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 岸元はRF-4E《ファントム》のコクピットから顔を上げた。青空を飛翔するF-15J《イーグル》の腹を眺める。胴体の両側にセミアクティヴレーダー誘導ミサイルAIM-7M『スパロー』を4本、センターラインにはハイGタンク、両翼のパイロンには赤外線追尾式ミサイルAAM5を4本吊り下げている。フル武装状態にも関わらず、雲の塊を身軽に右へ左へかわしている。

 高度15000フィート。機首方位000、機速600ノット。

 Gメーターの指針はゼロを指している。ただひたすらに真っすぐ飛び続けている。

 岸元には《イーグル》が楽々と飛翔しているように見えた。《ファントム》はぜいぜいと喘いで飛んでいるように思える。第501飛行隊ご・まる・いちから全機退役していたはずの戦闘機が千歳基地の格納庫に現れた時は岸元もさすがに驚いた。

 大きく膨れ上がった胴体。水平に飛び出し、先端で上方に12度ハネ上がっている主翼。水平面から35度も下がった水平尾翼。突き出た垂直尾翼。F-4E《ファントム》は就役した当初から「醜いアヒルの子」と呼ばれた。機首レーダーを小型化し、カメラなどの偵察機材を積み込んだ戦術偵察機であるRF-4Eは非武装である。自機を守る機器はレーダー警戒装置か主翼下に吊るした電子戦ポッドのみで、あとは戦闘機として持つ機動力を生かして回避するだけだった。

 格納庫に佇む《ファントム》はすでに両翼にドロップタンク、胴体下のセンターラインに見慣れない電子戦ポッドを搭載していた。岸元は設楽に眼を向ける。

「これは?」

「今回の作戦で使用する秘密兵器だ。型式名はJ/ALQ-6」

 設楽は電子戦ポッドの諸元を説明する。全長2・93メートル、幅が40センチの胴体に折り畳み式の翼が付いている。主翼を広げた場合は全幅が1・23メートル。砲弾のように先端に向けてなだらかな流線形をしている。総重量は400キロ。

「今後に向けて試験運用中だったんだが、銘苅司令の一声でさっそく実戦投入だ」

「誰が操縦するんだ?これを」

 今から思い返せば、だいぶ野暮なことを聞いたな。岸元はそう思った。

「俺たちに決まってるだろう」

 設楽は岸元に灰色のヘルメットを投げた。オートバイ用として市販されている物に比較して、はるかに軽い。オレンジ色の筆記体で書かれた「ナイト」のシールが右の側頭部に貼られている。岸元は自分のタックネームを久しぶりに眺めた。

「原隊復帰おめでとう」

 岸元は周囲を見渡した。

 季節外れの強力な低気圧が日本上空を覆っている。高度2000フィートから50000フィートまで無数にも見える雲の塔が立っている。さらに10000フィートから下はべったりと層を成した雲に覆われている。下方の視界は利かなかった。

 50000フィート上空にも雲が広がっている。2機のフル武装した《イーグル》と《ファントム》は奇妙に明るい灰色の空間を編隊飛行していた。

「もう少しこっちに気を使ってくれてもいいんじゃないか」

 岸元は後部座席に収まっている設楽に話しかけた。《ファントム》は機体の前後に座席を並べたタンデム複座機である。前部座席に収まる岸元が操縦を担当し、後部座席に収まる設楽がレーダーや航法装置を操作する。設楽は眠そうな声で言った。

「充分に使ってるさ」

「向こうは新幹線、こっちはディーゼル車に乗ってるようなもんだ」

「そんなんじゃ、こっちに合わせたら居眠りしかねないだろ」

 岸元は唸った。酸素マスクの内側にマイクロフォンが仕込まれている。機内通話装置インターコムはスイッチの操作を必要としないホットマイク式だった。ため息を吐いても歯ぎしりしても相棒の耳に届いてしまう。

 千歳基地を離陸して15分が経過している。《イーグル》2機と《ファントム》によるヨシュア編隊フライトはまもなく日本の防空識別圏を越えようとしていた。岸元は呟いた。

「うまくいくんだろうか」

「うまくいくさ」

「意外に楽観してるんだな」

「苦労を顔に出さないだけだ。そろそろイニシャル・ポイントだぞ」

 相変わらず設楽の声は眠そうに響いている。落ち着いた話し方を徹底的に訓練され、いつしかそれ以外の話し方を忘れてしまう。それでも今は声音に緊張が滲む。

「了解」

 岸元は《イーグル》の機動に注目した。編隊長リーダー機に第203飛行隊に・まる・さんの飛行班長である村瀬重吾・三等空佐、編隊僚機ウィングマンに同じ飛行隊の久保田俊彦・一等空尉が乗っている。村瀬は隊長から第201飛行隊に・まる・いちの邀撃が万が一に失敗した場合、テロリストの手に渡る前に政府専用機を撃墜せよと命じられていた。

 ヨシュア編隊フライト編隊長リーダー機―村瀬は動いた。編隊僚機ウィングマンの久保田機はぴったりと追随する。設楽は声を張り上げる。

今だナウ

「分かってる」

 岸元は《イーグル》の機動に合わせて右翼を下げた。そのまま機体を百八十度横転させ、背面飛行に入る。岸元は操縦桿を引いた。《ファントム》の機首が下がる。

 マイナスG。久しぶりに臓腑の底が持ち上げられるような感覚に襲われる。岸元は歯を食いしばった。前部風防が雲に突っ込んだ途端、視界がゼロになる。岸元は操縦桿を倒した。再び機体を横転させて背面飛行からリカバリーする。

 13000。12000。11000。

 高度計の指針だけを頼りに急降下を続ける。雲底は2000フィートだった。6000フィートで引き起こしをかけ、降下率を減少させるつもりだった。

 高度は10000フィートを割った。

 8000。7000。

 岸元は操縦桿を引いた。今度は4Gもの重力がのしかかる。射出座席に身体が縛りつけられる。岸元は呻いた。降下率が落ちる。やがて高度2000フィートで《ファントム》は水平飛行に移った。途端に不安定な気流に翻弄される。雲に包まれた機体は上下に激しく揺さぶられる。

「おい、何とかしてくれ」

《ファントム》は降下を続けて積乱雲を下から飛び出した瞬間、高度計は700フィートを指していた。

 岸元と設楽は同時に呻き声を上げる。オホーツク海はひどく荒れている。飛び散る波しぶきが霧のように空間を満たしている。重くのしかかるように雲が頭上に垂れ込めていた。

「どうやって、政府専用機を捜すんだ?」

 岸元は上空を見渡した。積乱雲が凄まじい速度で流れている。

「今は《ホークアイ》からレーダー映像をもらえるが、それもまもなく届かなくなる」

《ホークアイ》は空中早期警戒機E-2Cを指す愛称である。設楽は眼の前にある4インチサイズのディスプレイを見ながら言った。

「あとは、計算と俺の勘だな」

 岸元は呻き声で応じた。

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