[7]
岸元はRF-4E《ファントム》のコクピットから顔を上げた。青空を飛翔するF-15J《イーグル》の腹を眺める。胴体の両側にセミアクティヴレーダー誘導ミサイルAIM-7M『スパロー』を4本、センターラインにはハイGタンク、両翼のパイロンには赤外線追尾式ミサイルAAM5を4本吊り下げている。フル武装状態にも関わらず、雲の塊を身軽に右へ左へかわしている。
高度15000フィート。機首方位000、機速600ノット。
Gメーターの指針はゼロを指している。ただひたすらに真っすぐ飛び続けている。
岸元には《イーグル》が楽々と飛翔しているように見えた。《ファントム》はぜいぜいと喘いで飛んでいるように思える。
大きく膨れ上がった胴体。水平に飛び出し、先端で上方に12度ハネ上がっている主翼。水平面から35度も下がった水平尾翼。突き出た垂直尾翼。F-4E《ファントム》は就役した当初から「醜いアヒルの子」と呼ばれた。機首レーダーを小型化し、カメラなどの偵察機材を積み込んだ戦術偵察機であるRF-4Eは非武装である。自機を守る機器はレーダー警戒装置か主翼下に吊るした電子戦ポッドのみで、あとは戦闘機として持つ機動力を生かして回避するだけだった。
格納庫に佇む《ファントム》はすでに両翼にドロップタンク、胴体下のセンターラインに見慣れない電子戦ポッドを搭載していた。岸元は設楽に眼を向ける。
「これは?」
「今回の作戦で使用する秘密兵器だ。型式名はJ/ALQ-6」
設楽は電子戦ポッドの諸元を説明する。全長2・93メートル、幅が40センチの胴体に折り畳み式の翼が付いている。主翼を広げた場合は全幅が1・23メートル。砲弾のように先端に向けてなだらかな流線形をしている。総重量は400キロ。
「今後に向けて試験運用中だったんだが、銘苅司令の一声でさっそく実戦投入だ」
「誰が操縦するんだ?これを」
今から思い返せば、だいぶ野暮なことを聞いたな。岸元はそう思った。
「俺たちに決まってるだろう」
設楽は岸元に灰色のヘルメットを投げた。オートバイ用として市販されている物に比較して、はるかに軽い。オレンジ色の筆記体で書かれた「ナイト」のシールが右の側頭部に貼られている。岸元は自分のタックネームを久しぶりに眺めた。
「原隊復帰おめでとう」
岸元は周囲を見渡した。
季節外れの強力な低気圧が日本上空を覆っている。高度2000フィートから50000フィートまで無数にも見える雲の塔が立っている。さらに10000フィートから下はべったりと層を成した雲に覆われている。下方の視界は利かなかった。
50000フィート上空にも雲が広がっている。2機のフル武装した《イーグル》と《ファントム》は奇妙に明るい灰色の空間を編隊飛行していた。
「もう少しこっちに気を使ってくれてもいいんじゃないか」
岸元は後部座席に収まっている設楽に話しかけた。《ファントム》は機体の前後に座席を並べたタンデム複座機である。前部座席に収まる岸元が操縦を担当し、後部座席に収まる設楽がレーダーや航法装置を操作する。設楽は眠そうな声で言った。
「充分に使ってるさ」
「向こうは新幹線、こっちはディーゼル車に乗ってるようなもんだ」
「そんなんじゃ、こっちに合わせたら居眠りしかねないだろ」
岸元は唸った。酸素マスクの内側にマイクロフォンが仕込まれている。
千歳基地を離陸して15分が経過している。《イーグル》2機と《ファントム》によるヨシュア
「うまくいくんだろうか」
「うまくいくさ」
「意外に楽観してるんだな」
「苦労を顔に出さないだけだ。そろそろイニシャル・ポイントだぞ」
相変わらず設楽の声は眠そうに響いている。落ち着いた話し方を徹底的に訓練され、いつしかそれ以外の話し方を忘れてしまう。それでも今は声音に緊張が滲む。
「了解」
岸元は《イーグル》の機動に注目した。
ヨシュア
「
「分かってる」
岸元は《イーグル》の機動に合わせて右翼を下げた。そのまま機体を百八十度横転させ、背面飛行に入る。岸元は操縦桿を引いた。《ファントム》の機首が下がる。
マイナスG。久しぶりに臓腑の底が持ち上げられるような感覚に襲われる。岸元は歯を食いしばった。前部風防が雲に突っ込んだ途端、視界がゼロになる。岸元は操縦桿を倒した。再び機体を横転させて背面飛行からリカバリーする。
13000。12000。11000。
高度計の指針だけを頼りに急降下を続ける。雲底は2000フィートだった。6000フィートで引き起こしをかけ、降下率を減少させるつもりだった。
高度は10000フィートを割った。
8000。7000。
岸元は操縦桿を引いた。今度は4Gもの重力がのしかかる。射出座席に身体が縛りつけられる。岸元は呻いた。降下率が落ちる。やがて高度2000フィートで《ファントム》は水平飛行に移った。途端に不安定な気流に翻弄される。雲に包まれた機体は上下に激しく揺さぶられる。
「おい、何とかしてくれ」
《ファントム》は降下を続けて積乱雲を下から飛び出した瞬間、高度計は700フィートを指していた。
岸元と設楽は同時に呻き声を上げる。オホーツク海はひどく荒れている。飛び散る波しぶきが霧のように空間を満たしている。重くのしかかるように雲が頭上に垂れ込めていた。
「どうやって、政府専用機を捜すんだ?」
岸元は上空を見渡した。積乱雲が凄まじい速度で流れている。
「今は《ホークアイ》からレーダー映像をもらえるが、それもまもなく届かなくなる」
《ホークアイ》は空中早期警戒機E-2Cを指す愛称である。設楽は眼の前にある4インチサイズのディスプレイを見ながら言った。
「あとは、計算と俺の勘だな」
岸元は呻き声で応じた。
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