人同士のたまり場にすることは認められていない。会長あたりとエンカウントすると、理由を問いただされ、ことが大きくなってしまうだろう。万全を期すためにも待ち伏せ役はツネが適任だった。
そして、俺は動画を投稿した。守屋先輩は思惑にはまり、しっかり誘導され、来てくれた。
『待ち人来たる』だ。
俺は今日も見事、占いを叶えてやったのだ。
「どうして、こんなことしたんですか……」
ツネは問う。
「勝ちという構図が、欲しかったんだ」
それはあまりにも下らなく、しかしあまりにも想像と共感に容易い理由だった。
「それがないと釣り合わないんだよ! 俺はなんのために、あんなに朝早くから呼びかけをしていた? 朝練を削って挑んだ部活の大会。パフォーマンスは最悪だった。加えて練習の出席率から生まれる部内の同調圧力。レギュラー落ちまで長くはかからなかった。それなのに、なんだよ信任投票って? 人の時間を奪っておいて、自分たちの都合で、……勝手がすぎるだろう!」
そうかもしれない。それでも、だ。
「勝手なのはあなたですよ」
俺は言った。
あの日、崎本先輩と言い争っていた男子生徒は、きっと守屋先輩だ。彼女らの行動で迷惑を被っている誰かというのは、守屋先輩自身だったのだ。生徒から選ばれ「勝った」のだと、そう思い込みたかったのだろう。
「……そうだ。俺だってわかってるんだよ。部活で自分の結果が出なかったことと、生徒会選挙の一件はほとんど関係ないって。でも、捌け口がなかった」
守屋先輩は苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「選挙の一件のあと、俺は森野に、お前が仕組んだのかと問い詰めた。あいつは何も答えなかった。俺の家は高蜂の家から近い。パン屋の娘で学年でも有名だから知っていたんだ。だから翌日、次はあいつを問い詰めてやろうと早朝に家の前で張り込みをした。そうしたら見かけたんだよ。森野が手紙をポストに入れているところを。あいつらは俺の知らないところで何か隠密なやり取りをしているんだと思った。あとは怒りに任せ、俺は動いていた」
守屋先輩がどうやって手紙のやり取りを知ったのだけが疑問だったが、確かにその理由なら合点がいく。
「だから手紙の内容を見たとき、正直驚いたさ。そこにやましいことなんて、一切なかった。だから余計に、自分が惨めに写った。そしてここから先は、悪意しかなかった。滑稽な復讐心だけが、俺の原動力だったよ」
先輩は白状する。しかしこれは俺たちが聞いても、意味のないことだった。
「でも先輩は手紙を処分しなかった。破ってしまうことだってできたはずなのに、無傷でしっかりと保管していた」
「……当然だろう。俺みたいな凡人に、そんなことできるわけがない」
それは俺たちが、彼の人間性に賭けていたところだった。
性善説、と言われればそうだろう。中身を見た上であれをズタボロにすることができるような極悪人はこんな姑息なことをしない。彼のような「小物」こそ、俺たちが思い描いていた犯人像だった。
「らしいですよ、先輩」
「……え?」
入り口付近にいた守屋先輩は驚いた様子で、後ろを振り返る。
「どうぞ……」
沙妓乃が連れてきていたその人は、感情が読めない表情をしている。
「森野……! 聞いていた……いや、知っていたのか」
「ええ」
守屋先輩はガクガクと怯えながらも、さすがは生徒会に立候補するくらいの人だ。顔を差し出し、男らしく言った。
「……ほら、好きに殴れよ! 軽蔑しただろ!」
森野先輩は悲しそうな顔をすると、
「ごめんなさい……」
と言った。
「……え?」
守屋先輩は強く瞑っていた瞼の力をまだ弱められない。
「たしかに、今回の件、あたしは涼子にしか迷惑をかけてないと思っていた。書記をやることになっちゃったあの子には何回も謝ったし、それだけでいいと、どこかで思っていたわ」
森野先輩は頭を下げる。
「でもそれだけじゃなかった! あたしの勝手な行動が、本当にいろんな人の時間や、思いを踏みにじってたんだ……。それなのに何にも成果を残せなくて……最低だ、あたし」
「森野……」
沈黙が訪れる。力なく膝を折った森野先輩をその場の全員が見つめていた。
「それで手紙とか、いつの時代よ」
誰かの声がした。荒い息が混ざった力強い叫び。森野先輩は顔を上げた。
そして、その声の主の名前を呼んだ。
「……亜美?」
そこにいたのは、高蜂先輩だった。先輩は力強く歩みを進めると、森野先輩の前で同じ目の高さまでかがむ。
「そうだよ、私が間違ってたんだ。手紙なんかより、もっともっと時代をさかのぼって、こうやって直接、話せばよかったんだ」
その目にもう迷いや憂いは感じなかった。
「どうして、ここに……」
森野先輩は枯れた声を振り絞り短く訊く。
「話さなくちゃって。小冬ちゃんたちが家に来て、『話してきます』って言われたときね、無性に悲しくなったの。どうして赤の他人なのに、こんなにグイグイ首を突っ込めるんだろうって。どうして私たちは、こんなに長い付き合いなのにそれができないんだろうって。私は、そんな関係で終わるのは嫌だった」
「おわ……る?」
高蜂先輩は何かを決した表情に変わる。
「私ね、転校するの」
「嘘……でしょ?」
「本当。来週には出ていくわ。副会長選挙、誘ってくれてありがとう。でもごめん、もうできないの」
森野先輩は再び顔を落とす。何か罪悪感に耐えられない様子だった。
「違う……違うの……」
森野先輩はぶんぶんと首を振る。もう二人の間に壁はなかった。
「あたし、亜美と一緒に生徒会をやる気なんてなかった」
高蜂先輩は小さく驚いた顔をしたが、そのあと優しい笑顔で尋ねた。
「どういうこと?」
森野先輩は、それに全力で応えた。
「あたしのほうが、辞退しようと思ってたの。全部、亜美を焚き付けるためにやったのよ。中学の頃から、やりたかったんでしょ?」
ああ、この人たちは、今まで何も話してこなかったのか。口を開けばこんなにも簡単なことだったのに。
「あの頃はもう全然話さなくなってたのに、気づいてたんだ」
「当たり前だよ。だからあたしは、負けるつもりで頭を下げて涼子と組んで立候補をした。久しぶりに亜美に声をかけるの、『一緒に出よう』の一言を言うの、本当はすごく緊張したんだよ。『誰だっけ』とか、『あなたには無理だ』って言われないかって。だって、柄じゃないし。でも、亜美にはどうしてもやってほしかった。誘って、亜美の顔を見て、小さい頃から今までの生き方を見て、絶対やったほうがいいと思ったんだ。尊敬してたから。だから、一緒にやるなんて言いながら、結局は守屋君と亜美に枠を明け渡すつもりだったんだ」
それを聞いて、高蜂先輩は愉快そうに笑った。
「あははははっ! 彩夜、それ面白すぎ」
「え、え、……何?」
森野先輩は何がそんなにおかしいのか、全くわかっていない様子だった。
「馬鹿ね。自分では気づいてないんだ。本当にそっくりってことね」
「だから、何を」
「彩夜も、ぴったりだよ。生徒会」
それはきっと、伝えるのに何年もかかった言葉。
森野先輩は大きく目を見開いたあと、ゆっくりとまばたきをして笑顔を作る。
「ははは……、なるほどね。結局、おんなじだったんだ」
「そう。だから私、こんなに罪悪感を感じてたんだよ。一生懸命で、心の底ではずっとみんなの前に立ちたかった彩夜が、やっと勇気を出したのにって。それなのに、そっちもだったなんて」
「あははは、あはは……うっ……」
森野先輩が顔をしかめると、高蜂先輩も堪えきれなくなったようだった。
二人は抱き合って涙を流す。
「ありがとう。ありがとう彩夜。転校先の学校で私、絶対勝つから。どう思われても、絶対自分で勝って、やりたいことを出来るようになるから」
「あたしだって、自覚がなくて、でもやっと踏み出してなれた生徒会なんだ。絶対、学校をよくする」
俺とツネと沙妓乃は、そっと立ち去る準備をした。
守屋は罪悪感に満ちた顔をしながらも、何かを決意したように拳を握っていた。
「彩夜、これ」
高蜂先輩は森野先輩に小さな紙きれを手渡す。
「これって……電話番号?」
「そう。昨日、お母さんにすごくわがまま言って買ってもらったの。最初に彩夜と交換したかったんだ」
「昔はわがままなんて絶対言わない性格だったのに、変わったね」
「何か小さいことでも、踏み出そうと思ったんだ。彩夜も、きっとみんなも、この学校でそういう始まりがあった。生徒会として、私の自由ヶ崎高校を、よろしくね」
「……うん」
そう返事をし、森野先輩は立ち上がった。
この学校はきっと、より良くなっていくのだろう。
まだ始まったばかりの高校生活、その三年間をここで過ごすことのできる幸せを、俺たちは身をもって感じていた。
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