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リュビモフは狭いコクピットの中で眼を窄めた。Su-27に搭載されたレーダーのスイッチは落としている。サハリンにあるレーダーサイトが代わりに
リュビモフは高空を見上げる。くっきりと4本の白い筋が目標から後ろに伸びて浮かび上がっている。ボーイング737-500のエンジンが吐き出す排気に含まれた水蒸気が瞬時に凍結し、飛行機雲を伸ばしている。
不安が全くないわけではない。
目標は1983年に大韓航空機が撃墜された空域と同じ場所に差しかかっている。エリアナンバーでは〈46〉を越えて〈67〉を通過し、〈88〉に進入しようとしている。目標を北朝鮮・中国・ロシアに国境を接する
『私の信念に殉じようという勇気ある兵士は大勢いますから』
《キキモラ》の顔貌は必然的に、ある人物に結びついた。
ミハイル・シドレンコ。リュビモフが空軍士官学校にいた時の教官であり、先代の第202戦術戦闘飛行隊隊長だった。生粋の戦闘機パイロットで1980年代の初め、Su-27の運用が始まった頃から駆っていた。
最後に会ったのは5年前、場所はハバロフスクにある第11航空軍司令部の士官クラブ。2人で冷えたウォッカをグラスになみなみ注いで飲み合った。シドレンコはイタズラっぽい笑みを浮かべている。
「酒を飲むと、昔話がしたくなる。私も老いたってことかな」
「先輩のお話はいつも示唆に富んでいます。私のような若僧には何よりの勉強です」
「何が若僧やら。お前はとっくに第一級の戦闘機乗りだよ」
「とんでもない」
シドレンコはアフガニスタンやアゼルバイジャンの上空を飛び回った逸話を言葉少なに語った。エースパイロットらしく戦場で撃墜した敵機の数を誇りとして、愛機の左翼に赤い線のストライプで撃墜数を示していた。
リュビモフは計器盤の中央に据えられた液晶ディスプレイをちらりと見る。簡略化された航路図の上に引かれている方眼に
ヘルメットの内側に備え付けられたスピーカーがちりちりと音を立てる。やがて女性の声が聞こえた。リュビモフが作戦行動中に使用するコールサインを呼び出している。シドレンコが使用していたコールサインをそのまま引き継いでいた。
『《セレネ》よりエリス
リュビモフは酸素マスクの内側で不敵に笑った。送信スイッチに指は触れない。自分が生まれ育った祖国を捨てる瞬間が間近に迫っているというのに、心は穏やかだった。他のパイロットたちはこの交信をどのような思いで聞いているだろう。
マリノフスキーは退屈そうに欠伸をしているか。ラスキンは無表情。ユーシチェンコは少しばかり涙を流しそうになっているかもしれない。最後に浮かんだコマロフはおそらく自害を遂げただろう。
『《セレネ》よりエリス
《セレネ》はサハリン南部に設置されたレーダーサイトのコードネームだった。無線機を操作している女性の下士官をリュビモフは知っていた。赤毛をひっつめて団子にした頬骨の飛び出た女。名前はガリーナ。せっかちな性格で数秒でも返信が遅れたり、無線機が不調になったりすると、すぐに金切り声を上げることで有名だった。
『《セレネ》よりエリス
短い問いかけでも、声音は確実に高くなっている。
レーダーサイトでは、リュビモフ率いるSu-27の4機編隊を心配し始めているはずだった。燃料は基地に帰投できるギリギリの積載量に近づいている。目標はエリア〈88〉に接近しているが、エリア〈97〉も超える場合はユジノサハリンスク空軍基地所属の邀撃機がカバーする空域を逸脱しようとしていた。
『《セレネ》よりエリス
予想通りガリーナは金切り声を上げ始めた。やがて上官に交替し、最後は第11航空軍司令官もマイクを取るだろう。
『《セレネ》よりエリス
リュビモフは無線機の周波数を無造作に切り替えた。スイッチを動かす音がユジノサハリンスク空軍基地や部下にもはっきり聞こえたはずだ。
「エリス
『エリス
『エリス
『エリス
リュビモフは再び送信スイッチを入れる。
「諸君、ようこそ新世界へ」
ヘッドセットに電子音が鳴り響いた。リュビモフは視線を下げる。
南から
「なぜF-15が西側では傑作と言われる制空戦闘機になりえたか、理由は分かるか」
リュビモフは首を横に振った。シドレンコは不敵な笑みを浮かべる。
「七面倒なことは考えずに、素直に我が国のMiG-25をパクったからだ」
リュビモフは酸素マスクの内側でニヤりと嗤った。
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